“現実とは思えない光景”という喩えが在るけれど、実際にそういう光景を目にする事は、そう多くは無い。
半世紀以上生きて来た自分だが、実際に目にした“現実とは思えない光景”となると、「日本航空123便墜落事故での、余りに悲惨な墜落現場。」や「アメリカ同時多発テロ事件で、ワールド・トレード・センターに航空機が突入した場面。」、「地下鉄サリン事件で、大勢の被害者が運び出されている光景。」、「東日本大震災で発生した大津波に、街が飲み込まれて行く光景。」、そして「阪神・淡路大震災で、大火災に見舞われている街の光景。」だ。
其の「阪神・淡路大震災」が発生したのは「1995年1月17日」で、今日、彼の日から24年目を迎えた。1995年は「亥年」で、今年も「亥年」。2度目の亥年を迎えた訳だ。
来年は25年目という事で、丁度「四半世紀」を迎える。悲しい事に人間の記憶は、時の経過と共に薄れて行ってしまうもの。彼の怖ろしい光景を脳裏に深く刻み込んでいる積りの自分ですら、当時の恐怖心を保てている自信は無い。
3日前の記事「風化に繋がらないで欲しいが・・・」の中で「(阪神・淡路大震災の発生した)時刻に拘るので無く、彼の日を思い出し、犠牲者を偲ぶ事が大切だ。」という言葉を紹介したけれど、此れからも「1月17日」という日を迎える度、犠牲者を偲んで行きたいと思っている。
合掌。
テレビがあと数センチこっちに落ちていたら、私はここで、こうしていなかったでしょう。
彼の日、自宅を出る前に「関西方面で大きな地震が在った。」という事を知りましたが、まさかあんなにも凄い状況だったとは・・・昼食を取りに行った先で、TV画面に映し出された光景を目にして愕然としました。
本の少しの差で命運が分かれるという事は少なからず在りますが、雫石様の場合も正にそうで、だからこそ余計に彼の日の記憶が強烈に残っているでしょうね。