実際にはもっと昔に聞いた事が在るのだろうけれど、自分の中で“初めて聞いたラジオ番組”となると、記憶違いで無ければ「小学校低学年の時、耳鼻咽喉科(歯科だったかも)の待合室で流れていた大沢悠里氏のラジオ番組だった。」。今回調べてみた所、恐らくは「土曜日です おはよう大沢悠里です」かと思われるが、大沢氏の軽妙洒脱な話術に引き込まれ、「ラジオ番組って面白いなあ。」と。以降、プロ野球中継を中心に、学生時代は「吉田照美のてるてるワイド」や「ビートたけしのオールナイトニッポン」を夢中になって聞いたりしていた。(「ラジオ劇画傑作シリーズ」というのも好きだったっけ。
そんな感じなので、今でもラジオ番組を時折聞いている。移動中の車内ではカー・オーディオ、そして自宅ではradiko(昔は、「ラジオ」でだったが。)によってというのが、自分の聴取スタイル。
TV番組とラジオ番組との大きな違いは、受け手が“視覚”を使用するか否かだろう。TV番組の場合、視聴者は視覚を使用する。「雨が降っている。」とか「人が怒っている。」等は、音声が無かったとしても、画面を見ていれば視聴者には伝わる。でも、ラジオ番組の場合は“音声”だけが頼りなので、リスナーは音声のみで状況を判断する事になる。「音声で状況を的確に伝えなければいけないが、だからと言ってくどくどしい説明調だと、リスナーは飽きてしまう。」だろうから、ラジオ番組の制作者は大変だ。
で、10日夕方にニッポン放送で放送された「伊集院光のタネ」を車内で聞いていたら、「どうしてラジオを聞いていますか? Part2」というのがテーマだった。過去に同じテーマを取り上げ、好評だった事からの第2弾らしい。
リスナーからの投稿には「うんうん、そうだったなあ。」と共感させられる物が少なく無かったが、特に強く心が揺り動かされたのは、56歳の男性・A氏からの投稿。同世代という事も在り、“懐かしい思い出”が一気に蘇って来た。
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① 学年誌の付録
A氏曰く「小学6年の時、学年誌『中一時代』だったと思うが、4月号に“イヤホン付きの簡易ラジオ”が付録として付いていて、其れが自分にとって“ラジオとのファースト・コンタクト”だった。」と。
伊集院氏が「当時、幼稚園から小学校、小学校から中学校、中学校から高校という“繰り上がりの前段階(3月)”には、『1年の科学』や『1年の学習」、『小学一年生』、『中一時代』、『中一コース』、『高一時代』、『高1コース』等の“4月号”に、超豪華な付録が付くのが普通だった。4月号で購読者をどっと取り込めば、其の後は長期間の購読が期待出来るので。簡易カメラが付録として付いていた様な気もする。」と語っていたけれど、そうそう其の通り!
17年前の記事「中学生日記」の中でも触れたが、「繰り上がりの前段階(3月)に学年誌の年間定期購読予約をすると、プレゼントとして特製の万年筆が貰えた。」りしたけれど、当時の子供達にとってラジオやカメラ、万年筆といった物は、“大人が所有している憧れの商品”だったのだ。
② BCL
「放送(特に短波による国際放送)を受信して楽しむ趣味。」を「BCL」と呼び、1970年代から1980年代に掛けての日本では、小学生~高校生を中心に結構流行っていた。自分(giants-55)はBCLに嵌まらなかったが、同級生で“ヴェリカード”を集めている者が何人か居り、学校に持って来ては自慢していたっけ。
③ 見えるラジオ
エフエム東京が嘗て提供していた「FM文字多重放送サーヴィス」の通称。「専用の受信端末を利用すると、現在聞いているラジオ番組の名前や、流れている音楽の曲名、ニュースや天気予報等の情報が、30文字程度迄表示される。」という物。TV番組での文字多重放送サーヴィスというのは今でも在るが、ラジオでのというのは当時、非常に画期的だった。
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「今の様に“周波数カウンター”で聞きたい番組の周波数に合わせるのでは無く、昔は指で“ダイヤル”を摘んで合わせなければならなかったので、結構“テクニック”が必要だったなあ。」という伊集院氏の発言に共感。又、彼の「今は(ラジオ番組を聞く事も出来る)スマホを誰もが持っている時代。或る意味、こんなにも多くの人が“ラジオ”を持っている時代は無かったとも言える訳だけど、ラジオの作り手はそんな彼等から、1人でも多くラジオ番組を聞いて貰える努力をしないといけない。」といった趣旨の言葉には、「そう言われれば、確かにそうだなあ。」とも。
1970年代、私は深夜ラジオを聞きながら勉強してました。
ある日、初めて聞く番組を聞くと、聞きなれないパーソナリティがしゃべってました。眉村卓という人です。そのころはもう私はSFファンでしたから、眉村さんのお名前はしってました。
その番組にリスナーがショートショートを投稿するようになり、優秀作は眉村さんが朗読し、私も朗読してもらいました。常連投稿者もでき、番組終了してから、常連たちと同人誌をつくり眉村さんのご自宅で勉強会もしてました。以来、50年。まだ、その常連たちと交流があります。眉村さんとは眉村さんが亡くなるまでご厚誼を頂きました。亡くなったあと追悼本も自主出版しました。
https://www.amazon.co.jp/dp/480209292X/
あの時ラジオを聞いてなかったなら私の人生は違ったモノになっていたでしょう。
雫石様と眉村先生との出会い&交誼、非常に良い話ですね。雫石様にとってラジオ番組は、“縁結びの神”となったとも言えましょう。
TV番組とラジオ番組の違い、本文でも書きました様に“視覚面”というのも在りますが、“送り手と受け手との距離感の近さ”というのも在ると思うです。インターネットや携帯電話なんて影も形も無かった時代、葉書や固定電話によってリスナーとDJが行う遣り取りは、実に“密”な感が在りました。
19年前の記事「あなたもハガキ職人に」(https://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/6b3161aa0e7f729488bffec371938417)の中で書きましたが、学生時代は“ディープ”では無かったものの、好きだったラジオ番組に葉書を投稿し、何度か読まれた事が在ります。自分の様なド素人の文章が公の場で読まれた際、何とも言えない喜びと感動を覚えた物。今でも忘れられません。