ハムぞー様のブログ「ハムぞーの『職業野球研究所』に、「豆腐~東西々々」という記事が載っている。「東西々々シリーズ」は或る事柄を取り上げた上で、それに対する「東西の違い」を皆で語り合うというアカデミックな内容なのだが、今回の「豆腐~東西々々」では「大昔、街中で良く見掛けた豆腐の行商人は、何を鳴らして来ていましたか?」というのがテーマ。幼少時に住んでいた名古屋では「ピープー。」という音の喇叭を鳴らして来ていたし、近年関東圏で見掛ける様になった豆腐行商人も自分が見た範囲では矢張り喇叭を吹いていたので、「豆腐の行商人=喇叭」というイメージが完璧に出来上がっている。しかし当該記事への書き込みを拝見すると、「鐘を鳴らして来た。」とする方が何人か居らるのが興味深い。先達て見たTV番組では「東北地方以北では、甘い赤飯を食する地域が少なくない。」というのを知ってカルチャー・ショックを受けたのだが、個人的にこの手の「文化の違い」は非常に興味が在る。「自分の住んでいた地域では、こうだった。」という情報が在れば、是非ハムぞー様の記事に書き込みをして戴ければと思う。
話はガラッと変わるが、13日に自民党の谷垣禎一総裁がTVカメラに向かって以下の発言をしていた。
「野党は与党を追い込んで行くのが仕事。」
これは嘘偽りの無い本音だとは思う。どれだけ綺麗事を並べ立てた所で、法案は数の論理で成立する。野党の提出した法案が絶対に成立しないという訳では勿論無いけれど、数で勝る与党の立場の方が格段その法案が通り易いのは確かだろう。だからこそ野党の立場としては「与党を追い込みたい。」と思うのは“本音の部分として”理解出来なくも無いけれど、こうも露骨に党利党略を前面に押し出してしまうのは、1人の国民としてガッカリしてしまう。これは小沢一郎氏にも言える事だけれど、「選挙至上主義」というのは国民を愚弄している様にしか思えない。野党になって以降の自民党上層部からは、しばしばこの手の発言がされているのが非常に気になる。
「リーダーシップに難が在った。」と言わざるを得ない鳩山由紀夫前首相。コロコロ変わる彼の発言も在って、鳩山政権は迷走していたと自分も思う。それが故に鳩山政権の支持率は急降下した訳だが、だからと言って自民党の政党支持率が大きく上昇する事無かった。(鳩山政権末期には、民主党の支持率を僅かに上回ったけれど。)「これは何故なのか?」、自民党の志在る議員達はもっと真剣に考えなければいけない。
又、鳩山首相が辞任して菅直人氏が首相に就任した事で、低落し続けていた民主党の支持率が大幅に上がった。この大幅上昇、新政権誕生という事での“御祝儀的な意味合い”は確かに在ると思うが、それが大半という訳では無いとも感じる。「民主党は頼りない。でも、だからと言って自民党政権には戻って欲しくない。だったら、もう少し民主党に政権を託してみるか。」そういった“消去法での支持”、即ち“積極的とは必ずしも言えない支持”を民主党にした国民が少なくなかったのではないか。民主党への支持率があれ程迄に急落し乍らも、だからと言って自民党の支持率が大して上がらなかった事を考え併せると、そんな気がしてならないのだ。
では何故、少なからずの国民は自民党に幻滅を感じてしまったのか?その理由は色々在ろうが、「『大人の政党』と思っていた自民党が野党の立場になったら、“悪い意味で”従来の野党と同じ“子供っぽさ”を晒し続け、その事に多くが幻滅してしまったのではないか。」というのが自分の考えだ。「民主党の強行採決は、民主主義を根底から覆す暴挙だ!」と自民党の議員達が口にした所で、「じゃあ近年ずっと、数の論理で強行採決を繰り返していたのはどの党だったのか?」と感じてしまう国民は少なくなかったのではないか?「全てに反対とか、国会内で野卑な野次ばかり飛ばしたりとか、与党時代の自民党が野党に対して大批判していた同じ事を今してるのだから、全く説得力無いよ。」というのも在るのではないか?
小泉進次郎議員*1が前に「何でも与党に反対というのでは無く、同意出来る部分では協調する姿勢が大事。」といった趣旨の発言をしていたが、その通りだと思う。国民の少なからずは「大人の政党たる自民党の姿」を期待しているというのに、している事が従来の野党の悪い点ばかりを真似しているのでは、そりゃあ支持率が上がる訳は無い。
21世紀にもなって自民党の上層部が「左翼政権だ!」と攻撃するアナクロさ、経済がこれ程迄に疲弊し、明日に希望を持てない国民が少なからず居る現状なのにも拘わらず、「最優先課題は憲法の改正で在る!」と叫ぶ“民意の読めなさ加減”。挙句に「野党は与党を追い込んで行くのが仕事。」なんて発言が飛び出す様では、熱狂的な自民党支持者で無い限り、多くの共感を得られるとは思えない。増加している無党派層の心を掴み取るには、過去の過ちを認めた上で、他党とは異なる「大人の政党としての姿」を具体的な政策等でもっと示す必要が在るだろう。
自民党にも良い人材は居る。だからこそ彼等に「生まれ変わった自民党」というのを、明確に示して貰いたいもの。
*1 聴衆の耳目を惹く“言葉選びの上手さ”等、アジテーターとしての小泉進次郎氏の能力の高さは評価している。あの年であれだけの話術を持っているというのは、本当に凄い。しかし残念乍ら、自身の政策というのが余り無い様に感じている。又、金銭疑惑を追及する以上は、曖昧なままになっている「小泉家の金銭疑惑」をクリアにする必要が在るだろう。間違っても“父親”の様に、「それがどうした?何が悪い!」みたいな開き直りは見せないで貰いたい。予想外に、良い素質を持っていると思っているからこそ。
話はガラッと変わるが、13日に自民党の谷垣禎一総裁がTVカメラに向かって以下の発言をしていた。
「野党は与党を追い込んで行くのが仕事。」
これは嘘偽りの無い本音だとは思う。どれだけ綺麗事を並べ立てた所で、法案は数の論理で成立する。野党の提出した法案が絶対に成立しないという訳では勿論無いけれど、数で勝る与党の立場の方が格段その法案が通り易いのは確かだろう。だからこそ野党の立場としては「与党を追い込みたい。」と思うのは“本音の部分として”理解出来なくも無いけれど、こうも露骨に党利党略を前面に押し出してしまうのは、1人の国民としてガッカリしてしまう。これは小沢一郎氏にも言える事だけれど、「選挙至上主義」というのは国民を愚弄している様にしか思えない。野党になって以降の自民党上層部からは、しばしばこの手の発言がされているのが非常に気になる。
「リーダーシップに難が在った。」と言わざるを得ない鳩山由紀夫前首相。コロコロ変わる彼の発言も在って、鳩山政権は迷走していたと自分も思う。それが故に鳩山政権の支持率は急降下した訳だが、だからと言って自民党の政党支持率が大きく上昇する事無かった。(鳩山政権末期には、民主党の支持率を僅かに上回ったけれど。)「これは何故なのか?」、自民党の志在る議員達はもっと真剣に考えなければいけない。
又、鳩山首相が辞任して菅直人氏が首相に就任した事で、低落し続けていた民主党の支持率が大幅に上がった。この大幅上昇、新政権誕生という事での“御祝儀的な意味合い”は確かに在ると思うが、それが大半という訳では無いとも感じる。「民主党は頼りない。でも、だからと言って自民党政権には戻って欲しくない。だったら、もう少し民主党に政権を託してみるか。」そういった“消去法での支持”、即ち“積極的とは必ずしも言えない支持”を民主党にした国民が少なくなかったのではないか。民主党への支持率があれ程迄に急落し乍らも、だからと言って自民党の支持率が大して上がらなかった事を考え併せると、そんな気がしてならないのだ。
では何故、少なからずの国民は自民党に幻滅を感じてしまったのか?その理由は色々在ろうが、「『大人の政党』と思っていた自民党が野党の立場になったら、“悪い意味で”従来の野党と同じ“子供っぽさ”を晒し続け、その事に多くが幻滅してしまったのではないか。」というのが自分の考えだ。「民主党の強行採決は、民主主義を根底から覆す暴挙だ!」と自民党の議員達が口にした所で、「じゃあ近年ずっと、数の論理で強行採決を繰り返していたのはどの党だったのか?」と感じてしまう国民は少なくなかったのではないか?「全てに反対とか、国会内で野卑な野次ばかり飛ばしたりとか、与党時代の自民党が野党に対して大批判していた同じ事を今してるのだから、全く説得力無いよ。」というのも在るのではないか?
小泉進次郎議員*1が前に「何でも与党に反対というのでは無く、同意出来る部分では協調する姿勢が大事。」といった趣旨の発言をしていたが、その通りだと思う。国民の少なからずは「大人の政党たる自民党の姿」を期待しているというのに、している事が従来の野党の悪い点ばかりを真似しているのでは、そりゃあ支持率が上がる訳は無い。
21世紀にもなって自民党の上層部が「左翼政権だ!」と攻撃するアナクロさ、経済がこれ程迄に疲弊し、明日に希望を持てない国民が少なからず居る現状なのにも拘わらず、「最優先課題は憲法の改正で在る!」と叫ぶ“民意の読めなさ加減”。挙句に「野党は与党を追い込んで行くのが仕事。」なんて発言が飛び出す様では、熱狂的な自民党支持者で無い限り、多くの共感を得られるとは思えない。増加している無党派層の心を掴み取るには、過去の過ちを認めた上で、他党とは異なる「大人の政党としての姿」を具体的な政策等でもっと示す必要が在るだろう。
自民党にも良い人材は居る。だからこそ彼等に「生まれ変わった自民党」というのを、明確に示して貰いたいもの。
*1 聴衆の耳目を惹く“言葉選びの上手さ”等、アジテーターとしての小泉進次郎氏の能力の高さは評価している。あの年であれだけの話術を持っているというのは、本当に凄い。しかし残念乍ら、自身の政策というのが余り無い様に感じている。又、金銭疑惑を追及する以上は、曖昧なままになっている「小泉家の金銭疑惑」をクリアにする必要が在るだろう。間違っても“父親”の様に、「それがどうした?何が悪い!」みたいな開き直りは見せないで貰いたい。予想外に、良い素質を持っていると思っているからこそ。
まず、しっかりした野党であってもらいたいですね。
自民党は、考え方は正反対ですが、しっかりした野党のあり方を共産党にでも教えてもらってもいいのではないでしょうか。なにせ野党なれしていないのですから。
自民党にしかできない仕事があるはずです。まず、それをしっかりやって、それから政権奪還を考えても遅くないでしょう。
官僚への過度な依存体質等、自分も自民党の悪しき体質は好きじゃないのですが、とは言え記事でも書いた様に同党にも有為な人材は居ると思っているんです。何度もこちらで書いていますけれど、「好い加減な政治を行ったなら、何時でも他党に政権を取って代わられる緊張感の構築。」が我が国の政界には必要で、その為には「政党担当能力を有する二大政党制(乃至は複数政党制)」が望ましいとも。民主党だろうが自民党だろうがそのほかの政党だろうが無関係に、特定の政党だけが巨大化してしまうというのは好ましいと思えず、民主党に対峙出来る筆頭が自民党と捉えているのですが、如何せん“子供っぽい体質の議員”が同党“にも”少なくないのが残念。イデオロギーは重要な概念だけれど、それだけが前面に出てしまうのは不毛。形式ばかりに拘り、中身の無いイデオロギーを振り翳している人には政界から退いて貰い、中身の在る政治家がもっと育って欲しいもの。これは与野党を問わずです。
以前にも書いた事だけれど、自分は「真に国民を幸福にしてくれるならば、そのイデオロギーなんかどうでも良い。」と思っているんです。それが民主主義だろうが共産主義だろうが何だろうが。兎に角、不毛なイデオロギー合戦&扇動合戦に終始する事だけは止めて貰いたいです。
与野党に関係なく、権力ごっこに夢中で、国民の声に耳を傾けない政治家は去るべし。なんだけど、選ぶ側もかなり情緒的だしなぁ。
「強行採決とは言語道断!」、「首相の首を挿げ替えて誤魔化そうというのは、国民を馬鹿にしている!解散総選挙を何故しない?」等々。自民党や公明党の議員達が激しく罵っているけれど、「罵っている相手は誰なのか?」と思って見てみれば、それは鏡に映った自分達の姿だった・・・そんな気がしてなりません。
「増税に関する論議を行うべき。」等、現実路線に舵を切ったとされる菅内閣。細かい点では違いが在るものの、全体的には自民党の政策と非常に異なっている訳でも無い。だからこそ自民党としては攻め所が難しいとは言えますが、だからこそ「不毛な中傷合戦」を止めて、より具体的な政策を提示する事で違いを示す方が良いと思うのですが。
「極右」も「極左」も、概して「唯一無二的な捉え方しか出来ない。」という点に於いては、非常に似ている様に自分は思います。
津軽の赤飯は甘納豆を入れますヨ(笑)。また、出身地の南信州では、「麦茶に砂糖」が当たり前(爆)。
自民も民主も「国民目線ではない」ということ。政治家の品格も落ちている。以前「青森拓政会」という、ある大物自民党議員の事務局で働いていたことから、自民党を応援したいのですが・・・
小泉純一郎以後、彼を超える人物は出てきておりません。彼の政局を読む力は抜群でした。「拓」さんの盟友でしたし。
ただ、政策面では抜群だったとは言えないと思います。私も何回か官邸にメールで抗議したものです。彼以降の総理は皆短命で抗議すらする気になりません。
件のテレビ番組では「食の境界線を探る」という事で、「味噌汁に入れるのは青葱か白葱か?」、「サバを煮込むのは味噌か醤油か?」、「赤飯は辛いか甘いか?」の3つを取り上げていました。味噌汁に入れる葱の違いやサバを煮込む調味料の違いに関しては知っていたけれど、赤飯にはビックリ。「赤飯=辛い」のが常識と思っていたので。番組内でも赤飯に大豆では無く甘納豆を入れられているのや、茶碗蒸しに栗の甘露煮の汁と栗がたっぷり入っているのが紹介されていましたが、カルチャー・ショックでした。
自民党や民主党だけに留まらず、真に国民目線の政治家が居なくなりましたね。悪い事も多く遣っていたとは思うけれど、田中角栄元首相なぞは庶民感覚を持ち得ていた政治家の一人だったと思います。野次一つとっても、昔はユーモアが在った。今は野卑なだけで、ユーモア擬で在ったとしても、それが「国民受けを意識して、考え抜かれた物」と透けて見えてしまう様な類い。そんな事に時間を費やすならば、もっと真剣に政治に当たって欲しいと思うのですが。
「アカデミック」という言葉を使っていただいたのを見て
チョット恥ずかしく思っております・・・
さて、私はずっと関西で生活しており、
たまたま野球関係で関東の知人友人が増え、
それに伴い関東に行くことが多くなりました。
そんな中で
「あ、こんなに違うんや」という点を
紹介しております。
「お互いが違うことがいけないのではなく
違うことを感心したり、楽しんだり。
相手のいいところを見つけ
また自分のところのいいところを実感する」
そういうふうに皆さんに解釈いただけるならば
非常に有難いです。
(そんなに大層なモンではないですけどね)
g-55さんのご期待に出来るだけ沿えるよう
ボチボチですが、記事アップして参りますので
よろしくお願いします。