「歴史上の偉人等に感謝の気持ちを伝える為に墓参りをする人。」の事を“墓マイラー”と呼んだりするが、自分はディープでは無いものの、墓マイラーの1人だ。「生前には“遠い存在”だった著名人でも、亡くなって墓に入ってしまえば近付く事が出来るし、思い出に浸れる。」というのが、墓マイラーで在り続ける理由。当ブログでも過去に、「『雑司ヶ谷霊園』と『谷中霊園』を訪れ、著名人達の墓参りをした。」事を、其れ其れ記事にした。
日本の文芸評論家、演出家、劇作家、小説家、そして詩人で在り、新劇運動の先駆けの1人として知られる島村抱月氏。雑司ヶ谷霊園を訪れた際、彼の墓にも手を合わせたが、其の墓が無くなっていたと言う。
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「著名人さえ儚い結末 ~島村抱月の墓 管理親族が亡くなり・・・~」(6月25日付け東京新聞[朝刊])
明治・大正時代の劇作家として知られる島村抱月の墓が無くなった。本紙「ニュースあなた発」に、こんな情報が寄せられた。東京都豊島区の都立雑司ヶ谷霊園に在った墓が消えた理由を調べて行くと、私達も他人事では無い、現代の御墓事情が見えて来た。
夏目漱石や竹久夢二等、多くの著名人が眠る雑司ヶ谷霊園。10ヘクタールを超える広大な敷地の一角に、抱月の墓も在った。
情報を寄せたのは、抱月と一緒に活動した女優・松井須磨子の親族で、抱月の顕彰活動に取り組む堀川健仁さん(35歳)3月、霊園を訪ね、更地になったのを見て、言葉を失ったと言う。
本紙が霊園の管理事務所に尋ねた所、「昨年12月に、墓の撤去を確認した。撤去の理由迄は、把握していない。」との返答だった。墓を守って来た人から話を聞くしか無いが、霊園側は「個人情報の為、紹介出来ない。」と言う。
豊島区作成の霊園マップでは、抱月の墓も紹介されている。手掛かりを求めて連絡すると、区の担当者も初耳だった様だ。「えっ、本当ですか。何も聞いていない。マップを直さないと。」。
抱月の墓は、故郷の島根県浜田市にも在る事が判った。2004年に、雑司ヶ谷から分骨されていたのだ。若しや、故郷の墓に集められたのでは。墓の在る浄光寺に、連絡を取った。前住職の竺川紹隆さん(79歳)は、「人伝に撤去した話を聞いただけで、詳しい話は知らない。」との事。逆に、「何か判ったら、教えて欲しい。」と電話口で頼み込まれた。
諦め掛けていた時、抱月の親族の1人に接触出来た。抱月の妻の血筋に当たるという男性によると、雑司ヶ谷の墓は、長らく抱月の三女が守って来た。三女が2005年に亡くなると、親族の女性が墓の世話を引き継いだ。其の女性が、昨年死去。女性の遺族では管理が難しく、島根にも墓が在る事から、「墓仕舞い」する事になったと言う。
後日、竺川さんに取材した結果を報告した。「雑司ヶ谷の墓は、抱月の記念碑的な墓。彼だけの足跡を残した方の痕跡が無くなるのは寂しい。相談戴ければ、寺で引き取ったんですが・・・。」と残念がる。
浄光寺に立つ墓は、三女との生前の約束で、寺が管理している。
世話する人が居なくなって、先祖代々の墓を処分する「墓仕舞い」は近年、少子化や核家族化を背景に目立つ。厚生労働省の衛生行政報告例によると、墓仕舞い等による「改葬」は2021年度、全国で12万件弱。此の10年で、4万件も増えている。
雑司ヶ谷霊園管理事務所の山口浩平所長は、「継承者不足から墓仕舞いするケースは、著名人の墓でも起きている。」と明かす。ブログで文学者の墓を紹介している大塚英良さんによると、訳詩集「海潮音」で知られる詩人の上田敏の墓が都立谷中霊園(台東区)に在ったが、遺族が高齢の為、墓仕舞いしたと言う。
都立霊園では、霊園に親しんで貰おうと、著名人の墓を「歴史的墓所」と位置付け、散らしや案内板でPRしている。但し、遺族で墓の世話が出来なくなったからといって、都で面倒を見る事は無い。
歴史資源として行政に墓の保存を望む意見も在るが、都公園課霊園担当の矢向弘明課長は、「墓は個人の所有なので、著名人の墓で在っても、個人で管理するのが原則。」と説明する。
著名人に限らず、墓の維持は今や社会的な問題だ。
都立霊園では、墓を返還すれば都が遺骨を合葬墓で引き取る「施設変更制度」のニーズが高まっている。2021年度の利用は、過去最多の730件。創設した2003年度の7倍に上る。
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少子化や核家族化が進んでいる我が国では、墓仕舞いする人は増え続ける事だろう。其れは、著名人の親族ですら例外では無いのだ。
母方の祖父母の墓は、中々訪れる事が出来ない田舎に在る。史跡としても有名な所では在るのだけれど、随分前に墓参りをした際、「訪れる人が誰も居らず、苔生してボロボロになった墓が結構在った。」事に衝撃を受けた。祖父母の墓は伯母が引き継いだけれど、彼女自身の墓が別に在る事から、遠からずには祖父母も“無縁仏”になる事だろう。
以前にも書いたと思うが、「個々人のライフスタイルが大きく変わって来た我が国に在っては、“墓の概念”もガラッと変わって良い。」と思っている。具体的に言えば「家族単位で墓を所有するのでは無く、基本的に“合葬墓”に埋葬する。其れも遺骨を骨壺に入れて埋葬するのでは無く、砕いて粉状にした物を土中に埋める形にすれば場所を取らないし、無関係な人も含めて誰かしら墓参りに来てくれるので、無縁仏の様な悲しさが無い。」というのが、自分の考えだ。