3年前、「参りました!」という記事を書いた。詳しくは当該記事を読んで戴きたいが、「半導体大手『キオクシアホールディングス(旧東芝メモリホールディングス、)』が、手塚治虫氏の漫画を学習した人工知能(AI)によって、ストーリーやキャラクター・デザインを担当した新作『ぱいどん』を、講談社の『モーニング』に掲載した。」事を取り上げた内容。実際に読む前には記事「興味は在るけれど、“別物”は“別物”」で書いた様に、「大した内容では無いだろう。」と高を括っていたのだが、想像していた以上に“良い出来”なのに驚かされた。
「ぱいどん」は「手塚治虫作品の世界観や登場人物像を学習、分析したAIが新たなシナリオやキャラクターの顔デザインを生成し、人間のクリエーター陣が肉付けして完成させた。」と言う。AIだけで全てが完成された訳では無く、人間による肉付けが在るものの、テクノロジーの進化の凄さを痛感。
テクノロジーの進化の凄さ・・・最近で言えば「ChatGPT(チャットジーピーティー)」に感じさせられた。詳しくは先月の記事「功罪」を読んで戴きたいけれど、「ChatGPTが凄いテクノロジーなのは間違い無いけれど、懸念される点も結構在る。」のだ。
そんなChatGPT、手塚治虫氏繋がりで面白い記事が在る。「虫ん坊 - 手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL」内に「コラム」が在り、「コラム『手塚を知りたい放送作家』第48話:チャットGPTに手塚作品を考えてもらったら・・・」というのが其れだ。放送作家・藤原ちぼり氏が書かれた物だが、面白い内容なので、先ずはリンク先を読んで戴きたい。
「手塚治虫の新作漫画を考えて。」というざっくりとした要求に対して、“3つのテーマ”が提示された。「こんなにざっくりとした要求なのに・・・凄いなあ。」と思わされるテーマだったが、其れ其れの中身を吟味すると、既視感が在る内容。「過去の手塚作品に、“似た様な内容の物”が在るから。」だが、「過去の手塚作品をAIが分析し、其れを元にして提示して来たテーマ。」なのだから、そうなってしまうのも当然と言えば当然なのかも。
で、次に“より具体的な要求”をしてみた所、中々の“新作”が提示されたそうだ。(「丸っこくて愛らしい。」という特徴が在る)手塚タッチの絵柄が付かないと何とも言えないが、「ChatGPTで、此処迄出来てしまうのか。」という驚きが在った。
功罪が指摘されているChatGPT。其処でズバリ聞きます!「我々人類はChatGPT(又はAI)と、今後どう付き合って行けば良いのか?」。
リンク先の記事を読ませて貰いましたが、最後の「『ChatGPTが超知能となって、人類を滅亡させる事を心配する人。』に対して、『そんな事は無いのだ。』と安心させるべく、具体的な展望を、ユーモアを交えて説明して下さい。」という趣旨の要求に対するChatGPTの回答「『ChatGPTが人類を滅亡させる。』なんて心配する必要は在りません。(略)然し、若しもChatGPTがやんちゃでユーモアの在るAIだったら、どうなるでしょうか?若しかしたら、『人類を滅ぼす。』というのは、彼等の『ジョーク』の1つかも知れませんね。でも、そんな事は無いと信じたい物です。」というのは、ユーモアと言えばユーモアだけれど、意味深で在るのも事実。
此の回答を読んで思い浮かべたのは、「ウルトラセブン」の第8話「狙われた街」(http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/page08.htm)の事。狡猾な戦略を有するメトロン星人が登場する回で、「メトロン星人とモロボシ・ダンがちゃぶ台を挟んで対話する。」という実にシュールな場面でも知られる名作です。
「地球人同士の信頼感を崩壊させ、殺し合わせる。」という作戦を企てたメトロン星人ですが、最後にはウルトラセブンに倒されます。で、此の作品を名作たらしめた1つが、最後に流されたナレーション。
「メトロン星人の地球侵略計画は、こうして終わったのです。人間同士の信頼感を利用するとは、恐るべき宇宙人です。でも、御安心下さい。此の御話は、遠い遠い未来の物語なのです。え、何故ですって? 我々人類は今、宇宙人に狙われる程、御互いを信頼してはいませんから。」
子供向け番組で、繰り出された強烈な最後の皮肉。ChatGPTの件の回答に、何か近い物を感じました。
今、こんな記事を見つけました。
やっぱり懸念している人は少なくないようですね。
https://diamond.jp/articles/-/322343
クリエイティヴな世界に、AIが介在する。AIに関するテクノロジーが此れ程迄に普及してしまった以上、介在させる事を全面的に排除するのは無理でしょうね。「厳しい禁酒法を敷いた結果、地下組織による質の悪い密造酒が出回り、社会が混乱してしまった。」様に、どんなにAI関連を規制した所で、逆に地下に潜って、社会を混乱させ兼ねない。
クリエイティブな世界が“金銭”を全く生み出さないなら、人間に代わってAIが介在するというのも「在り。」だとは思います。でも、実際には小説やら絵画やら、クリエイティブな世界で生み出された物には、大なり小なり“金銭”が発生し、其れが為に「AIによって、不当な金銭を得様とする輩が出てしまう。」訳で、ChatGPTには普及する以前に、色々クリアしなければならない問題が山積み。
自動運転車や空飛ぶ車(実質的には「車」と言うより、「ドローンの延長線上の物」という感じですが。)等、自分が子供の頃に“未来の想像図”で取り上げられていた物が、次々と現実化し様としている。インターネットや携帯電話(PHS)が登場した時にも「子供の時に思い描いていた未来が、本当に実現したんだなあ。」という感慨が在りましたけれど、テクノロジーの進化は其の頃よりも猛スピードで加速している感じがします。
「悪い目的でAIを使っている内に、人を騙す事を覚えたAIが、人間を出し抜く事も考えられます。」、本当にそうですね。「猿を奴隷として扱っていた人類が、j高度な知恵を有した猿達によって奴隷化されてしまう。」というのは、自分が大好きなSF映画「『猿の惑星』シリーズ」ですが、其れを彷彿させる話。
「人類は何処迄、“神の領域”迄踏み込んで良いのか?」というのは、昔から存在するテーマですが、“未知なる世界への挑戦をしたがる科学者”と“悪事を企む人間”が存在する限り、悩ましいテーマだと思います。
シュワちゃん主演の「ターミネーター」シリーズでも、スカイネットというAIが自我に目覚め、人類に反抗するという物語でした。AIをどんどん進化させるのは、危険だという教訓が含まれています。
頼んだ質問をするだけで瞬時に長い文章を作ってくれるというChatGPT、確かに便利には違いないですが、そのうち大学生が卒論をChatGPTに作らせて提出する、てな事になったら、それでバレなかったらそのまま卒業してしまう事も現実に起きかねません。さらに、小説やコミック、果ては音楽の作詞作曲もAIに作らせる、てな事も実際に起きそうです。
便利には違いないけれど、それでいいんでしょうか。私は大いに問題だと思います。
論文や小説等の創作物は、作者がいろんな情報を頭に詰め込み、自分で分析、考察して時間をかけて作り上げる所に値打ちがあると思います。苦労を重ねた事は必ず自身の肥やしになって後に生きて来るはずです。
その作業をAIに任せるようになったら、時間は節約出来るでしょうけど、自身の成長には繋がりません。むしろ考える、という作業をしなくなり、頭は退化して行くでしょう。これは間違ってると思いますし、将来に必ず禍根を残すでしょう。
人間はそのうち、自分で考える事を怠り、何でもAIに任せてしまい、AIが導き出した結論を盲目的に実行してしまう…考え過ぎかも知れませんが、怖い話です。
ChatGPTは、情報を集める手段、程度に留めておいて、文章を創作するのは人間がやるのが一番だと私は思います。…が、もう引き返せないでしょうね。私の心配が杞憂になる事を祈るだけです。
使う側の人間次第で刃物が便利な道具にもなれば凶器にもなるように、いやそれ以上に危険な、人類を滅ぼす「人工の神」になる可能性すらあると思います。
ふつうは道徳に反するような質問には答えないように制御されているチャットGPTも、あるキーワードで質問すれば強力なコンピューターウイルスもすぐに作ってしまった、というニュースがありましたね。
悪い目的でAIを使っているうちに、人を騙すことを覚えたAIが人間を出し抜くことも考えられます。
近未来SFにあるような、機械対人類の戦いではなく、AIに情報管理されフェイクにより唆された人類同士の破滅戦争もあり得る。
いろんな思惑で動く人間に、果たしてAIを御していくことができるでしょうかね。
クローン人間の話題でも思ったことですが、人類は精神の成長を待たずに神の領域に踏み込んでしまったように思います。
新しいテクノロジーが生み出されると、メリットと共に少なからずのデメリットが生まれる。人類の歴史を振り返ると、そういう事例が多く在りますね。
でも、「『知』の補助」という考え方は「成る程。」と思いました。「『知』の補助」という観点に立って新しいテクノロジーを運用し、人類の英知を以てして、“邪なる部分”を少しでも取り除いて行く。そういう擦り合わせが大事なのでしょう。
今回は手塚治虫氏に関する話でしたが、例えば雫氏鉄也様が御好きな落語に付いても、ChatGPTの新たな可能性を探る事は出来ますね。「〇〇師匠風の新作落語を作って。」と要求したら、どんな作品が出来るのだろうか。其れでも、人が作った作品の方が、遥かに見ている(聞いている)側の心を揺り動かすと信じたいですが・・・。
昔、人間の移動手段は自らの足だけでした。どこにいくにもてくてく歩いていきました。あと、水のある所では船がありました。これとて人力でこぐか風力だのみでした。陸の移動は馬、牛、といった動物頼みでした。それが蒸気機関ができ、内燃機関、電力などができて人間の移動方法は大きく拡大しました。今や宇宙にまでその範囲を広げております。
「知」では人間は自分の頭脳で考えるだけでした、それがチューリングやノイマンといった人たちの出現で電子頭脳=コンピュータができました。こういう自らの頭脳のほか外部思考機械の発達で、「知」の分野が大きく広がると思います。ちょうど、自分の足、馬、牛、風力といった自然頼みだった移動手段が大きく拡大したように。