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僅か7日で終わった昭和64年。其の年に起きた少女誘拐殺人事件、“ロクヨン”から14年が経過し、未解決の儘、時効が近付いていた。其のロクヨンの捜査に携っていた警務部秘書課広報室の広報官・三上義信(佐藤浩市氏)は、記者クラブとの不和、刑事部と警務部の軋轢、ロクヨンを模倣した様な誘拐事件に直面し・・・。
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先月、映画「64-ロクヨン- 前編」を観た。キャストの良さ、原作を比較的忠実に映像化している事等、見応えの在る内容だったので、今回、「64-ロクヨン- 後編」を観て来た。
ハッキリ言って、ガッカリな内容だった。「64-ロクヨン- 前編」では原作を比較的忠実に映像化していたのに、「64-ロクヨン- 後編」では、最後の最後で原作を台無しにする“ストーリーの変更&付加”がされていたからだ。
映像化する際、原作を変更したり、付加したりする事を完全否定する訳では無いが、今回の変更&付加は“蛇足”以外の何物でも無く、其の事で“竜頭蛇尾”となってしまった。前編が良かっただけに、何故こんな形にしてしまったのか、理解に苦しむ。キャストの良さが光る作品なので、本当に勿体無い。
総合評価は、星2.5個。
原作はせっかくロクヨンの犯人を突き止めたのに、逮捕に至らないままウヤムヤで終わってますので、映画ではせめて犯人に一発ゲンコお見舞いして、鬱憤晴らしたかったようにしか思えません。あるいは佐藤浩市を正義のヒーローにしたかったのか。
いずれにしても、重厚な人間ドラマである原作の持ち味とは水と油ですね。急に映画が安っぽくなった気がしました。
というより、これは前後編2部作にすべきじゃなくて、1本の映画にまとめるべきでしたね。そこがそもそも間違いです。
原作と映像の関係は、本当に難しいですね。原作通りに映像化した場合、原作を愛する人達からは高い評価を受けるだろうけれど、「全く同じなら、撮り手として存在意義が在るのだろうか?」というジレンマが監督に在るだろうし。映像化する際、原作と変える事で、原作よりも良くなる事も在る。だから、「原作から少しも変えては駄目。」とは思わないのですが、少なくとも今回の作品で言えば、失敗でしたね。仰る通り、2部作にする意味が無かった。
前後編で此れ程迄に評価が変わってしまう作品っていうのも、非常に珍しいかも。
みな、嫌な奴ばかりです。
人間なんて、そんなものさ、と言っているとは思えず、非常に変な映画だと思いました。
むしろ、全体を吉岡秀隆の目で描くと言った思い切った脚色が必要だったのではないかと思いました。
前編だけで言えば、感情移入出来る登場人物というのは居たのですが、後編の余りの駄目さ加減により、全体を通してはそんな思いも消え去りましたね。
映像化する際、全て原作通りにする必要は無いし、さすらい日乗様が書かれている様な“思い切った脚色”も在りだと思うんです。でも、今回の“変更”は完全に裏目に出た気がしています。