8年前の年末、初めて韓国を旅した。韓国と北朝鮮の間に位置する軍事境界線上の村「板門店」に興味が在り、借り切ったタクシーの運転手に「行きたい。」旨を伝えると、「事前に予約を入れておかなければ中に入られないし、それに場所的に遠い。北朝鮮との国境を見たいのだったら『オドゥ山統一展望台』の方が此処から近いし、『板門店』よりもハッキリ対岸が見られるけど。」と言われ、そのアドヴァイスに従う事に。
着いたのは、閉館間近い夕方。鈍色の雲が垂れ込める中、屋上の展望台で対岸に目を見遣ると、高層マンションの様な建物が見えた。距離としては3km程先との事だったが、備え付けられていた双眼鏡で彼の地を覗くと、立派に見えた建物に人の気配は皆無。プロパガンダの放送がガンガン流れて来る中、「我が国はこれだけ裕福なのだ。」と見せ付ける為の“張りぼて”なのだろう。周りは木々が全く無い禿げ山ばかりで、「燃料不足故に、木々を燃料として使い尽したのだろうなあ。」と思った。ゆっくり見たかったのだが閉館時間が迫っていたし、何よりも余りの寒さに手が悴んでしまったので、館内に戻る事にした。「こんな寒い環境下、食料や燃料不足の彼の地に暮らす市井の人々は本当に気の毒だなあ。」と思いつつ。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
31年前に日本から拉致されて、この過酷の地に囚われの身となった蓮池薫氏と祐木子さんの御夫妻(拉致当時は婚前。)。それから24年後の2002年、彼等が日本への帰国を果たした際の報道は今でも強く印象に残っている。現在は翻訳業に従事されている薫氏が、御自身のブログに連載していた内容を纏めた本が「半島へ、ふたたび」だ。
北朝鮮の内情が詳細に描かれているのかと期待していたのだが、内容的には「昨年、御夫妻が1週間程訪れた韓国での話」及び「帰国後の暮らし振り」に関してがメインだった。「彼の国の内情を詳細に書いてしまうと、帰国を果たせない日本人拉致被害者の救出交渉に支障を来し兼ねない。」という理由も在るのだろう。より詳しい内情が知りたかったので、その点では残念だった。しかし、北朝鮮の生活を知り尽くした薫氏が、「同じ半島の韓国の現状や、24年振りに目にした母国・日本の現状をどう見たか?」という点では、とても興味深い内容。
蓮池御夫妻が拉致されたのは1978年の事だが、それから24年後に目にした母国では面食らう事も少なくなかった様だ。当時は「金持ちの娯楽で在り、取引先等に対する会社接待の花形。」だったゴルフが、すっかり大衆化しており、普通のサラリーマンが普通にゴルフしているのに驚いたというのは、「そうだろうなあ。」と頷いてしまったのだが、面白いのは「歯科医院の変化」という点。
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このほかにも、歯科医院の次の予約までの期間が短くなったことや、歯医者さんの言葉遣いがやさしくなったこと、治療室に静かな音楽が流れて和める空間になったことなどに、夫婦ともどもびっくりし、歳月の流れを感じたものだ。待たされ、叱られ、緊張させられるのが、昔の歯医者さんの常だったからだ。
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指摘されてみれば「確かにそうだなあ。」とは思うけれど、指摘されなければ意外に気付かない変化かもしれない。気付かない内にその変化を自然と受容してしまう事って、結構多く在りそうだ。
話としては聞いていたものの、実際に韓国を訪れてみて薫氏が「日本とは違うなあ。」と感じた物として「自動販売機の少なさ。」、「タクシーが自動ドアになっていない。」、「女子高生で短いスカート履いている子が居ない。」、「烏を余り見掛けない。」等。文化の違い(儒教の国では「短いスカートなんかとんでもない!」といった感じなのだろうし、烏に関しては「不吉な鳥」という事で過去に徹底的に駆除された結果ではなかろうかとしている。)という事なのだろうが、「携帯電話が日本以上に普及しているにも拘わらず、公衆電話が日本以上に残っている。」という点に関して、「何か新しい物が普及すると、直ぐに古い物を無くしてしまう日本人とは異なる、韓国人独特の物の考え方が在るのだろうか?」と薫氏は分析。
日本軍の残虐さをこれでもかと言わんばかりに並べ立てた歴史館には目を背けたくなりもしたけれど、実際に展示品を見た韓国の人々の感想が出口の所に在る掲示板に一杯貼られており、それを見ると意外な程に反日的な書き込みは少なく、それよりも自国を守った“愛国烈士”への感謝を記した物が多くを占めていたとの事。
*************************************僕は、目に見える展示物だけにとらわれて、ここでは反日教育だけが行われていると断定することは短絡的なのかもしれないと思った。学校の先生が幼い生徒たちをここに連れてきて教えようとしているのは、どうやら「日本が悪い!」ではなく「今の自分がいるのは誰のおかげ?」、「そのありがたい人から何を見習い、どうしなければならないの?」というメッセージのような気がしてきたのだ。
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「無暗矢鱈と『仮想敵』を作り上げ、それに対して自身のフラストレーションをぶつけているだけの様な人。」というのは韓国にも、そして日本にも居る事だろう。斯く言う自分もそういう面が全く無いとは言わないけれど、不毛な罵倒合戦からは何も有益な物は生み出されない事を、多くの人が知る必要が在るのではないだろうか。
読んでいてニヤッと笑ってしまったのは、北朝鮮で放送されている他国製映画の吹き替えに付いて。当然乍ら中国や旧ソ連製の映画が殆どだそうだが、俳優の口と韓国語の吹き込みが全く合っていないので、初めて見た時は「(吹き替えでは無く)ナレーションなのか?」と思ったとか。又、「老若男女の登場人物を、吹き込みを男の声優1人が全て行っている。」なんていう映画も結構在ったそうで、男女の切ない遣り取りを男の声だけ、それもほぼ棒読みに近い状態というのだから、雰囲気もへったくれも無かったに違いない。
着いたのは、閉館間近い夕方。鈍色の雲が垂れ込める中、屋上の展望台で対岸に目を見遣ると、高層マンションの様な建物が見えた。距離としては3km程先との事だったが、備え付けられていた双眼鏡で彼の地を覗くと、立派に見えた建物に人の気配は皆無。プロパガンダの放送がガンガン流れて来る中、「我が国はこれだけ裕福なのだ。」と見せ付ける為の“張りぼて”なのだろう。周りは木々が全く無い禿げ山ばかりで、「燃料不足故に、木々を燃料として使い尽したのだろうなあ。」と思った。ゆっくり見たかったのだが閉館時間が迫っていたし、何よりも余りの寒さに手が悴んでしまったので、館内に戻る事にした。「こんな寒い環境下、食料や燃料不足の彼の地に暮らす市井の人々は本当に気の毒だなあ。」と思いつつ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
31年前に日本から拉致されて、この過酷の地に囚われの身となった蓮池薫氏と祐木子さんの御夫妻(拉致当時は婚前。)。それから24年後の2002年、彼等が日本への帰国を果たした際の報道は今でも強く印象に残っている。現在は翻訳業に従事されている薫氏が、御自身のブログに連載していた内容を纏めた本が「半島へ、ふたたび」だ。
北朝鮮の内情が詳細に描かれているのかと期待していたのだが、内容的には「昨年、御夫妻が1週間程訪れた韓国での話」及び「帰国後の暮らし振り」に関してがメインだった。「彼の国の内情を詳細に書いてしまうと、帰国を果たせない日本人拉致被害者の救出交渉に支障を来し兼ねない。」という理由も在るのだろう。より詳しい内情が知りたかったので、その点では残念だった。しかし、北朝鮮の生活を知り尽くした薫氏が、「同じ半島の韓国の現状や、24年振りに目にした母国・日本の現状をどう見たか?」という点では、とても興味深い内容。
蓮池御夫妻が拉致されたのは1978年の事だが、それから24年後に目にした母国では面食らう事も少なくなかった様だ。当時は「金持ちの娯楽で在り、取引先等に対する会社接待の花形。」だったゴルフが、すっかり大衆化しており、普通のサラリーマンが普通にゴルフしているのに驚いたというのは、「そうだろうなあ。」と頷いてしまったのだが、面白いのは「歯科医院の変化」という点。
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このほかにも、歯科医院の次の予約までの期間が短くなったことや、歯医者さんの言葉遣いがやさしくなったこと、治療室に静かな音楽が流れて和める空間になったことなどに、夫婦ともどもびっくりし、歳月の流れを感じたものだ。待たされ、叱られ、緊張させられるのが、昔の歯医者さんの常だったからだ。
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指摘されてみれば「確かにそうだなあ。」とは思うけれど、指摘されなければ意外に気付かない変化かもしれない。気付かない内にその変化を自然と受容してしまう事って、結構多く在りそうだ。
話としては聞いていたものの、実際に韓国を訪れてみて薫氏が「日本とは違うなあ。」と感じた物として「自動販売機の少なさ。」、「タクシーが自動ドアになっていない。」、「女子高生で短いスカート履いている子が居ない。」、「烏を余り見掛けない。」等。文化の違い(儒教の国では「短いスカートなんかとんでもない!」といった感じなのだろうし、烏に関しては「不吉な鳥」という事で過去に徹底的に駆除された結果ではなかろうかとしている。)という事なのだろうが、「携帯電話が日本以上に普及しているにも拘わらず、公衆電話が日本以上に残っている。」という点に関して、「何か新しい物が普及すると、直ぐに古い物を無くしてしまう日本人とは異なる、韓国人独特の物の考え方が在るのだろうか?」と薫氏は分析。
日本軍の残虐さをこれでもかと言わんばかりに並べ立てた歴史館には目を背けたくなりもしたけれど、実際に展示品を見た韓国の人々の感想が出口の所に在る掲示板に一杯貼られており、それを見ると意外な程に反日的な書き込みは少なく、それよりも自国を守った“愛国烈士”への感謝を記した物が多くを占めていたとの事。
*************************************僕は、目に見える展示物だけにとらわれて、ここでは反日教育だけが行われていると断定することは短絡的なのかもしれないと思った。学校の先生が幼い生徒たちをここに連れてきて教えようとしているのは、どうやら「日本が悪い!」ではなく「今の自分がいるのは誰のおかげ?」、「そのありがたい人から何を見習い、どうしなければならないの?」というメッセージのような気がしてきたのだ。
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「無暗矢鱈と『仮想敵』を作り上げ、それに対して自身のフラストレーションをぶつけているだけの様な人。」というのは韓国にも、そして日本にも居る事だろう。斯く言う自分もそういう面が全く無いとは言わないけれど、不毛な罵倒合戦からは何も有益な物は生み出されない事を、多くの人が知る必要が在るのではないだろうか。
読んでいてニヤッと笑ってしまったのは、北朝鮮で放送されている他国製映画の吹き替えに付いて。当然乍ら中国や旧ソ連製の映画が殆どだそうだが、俳優の口と韓国語の吹き込みが全く合っていないので、初めて見た時は「(吹き替えでは無く)ナレーションなのか?」と思ったとか。又、「老若男女の登場人物を、吹き込みを男の声優1人が全て行っている。」なんていう映画も結構在ったそうで、男女の切ない遣り取りを男の声だけ、それもほぼ棒読みに近い状態というのだから、雰囲気もへったくれも無かったに違いない。
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知っているけれどわかってはいないというのがネット上でも顕著です。 例えば珍しい南国のフルーツの名前をネット上の知識から知っていても、実際にはそれを食べたこともなくて、本当の味を味わったこともない、けれど、わかっているかのごとくコメントしたり、論じたり、評したり、なじったり、けなしたり。 韓国や韓国人をけなしたり、嫌ったりする人の中にも韓国に行ったこともない人はたくさんいるでしょう。 近頃はネットのせいで相手のことがよくわからずに論じたり、評したりすることで世論が形成されたりすることがたくさんあります。 反日教育という言葉から想像される漠然としたイメージだけで、多くの日本人は偏った判断をしていた面もあるのでしょうね。
文化や生活水準が遅れた国に拉致された被害者の方々からしてみればタイムスリップしたような感覚もあるでしょうね。 大変なご苦労をお察しします。
まあ、これも街中歯医者が増え、客の奪い合いが関係しているのでしょうね。ネットで、口コミや評判がすぐわかりますから。
すいません、半島と関係ないコメント失礼しました。
インターネットの普及により、知りたい事柄に関する“情報”がたちどころに入手出来る様になりました。「辞典等、様々な文献に当たり、それでも必要とする情報に辿り着けなかった。」なんていう昔の時代を知っている身としては、「本当に便利な世の中になったものだ。」とつくづく思います。唯、その一方で懸念される部分も。“情報”に容易く辿り着ける様になった一方で、その情報が“誤っている情報”の可能性も少なからず在るからです。インターネットを駆使し、色々な情報に当たった上で、“正しいと思われる情報”を選択するという努力を怠り、「最初に辿り着いた情報が正しい。」としてしまうと、それはとんでもない誤りを導き出してしまう。
一方向だけの情報“しか”載っていないサイトのみを信じ、其処の情報だけが「唯一無二的に正しい。」として、特定の対象を嬉々としてバッシングする。又は自身が確認した所の情報“だけ”が全てと断じ、その他の情報は一切否定する。そういう人が増えている様に感じられ、その事に危うさを感じてしまう。
「人間不信に陥ったで“在ろう”人」が居たとします。その人の親族がそれ迄は密に連絡を取り合っていたとしても、或る時点でその「人間不信陥ったで在ろう人」は親戚とすらも連絡を取らなくなる。親族は何とか連絡を取ろうとするも、どうしてもそれが叶わない。ずっと気に掛け乍ら、長い時間が過ぎ去ってしまう。そういう可能性って在り得ると思うのですが、「己が価値観が唯一無二的に正しい。」と凝り固まってしまっている人にかかると「親族なら連絡が取れない訳は“絶対に”在り得ない!」という事になってしまう。これは実際に在った話ですが、「どうして色々な可能性に思いを馳せないのだろうか?自分と異なる考え方を認めてしまうと、自身の存在意義を否定される事になるという妙な恐怖心でも在るのだろうか?」と不思議でなりません。
うちの近所でも歯科医が乱立状態で、通った事の在る歯科医から「歯石除去」やら「歯の定期検診」等を薦める葉書がちょこちょこ届く様になりました。非常に狭い地域に十近くの歯科医が在るのですから、「そりゃあ生き残りも大変だろうなあ。」と思ってしまいます。
昔は歯科医に行くとする事が無く、手持無沙汰になる事が多かった。でも近年では待合室のみならず、治療室でもTVが見られたりする。治療の説明も懇切丁寧になったし、口の中を具体的に画面で見せてくれたりも。肝心な“腕”が大事なのは言う迄も在りませんが、CS(顧客満足)の重要さを医師の世界も認識して来たという事なんでしょうね。
歯医者さんのくだり、面白いですね。
そうですね、昔はロクでもなかったですよ。今の歯医者さんは本当に喫茶店かと思うような外見のところも多いですね。間違えて入りそうになったなんてことはないですけどね
特に意識はしていなかったけれど、この本を読んで「確かに昔とは雰囲気が大きく変わったなあ。」と歯科医に対して思いました。子供の頃もそうですが、大人になっても歯科医は何か「怖い。」という印象が在りましたが、最近ではそういった怖さも減じた感が在ります。“敷居の高さ”が無くなったというのも、結構影響しているのでしょうね。
「北朝鮮の内情」という点では物足りなさを感じたものの、蓮池御夫妻が失った貴重な時間を少しずつ取り戻されているのが判り、その点では「良かったなあ。」と感じた本でした。
素敵に韓国を紹介してくださりありがとうございます。
私たちのサイトでも韓国の旅行情報や料理紹介など配信しています。
何かの参考にしていただけると嬉しいです。
板門店は現在、インフルエンザの影響で中へは入れないようです。
先日、とても不幸な事故が起こってしまったのは残念ですが、自分が韓国を旅した際は、とても楽しい日々を送る事が出来ました。料理も美味しく、焼肉なんか日本では考えられない程安い値段で良い肉が食せましたし。
板門店はインフルエンザの影響で見学出来なくなっているんですね。世界的に流行しているのは存じておりましたが、それは知りませんでした。
今後とも何卒宜しく御願い致します。