ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

小泉流

2005年10月31日 | 政治関連
今夜にも第三次小泉内閣が発足する(今の内閣を第三次と捉えるならば、第四次内閣発足という事になるが。)。来年9月迄の自民党総裁任期を延長する考えはないと断言する小泉首相にとっては恐らく最後の組閣となる訳で、で囁かれている「改革総仕上げ内閣」で在ると同時に、ポスト小泉を反映させた人事になるのではなかろうか。又、何時もの如くサプライズ人事も在るのだろう。

小泉首相のこれ迄を振り返る時、「小泉流」という言い回しが常に付いて廻っている。従来の手法とは異なる、改革的な手法というニュアンスなのだが、自分はこの捉え方を半分は正解で半分は誤りだと思っている。「組閣人事が、派閥の領袖達が寄り集まって決めるという”村社会”的なものから、首相の独断専行スタイルに切り替わった事。」や、「従来の首相の多くが曖昧模糊とした物言いに終始していたのに対して、自らの主義&主張を旗幟鮮明にする様になった。(正確に言えば、”自らの関心が在る部分に関して”という事で在って、それ以外の部分に関しては、従来の首相達以上にごまかしに終始している気がする。)」等は改革的な手法と言えるのかもしれない。

しかし、自らの”関心外”の事柄(「外務省改革」や「拉致問題」等。)は丸投げ&放り出しを決め込んでいる様にすら思える事や、所謂小泉チルドレンに対しての”訓示”で「君達の使命は、次の選挙で勝つ事。」、「野次は国会の華。どんどん野次を飛ばす様に。」等と述べた事等は、悪しき旧習後生大事にしている古臭い自民党の体質そのものではないか。

小泉首相の為して来た事柄には評価出来る部分も無くはないのだが、結局の所、小泉流というのは自らの関心が赴く所に執着し、自らの美学に酔っているだけの様に感じたりもする。

何度も記事では書いて来たが、「自民党をぶっ壊す!」という彼の主張も、裏を返せば「『田中派の流れを汲む旧橋本派』から『福田派の流れを汲む森派』へとパワー・バランスを移行させただけ。」と言える。福田赳夫元首相の書生を務め、元首相から目を掛けて貰っていたという小泉首相には、”角福戦争”で追い落とされた師匠の仇討ちという思いが心に深く刻み込まれているのではないだろうか。「そんな古い話を。」という声も在ろうが、滅多に他者の悪口を言わなかったとされる小渕元首相が、小泉首相に関して「彼は粘着質だから。」と語ったという話からも、満更在り得ない話ではないと思う。

”自らの美学に酔う男”で在るならば、彼の目指す所は師匠の御曹司である福田康夫内閣官房長官への政権の”大政奉還”に在るのではないだろうか。その流れを汲む安倍晋三氏と共に、”最後の内閣”では重要ポジションが与えられる様に思うのだが・・・。

(追記) この記事を書いた後に、第3次小泉内閣の顔触れが決定した。その中には、重用されると思っていた福田康夫氏の名前が無かったのがかなり意外であった。しかし、首相候補と目されている他の3氏の就いた役職を見ると、福田氏が閣内に入らなかった事が逆に別の意味を持って来る様にも思えた。その辺に付いては、この記事のコメント欄で、通りすがり。様のレス(上から2番目の書き込み。)として書かせて戴いたので、併せて読んで戴けると幸いである。
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2 コメント

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いつも拝見しています。 (通りすがり。)
2005-11-01 01:49:38
 内閣改造、終わりましたね。サプライズがどうだとか、女性閣僚がどうだなんてどうでもいいことばかりを騒ぐ相変わらずのマスコミの体たらくですが、55さんの人事に関する読みは、ああなるほど、と思わせる内容でした。



 そんな中、古来から、特にバブル崩壊以降、日本は強いリーダーシップを備えた総理を求めて止まなかったのでは?という思いがあります。特に新聞はリーダーシップを持つ政治家がいないと殊更嘆いて見せ、このままじゃ日本は・・・などと書いてきたものです。



 ところが、いざ小泉氏が派閥に捉われない手法で案件をまとめると、手のひらを返したように独裁だ議会無視だと騒ぎ始めました。



 特に感じたのは道路公団民営化に関する報道でした。骨抜き、とか、中途半端だなど。じゃぁ新聞は改革を叫んでいたのか?猪瀬直樹がいなけりゃ何が問題でなんで通行料金が値上がりするのかすらわからなかったんじゃないのか?

 で、いざ総理の掛け声の下委員会で激しい攻防の末出てきたものを高いところから見下ろすように評価してみせる。しかもマイナスに。何故初めの一歩が完璧なものであれと求めるのでしょう。だめだだめだと評論する自分の足元を振り返ることはないのでしょうか、彼らは。



 55さんは「評価できる部分もなくはない」と書いてらっしゃいますが、自民党政権の中で、この数年間が小泉でなかったら、もっと退廃していたように感じます。道路公団の民営化なんてできなかったでしょうし、郵政民営化だって動きはしないでしょう。本当は小泉氏ではなく、野党第一党にその役割を担って欲しかったのですが・・・



 あと一つ、郵政民営化に関して、特にテレビはすぐに「地方の郵便が切り捨てられる」的な、一見弱者の立場に立っているかのような報道をします。でも、郵政民営化の意味は、そんなマイナスを補って余りあるものじゃないですか?

 80兆円の一般会計ばかり「予算が成立しました」ってニュースを流しますけど、その数倍にも及ぶ特別会計に無尽蔵に垂れ流されていた財政投融資が大幅に制限されるんですよね、民営化されれば。

 先日お書きになった「国費の無駄遣いをなくせ!」、もちろん大賛成です。その一方で、こんなに巨額な、桁違いの無駄遣いが解消される可能性のある民営化を、なぜそういった視点からテレビや新聞は伝えないのか。視聴者のレベルに合わせる的な論議もありますが、決してそうじゃない。マスコミが自らの役割を放棄した上で、「権力のチェック機能」という既得権益を悪い方向に使いたがっているとしか思えません。 



 小さな政府実現のためにはまだまだ改革が必要でしょう。さらに、マスコミ改革も我々から訴えていかないと、自浄能力があるとは思えないのですが。
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>通りすがり。様 (giants-55)
2005-11-01 04:22:39
初めまして。書き込み有難うございました。



色んな意味で意外な組閣でした。福田氏が重用されると思っていたのですが、入閣が無かった事。又、所謂サプライズ人事が無かった事も、自分の中では意外性を増幅させましました。唯、サプライズ人事に関しては、以前より肯定的には捉えておりませんでしたので、その意味では今回は良かったと思っています。通りすがり。様が御指摘の様に、本質的な部分を報道せずに、「小泉チルドレンがどうした。」とか、「女性閣僚は○○ではないか?」等と、どうでも良い事を競って報道しているマスメディアにはウンザリです。くだらないジョークを飛ばす割には、比較的的を射たコメントを吐く(と自分は思っているのですが。)デーブスペクター氏も、その様な報道ぶりに苦言を呈した上で、「そもそも、本当に必要性が在っての内閣改造なのだろうか?例えば、一国の外相がコロコロ変わる様では、他国から交渉相手として真剣に対峙して貰えなくなると思う。その意味で、サプライズ人事も果たして日本国民の為になっていたか疑問を感じる。」と述べていましたが、我が意を得たりの心境でした。(適材適所の配置と小泉首相は良く口にしますが、前内閣の法相等は首を捻らざるを得ませんでしたし。)



福田氏が入閣しなかった事に関して、マスメディアでは色々報道されていますね。私見になりますが、首相候補と目されている残りの3氏(麻生氏、谷垣氏、安倍氏。そもそも4氏を称して「麻垣康三」等と一般紙迄が報じているのは遊びが過ぎると思います。昔、ホンジャマカの”石”塚氏&”恵”氏、バカルディ[現さまぁ~ず]の”大”竹氏&”三”村氏がやっていたバラエティー番組のタイトル「大石恵三」じゃないんですから(^o^;;;。)の就いた役職を見ると、結構興味深いです。



財務大臣の谷垣氏は、今後増税の可能性が大きい事を考えると、国民からの反発が自身の人気低落に直結する可能性は在るのではないかと。(実際に、自分の廻りの女性の間からは、そういった声が上がっています。)。



又、外交事項がどうしても小泉首相主導になりがちで、なかなか自身の色が出し切れないで在ろう事や、中韓からの猛反発(内政干渉か否かは別問題として。)も考えると、外務大臣になった麻生氏も貧乏くじを引かされた気もします。



そして、首相候補筆頭として一歩抜け出した様に思える安倍氏も、小泉氏の人気が低落に向かった場合、”運命共同体”として首相の座は遠ざかる可能性も無いとは言えないでしょう。



結局の所、任期1年を切った小泉政権に於いては、福田氏を閣内に置くよりも、閣外で”待ちの姿勢”を取らせていた方が有利という判断が在ったのかもしれない様に思います。真のエースは温存しておくというスタンスかと(笑)。



通りすがり様。が書かれておられる事を、或るネット配信者(http://964.jp/Z3eD)が以前より指摘されておられました。「日本人はずっと主義主張を旗幟鮮明にし、強いリーダーシップを持った首相を求めていた筈。でも、実際に”大統領的”な権限を持った首相が登場した事で、その余りの強権ぶりに『一体どっちが良かったのだろうか?』と戸惑っている。」と。それは在ると思うんです。自分も、過去の曖昧模糊とした言動に終始していた首相連(アーウー首相なんていうのも居ましたし。)には腹が立っていましたし、もっとハッキリと物を言える首相を待望していました。ですから、小泉首相が誕生した際には非常に期待もしてたんです。



実際問題、「村社会に拘泥するシステムを形式的に破壊した」事や、「それ迄には闇に埋もれて見えなかった部分を、表出させる環境を生み出した」事は彼の功績で在ると思います。唯、記事でも触れました様に、「自らの関心が赴く所に執着し、自らの美学に酔っているだけ。」というのが、どうしても垣間見られてしまい、その他多くの諸問題がなおざりにされている気がしてしまうんです。又、自らの関心が赴かない部分に付いて、最低限必要と思われる前向きな議論すらもはぐらかそうとしている様に思えるのも、彼に信頼を置けない所なんです。



彼の総合的な評価は、将来の歴史家に負う所となるのでしょうし、そんなに何もかも完璧な人物は居ないのも事実ですので、自分の彼に対する評価が少しでも向上する様な政策を残りの任期で施して欲しいと願っています。



マスメディアが本来在るべき姿から逸脱しているというのは、全く同感です。この辺は、自分もブログを始めた当初から一貫して苦々しく思っている所でも在りますので(笑)。



これからも宜しく御願い致します。
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