「TOP ISLAND(トップ・アイランド)」と呼ばれる日本橋高島屋の屋上には、緩やかなカーヴを描いた屋根の載る小屋の様な建物が在るのだそうだ。此れは従業員用のエレヴェーター室で、象の形をイメージして造られたもの。そして昔は、其の隣に「象の鼻」の形をした焼却炉も在ったとか。日本橋高島屋の屋上に、何故、象に関する構造物が2つも作られたのか?其の答えが、4月30日付けの東京新聞(朝刊)に載っていた。「東京トリビア」という連載コラムの「日本橋高島屋屋上では嘗て・・・」という記事がそうだ。
今から64年前の1950年、タイから1頭の象が連れて来られた。戦時中の猛獣処分で象が居なくなった上野動物園に、インドのネール首相が象の「インディラ」を寄贈し、国民的歓迎を受けた翌年の事。タイに出張していた高島屋の社員が、取引先から生後間も無い象を紹介され、連れて帰ったのだ。
「高島屋」という店名に因み「高子(たかこ)」と名付けられた其の象は、船で山口県下関市に到着後、貨物列車で汐留駅に運ばれ、トラックに載せられてパレードをし乍ら、日本橋高島屋迄運ばれた。店に着くと、クレーンで籠毎屋上迄引っ張り上げられた。公開初日には、17万人もの見物客が殺到したというのだから凄い。
3人の飼育員が交代で世話をし、13種類の芸を教え込んだ。高子は喇叭を吹いたり、旗を振ったりと、芸を披露。子供が背中の上に乗って記念撮影する等、絶大な人気を誇る「アイドル」だったとか。
未だ未だ物資不足だった時代。馬鈴薯や人参、オレンジ等を毎日、36kgも餌として食べていた高子。「社員よりずっと良い物を食べている。」と、冗談交じりに囁かれていたそうだ。
「こんなにも重い物、其れも固定されている訳では無く、動き回る物を、屋上で飼育していたというのは、危険性の面で大丈夫だったのだろうか?」と思ってしまったのだが、矢張りそういう問題が出て来た様だ。来日から4年後の1954年、連れて来られた頃の3倍の1.5トンに迄成長した高子は、屋上で飼育するには危険と判断され、上野動物園に贈られる事となった。階段を使って搬出するも、暴れて店内のショーケースを破壊。「引っ越しを嫌がっていた。」という逸話が残る。
以前、「昭和25年~28年の間、渋谷の東急百貨店(東館)の屋上と玉電ビルの屋上を結ぶロープウェイ『空中電車ひばり号』が存在していた。」【写真】のを知り、非常に驚かされたものだが、日本橋高島屋の屋上で象が飼育されていたというのも全く知らず、此れ又驚かされた。元記事によると、戦前には松坂屋銀座店の屋上に、ライオンの居る動物園が開設されていたそうだ。
上野動物園に移された高子は、34年後の1988年、足の感染症等で体調を崩し、室内飼育に切り替えられた。そして2年後の1990年3月13日、病状が回復したとして外に出されたが、足取りが覚束ず、展示スペースを取り囲む堀に落下。肺出血等により、42歳で亡くなった。