世代的に近いという事も在ってか、伊集院光氏が自身の子供時代の事を語ったり、書いたりしているのを見聞すると、「そうそう、そんな感じだったよなあ。」とついつい頷いてしまう。先日読了した同氏のエッセー集「のはなしさん」にもそういった記述が多く、「(顕微鏡の)レンズのピント調節は上から下げて行っては駄目だ!最初に下ギリギリにプレパラートをセットして、上にあげていくんだ!そうすればレンズを下げすぎてカバーガラスを割ってしまう危険性がないだろう!」というのには、幼少時に何度かカバーガラスを割ってしまった経験の在る自分としては大きく頷くしかなかったし。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp18.gif)
「『効果音』の話」という章の中で彼は、「ラジオドラマが好きだ。小学生のころ聞いた怪談『船幽霊』のラジオドラマの怖さは今でも忘れない。当時TBSラジオで月曜日から金曜日の深夜にやっていた15分ほどのショートラジオドラマ番組『夜のミステリー』の中の1話だった。」と記している。
*****************************************
夜の海で船に乗っていると、真っ黒い海の中からひしゃくを持った巨大な手が何本も現れて、船の中に海水をどんどん注ぎこみ沈没させるという話。語り部の淡々とした語り口と、荒れ狂う波の効果音、船乗りたちの気も狂わんばかりの悲鳴、家族が寝静まった一人ぼっちの布団の中でイヤホンを通じて注ぎ込まれる音声、そして頭の中に広がる地獄絵図の怖かったこと。
後日、テレビアニメで同じ話を見たのだが、こっちはちっとも怖くない。なんでだろう。「実際にひしゃくを持った大きな絵を描かれても・・・。」と思ったのをよく覚えている。
ラジオドラマの肝は脚本や声優の力量も勿論だが、リアリティあふれる効果音と、その使い方が大きいと思う。
*****************************************
以前にも書いたけれど、学生時代には「ビートたけしのオールナイトニッポン」や「吉田照美の夜はこれから てるてるワイド」等、深夜帯のラジオ番組を良く聞いていた。勉強をし乍ら聞いていたのだけれど、余りの面白さに「ラジオ番組を聞くのが主主で、勉強は従。」という逆転現象を起こしてしまったっけ。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_fall.gif)
TV番組が「視覚」と「聴覚」で楽しむ媒体とすれば、ラジオ番組は専ら「聴覚」に頼った媒体と言える。「視覚」がプラスされている分、TV番組の方が与えられる情報は多いのかもしれないけれど、与えられている情報が多いからこそ、受け手側は自らの頭で思考するという作業を怠り勝ち。其れに対してラジオ番組は、視覚に訴える事が出来ないからこそ、効果音等の音声を最大限に活用する事で、受け手が其れ其れの頭でイメージをどんどん膨らまして行ける。TV番組で「白亜の豪邸」として映像を映し出せば、100人が100人同じ映像を「白亜の豪邸」として頭にインプットする訳だが、ラジオ番組の場合は「ナレーションによる描写」や「効果音」によって100人が100通りの「白亜の豪邸」を頭の中でイメージとして作り上げる事だろう。「門の開閉の音」だけでも、受け取り方は人其れ其れだろうから。
受け取り手が音声から勝手にイメージを膨らませて行けるのが、ラジオ番組の魅力でも在る。時には「こんな魅力的な声をしているのだから、見目麗しい人に違いない。」と思っていたのに、実際に風貌を目にして「普通のおっさんだ・・・。」と愕然としてしまった大沢悠里氏の様なケースも在るけれど。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
話をラジオ・ドラマに戻すが、自分の場合最も印象に残っているのはTBSラジオで放送されていた「ブラック・ジャック」だ。「1993年から1994年に掛けて放送され、ブラック・ジャック役を時任三郎氏が担当していたヴァージョン。」も悪くなかったが、「1977年に1ヶ月だけ放送された、岸田森氏がブラック・ジャックを担当したヴァージョン。」が忘れられない。TV番組や映画で独特の雰囲気を醸し出していた岸田氏だが、此のラジオ・ドラマでも存在感は際立っていた。ピノコ役の松島みのりさんとの掛け合いも絶妙だったが、効果音の良さも光っていた。風雨の音、車のエンジン音、ドアの開閉音、床の軋む音等々、様々な効果音が頭に映像を構築。ラジオ・ドラマの醍醐味を、自分が初めて思い知らされたのが岸田版「ブラック・ジャック」。
最近はラジオ番組自体を聞く事が少なくなったのだけれど、ラジオ・ドラマを久し振りに聞いてみたい気もする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp18.gif)
「『効果音』の話」という章の中で彼は、「ラジオドラマが好きだ。小学生のころ聞いた怪談『船幽霊』のラジオドラマの怖さは今でも忘れない。当時TBSラジオで月曜日から金曜日の深夜にやっていた15分ほどのショートラジオドラマ番組『夜のミステリー』の中の1話だった。」と記している。
*****************************************
夜の海で船に乗っていると、真っ黒い海の中からひしゃくを持った巨大な手が何本も現れて、船の中に海水をどんどん注ぎこみ沈没させるという話。語り部の淡々とした語り口と、荒れ狂う波の効果音、船乗りたちの気も狂わんばかりの悲鳴、家族が寝静まった一人ぼっちの布団の中でイヤホンを通じて注ぎ込まれる音声、そして頭の中に広がる地獄絵図の怖かったこと。
後日、テレビアニメで同じ話を見たのだが、こっちはちっとも怖くない。なんでだろう。「実際にひしゃくを持った大きな絵を描かれても・・・。」と思ったのをよく覚えている。
ラジオドラマの肝は脚本や声優の力量も勿論だが、リアリティあふれる効果音と、その使い方が大きいと思う。
*****************************************
以前にも書いたけれど、学生時代には「ビートたけしのオールナイトニッポン」や「吉田照美の夜はこれから てるてるワイド」等、深夜帯のラジオ番組を良く聞いていた。勉強をし乍ら聞いていたのだけれど、余りの面白さに「ラジオ番組を聞くのが主主で、勉強は従。」という逆転現象を起こしてしまったっけ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_fall.gif)
TV番組が「視覚」と「聴覚」で楽しむ媒体とすれば、ラジオ番組は専ら「聴覚」に頼った媒体と言える。「視覚」がプラスされている分、TV番組の方が与えられる情報は多いのかもしれないけれど、与えられている情報が多いからこそ、受け手側は自らの頭で思考するという作業を怠り勝ち。其れに対してラジオ番組は、視覚に訴える事が出来ないからこそ、効果音等の音声を最大限に活用する事で、受け手が其れ其れの頭でイメージをどんどん膨らまして行ける。TV番組で「白亜の豪邸」として映像を映し出せば、100人が100人同じ映像を「白亜の豪邸」として頭にインプットする訳だが、ラジオ番組の場合は「ナレーションによる描写」や「効果音」によって100人が100通りの「白亜の豪邸」を頭の中でイメージとして作り上げる事だろう。「門の開閉の音」だけでも、受け取り方は人其れ其れだろうから。
受け取り手が音声から勝手にイメージを膨らませて行けるのが、ラジオ番組の魅力でも在る。時には「こんな魅力的な声をしているのだから、見目麗しい人に違いない。」と思っていたのに、実際に風貌を目にして「普通のおっさんだ・・・。」と愕然としてしまった大沢悠里氏の様なケースも在るけれど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
話をラジオ・ドラマに戻すが、自分の場合最も印象に残っているのはTBSラジオで放送されていた「ブラック・ジャック」だ。「1993年から1994年に掛けて放送され、ブラック・ジャック役を時任三郎氏が担当していたヴァージョン。」も悪くなかったが、「1977年に1ヶ月だけ放送された、岸田森氏がブラック・ジャックを担当したヴァージョン。」が忘れられない。TV番組や映画で独特の雰囲気を醸し出していた岸田氏だが、此のラジオ・ドラマでも存在感は際立っていた。ピノコ役の松島みのりさんとの掛け合いも絶妙だったが、効果音の良さも光っていた。風雨の音、車のエンジン音、ドアの開閉音、床の軋む音等々、様々な効果音が頭に映像を構築。ラジオ・ドラマの醍醐味を、自分が初めて思い知らされたのが岸田版「ブラック・ジャック」。
最近はラジオ番組自体を聞く事が少なくなったのだけれど、ラジオ・ドラマを久し振りに聞いてみたい気もする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0052.gif)
「いんじゅう」ってどういう意味かもわからなかったのに・・。
あら。初コメントがこれでは、今年はどうなることやら・・。
今年もよろしくお願いいたしますね。
自分もそうなのですが、一定年齢以上の人間にとって「乱歩の世界」というのは独特な意味合いを持っていると思っています。あの何とも言えない不気味な世界観は老若男女を問わずに魅了する物が在ると思いますが、「小高い丘の上の怪しげな洋館」や「物哀しい音楽が聞こえて来るサーカス」等々は、そういった光景を明瞭に、又は薄らと乍ら覚えている一定年齢以上の人間には郷愁めいた思いを感じさせ、だからこそ「乱歩の世界」に不気味さを感じつつも懐かしさも感じてしまう。
「陰獣」や「人間椅子」等、其のタイトルを見聞しただけで「触れてはいけない倒錯の世界」、でも同時に「覗き見たくなって世界」を感じさせるのですから凄いです。