TV番組を見ていると、「此の人の職業って何なんだろう?」と思ってしまう人が、結構居たりする。本業は歌手や俳優、御笑いタレント、アスリート等だったりするのだが、其の本業ではパッとせず、専ら“コメンテーター”としてTV番組に出捲っているケースも少なく無い。誰でも言いそうな事を、特別な話をする様な感じでコメントする事も珍しく無く、「彼(乃至は彼女)を、コメンテーターとして起用する必要性在るの?」と思ってしまう。
昔のコメンテーターと言えば、自身のテリトリー、即ち歌手だったら芸能界、元刑事なら警察の世界に付いて“のみ”、自身の経験談を踏まえてコメントするのが普通だったが、最近では「何でも彼んでも分野を問わず、『私は何でも知っているんですよ。』といった風情でコメントするコメンテーター。」を結構見掛ける。
「事件が発生すると、必ずと言って良い程に出て来る元警察官のA氏。」は先日、「自衛隊関係者に聞きましたから、間違い在りません。」と自衛隊の或るシステムに関して自信満々に話していたが、「本当かなあ?」と思って調べてみた所、完全な間違いだった。彼はテリトリー以外の事でも、自信満々に断言する事が多いけれど、結構誤りが在ったりする。
「御笑いタレントから県知事に転身し、今は専らコメンテーターしてTV番組に出ているB氏。」は、事前に「こういうテーマで話を進めて行きます。」というのをスタッフから聞き、関連する情報を用意しているのだろうが、交番の話になった時、「日本の交番数は〇〇ヶ所で、内XXヶ所は1人の警察官しか居ないんですよね。」といったコメントをしていた。用意周到なのは敬意を表すが、「私は何でも知っているんですよ。」といった風情で言われてしまうと、正直興醒めしてしまう。「本業は国際弁護士で、帯番組のコメンテーターを務めているC氏。」にも、同じ“匂い”を感じるが。
今年亡くなられた元警視庁捜査1課長のD氏は、事件のプロファイリングを良く行っていたが、「犯人はどういう人物だと思われますか?」という質問に、「犯人は男、又は女でしょう。年齢は10代から20代、ひょっとすると30代から40代かもしれませんね。」といった、「こんなのプロファイリングでも何でも無いじゃないか。」という突っ込みを入れたくなる様なコメントをするので有名だった。でも、今思うと、「判らない事は判らないとして、断言はしない。」という意味では“正直”だったのだろう。
一般人が有名になる手段と言えば、昔は“素人参加型のTV番組”に出演したり、何等かの有名な賞を取るというのが普通で、有名になれたとしても、其れなりの時間を要した。
然し、インターネットが普及した現代では、YouTubeやSNSを使う事で、一般人が一夜にして有名になり得てしまう。そういう意味では、「一億総コメンテータ時代」と言えるでしょうね。
「道で偶々聞き知った事を、得意そうに人に話し伝える事。」から来た、「道聴塗説」という四字熟語。「根拠の無い伝聞や受け売り。」を意味したりもするのですが、デマで溢れ返っている有名サイトの書き込みを、全く裏を取る事無く、何度か自身のツイッター等で紹介し、デマで在る事が指摘されると、謝罪する事も無く、当該記述を消し去って誤魔化すという国会議員が、自分が知る限りでも何人か居ます。コメンテーターも同様で、そういう輩に限って、得意げに「私だけが知ってるんですよ!」みたいに話したりする。受け取る側も話を鵜呑みするのでは無く、「本当かなあ?」と疑って掛かる事が必要でしょうね。
近所のおっちゃんやおばちゃんでも言えそうな事を、“一般人の代表”の顔で口にするコメンテーターもどうかと思うのですが、テリー伊藤氏の様に「“意図的に世論とは異なる主張”をして、自身の存在感を誇示する。」様なコメンテーターはもっと嫌。「○○を非とするならば、どんな相手で在っても〇〇は非としなければおかしいのに、好き嫌いで態度を変える。」というのも、こういう手合いの特徴。
芸能ネタの様にどうでも良いテーマなら別ですが、専門性が高いテーマに付いては、矢張り其の道の専門家のコメントを聞きたい。
専門性が高いテーマに付いて、全く門外漢の元スポーツ選手が、無理無理にスポーツと関連付けてコメントしたりしているのを見掛けると、正直鼻白んでしまう。
今やネット社会。素人の私でもブログなどで公に向かってコメントできる時代ですから、マスコミで有名になった人たちが、訳知り顔でコメンテーターを務めるのにも違和感は有りません。
見ているこっちも「それ、違うだろ?」と突っ込みを入れるのが楽しみだったりして(苦笑)。
ただ、影響力の大きさから言えば、マスコミ上でいい加減な情報に基づいてコメントされるのは困りますね。
ネット検索で情報を得るにしても、いくつかを当たり、元情報の孫引きでないものを比較確認したうえで発言してもらわないと、偽情報の発信元にもなりかねませんから。
ニュースバラエティ番組の司会者やコメンテーターは、井戸端会議のおばさん、おじさんたち、と割り切ってみるのが正解ではないでしょうかね。
抜きんでた力や知識は、尊敬の対象となり得ても、共感は呼びづらいと思います。まさに、TV放送の方針として、中間層の意見が尊重され、視聴者もそれに応じて、中間層として、可もなく不可もない人々にスポットを当てていると思います。
つまりは、放送が進めている「共感」の方針は、日本人を中間化して、右でも左でもない、中庸的で保守的、エスタブリッシュメントからすれば、敵にも味方にもならないが、革命の潜在力の無いものを、プロパガンダとして啓蒙しているように思えてならないのです。