今日、献血をして来ました。
今は、年に2回。春と秋に献血を重ねています。
献血を何歳の頃から始めたのか、記憶に有りませんが、20代から始めたのには、間違いないと思います。
若いころは、職場へ献血車が来ることも有り、隔月のペースで献血していました。
それに、当時の献血量は200CCでした。
以来、回を重ねて、130回を迎えました。
130回もの献血が出来たのも、健康だからこそ、続けることが出来たのだと思います。
岐阜県赤十字血液センターの入口
腕に採血の針を刺して貰います。
針から血液が流れて行きます。
献血手帳と献血カード。
何歳の頃から献血を始めたのか、窓口で尋ねてみましたが、平成6年からの記録しか残って
いないとの事でした。かつては、この献血手帳に期日と献血量を記録していました。
いわゆる、アナログの時代ですので、記録が無いのも仕方ありません。
これからも、健康を維持して、献血を続けて行きたいと思います。
岐阜県美濃市の天王山から誕生山へ縦走をして来ました。
新緑の山を歩きましたら、所々にコシアブラの新芽が出ていて採ることが出来ました。
ピンボケ画像ですが、コシアブラはこんな風な新芽を出していました。
山から下山して、分けました。
春の山の恵みの山分けです。
山に登ったのは8人で、8等分しました。
自宅に帰り、天ぷらにして貰いました。
食べると、口一杯にほろ苦さが広がります。
春の山の恵み。今の時期にだけ、味わえる味です。
抹茶塩で戴きましたが、美味しかったです。
山がこんな山菜を提供してくれる。山に感謝です。
今日は息子夫婦が金沢の中心部を案内してくれました。
まず、訪ねたのは金沢21世紀美術館です。円形で周囲はガラスに囲まれています。
外から光が差し込み、明るい館内です。
館内では現代美術展が開かれていました。
「MADE IN JAPAN の置時計 1690年代を中心」も開かれていました。
時計の数々。色々の置時計が展示してありました。旅行用の目覚まし時計でも、色々の
デザインが有り、感心しました。
見るからに昭和の時代と言った感じがしました。
金沢21世紀美術館の外観。モダンな感じがします。
金沢21世紀美術館の館内。ガラス越しに外の桜が見えた。
金沢21世紀美術館の館内。ガラス張りで明るかった。
MADE IN JAPAN の置時計 1690年代を中心にが開催されていた部屋
旅行用の目覚まし時計。色々のデザインが有ることに感心させられました。
四角い置き時計。形からダイヤルでチャンネルを変えるタイプの四角いテレビに乗っていたと
想像させます。
次に近江町市場へ行きました。
以前は日曜日は市場がお休みでしたが、近頃は日曜日でも営業するようになり、多くの客で賑わっていました。
野菜を扱う店や衣料品の店が並んでいますが、魚屋が多いです。
魚屋で店頭に並んでいた、岩牡蠣を食してみました。
ぷりぷりの新鮮な味で美味しかったです。
敦賀市の日本海さかな街や焼津市のさかなセンターは観光バスで観光客が来て、魚を買っていきます。焼津と言うとマグロと言うイメージです。観光客相手で値段も高めですが、その点近江町市場は市民と直結した市場で、地元の人も買いに来ます。
地元の人たちに愛されている市場。だからこそ、好い市場と言えるでしよう。
通路に有った近江町日曜位置の垂れ幕。
大松水産の店頭。この店で岩牡蠣を食してみました。
富山産の岩牡蠣。プリプリで美味しかったです。ツルン喉を通る。そんな感じでした。
石川県の野々市町に長男夫婦が住んでいます。
ミスチルのコンサートに応募したら、チケットをゲット出来たので孫の子守に来て欲しいと連絡が有りました。
お守に出かけましたのですが、孫はのっティに乗るのが大好きです。
のっティは、野々市町内を循環するシティバスで、町中を回る4つのルートが有ります。青、赤、緑、黄とそれぞれ、ルートを色分けがしてあり、45分程で1周して元の場所へ戻ります。
料金は100円で乗れます。
孫はのっティに乗るのが大好きですので、それでは、のっティに乗せている間にコンサートへ出かけるようにと、しました。
のっティの車体は大きく有りません。そのため、小回りが利き、細い道でもスイスイと走ります。車内には高校生。ベトナム人(多分)が乗っていました。いわゆる、交通弱者にとって貴重な足だと思いました。
バアちゃんに手を引かれ、これからお出かけです。
バス停に近づいてきた赤のっティ。
のっティの車内。高齢者用に車高が低くなっています。
大人しく乗っている孫
のっティのルート地図。
大阪と新潟の間を運行している急行列車が有ります。
その列車に乗りたく、大阪まで出かけました。列車に乗ることが目的なのですが、わざわざ大阪まで行くのに、青春18きっぷが使える時期に出かければ、少しでも、倹約出来ると思い、期間中に出かけました。
桜前線
岐阜から電車に乗って西へ向かうと大垣、垂井、関が原と、桜の咲いている度合いが段々、下がって行きました。
岐阜では2.3分咲き。大垣ではチラホラ。垂井まで来ると枝の先がほんのりとピンクが掛かっていました。関が原では全く咲く兆しが見えませんでした。
電車が西へ進み、大津では全然咲いていませんでしたが、逢坂山トンネルを出ると京都の鴨川ではチラホラ。大阪市内まで来ると、幾分か咲いていました。
一番感じましたのは、京都と大津では山を隔てただけでこんなに違うものか、これが桜前線なのだと感じました。
寄席
列車の出発は23時27分でしたので、まだ、時間が有りました。寄席である「天満天神繁盛亭」へ行き、落語を聞きました。
寄席に出かけたのは初めてでしたが、開演する前の呼び太鼓。噺家が出る時の出囃子。全てが新鮮に感じました。
古典落語あり、新作落語あり、また、落語と言うよりも漫談に近いものもありました。
普段、寄席に足を運ぶ事もなく、関西圏から離れた所に住んでいて、関西の噺家さんを知りませんでしたが、桂米朝さんの息子さんで、桂米団治さんの話を最後に聞きました。
面白く噺を聞かせてもらいました。またの機会に再度、来たいと思いました。
「天満天神繁盛亭」の前。12時20分頃に行きましたが、既に沢山の人が列を作っていました。
12時30分になり、客を小屋へ入れる。始まりを告げる呼び太鼓。何人かの人がこの風景を
撮影していました。
「招き」と言うのでしようか。今日の出演者の名が貼りだして有りました。
高座の終了後の寄席の表。桂米団治さんと笑福亭仁扇さん。
桂米団治さんはファンの人に千社札を渡していました。私も、貰いました。
新世界
列車の時間までに時間が有りましたので、新世界で飲み、通天閣へ上がってみました。
大阪の雰囲気に直接に触れた。そんな気がしました。
通天閣。この横綱で串かつを食べました。
横綱の串かつ。じゃが芋。玉ねぎ。豚肉・・・・
串かつに、ソースの二度づけ禁止のルールが有ります。
通天閣の展望台に有ったビリケンさん。皆が触るので、足の裏がへこんでいました。
新世界の「やまと屋」ほろ酔いセットです。
この料理にお銚子が付きました。
この後、大阪駅から新潟行きの寝台電車急行 「きたぐに」に乗車しました。
寝台電車急行 「きたぐに」 - Kオジサンの気の向くまま (goo.ne.jp)
寝台急行「銀河」が廃止になり、上野と金沢を結ぶ「北陸」も廃止になりました。「きたぐに」も遠からず
同じ道を歩むことになるのではないかと思っています。
後、数年もすると廃止になってしまうだろうと思っていて、わざわざ大阪へ出かけ、終着地の新潟まで
乗車しました。
「きたぐに」はかつて、北陸トンネル中で列車火災を起こし、多くの人が無くなりました。その時は電気
機関車が客車を牽引していたのですが、運転区間が短くなり、客車から寝台電車に変わりました。
乗車する通路にあった行き先の表示板。
23時03分に列車は大阪駅の11番ホームに入線してきました。新しくなったプラットホーム。
大阪と新潟を結ぶ便利な列車で有りますが、乗客は少なかったです。
11番プラットホームに入線してきた「きたぐに」
私たちが乗ったのは、先頭の10号車。乗客は私たち2名だけでした。途中、京都から家族グループが
乗ってきたのですが、途中で下車となりました。平日の運行からなのか、利用者の少ない車内でした。
列車の編成で、車両にモーターが付いています。モーターの着いていない車両はA寝台車とグリーン車。
そして私たちが乗車した10号車です。モーターの着いていない車両なら、少しは静かだろうと思いました。
11番プラットホームの「きたぐに」。プラットホームは工事で奇麗に生まれ変わっていた。
ロングレールで繋ぎ目の響きも無く、乗り心地は良かったのですが、車内で寝るとなると、熟睡は
できませんでした。でも、列車に乗ることが好きで、長時間の乗車も苦になりません。
急行列車に乗車するために、わざわざ大阪まで出向き、新潟から戻る。物好きな事ですが、暇が
有って実現することなのであり、贅沢な時間を過ごすことが出来ました。
ロングラン。お疲れ様でした。新潟駅に到着した「きたぐに」。
「きたぐに」のヘッドマーク。佐渡おけさをモチーフにしたものだが、時間の経過で、幾分くたびれていた。
自由席とグリーン車。
A寝台車とB寝台車
車体の記号番号。左上から1号車、右が2号車の順。
記念に貰った乗車券と寝台券。
長岡で見かけたタンク車の列車。
東北へガソリンを運んだ帰りだろう。