Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

「歴史街道を歩く会」 10周年 記念写真集

2016年04月27日 22時09分21秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の会長が記念写真集を持参してくれました。
歴史街道を歩く会に昨年、入会しました。この会は平成18年2月に結成して10年が経ちました。中山道や東海道と、各地の街道を踏破しました。その記録として、記念写真集が刊行されました。言うならば、写真による記録集です。
私は、加入して1年余りなのですが、もっと早く加入すれば良かったという気持ちがします。



記念写真集の表紙です。



写真集のページです。
このページは美濃路で、稲葉宿から清須宿。清須宿から名古屋宿です。




こちらは例会の実施記録です。
どの街道を何時歩いたかが判ります。




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岐阜の地酒で乾杯

2016年04月24日 23時46分18秒 | グルメ

岐阜市の柳ヶ瀬の通りをブッ通して、酒蔵とグルメが並ぶ。「岐阜の地酒で乾杯」。今年も開かれました。昨年に引き続き、今年も行って来ました。

JR岐阜駅で列車から降りて、柳ヶ瀬へ向かいます。
向かう途中、メーデーの更新を見ました。金公園がメーデーの会場になっていました。ゆっくり行けば良いので、寄り道してみました。

柳ヶ瀬へ向かう前に  金公園

金公園の藤棚です。



藤を撮影する男性。




藤をアップで撮影してみました。

今が、丁度、満開状態となっていました。


金公園でメーデー

金公園が中央会場になっています。
公園にトラックを持ち込み、荷台でバンドが演奏しています。



テントの下でバザーが開かれています。




寄った場所はお忘れ物の販売コーナーです。
傘やサングラスを販売していました。
忘れ物の傘が200円で売っていましたので、1本買いました。
チェック柄のモノを選びました。
以前、ある施設に行った時、傘たてに傘を置いて、帰りに無くなっていました。傘が盗まれたのです。お気に入りでしたのに・・・と思います。


ナンジャモンジャ

柳ヶ瀬に向かう途中。
金神社の境内。
ナンジャモンジャが咲いていました。




今が満開状態です。




アップで。




行く途中。ハナミズキも咲いていました。


柳ヶ瀬へ向かいます

柳ヶ瀬の劇場通りを歩きます。
頭上に鯉のぼりが泳いでいます。




頭上の鯉のぼりです。




会場へ向かいます。


岐阜の地酒で乾杯

岐阜の地酒で乾杯。
パンフです。




パンフの内側。
出店している酒蔵が載って居ます。


前売り券とチケットを交換する場所へ行く前に裏側を通りました。
三千盛と花美蔵の裏側です。
このようにして杯に酒を注いでもらいます。




あの赤いテントが交換場所です。
列になっています。
写真を撮影した時は気が付きませんでしたが、みなさん、水のペットボトルを持参しています。酒を呑んでは、水で口の中を綺麗にして、次の酒の味を楽しんでいるのでしょう。このようにすると、前に呑んだ酒の味と次に呑んだ酒の味の違いが判ることでしょう。




前売り券を買って、この会場へきました。
前売り券を会場で使用できるチケットと交換するため、列に並びました。




前売り券とチケットを交換しました。
300円のチケットが10枚。そして杯が付いていました。
3,000円の前売り券で、3,000円分のチケットと交換となり、杯がオマケとなります。昨年はガラスで出来たグラスでしたが、今年は陶製です。大きさは昨年に比べると小さくなっています。これですと、実質的には値上げです。昨年のサイズは大きすぎだと言う声が有るとテレビで言っていました。
私的には昨年のサイズでも良いと思うのですが・・・・。




酒を注いでもらう場面を後ろから撮りました。
女城主と金泉が並んでいます。



お酒の入った杯。
右はタケノコです。ここに来る前に買ってきました。150円でした。美味しかったです。これならもう、1つ買ってくれば良かったと思いました。




会場の様子です。




大穴子の握りです。
チケット1枚でした。列の最後尾に並び、2パック求めました。
美味しかったです。




こちらはお酒です。
多治見市笠原の蔵元。
美人の女将サンが居る蔵元です。




千古乃岩(チゴノイワ)。
土岐市の千古乃岩酒造のお酒です。
辛口純米酒をついで貰いました。






会場の様子です。
左は私の左に座っていたご夫婦。
岩村の女城主が好きな酒だと話していました。毎年、蔵開きに岩村まで出かけていると言っていました。こちらからは、スルメを頂きました。
右は男性二人と女性一人。女性の旦那様は白いシャツの人かクリーム色の人か分かりません。この3人ともお話をしました。
右側の人。左側の人。どちらも初対面です。
それこそ、一期一会です。
みんな、お酒が入って、和気藹々でした。ドイツのオクトーバーフェスタはどのようなものか知りませんが、お酒で盛り上がる。こう言うものではないかと想像しました。


鮎の一夜干しを焼いたものです。
チケット2枚でした。




会場の様子です。




高山の蔵元。舩坂酒造です。
ゆず兵衛と言うお酒を頂きました。
名の通り柚子の味がするお酒でした。




からすみを頂きました。
コンロで軽くあぶっていました。
チケット1枚です。
からすみが食べれる機会は滅多に無いので、からすみを口に出来るチャンスだと思いました。




ローストビーフ。
これはテーブルを廻って売りに来たものでした。



先ほどのご夫婦が去り、その後に子供連れのご家族が座りました。
上が男の子。下は女の子でベビーカーに乗っています。
孫も男の子と女の子でダブってしまいます。
男の子に聞くと、保育園に行っていると応えてくれました。



お酒を求めてテーブルから離れました。
NHKが取材に来ていました。
夜のニュースで、お酒で柳ヶ瀬を活性化させると、放送していました。




ここでは白川郷と言う濁り酒を頂きました。




会場の様子です。

感想
お酒のチケットが6,000円分。20枚有りました。からすみは1枚。鮎は2枚。穴子の寿司は2パックで2枚使いました。カミさんが大吟醸で2枚。残りは13枚と言うことになります。という事は杯で13杯呑んだことになります。呑んだ覚えの有る銘柄は、千古乃岩。ゆず兵衛。白川郷。酒蔵では所酒造。三千盛。岩村醸造。奥飛騨酒造までは覚えています。それでも、7銘柄で13銘柄には達しません。記憶の無い部分もあります。それ程、沢山呑みました。

今年は、テーブルに付き、じっくりやることが出来ました。酒やおつまみは私が調達してきました。
テーブルに付いて呑んだのですが、酒飲み同志です。隣の席のヒトと打ち解けて、お酒を楽しむ事が出来て良かったです。




ギフ フォト クラブ展

帰りに写真展を見に寄りました。




ギフフォトクラブ展と言う写真の同好の人達の展覧会です。




展覧会場の外から。




許しを得て、会場内の写真を撮らせて貰いました。


珍しいタクシー

車体に「鵜」が描かれたタクシー。
帰りに、信号で停まっているところを見かけました。




アップで。




後方から。



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歴史街道を歩く会 4月例会  下街道シリーズPart④  JR瑞浪駅からJR土岐市駅まで   下(シタ)街道を歩く

2016年04月23日 23時42分07秒 | 歴史街道を歩く会

「歴史街道を歩く会」の4月例会に参加しました。今回は、瑞浪市のJR瑞浪駅から土岐市のJR土岐市駅までの区間を歩きました。3月例会として会員が、3月26日に歩きましたが、この日は、私の都合が悪く参加できませんでした。皆が歩いたコースを4月19日に一人で歩きました。
前回の続きで、春、本番と言うような陽気の中を歩きました。


一期一会の出合い。

多治見駅から中津川行きの快速列車に乗車しました。車内には私たちと同じような姿をした男性のグループが乗っていました。
多治見駅から瑞浪駅までの2区間の乗車でしたが、隣に座っていた男性と言葉を交わしました。何処まで行くの?と、話しかけたのです。山に登るのでなく、ウオーキングのグループでした。男性の集まりで8人ほど居ました。私たちは瑞浪で下車するのでしたが、彼らはその次の釜戸まででした。今日の行程の地図を見せて貰いました。それで、その行程地図を撮らせて貰いました。
中山道を歩き、恵那駅まで歩くものでした。どの列車に乗り、どのように歩いて、どの列車で戻るか計画され、リーダーの名も載っています。
話が進んで何処から来たのとなりました。私たちは各務原からと告げ、彼らは岡崎からだと聞きました。お得に使える切符も見せてくれました。
私は青空フリー切符を知っていました。このようにグループで行動するのにお得で、便利です。恐らく、リーダーは、このような鉄道利用術に長けた人だと思います。岡崎駅の切符自販機の前で、どのように切符を買うのか、教えている姿が想像できます。
計画表では名古屋駅からの列車に乗車となっています。金山駅で乗り換えれば済むことですが、名古屋駅が始発駅ですので、名古屋駅まで行き、始発駅から腰掛けて来るように行程を考えています。



青空フリーパスです。
土、日曜と祭日に使えるお得な切符です。
岡崎、恵那間は1,940円で、通常の乗車券で往復すると4,000円近い金額となりますが、この切符なら2,570円で済みますので、千円余りお得です。

私たちも高齢者のグループで街道を歩いています。
何だか、同志に会ったような気がしました。



下街道  JR瑞浪駅からJR土岐駅間の地図

秋山 豊さんの「街道を歩く」。
下街道、⑥の地図を使わせていただきました。
http://homepage2.nifty.com/yuta1348nrd/sitakaidou002/sitakaidou-pdf/006tokikoeda.pdf
瑞浪駅の北側にした街道が有ります。瑞浪駅で下車して、地下道を渡り、駅の北側に出ました。その後、した街道を西へ歩きました。和合橋が土岐市との境です。



土岐市観光ガイドの会まちゆい (土岐たび案内所内)制作。より引用させて貰いました。
ガイドの会となっていますので、ボランティアガイドの会かも知れません。
観光ガイドの会を検索しましたら、下のサイトが有りました。
http://www.city.toki.lg.jp/fs/11288/kannkougaidonokaipr.pdf和合橋から、下街道を歩いて土岐駅へ向かいました。地図の東端が和合橋となっています。和合橋が瑞浪市と土岐市の境だと思いましたが、実際は三本松を過ぎた辺りから土岐市になりました。
土岐市のボランティアガイドを検索したついでに、瑞浪市のボランティアガイドを検索してみましたら、瑞浪市は、専ら中山道の宿場を案内しているものでした。http://www.city.mizunami.lg.jp/docs/2014092902959/恵那市では大井宿をボランティアにガイドして貰いました。そして、ここ、土岐市でもボランティアガイドが居ます。
瑞浪市のガイドにも、下街道に眼を向けて欲しいところです。

瑞浪駅

列車が瑞浪駅に到着しました。
只今、9時41分です。



瑞浪駅前です。
ここから地下道を通り抜け、駅の裏側から歩き始めます。


これから歩きます

これが下街道です。
ここから歩き始め。
前回の続きのスタートです。




耳ノ木神社です。
耳の病にご霊験があるようです。




東仙寺へ来ました。
地蔵様と言うか、石仏と言うか。
ズラーと並んでいます。





左は秋葉神社の常夜灯です。
秋の字で、火と禾が逆になっています。
右の小さな祠は津島神社です。





戸狩荒神塚古墳まで来ました。
円墳です。
登ってみます。






円墳の丘陵部です。
眺望が良く、瑞浪の街を一望できます。










明世町山野内地内を歩きます。




下街道から外れますが、田中泥薬師に寄りました。




和合橋のたもとに祠や石仏が安置して有りました。
中央の石仏。
風雨で顔が判読し難くなって居ますが、役の行者だそうでした。




前方の川は土岐川です。
和合橋を渡ります。
前方を歩く男性たちです。




和合橋を渡ります。
後方を歩く女性たちです。

列が開きました。





下街道で、下街道の名所と言う解説プレート。
肥田川を渡った所のこの解説板が有りました。
これまで下街道を歩いて来て、このような解説板が設置されていたのかもしれませんが、初めて目にしました。




三本松です。
三本松と言いながら二本しか有りません。左の細いのを含めて三本松としているのでしょうか。1本、痛んだので、取り替えたのかも知れません。




三本松を見上げます。
ここの松。松は松でも、普通の松とは異なるように感じました。松葉が長くて細く見えました。




土岐川が広くなってきました。
歩いていて、対岸に見かけた大石。
石と岩の違いって何だろう。ゴツゴツしたのが岩。丸みを帯びたのが石と定義すると、石と呼んで良い気がします。後ろの家屋と比較すると大きさがわかります。
乗用車よりも大きな石です。




永松寺です。
この寺へ寄る予定でしたが、歩くのが遅れてきていますので、寄るのをやめました。




小高い場所に高山城址が有ります。
あの小山が城址です。



穴弘法へ

この先に穴弘法が有ります。
下街道から横に外れますが、穴弘法に向かい、高山城址へ行きます。





民家の庭先の花。
黄色い花が咲いています。





こちらはツツジです。





穴弘法に向かう道です。
緩やかな坂を登って行きます。





スミレの仲間でしょう。
低い崖の下で咲いていました。






穴弘法です。





大きく、クローズアップしました。




柔らかい岩の場所です。





岩をくりぬいて穴が掘られています。





断崖が削られています。





並ぶ石仏群です。




弾丸除弘法と有ります。
タマヨケコウボウと読むのでしょう。という事は、戦前から有り、戦地に向かう兵隊がお参りに来たと言うことでしょうか。




穴弘法の説明板です。
この穴弘法はモミジの名所でライトアップするようです。
何年か前の事です。土岐市の南部に曽木公園と言うもみじの名所があります。曽木公園に来たついでにここ、穴弘法に向かいましたが、この場所が判らなくて来る事が出来ませんでした。
今回、穴弘法の場所が判りましたので、来る事が出来ます。


高山城址へ

穴弘法から登って来ました。





高山城址が整備してあります。




高山城址からの眺望です。
遠くに土岐アウトレットが見えます。





城址から降りてきて、下には明治天皇観陶蹟の碑が立っています。
右側は石碑の横の場所で、明治十三年六月廿九日午後三時が読めます。
このような時刻まで刻まれていますが、しっかりと記録が残っているのでしょう。




高山宿の中を歩きます。




小休所跡です。
先ほどの観陶蹟が午後三時となっていて、ここは二時半と有ります。逆なら整合性が有りますが、京に向かっていて、この時間となっていますと整合性が有りません。




高山宿の解説板です。
土岐市にこのような宿場が有ったことを知りませんでした。




下街道を歩きます。




小高い丘。
先ほど寄った高山城址が見えます。






丸中中島窯業と言う工場です。
ベルトコンベアで流れていくコーヒーカップ。
プらケースの中には白いコーヒーカップが入っていました。この後、絵付けをするのでしよう。
この辺りには、このような窯業の工場が何軒も有りました。大型のプロパンガスタンクが見えたのです。タンクが3~5本ほど並んだ工場です。窯業の工場だと判りました。
土岐市に入り、何箇所も同じようなガスタンクを見かけました。
陶磁器の街に来た気がしました。





下街道を歩きます。



慈徳院に来ました。




先ほどの小休所。
明治天皇が深萱邸で休んだときにお茶を出したのですが、その水を汲んだ所が慈徳院です。




慈徳院の境内です。
陶製の灯篭が設置して有りました。
さすが、製陶所の多い場所だという感じがします。




高山宿。
高山区民会館です。宿場町にふさわしい姿で建てられています。




街道の宿の表示と道標です。
この道標には「右なごやみち」と刻まれて居ますが、片面だけでした。




高山大池石塔群です。
五輪塔も有ります。
各地に散らばっていたものを集めたのでしょう。



下街道を歩きます。





民家の軒下のミッフィーとキティちゃん。
ペットボトルのキャップで制作して有りました。




こちらは五智輪様です。
ここも分散していた石仏などを一箇所に集約しています。
解説した板が読め無くなっています。




藤が満開になっています。





土岐川の幅が広くなってきました。




土岐川に架かる中央橋を渡ります。





土岐市駅へ来ました。




土岐市駅です。
名古屋行きの快速列車が入ってきました。

感想
下街道を歩くシリーズです。槇が根追分で、中山道と別れ12月、2月、3月と会を重ね、今月で4回目となりました。下街道は国道19号線や中央線と並行しています。歩く回数を重ね、土岐川の姿が変わってきました。初めは小川のような川でした。徐々に徐々に大きな川になってきました。その変り方でも、長距離を歩いたと言う実感がします。

今回、高山宿を歩きました。下街道の中間点で賑わった当時を想像できました。城址のある高山宿です。高山宿を知りませんでしたので、歩いてみて、知る事が出来て勉強になりました。

明治十三年の6月に、下街道を明治天皇が行幸しました。ある会の講義の資料で明治維新の時の志士の年齢が表示して有りました。その中には明治天皇が17歳となっていました。維新から逆算すると30歳か31歳だったと思います。説明板に有りましたが、天皇は馬車で行幸し、道の悪い所は輿に乗ったと有ります。馬車と言いましても、今のような整備された道で無い時代です。馬車に揺られていて、尻が痛くなったのではと想像します。

春。真っ盛りの時期に歩きました。色々の花を愛でる事が出来ました。









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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  高須四兄弟と幕末

2016年04月22日 23時43分29秒 | ヒストリー各務野会

今日は第4金曜日でヒストリー各務野会が開かれました。学習テーマは「高須四兄弟と幕末」でした。講師は中西達治さんで、金城大学の名誉教授を勤めておられます。高須藩の有った海津市にお住まいで、宝暦治水会長を勤められています。
中世の文学で、平家物語や太平記が専門ですが、幕末の歴史にも造詣の深い方でした。


ご自分で作成された徳川の系図をてにして説明される中西先生。



上着を脱いで、熱心に講義をされます。



持参された資料を写真に撮らせて貰いました。
安積平野と有りますが、郡山周辺の原野で耕作地に適さない場所となっています。
先生が言われた斗南藩(トナミ)は青森県の下北半島。あの斧の形をした半島です。昨年秋に東北を旅行した時、ガイドが旧会津藩士が入植したのだが、荒地でコメを作れないような土地だった。生活が困窮し、会津へ戻りたいと願い出たのだと解説してくれました。
あの時聞いたことと、今日の講義とが結びつく事が面白いです。



資料となった徳川の系の一部分です。
父親は松平義建ですが、異母兄弟です。
この系図に奥方が載ってないが、色々の所から嫁つい来ており面白いと言われました。


高須藩は尾張徳川家の養子供給もとのようなものでした。弱小藩で財政的に、困窮していて、財政支援したのが尾張藩でした。
有名な高須四兄弟の写真があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E7%BE%A9%E5%BB%BA#/media/File:Takasu_quartet.jpg
ウィッキ・ぺディアから引用しました。徳川林政史研究所蔵です。
この四兄弟は高須へ訪れたことは、一度も無かったのだそうです。それにこの写真代、長兄が持つとかで無く、割カンにしたのだそうです。

1つ特筆しておきたい事が有ります。
尾張藩では名古屋城のお庭拝見と言うのが有って、豪商や豪農が呼ばれて行った。お土産を貰って帰るのですが、藩に寄付をさせられたのだそうです。出てきたた名前が伊藤次郎左衛門です。今の松坂屋です。

先生は、平成25年11月30日に海津市で開かれた徳川御三家付家老サミットで実行委員会の会長を勤められた方です。今日の話の中でも付家老の成瀬家の名が出たりしました。
面白い講義を聞く事が出来ました。

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自然を楽しむ山歩き  講座

2016年04月22日 20時23分46秒 | 各種講座

各務原市教育委員会の西ライフデザインセンターが主催する講座に参加しました。これまでに、山歩きはやってきましたが、里山の自然とその楽しみ方を教えて貰えますので、参加しました。
今日は、その第1回であり、学習室での講義となりました。


初回と言うことで開講式からから始まりました。
そして、講師とサポーターの紹介。
受講生の自己紹介。
組織作りへと進んでいきました。




講義をする廣江充俊先生です。
先生は中学校で理科を教えていた人です。

受講生は20名です。
定年退職を向かえたので、山歩きを始めたい。
まだ、仕事をしているが休んできた。
色々の動機が語られました。

次回。5月13日から現地学習が始まります。

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名探偵 コナン 純黒の悪夢

2016年04月21日 22時37分41秒 | 映画

コナンが新しく封切りする度に見に行って来ています。
今回は純黒の悪夢です。


名探偵コナンは子供よりも、大人向けのコミックです。

始まって、直ぐのシーン。
カーチェイスが有りましたが、凄かったです。

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歴史街道を歩く会   下街道シリーズPart③ JR釜戸駅からJR瑞浪駅まで     下(シタ)街道を歩く

2016年04月19日 23時37分23秒 | 歴史街道を歩く会

「歴史街道を歩く会」の3月例会が3月26日に開かれましたが、都合が悪く参加できませんでした。2月例会で歩いた続きです。このままですと、途中、途切れてしまうことから、みんなが歩いた道を個人的に辿ってみました。
春、本番の陽気で色々の花を愛でる事が出来ました。


秋山 豊さんの「街道を歩く」。
下街道、⑥⑦の地図を使わせていただきました。
http://homepage2.nifty.com/yuta1348nrd/sitakaidou002/sitakaidou-pdf/006tokikoeda.pdf
http://homepage2.nifty.com/yuta1348nrd/sitakaidou002/sitakaidou-pdf/007mizunami.pdf
右上の釜戸駅から左下の瑞浪駅に向かって、約8キロ余りを歩きました。



9時6分。釜戸駅に着きました。




釜戸駅の駅舎です。
タクシーが1台。
客待ちで停まっていました。
のどかな感じがします。



釜戸駅から南へ歩くと下街道に出ます。
これから下街道を歩きます。




歩き始め。
民家の庭に花が咲いていました。
今の時期に見かける花ですが、花の名が判りません。




道がカーブしています。
街道らしい姿をした道です。




ドラゴン21。
陶製モニュメントが有りました。
大きな規模です。




モニュメントの制作時期には町民が総力を結集した、と言う感じがします。
金額も大きいですが、みんながかかわった力も大きいです。




天猷寺(テンニュウジ)に寄りました。
立派なお寺です。




天猷寺の裏手。
旗本の馬場氏累代の墓が有りました。




天猷寺の土塀前に咲いていた花。
花の名が判りません。
梨か何か、でも、梨では有りません。
何でしょう。




天猷寺のハナノキ門です。




元の道。
下街道に戻り、歩きます。




土岐川。
向こうに普通列車が見えます。




明治天皇釜戸行在所の石柱。




民家で、ベニモクレンが咲いていました。




釜戸地名発祥の地です。




釜戸地名発祥の地、由来の説明板が設置して有りました。




秋葉大権現の常夜灯。
アマガエルが石の字の中でジットしています。




民家の庭のシャクナゲ。




中切辻道標です。
ガードレールが邪魔です。




街道らしい姿の道です。




10:09
上りのしなの4号。




芭蕉の句碑の下に咲いていたスミレ。
何スミレでしょうか。




岩の上の句碑。
「いざさらば  雪見にころぶ ところまで」と描いて有るのですが、達筆すぎて読めません。




名滝稲荷神社の境内。
芝居の舞台が有ります。
かつて、稲の取入れが終わって歌舞伎でも上演したのでしょうか、




名滝地区。
下街道を歩きます。




名滝の追分道標です。
「右多治見名古屋 左三河 岩村」と刻まれて居ますが、読み難くなっています。
三河 岩村と言う事は上矢作方面へ向かう街道なのでしょう。




中央線の下り列車です。




八重桜が満開になっていました。




沢山の花が咲いていますが、花の名が判りません。




土岐宿の常夜灯。
濃尾地震で、でもに遇ったのか欠けています。




大黒天像です。




昼食を取るのに鶴ヶ城址の方へ行きました。
スミレでしょうか。
坂道に咲いていました。




下街道に戻り、歩きます。
コレは馬頭観音です。
石が欠けています。




民家の庭に咲いていたボタンです。




瑞浪市のコミニティバスです。
釜戸-大湫の表示が有ります。




清水の弘法堂です。




街道風情にピッタリの松が見えます。




明治天皇小休所跡の石柱です。




正源寺です。





一日市場八幡神社へ寄りました。
明智光秀の石像が有ります。




中央線の踏切を渡ります。
瑞浪駅が見えます。




正面から見た瑞浪駅です。





瑞浪駅です。
瑞浪駅始発の名古屋行き快速が停まっていました。



下街道の指示標識が所々に設置して有りました。
その数ですが、釜戸駅をスタートして、瑞浪駅に近付くにつれて、設けてある箇所が多くなったように感じました。下街道サミットと書かれています。恵那市より瑞浪市の方が数が多いように感じました。
下街道への取り組みで、自治体によって温度差があるように感じました。


感想
釜戸駅から瑞浪駅まで歩きました。みんなは3月26日に歩きました。みんなは歩いているのに、自分は歩いていない。その事だけは避けたいと思い、単独で歩きました。
街道を歩いていて、色々の花に会えました。名の判らない花も多々有りました。このように花を愛でる事が出来るのも街道歩きの面白さの1つです。

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日タク観光バスへ行って来ました。

2016年04月18日 23時25分11秒 | 日記

岐阜県庁の帰り、日タク観光バスへ行って来ました。
日タク観光バスは各務原歩こう会が山行の際に使っていたバス会社です。
バスの山行は登山口で降ろして貰え、下山口で拾って貰えました。
ですから、バラエティなコースを取る事が出来て、ありがたかったです。
でも、もうバスを依頼することは無くなりました。
コレまでの事で礼を述べたかつたのです。


日タク観光バスの社屋です。



日タク観光バスには黄色いバスが多いです。
バスは青天で駐車しています。
バスを整備しているのでしょう。
エンジンルームを開けているのが見えます。

日タクはその名の通り、日本タクシーなのですが、タクシー部門と観光バス部門。
観光バス部門は別会社なのだろうと思いますが、タクシーとバス事業。ウエイトはどんなものだろうと思います。


日タクバスで さんに、コレまで世話になった礼を述べてきました。
業務的には依頼主と事業者の関係です。電話で話しをすれば済むことですが、対面して礼を伝えたかつたのです。
実は、歩こう会の会員で、歩こう会の総会の前にメールで退会を表明した人がいました。遂に歩こう会は解散に至りました。でも、彼は沈む船から逃げ出すように退会して行ったのです。他に色々と役職を受け、多忙の様子でしたが、身を引くことに置いて、処し方が有ると言うものです。
そのような事が有り、岐阜へ行った継いででは有りましたが、出向いて謝意を表してきました。

それに、もう1つ有ります。2月、渥美半島の大山と雨乞山へ行って来た時の料金が高いと、会計係りが  さんに電話で文句を言った事です。あの時は田原を出るのが17時を過ぎていて、各務原に帰ってきたのが、20時頃となっていました。当初の時間よりも大幅にオーバーしてしまったことです。あの時、時間が越えたので、超過料金が発生するかと言いましたら  さんは必要ないと言ってくれました。このような状況であったのにも係わらず、料金が高いと言うなんて・・・・と言う気持ちです。
このことについても、併せて謝って来ました。

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岐阜県庁 職員食堂へ

2016年04月18日 23時20分12秒 | グルメ

カミさんを送っていった後、帰りに岐阜県庁の職員食堂に行って来ました。
時間は11時20分頃でした。
開場が11時30分と言う事で、少し待ちました。


岐阜県庁です。
職員食堂は1階に有ります。
これから、向かいます。




食事は食券を買ってからとなります。
メニューは少数です。
日替わり定食。カレー。麺類、それに丼定食となっています。
夜食も有ります。
残業をする人がいるからでしょう。
予算編成期などとなると、沢山の人が残業するのでしょうか。




食事を受け取るカウンターです。
それに、サラダバー的なものも有ります。




11時30分過ぎですので、人が誰も来ていません。
トップで入ってきた男性。
今日も一番だったと喋ったのが聞こえました。
毎日、一番で来ているのだろうか。
昼休みは12時からでしょう。
11時50分や55分に来るのは、目をつぶるとしても、毎日11時30分に来るとは・・・・・。
毎日の早飯。職場の上司はどのように見ているのだろう。




日替わり定食。
今日は和風ハンバーグでした。
ご飯が黒いのは海苔ご飯だからです。コレで450円です。
ハンバーグは業務用のものでしょう。でも、和風に仕上げて、マアマアの味でした。




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カミさんを「梅の花」へ送って行きました

2016年04月18日 22時16分09秒 | 日記

カミさんの高校時代の時のクラス会が有りました。
会場まで送って行きました。
会場は「梅の花 岐阜店」でした。


梅の花に着きました。




梅の花の入口です。



店内に入っていく、カミさんです。
http://umenohana-restaurant.co.jp/shop-list/umenohana/%E6%A2%85%E3%81%AE%E8%8A%B1-%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%BA%97/


最後に
カミさんは女子高校でした。
全部で25名が出席したと話していました。それに先生も出られたのだそうです。
みんな、オバアーチャンになりました。
何十年ぶりの再会。顔が判っても、名前と一致しません。

50年前にタイムスリップ。
話が盛り上がったことでしょう。


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