Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

祈りの幕が下りる時

2018年01月31日 23時35分13秒 | 映画

祈りの幕が下りる時を見てきました。


主人公。加賀恭一郎の母の孤独死。それが追っている事件に結びつく・・・・・。
映画がスタートして、ストーリーの中へ引きこまれていく。そんな感じがする映画でした。
舞台は日本橋界隈。人形町や甘酒横丁。それに明治座。遠く仙台と滋賀県。滋賀県は隣の県です。長浜の大通寺の参道の通。彦根。近江八幡。琵琶湖湖畔。何れも見覚えの有る場所でした。
綺麗な場面が出て着ていました。
父と娘の逃避行。そのシーンが美しかったのです。逃げていくような姿。ず~と前に見た「砂の器」で巡礼姿になって、故郷を後にした場面に似ていると思いました。
カミさんもそう思ったと言っていました。

蕎麦屋や人形焼の店。日本橋界隈へ行って見たくなりました。

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東海ラジオ 『昼のワイド スタジオ見学!』

2018年01月29日 20時52分31秒 | 見学

東海ラジオを聞いていて、スタジオの見学を募集していました。応募しましたら当選の案内が届きました。応募数が多く抽選になることを予想しましたが、1回の応募で当選となったのです。
東海ラジオに行って来ました。

放送局へ

東海テレビと東海ラジオの社屋です。
こちらが正面玄関。
集合時間が11時となっていました。
これから、中へ入ります。





正面玄関で迎えてくれたのが、【スペードの3】。
栗林サンとなかしサンのお二人でした。
今日はこのお二人に着いて放送局内を廻ります。

番組のラインナップ

11時集合で14時30分に解散の予定です。
昨年、秋の番組改編で新しいラインナップとなりました。
タクマ・神野のどーゆーふー。
ひるカフェ。はーさん!ねねの!すんどめ!。
3つの番組の放送状況をナマで見学しました。


ミーティグルームへ
私たちが通されたのが10階のBスタジオの隣。ミーティングルームです。
今日の参加者のうち、2組に分けてスタジオの見学となりました。
【スペードの3】にBスタジオへ案内されました。
時間的に丁度、11時を過ぎた時間で、タクマ・神野のどーゆーふー。「クイズ 他人の二人」のタイミングでした。
クイズは第一段階を通過してきた二人の何れかが電話で回答するものです。
第一段階は大相撲で昨日優勝した「栃の心は何処の出身でしようか」と言うモノでした。

そして、第二段階は選ばれた二人のウチのお1人が回答するモノです。「栃の心の出身がジョージアであるが、ジョージアが発祥の或る飲み物は何でしょう」と言うモノでした。
正解はワインでした。ジョージアがワインの発祥の地でした。
となると。ギリシャ時代か。紀元前か。古くからワインが飲まれていた事でしょう。そんな記録が残っているのでしょうね。

この状況をスタジオの中に入らせて貰って見学しましたのです。
ガラス窓の向こう側でタクマさんと神野さんのやり取りがテンポ良く進んで行きました。

スタジオブース。ガラス窓の向こう側、二人が喋っている時はドアの上の「放送中」が赤いランプが点きます。
こちら側はサブで、一番右に男性ディレクターで番組の進行を図ります。
そして中央にはミキサーの女性。左側にはAD(アシスタントディレクター)が諸事を取り扱っていました。他人の二人に出演する人との事前の電話のやり取り。そんな事もADの務めなのでしょう。
喋っているのはお二人。このお二人が表に出てくるのですが、ディレクターやミキサー。いわゆる裏方の人たちです。こう言う人たちと力を合わせて番組が成り立っていると感じました。
表の人。陰の人。チームワークで成り立っている。そんな印象を受けました。

「タクマ・神野のどーゆーふー」のタクマさんと神野さん

タクマ・神野のどーゆーふー」の途中です。
ニュースが読まれている時間帯にスタジオから出てきて、ゲストとの記念写真に納まるお二人です。
貴重な時間を割いての記念写真でした。
この後、スタジオに戻られました。


ひるカフェの源石アナウンサー

こちらはひるカフェの源石アナウンサーです。
放送の途中ですが、貴重な時間。
スタジオから出てきて見学者との記念写真に応じてくれました。


タクマ・神野のどーゆーふーひるカフェは同じ、Bスタジオです。
サッと言うタイミングでチェンジしたのが、スタッフルームから見えました。

そして、またひるカフェを放送しているは同じ、Bスタジオに案内されました。
今日のひるカフェのテーマは温活でした。
ツイッターを見ながら温活について源石アナウンサーが喋って行きます。
ずーと喋っています。喋り続けているその状況。落語なんかは師匠が話すのを聞いて、自分のモノにして高座でで喋ります。でも、源石アナウンサーは台本も無くただ、喋り続けていました。
その姿が凄いと思いました。
この放送の時は女性のディレクターに代わっていました。
それに、ミキサーも。
1つの番組を仕上げるチームと言った感じがしました。



「はーさん!ねねの!すんどめ!」のお二人

こちらは、はーさん!ねねの!すんどめ!です。
パーソナリティの河原龍夫さんとねねさんです。
13時から放送が始まるのですが、その前に見学者との記念写真に納まってくれました。


社内見学
【スペードの3】の案内で社内見学をしました。スタジオの直ぐ隣がレコード室です。この部屋にCDやレコードが保管してあり、12万曲揃っているのだそうです。端末で曲を探し、出て来た記号番号でCDを棚から取り出すのだそうでした。
この階には制作部。報道部。編成部が並んでいました。事務室に入ると、ここで、気軽に話しかけてくれたのが安蒜部長です。机の配置で、アナウンサーの席などを教えてくれました。
そして11階に移り、営業部。事業部が並んでいると案内して貰えました。
続いてきくち教児の楽気!DAYを公開放送する部屋にも連れて行って貰いました。
それに、上の階にもスタジオが並んでいました。そしてミキサー室です。4室有りました。室内にテープレコーダーがあり、番組を編集できるようになっていました。大学の先生と学生さんは関心の有る場所でして、盛んに質問していました。
関係者以外は立ち入り出来ないような放送局の心臓部のマシーン室。放送にかかる機器のが並ぶ部屋をガラス越しに見学しました。


見学者の出演コーナー
見学者がはーさん!ねねの!すんどめ!に出演するコーナーがありました。
Aスタジオで放送していました。
番組の中で「あなたの愚痴、査定します!」のコーナーで、愚痴を取上げ、その内容を査定するモノです。
今日の見学者の中でお寺の住職の方が出演しました。
その「愚痴」・・・・とは。住職には5歳になるお嬢チャンが有りますが、お宅は中学校から離れていて自転車通学だそうな。
娘さんに雨の時には迎えにイッても良いかと尋ねたそうです。答えは、来ても好いよと言う良い返事では有りませんでした。
でも、帽子を被ってならシブシブ応じてくれるそうなのです。
まだ中学生になっていない段階です。やがては反抗期を迎えるのでしょうが、もう、そんな気配を示していると言うのです。
こんな「愚痴」を査定して、お値段が付けられました。
結果的には1000円の商品券進呈でした。
「愚痴」の度合いが大きければ大きいほど査定の度合が上がりますが、父と娘のホノボノさの出た愚痴でして、このような査定となりました。
このような番組の進行状況を隣のスタッフルームのガラス越しに、見学者一同が見守っていたのです。
時間的には今日の見学の終盤の時期でした。
見守る見学者たち。この頃には見学者同士の連帯感のようなモノが生まれていました。(少しオーバー)(笑)



とっても可愛らしいご朱印帳です。
表の表紙と裏の表紙で、揃えると。このようになりました。
パソナリティーや番組のスタッフでどうぞ!と、ご住職が持参されたものでした。




番組の途中でスタジオから抜け出してきてくれた源石アナ。
本日の見学者との談笑が続きます。



見学が面白い。
スタジオ見学。そして、社内見学でした。
最後に抽選箱からクジをひいて東海ラジオのグッズが当たると言うモノでした。カミさんはトートバッグ。私はラジコのメモ用紙が当たりました。
どのようにして番組が作られ、電波に乗せて飛ばすか。ナマのスタジオ見学でして、新鮮に伝わってきました。
パーソナリティとの記念撮影。面白いし、勉強になりました。好い機会が持てました。良いスタジオ見学でした。

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井上忠明の世界

2018年01月27日 23時19分30秒 | 絵画展・写真展等、各種展覧会

各務原市中央図書館の3階。展示室A・Bで「井上忠明の世界」が開かれています。歴史街道を歩く会の総会の帰りに寄ってみました。


「井上忠明の世界」のチラシです。
井上忠明は既に亡くなっていますが、彼の履歴が紹介して有ります。



展示会場の入口です。




外から展示室内を覗いました。

井上忠明の作品は抽象的ナものが多かったです。
ペン画シリーズ 魚が気に入りました。
細いペンの線でオコゼを表現したものでした。


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歴史街道を歩く会 1月  総会

2018年01月27日 22時57分04秒 | 歴史街道を歩く会

今日は歴史街道を歩く会の1月例会の日でして、総会が開かれました。29年の事業報告がありました。そして30年はどのような活動をするか、審議されました。


会議の様子です。
事業報告、そして事業計画が議題でした。




議題を審議して、その後にこれまでの活動で18年に歩いたコースを振返りました。




18年。19年に鵜沼宿から妻籠宿まで歩きました。
その時も模様。
10年前を思い出しました。

この後に全員で会食しました。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  各務原市の歴史  地質時代・旧石器~古墳時代   (後編) 

2018年01月26日 23時13分19秒 | ヒストリー各務野会

今日のヒストリー各務原の講義ですが、今回も講師が文化財課長の西村さんです。地質時代・旧石器~古墳時代となっていましてその後半部分のお話です。


講義が始まる前の時間です。
今日の講義のタイトルが地質時代・旧石器~古墳時代で、前回の後編で有ります。




講義の内容。
5つに大きく分けて有ります。




各務原のあけぼのとして、旧石器の紹介が有りました。
各務原市と岐阜市の境辺りから出土して居ます。

そして、集落の成立です。



古墳の築造と発展。
資料に有りますように、岐阜市の琴塚古墳と坊の塚古墳は規模的に同規模です。西と東で勢力が対峙したのでしょうという説です。




古墳の系譜図です。
縦軸が3世紀から6世紀へと時代の変遷を表しています。
横軸は前方後円墳。円墳、方墳を表しています。
4世紀5世紀は大きな前方後円墳が築造されましたが、やがて小規模な円墳に移り変わっていきました。



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高山本線普通列車の旅   飛騨高山へ向かう筈が・・・・・・・

2018年01月24日 23時41分45秒 | お出かけ

高山市で1月24日に二十四日市が開かれます。この市は旧暦の時代の年の暮れ、近郷近在の農家が農閑期に作ったミノや笠を持ち寄って市を開くと言うモノだそうです。今では冬の高山の風物詩的な存在です。冬の時期です。丁度、冬の酒蔵めぐりが始まった時期でも有ります。それで、高山線の列車で高山に向かいました。
別に急ぐ旅では有りませんので、普通列車で行こうと考えていました。それに、帰りは東海北陸自動車道を走る特急バスで帰ってこようと考えていました。



(7:02)
JR那加駅です。
7時3分発の高山行き普通列車が入ってきました。




(7:18)
列車の最後部からの眺めです。

JR鵜沼駅を発車しました。
反対側のホームには岐阜行きの普通列車がホームから離れて行きます。

普通列車ですから各駅に停車します。
鵜沼駅で多くの人が下車し、また多くの人が乗ってきました。
JR美濃太田駅に来ると、沢山の人が下車していきました。
そして、車内はガランとなりました。
降りて行った人は、何れも通勤の人でした。



(7:57)
列車は飛水峡信号所を通過しました。
高山線は単線です。それで、すれ違うため駅で交換しますが、駅と駅の間が長い区間については信号所が設置して有ります。
こんな事は、鉄道好きでないと知りません。




(8:08)
白川口駅を出ました。
雪がパラ突き出しました。
右は国道41号線です。





(8:09)
飛騨川橋梁を渡りました。




(8:10)
鷲原信号所を過ぎたところです。




飛騨金山駅が近付きました。
飛騨金山までの料金表示に変わりました。


この高山行き、普通列車。美濃太田駅に着いた時プラットホームのアナウンスで,本日高山に向かう列車の最終となります
とアナウンスしていました。
飛騨地方に大雪警報が発令されていました。それで、この列車は高山まで行くのですが、この列車以降のは下呂止まりとなってしまいます。既に特急列車は全て運休になっていました。
もともと、帰路は高速道路の特急バスをと考えていましたが、飛騨金山で引き返す判断をしました。



(8:22)
飛騨金山駅に着きました。
この駅で降りました。
プラットホームが白くなっています。




高山行きのワンマンカー。




何人かの人が下車しました。
美濃太田駅以北は列車の本数が少なくなっています。
私たちが降りて、列車が出発して行きましたが、車内はガラガラでした。乗る人が少なく列車の本数を増やせないのでしょう。




飛騨金山駅です。
飛騨金山は金山町で下呂市の一部なのですが、南飛騨で飛騨と美濃の国境となります。





飛騨金山駅の時刻表です。
早朝、2本の岐阜行きが有りますが、あとは美濃太田止まりです。

美濃太田へ戻るのですが、駅舎の中で上り列車が来るのを待たせて貰いました。
私たちと同じように二十四日市に向かうご夫婦が居ました。
このご夫婦は名古屋から来たのでした。


帰路

(8:41)
2番線のホームに来ました。
ホームから飛騨金山駅の駅舎を眺めました。





ホームが雪で白くなっています。




(8:43)
8時44分発の列車が近付いてきました。




美濃太田行きの車内。
スーツケースを携えた外国人が多いです。
大きいのは足元に。
網棚に上げれるものは網棚に。
何故、外国人がこんなに多いのだろうと思ったのです。
理由は特急「ひだ」の運行が中止となったからです。
この列車。猪谷駅が始発で高山駅を7時14分に出てきました。
特急が全て運休となっていて、次の高山発の普通列車は10時24分でした。この列車が高山を脱出する最後の列車になりました。
恐らく、高山を脱出する人で混雑したことでしょう。




(9:05)
白川口駅です。
下呂行きの列車とすれ違いました。




飛水峡を見下ろします。
左の白い線。
国道41号線です。




(9:39)
美濃太田駅に着きました。
車体についた雪。
雪国から来た列車と言う感じがします。
この駅で岐阜行きに乗換えます。




美濃太田駅は橋上駅です。
ホームから上に上がってきました。
岐阜行きは9時54分を表しています。





(9:51)
多治見からの列車が入線してきました。
2両編成です。
高山から乗って来た乗客もおり、沢山の人です。
でも、座席に座る事が出来ました。
クロスシートの座席で、私たちの前には欧米人のご夫婦です。
美濃太田駅を出てから、車内検札が有りました。
私たちは那加駅から乗車した時の整理券を示しました。
外国人は外国人用のレールパスを見せました。
本当は、どんなレールパスなのか見せてもらいたがったのですが、話し掛けるのをためらいました。



鵜沼を過ぎた辺りです。
ここら辺りは青空が見えます。





(10:17)
蘇原駅で停車しています。
この、運転士の列車時刻を表したもの。何と言う名なのだろう。多治見駅から来て岐阜駅に向かいます。
時刻が秒の表示となっています。
それに区間の最高速度が表示されています。
蘇原駅では10時14分に到着して18分45秒に発車となっています。4分余りの時間。特急とすれ違うのかも知れません。
赤い2の数字は2両編成を示しています。
75は、この列車。キハ75と言う車両ですので車両の種類を現しているのかも知れません。
617Cと718Cは列車番号です。同じ列車でも太多線を走る時と高山線を走る時では列車番号が異なります。

やがて、前方の信号が青に変わり、発車しました。



間も無く、那加駅に着きます。
料金表示が那加駅までの表示となりました。
飛騨金山からは1,140円を表示しています。




(10:23)
那加駅に着きました。
車掌が乗務していましたが、ワンマン運転です。
それで、先頭車両の後ろ扉しか開きません。


結果的には
下車する時、那加駅で乗車した時に取った整理券を渡しました。
乗車料金は払わなくて良かったです。
結果的には高山へ向かい、目的地に着けず戻って来ましたので、今回の乗車は無かった事の扱いなのでしよう。飛騨金山駅で一緒になった名古屋のご夫婦。こちらは乗車券を持っていました。払い戻しとか言っていたのが聞こえました。
終わってみたら、那加駅から飛騨金山駅間の往復の「旅」でした。

強引に高山に向かい、高速道路の特急バスで戻ってくる方法も有りました。
バスに乗るとすると、高山発が14時10分か16時10分のバスになります。午後にラジオを聞いていたら東海北陸自動車道の郡上八幡ICから美並ICの間が事故のため通行止めになったと報じていました。14時過ぎの事でした。
この通行止め。夜まで続きました。
帰ってこれなかったか、帰って来ても遅くなったことと想像します。
二十四日市に行けなかったのは残念でしたが仕方ないことでした。
最後に
高山までは、行けなかったけど、一緒してくれたカミさんに感謝です。

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一宮友歩会の運営委員会

2018年01月19日 23時04分44秒 | 一宮友歩会関連

一宮友歩会の定例会は偶数月に開催されます。そして、運営委員会が奇数月に開催されます。今夜、その運営委員会が有りました。内容的には下下見の打ち合わせ。下見の打ち合わせなどです。2月例会は3日となっていて東海道線の共和駅から歩きます。コースリーダーは決まっていますが、アンカーは未定でしたので担当を決めました。
遊歩会は暦年で進めていまして、会計報告もありました。

会場はめぞん・ド・グリエと言う店で、一宮市森本5丁目31-7に有ります。


めぞん・ド・グリエの外観です。




店内です。



コーヒーを飲みながらの会議です。


縁有って、一宮友歩会に加入しました。
このような、一宮友歩会と言うウオーキングの会があることを知りませんでした。タマタマ、旅行で会長の寺さんと一緒になりました。その時、一宮友歩会について教えてもらい、参加するようになりました。

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第8回 グループ「彩」絵画展 今日は撤収の日でした

2018年01月14日 22時29分56秒 | 彩美会

1月7日からグループ「彩」の絵画展が始まりました。そして、1週間が経ち、今日が撤収の日でした。


撤収の時間は15時30分となっていました。
撤収に取りかかる前です。
今回の展示会の中心となった方のご挨拶です。
期間中、9日と10日が休館日でした。
入場者をチェックしていましたが、その数が446人だったそうです。開いていた日が6日ですので、1日当たり70人余りの人が訪れた事になります。



挨拶が済んで取り外しにかかりました。



額をはずしています。

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岳友タンネの会 1月例会および総会

2018年01月12日 23時28分03秒 | アウトドア

岳友タンネの会の1月例会と総会が開かれました。
例会としては11月から1月に行った山行の報告です。


山行報告です。



昨年、12月10日に実施した京都トレイルの報告です。




京都トレイルで歩いたマップです。



この後、総会に移りました。
・活動報告。2017年、1年間の山行実績報告です。登った山の名と期日が列挙して有り、参加者数も表示して有りました。活動報告としては、山行報告以外の活動の紹介もありました。
・そして会計報告と会計監査報告がありました。
「会」の例会は奇数月に開かれています。それで、希望する山を取り入れて計画がされます。それに、今日。会計報告がありました。「会」を進めていく上に置いて、事業報告とか会計報告の積み重ねが会としての節目であります。事業を進めて行くのに締めくくりを行って次に進む。それが大事な事ではなかろうか。
以前、入っていた某会は、このような総会が持たれませんでした。残念な事です。

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各務原市の歴史  地質時代・旧石器~古墳時代   (前編) 

2018年01月12日 23時02分16秒 | ヒストリー各務野会

今回のヒストリー各務原の講義は講師が文化財課長の西村さんです。地質時代・旧石器~古墳時代となっていますがその前半部分のお話です。
「各務原台地シンポジュウム」が開催され、その時の資料集をもとにしての講義でした。



講義の開始前です。




パワーポイントを使い、スクリーンに映して話が進みます。



配布された資料です。
分布図からみた各務原台地の歴史。
旧石器時代。この頃は洪水を受けない台地の縁辺部や木曽側から離れた場所に住んでいました。縄文時代になると木曽側の流路が落ち着いてきて、川に近い場所に住み始めました。
古墳時代には山の縁に古墳を造成しています。
人々の居住した場所の変遷が判ります。




薄い水色が各務原台地です。




明治期の地図に各務原台地を色付けたものです。
まだ、境川放水路が出来ていない時期です。



今回の講義で資料として使われたのが平成28年11月20日(日)に「各務原台地シンポジュウム」が開かれました時のものです。この冊子を基にしてパワーポイントが構成してありました。それに配布印刷物がこの中の記事でした。

各務原台地が形成し、古墳などが出来て行く過程が判りました。

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