Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

除夜の鐘

2016年12月31日 23時58分35秒 | 除夜の鐘・初詣

毎年、お寺へ除夜の鐘を突きに行っています。
除夜の鐘を突きに行かないと、1年が終わらないと言う気がします。
何時も行く寺は各務原市那加長塚街の大願寺です。


鐘がライトで照らされています。




順番に鐘を突いていきます。
私の前は親子で、子供が突くところでした。


毎年の定例行事。
これがないと、終わらないと言う気がします。

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岐阜市中央卸売市場へ行って来ました

2016年12月29日 21時35分41秒 | お買い物

今年も岐阜市の岐阜市中央卸売市場に行って来ました。
最初に行ったのが、川の西側の水産物卸市場です。
仲卸店舗で一般開放となっています。
水産物の卸売市場

最初に来たのが水産市場です。
廃棄された発泡スチロールの箱が山のように積まれています。




市場内に入りました。
頭上に大漁旗が掲げて有ります。




更に奥の中へ進んでいきます。


浅井商店

浅井商店と言う店です。
こちらは数の子や佃煮、それに練り製品が並んでいます。




200円と130円のイワシが並んでいます。
選んだのは200円の方です。
130円は8匹ですが小さいです。200円は5匹で大きいので200円の方にしました。



こちらは伊達巻です。
小さい方の160円の方にしました。
安いですが、味はどうでしょうか。



水産物が並んでいる所です。
沢山の人が来ています。


村瀬商店

寄った店。
村瀬商店と言う所です。




この店でカニを買います。




ズワイガニのパックです。
2,800円でした。内税です。
帰り、イオンに寄りました時、同じようなカニを見かけましたら2,980円となっていました。それに消費税が加わります。この値段を見て、少しトクしたなと思いました。




このベストを着た男性が言っていました。
明日は、もっと込むだろうと。
それに品が無くなって来ると話していました。




同じ、村瀬商店で買ったのが、ブリの切り身です。
10切れで1,000円です。
これも市価より少し安いです。

対面販売。
言葉を交わして買えるのが好いです。




こんな珍しい魚を見かけました。
「ヤガラ」です。
ヤガラの名は知っていても、どのような味なのか知りません。


中央市場の中

マグロを見かけました。
ここでセリをやっているのでしょうか。
普段入れない中央市場です。
このように、マグロが横たわって居る状態は滅多に見られない光景です。




何れのマグロにも28の紙が着いています。
昨日の日付でしようか。
3400や2600はドンナ意味でしょう。




発泡スチロールの箱に切り落とした尾の部分が入っています。




1匹。
アップで。




ブリですが、2,000円と3,000円の値がついています。
顔しか出していない魚。
タラなのでしょう。1,000円となっています。
それに左側。タラ1,000円となっています。
買うつもりが無かったので、じっくりと覗き込みませんでした。
鍋にしたりするのなら、1,000円のタラは安いです。


関連店舗

川の東。
関連店舗に来ました。
多くの人で混雑しています。
今日と明日が、1年で一番混雑する日です。




毎年、ここへ着ています。
花屋さんです。




3段階の注連縄が並んでいます。
一番小さいサイズにしました。





こちらは神棚の注連飾りです。
中サイズを選びました。




ウラジロを選らんでいます。
5枚で200円。
これは安く有りません。
他店ではもっと安かったです。



勘定してもらっています。




最後に寄った菓子店です。




煎餅や甘納豆を買いました。





100円のつかみ取りをやってみました。
右のダンボールの中がつかみ取った結果です。ピンボケでした。





市場と言っても、すべてが安いわけでは有りません。
安いものがあれば高いものも有ります。
それでも、ブリやカニ。

好いものが手に入りました。

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Kオジサンの家庭菜園日記  ハクサイとダイコンの収穫

2016年12月25日 23時28分19秒 | 家庭菜園日記

家庭菜園の野菜が成長して来ましたので収穫しました。


左はハクサイ。右はダイコン。
どちらも畑に植わっている状態です。




収穫した状態です。
大きなダイコンとなりました。




こちらはホウレンソウです。
左が植わっている状態で右が収穫した状態です。




サラダ水菜です。
左が植わっている状態で右が収穫した状態です。




サンチュ。
1株だけ収穫しました。

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海賊と呼ばれた男

2016年12月19日 23時11分16秒 | 映画

海賊と呼ばれた男を見てきました。
いきなり、最初から迫力が有る場面から始まりました。出て来たのはB29です。機体の弾倉が開き、爆弾が落ちだしました。咄嗟に思ったのは焼夷弾ダと思ったのです。私は戦後生まれで空襲を知りませんが、これは焼夷弾だと思ったのです。シーンが進み、やはり焼夷弾でした。焼夷弾は親子爆弾のタイプになっていて、親爆弾から子爆弾が出てきます。そして火が着けながら落下して行き、大火災となりました。

話が前後してストーリーが進んで行きました。
漁船へ油の販売。自由競争で門司側から下関側へ低価で売りに行きました。
それでトラブル発生・・・・・。
関門海峡を挟む下関と門司。
両方の街に行った事が有ります。
関門海峡大橋など、無い時代ですが、アノ街が舞台だったと言う思いで見てきました。

兎に角、CGが凄い。そう思いました。


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自然体験塾講座  「門松」を作ってお正月

2016年12月18日 23時51分08秒 | 各種講座

各務原市の各務野自然遺産の森各務野自然体験塾が有ります。日曜日を中心に色々の講座が企画されて居まして、18日は親子で門松を制作するものでした。
この講座は親子が対象となっており、断られたら帰るつもりで自然遺産の森に向かいましたが、受付で聞きましたら受け入れて戴けるとの返事でして、夫婦で飛び入り参加させて貰いました。



講座カレンダーです。



自然遺産の森の各務野自然体験塾へ来ました。
こちらが講座の受付です。
ダメでしたら帰るつもりで聞きましたら、受け付けて貰えました。



ササ、松の葉、ナンテン、それに梅の枝が揃っています。
これだけの材料を整えるのは大変だったろうと思います。




こちらは門松として立てる竹と土台となる大きな竹です。
これだけ太い竹を準備するのも大変だっただろうと想像します。




左がはさみ。右がノコギリです。
材料だけでなく、道具も揃えて貰えています。




こちらは完成品のサンプルです。



時刻は9時51分です。
始まるのは10時からでして、受講する親子が集まって来ています。




10時を過ぎまして開始となりました。
スタップの紹介。
そして、諸注意が有りました。特に、刃物を使うので充分に注意するようにとの事でした。




完成見本を掲げての説明です。




それぞれの場所に戻って門松作りのスタートです。




まず、竹を斜めに切ります。
親子が力を合わせて取り組んでいます。




始める前、竹の切り口を斜めに切るのが関東風。
切り口を横に切ったは関西風だと言う説明が有りました。
こちらの親子は切り口を横にする切り方です。




切った竹をヒモで結びます。

3本の竹で中位の丈の竹を外側にして結ぶと説明がありました。
それに、紐を巻くのですが、3箇所を紐で結びます。上から順に7巻き。5巻き。3巻きと、巻く数に決まりが有ります。
説明を聞いて、日本人は奇数が好きだと思いました。




各親子のグループ。
完成が近付いてきました。




こちらはケーブルテレビの局です。
取材に来ていました。




カミさんがササやナンテンを取りに行きました。




門松の竹の周りにナンテンやササを入れていきます。
生け花的なセンスが必要なのではないかと思いました。




完成しました。
でも、これを玄関に置く場合、左右が逆です。
中サイズの竹が外側になるように置かなければなりません。




門松作りが終りを迎えました。
最後は参加者全員で記念写真に収まろうと言う事で、整列です。
みなさん、思い思いに完成した作品を持って並びました。



こちらは制作に携わってくださったスタッフの皆さんです。
そして、左にケーブルテレビのカメラがいます。




自然遺産の森の中に有る庄屋だった建物です。
帰る際、振り返りました。


感想
受け付けて貰えず、帰ることを覚悟して出かけましたら、幸いにも受け入れて貰えました。良く切れるノコギリで竹を斜めに切りました。切り口がササクレだって切れ、思うようには切れませんでした。このような事が上手下手の境目だと思いました。
親子で制作に取り組む姿を横から見ていて、微笑ましい情景を目にする事が出来ました。

参加させて頂き、有難うございました。

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歴史街道を歩く会 12月例会  長久手古戦場跡をウオーキング

2016年12月17日 23時04分20秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の12月例会です。会の年間計画で、何処へ行くかと言う事になりました。かつて一宮友歩会で長久手市を歩いた事が有りましたので、そのコースを提案しました。その時は地下鉄藤が丘駅から長久手市内を歩き、長久手古戦場公園を通った後に日進市の岩崎城址公園に寄りました。そして地下鉄赤池駅にゴールしました。これだけのコースはロング過ぎますので、今回は長久手古戦場駅までとしました。

長久手市は久手の文字を使っていますが、元々は長湫と言う字でした。この湫の字には沼とか湿地と言う意味があります。ですから長い沼が有ったのでしょう。
平成の大合併であちこちに新しく市が誕生しましたが、長久手市は人口増加で誕生した市です。市を人の衣服に例えると平成の大合併で誕生した市は服がダブダブですが、長久手市は人口が増えて誕生した市ですから体に合った服を着ている市だと思います。歩いていて保育園や児童館、それに消防署を目にしました。市役所は町役場の時の建物です。市役所を新しくするより、他の施設を優先している。そのように見えました。
長久手が若い人が多く住んでいる街だと言われています。実際、歩いていて何組もの若い親子を目にしました。イオンモールが新しく開店しました。そしてイケヤが、やがてオープンします。若い人が住む街であり、ますます人が集まる市になって行く事でしょう。




今日、歩いたコース地図です。

地下鉄藤が丘駅 → 木下勘解由塚 → 堀久太郎秀政本陣跡 → 岩作城跡 → 石作神社 → 
色金歴史公園 → 床机石 → 展望テラス → 伴若狭守盛兼の墓 → 安昌寺 → 首塚 → 
イオン長久手店 → 勝入塚 → 長久手市郷土資料室 → 庄九郎塚 → リニモ長久手古戦場駅




地下鉄藤ヶ丘駅に着きました。
駅の北側へ出て、これからウオーキングの開始です。




名古屋市を歩いて来て、鴨田川の橋を渡ります。
ここから先が長久手市となります。




マンションに囲まれた一角。
ここに木下勘解由戦死処と言う石碑が有ります。




石碑が有り、その傍らに説明板が設置して有ります。
主君が逃げるのを助けた後、徳川軍の兵に周りを取り囲まれ、槍隊に串刺しにされた姿を想像します。




すぐ近くには塚のような所が有ります。
プレートに木下周防守戦死の地と書かれています。




長久手市文化の家の横を歩いていきます。




堀久太郎秀政本陣跡に来ました。




堀久太郎秀政本陣跡には石柱が立っていて、説明板も設置して有ります。




後ろから歩いて来る女性たち。
香流川の横を歩いています。



歩いて来て、珍しい形の建物が有りましたが、保育園でした。
その隣の建物ですが長久手市青少年児童センターでした。




信号待ちで立ち止まりましたら、前を長久手市のコミニティバスが通過して行きます。




長久手市役所の前を通過します。




長久手市役所の敷地の中なのですが、岩作城址の石碑が有ります。
岩作と書いてヤザコと読みます。
この市役所の場所が、かつてはお城だったのでしょう。



こんな事

市役所の横を通り抜けた時、ミンナに一言、話しをしました。

今回の12月例会を行うに当たって、現地を下見しました。その際に資料を求めに長久手市役所へ寄りました。受付で歴史的なウオーキングをするので、資料が欲しいと申しましたら「たつせがある課」に行ってと言われました。「たつせがある課」ン?。となりました。聴きなれない言葉ですが、「たつせがある課」で資料をいただいた時に、その名に付いて聞きましたら、何でも市長の発想なのだそうでした。普通は、たつせが無いという言い方をします。その逆を言っている訳です。多くの市に有る商工観光課的な部署なのでしょう。この課が持つ資料以外のものを、生涯学習のようなセクションへ職員を行かせ、資料を揃えてくれました。
「たつせがある課」と言うユニークな名の部署は日本中でも、長久手市だけなのでしょう。お陰で資料が整い、助かりました。
このような、ユニークな名の課が有ることをミンナに話したのです。




石作神社に来ました。
この地の名は岩作ですが、神社は石作です。



石作神社の境内です。
広い境内です。
四季桜なのか、桜の花が咲いていました。





色金山歴史公園に来ました。




床机石の説明を読んでいます。




こちらが床机石とその説明です。




展望テラスに向かいます。




展望テラスに上がってみました。




展望テラスからの眺望です。
下見の時には手前の木の枝が邪魔していましたが、今では落葉して視界が広がっています。
前方に名古屋の東山タワーが見えます。この右には名古屋駅の高層ビル群も見えました。



伴若狭守盛兼の墓です。




次に、安昌寺へ来ました。
長久手の合戦の後、累々と屍があり、この寺の和尚が、なきがらを弔ったと首塚の説明板に書かれていました。




首塚まで来ました。




首塚の説明板と 観光情報のガイドです。




首塚には、古い石碑が有ります。




街道を歩く会としてのウオーキングですが、今回の唯一の街道です。
岩作街道です。





街道を歩きますが、街道らしい道でして直線の道路ではありません。




ガラス越しに行灯が見えます。
岩作あんどんの会と読めます。




イオン長久手店に入ります。
実は、昼食は色金山歴史公園で取る予定でしたが、イオンが開店したのであり、イオンに入りたいと言う声が有りました。それで、自由時間を設け、の入口に指定した時間に集合する事としました。




イオン店内です。
まだ、つい先日開店したのであり、多くの客が訪れています。




店内を廻りました。
ここはお酒の売り場です。




こんなお酒を見つけました。
長久手の古戦場に来たのでして、「小牧長久手合戦」となっています。
これは、買って帰ると好いと思い、買いました。
でも、ラベルを見てみましたら、江南市の酒蔵でした。




イオンの出口に集合し、全員が揃って古戦場公園へ向かいました。
古戦場公園で最初に寄ったのが勝入塚です。




こちらが勝入塚。そして説明です。
入道して勝入斎を名乗ったと有ります。その前は池田恒興を名乗り大垣城主だったと説明が有ります。大垣城は戸田の殿様くらいしか知りません。戸田公が入城する前の領主だったのでしょう。



公園内の一角に有るのが、長久手市郷土資料室です。
これから入ります。




長久手の合戦をジオラマで表しています。
秀吉側と家康側の隊列の進攻を時間を推移させて表現しています。




ジオラマを見入る女性たち。




壁には合戦の詳細が紹介してあります。



こちらは両軍が進軍したコース。
初めは、双方の睨み合いから、やがては戦へとなりました。





陣鐘と軍貝です。
鐘を鳴らし、法螺貝を吹鳴させて兵士の士気を高揚させました。
鐘の音。法螺貝の音。そして兵隊たちの喚声。漂う硝煙臭。
そんな戦場(イクサバ)の様子が想像できます。


「小牧・長久手の戦い」の特別展が明日までの期間で開催していました。




立派な石柱が設けて有ります。
古戦場公園から出てきました。



一旦、古戦場公園から出て来たのですが、公園内の庄九郎塚に立ち寄りました。




庄九郎塚とその説明板です。
庄九郎は幼名で之助と名乗りました。短い生涯をここで閉じました。残された子が元信なのですが、叔父に当たる池田輝政に使えました。
池田輝政は姫路城を築城した人物です。
このように関連付けて考察できるのも歴史の面白い所です。




今日のウオーキングのゴール。
リニモの長久手古戦場駅に来ました。




リニモの列車が来ました。
列車の左側。大きな建物はトヨタ博物館です。




感想
歴史には想像するロマンがあります。
今でこそ、住宅やマンションが立ち並んでいますが、合戦が有った頃は何も無い原野だったと想像します。そんな原野を家康軍と秀吉軍が激突しました。
戦の後の荒涼とした風景。野晒しの累々とする屍。そんな状態を見かねて寺の和尚が供養しました。
関が原の合戦の前の大きな戦。そのような場所を訪ねる事が出来ました。改めて知識を深める事が出来ました。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  忘年会

2016年12月16日 23時53分21秒 | ヒストリー各務野会

今日、歴史勉強会 ヒストリー各務野会の忘年会が有りました。
ヒストリーでは、毎年、ここで忘年会を催しているようです。私は、2回目の忘年会への参加でした。



会場は「美濃の郷」です。
各務原市鵜沼三ツ池町2-195-1で、他に小牧や可児にも店が有ります。




まず、会長の挨拶から始まります。




今日の参加者は全部で23名でした。
グループ分けで、向こう側のグループは呑まない人。11名です。
手前側は呑める人、12名でした。
見事に呑む人と呑まない人が分かれました。
このようなやり方は、呑まない人が呑む人の分を負担する事が無いので、合理的と言えるでしょう。終了時に呑んだ人は1,050円払いました。





左がメインです。そして天ぷら。



一人鍋、それに茶碗蒸しとブリの煮物です。
ブリによく味が浸みていて美味しかったです。





釜飯は、クリ釜飯です。



最後のデザート。



普段は講師から歴史に纏わる講義を聞いています。
それで、顔は判っても、名前は判りません。
それに、どのような人なのかも判りません。
今日、Kさんから、若い頃に海外で仕事をしていてロンドンに5年。アメリカに7年居たのだそうです。今のように日本人の評価が高い時代でなく、馬鹿にされた事も有ったのだそうでした。
英語に堪能で、今も翻訳関係の仕事をこなしていると聞きました。

このようなお話が出来ましたが、このような事は忘年会の効果だと思いました。人にはそれぞれ、高いか低いかの違いは有りますが、垣根が有ります。話しをして垣根が低くなったような気がしました。


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ラグビー観戦   トヨタ自動車ヴェルブリッツ  VS 宗像サニックスブルース

2016年12月11日 23時27分05秒 | スポーツ観戦

岐阜市の長良川球技場でトヨタ自動車対宗像サニックスの試合が有りましたので、幹線に行って来ました。
試合を開始して、トヨタにトライのチャンスが有りました。トヨタの方が人数が多く、トライ出来そうだったのですがボールを落としてしまいました。


ラインアウトのボール争奪。
メインスタンドは、満席に近い状態です。




激しくぶつかり合う両軍の選手。



試合結果は14対15で宗像サニックスの勝利でした。
終了少し前、14対12でしたが、ペナルティキックを決められて逆転となってしまいました。


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博物館はワンダーランド!!  ~北から南まで、博物館を訪ね歩いて~

2016年12月10日 23時14分13秒 | 各種講座

下のチラシを手に入れました。
放送大学の岐阜学習センターでの公開講座です。
博物館に興味が有りますので、聴講に行って来ました。






これから始まる所です。



師の講演です。
講師は20年間に渡って全国の博物館を歩きました。そんな、ご自分の体験に基づいて色々の博物館を紹介されました。


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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  赤報隊 相良総三 偽官軍から雪冤へ

2016年12月09日 23時47分08秒 | ヒストリー各務野会

今日のヒストリー各務野会は、「赤報隊 相良総三 偽官軍から雪冤へ」と言うタイトルでの講演が有りました。
講師は後藤俊之さん。各務原市の鵜沼宿。町屋館でボランティアをやっておられる方です。口頭で名前を言われたのでどのような字なのか判りません。
今日のテーマは赤報隊です。赤報隊は朝日新聞の阪神支局が襲われて名が残っていたくらいにしか、知りませんでしたが、慶応4年1月に鵜沼宿を通過しているので有りました。


講師が資料を示して話されます。







鵜沼宿桜井家文書です。
上段が文で中段がその解説です。



講師が下諏訪へ行ってこられたときの資料です。



資料写真です。


赤報隊をウィキぺディアで検索しましたら、黒駒勝三が出てきました。幕末から明治にかけての時期。清水次郎長の敵役で黒駒勝三が出てきます。清水次郎長サイトから描けば黒駒勝三は悪役となります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%A0%B1%E9%9A%8A
そのような時代の考察してみるのも、面白いかもしれません。
相良総三の本名は小島四郎将満と言います。江戸の赤坂で生まれていますが、今の千葉県取手の豪農のせがれです。相良総三に着いて長谷川伸が「相良総三とその同志」と言う著作を出しています。長谷川伸と言えば瞼の母など股旅物を書いています。「相良総三とその同志」がどのようなものか調べてみるのも面白いでしょう

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