- 成仏法を求めて仏教経典の研究を開始
- 仏教において成仏法の不在を日本のキリスト教に例えて述べる
- 成仏法の重要性を強調し、仏教徒はそれを学ぶことで救われると説く
- かれが独学で成仏法を探求し、阿含経の中に発見した経緯
- 中国仏教の誤謬により、阿含経が低く評価され、日本の仏教で見過ごされたこと
- かれが阿含宗を立て、その決断による困難と障害
- 教団の成長と活動、大規模な寺院の建設、通信衛星の保有など
- かれと妻の無私の生活と、信者たちへの信頼と期待
- 著書の多さやベストセラーになった作品の一例
- かれの広範な宗教活動、国内外での法要や社会貢献
- かれの経歴や変遷を通じて伝えたいメッセージ:「何歳からでも運命は変えられる」
宿命転換成る
つぎにかれが自覚したのは、知能の目ざましい飛躍であった。
が、日本の仏教に「成仏法」のないのを不思議に思い、成仏法を求めて、
あらゆる仏教経典の研究に入ったということは、さきに述べた。
仏教に成仏法がないということは、たとえば、キリスト教にキリストがいな いのと同じことなのである。
なぜかというと、神は人類を救うために、神のひとり子であるキリストをこ の世につかわされた。キリストによって人類は救われる、ということである。 仏教では、シャカその人が人類を救うのではなく、シャカの教えた成仏法によ って人類が救われるのである。 成仏法を学ぶことによって人類は救われるのだ。 だから仏教徒はシャカを偉大なる教師として崇敬するのである。その成仏法が なかったら、仏教の価値はほとんどない。残るのは倫理・道徳の教えだけであ る。倫理と道徳だけでは、人類は救われず、社会も成り立たない。 宗教がぜっ たいに必要である。 そして、仏教を宗教として成立させるのは、成仏法がある からだ。その成仏法が、日本の仏教にはないのである。これほど不思議なこと はない。 日本に仏教が伝来して、およそ一五〇〇年、その間、かぞえきれない 程の天才があらわれているのに、どうしてこの成仏法が行方不明のままなの か?じつに不思議きわまるはなしである。
しかし、ほんとうに仏教を求めようと思ったら、不思議がってばかりはいら れない。 成仏法をさがさねばならぬ。
かれは、仏教の聖職者たちだれ一人としてこれをおかしいと考える者がいな いのも不思議だと思った。一体、どういうことなのだろうか。
かれはしばしば、こういうことを考える自分のほうが異常なのだろうかと 疑った。なんとも思わない伝統仏教の僧侶たちのほうが正常なのだろうかと、 一晩中、 まんじりともせず考えたこともしばしばあった。
しかし、シャカの教えた一番大切なことをそっちのけにしておいて、ただ、 シャカを仏様として礼拝するだけで人が救われるとは、どう考えてもあり得な いことだ。かれは、頭をふって疑惑を払いのけ、成仏法の追求に血まなこにな
しかしそれはまことに困難きわまるものであった。
第一に、かれには仏教の師が一人もいないのであった。「日本の仏教には成
仏法がない。これは仏教とはいえぬ。 ぜひとも成仏法をさがし出さねばなら
ぬ」などといっているかれに教える仏教学者も僧侶もいない。異端者だからで ある。だからかれはすべて独学である。難解な専門用語につきあたり、一行の 文章を解くのに数ヶ月もかかることがしばしばあった。それを解くために、何 十冊もの論書や経典を読まねばならぬのである。 また、そういう書物だけでは解けないものがある。インスピレーションでしか解けないものがあるのである。
々としてはかどらなかった。たのむちゅうあてどなく一切経の藪の中を手さぐった。
歩きまわっている状態であった。何度も絶望しかけたが、かれは屈しなか
求聞持聡明法がそのかれを救った。 求聞持法体得ののち、かれの前に立ちは だかる壁は無くなった。難解の経典も、しばらくじっと見つめていると、自然 にその意味が流れこむように理解されてくるのであった。
かれは、阿含経という経典の中に、ついに成仏法を発見したのである。それは「七科三十七道品」という名称で阿含経の中に潜んでいた。それを発見する
と同時に、かれは、なぜ日本の仏教が成仏法を持っていなかったかが理解され た。
日本の仏教は大乗仏教であるが、この日本の大乗仏教は古代中国の仏教を そのまま移入したものである。ところが、当時の中国仏教は、すべての経典が 全部、シャカ自身の説いたものであると考える誤りをおかしていた。そして、 その考えの上に立って、あらゆる経典を分類整理し、ランクづけをしたのであ る。その結果、阿含経を最低レベルの経典とし、「小乗経典」と呼び、大乗経 最上のものとした。以来、阿含経は、学ぶに足らぬ経典とされ、だれもか えりみなくなってしまった。ところが、実際は、この阿含経だけがシャカの説 経典だったのである。なんという皮肉であろうか。 中国仏教が最低とした 阿含経だけがシャカの説いた真実の仏教経典であって、最上とした大乗経典は すべてシャカと関わりのない作者不詳の偽作経典だったのである。
近代になって、サンスクリット語、パーリ語の研究が進み、この誤謬が発見
シャカの教えた成仏法が、シャカの説いた阿含経のみに記され、 シャカ以外 の人間が書いた偽経の中に書かれていないのは、当然すぎるほど当然であろう。 日本の仏教は、以上のことが明らかになった現在でも、これについては一切、 かぶりである。
かれは、自分の発見したものを、あまねく日本の仏教徒に知らせることが 自分のなすべき義務であり、責任であり、使命であると考えた。それをとると らないはかれらの自由である。 しかし、この真実だけはかれらに告げておかね ばならぬ。それが仏教の聖職者として世に立つ自分の責務である。 そうかれは 考えたのである。
何度か躊躇したのち、かれは阿含宗という一宗を立てることを決心した。 大 きな困難が予想された。 それは、日本中の仏教を敵にまわすことだからである。 しかし、一旦、決意すると、かれは一歩もひかぬ強い性格になっていた。かれ その決心を断行した。予想された障害が、つぎつぎとあらわれた。
伝統仏教の人たちは、かれとの論戦は、一切、避けた。かれの主張の正しい
ことを、かれらは充分、知っていたからである。 一部の人たちは、マスコミを 煽動して、かれをつぶすことを計画した。
かれの若い頃の前科酒税法違反の暴露戦術に出たのである。これは 今でも、年一、二回、年中行事のようにおこなわれる。仏教宗教のことなど 全く知識のない若い記者などが、かれの敵がわの言い分を鵜呑みにして、かれ 邪教の親玉のごとく考え、正義の使者を気取って書き立ててくるのである。 殊に、かれの教団の大きな行事のある直前には、必ず、そういう記事が出る。 しかし、かれはまことにご苦労な事だと笑って、歯牙にもかけない。
今から三五年前、かれは、ただ一人の弟子をつれて、ほとんど無一文で教団 を始めた。
いま、かれの教団は全国に信徒三十数万人。毎年二月十一日に、京都の 総本山建立地でおこなわれる「火の祭典、阿含宗大柴燈護摩供」には、全国か
五〇万人を越える参拝者が集まる。 本年は、五六万人に達した。この総本山 京都市の中心にあり、広さ約十二万坪 (およそ一〇〇エーカー)に達する。
この山上に、かれは総本山寺院を建立中であるが、これは昭和年代に入って 日本最大の寺院建築である。かれの教団は、現時点に於て、日本で唯一つ、通 信衛星を持つ教団であり、この寺院にはその放送設備が完備されている。この 寺院の建築費は、およそ二五〇億円、ざっと二億ドルである。 土地の評価額も、 大体、おなじ程度と銀行が査定している。
東京の関東別院は、土地、建物、およそ、五〇〇億円、およそ四億ドルの評 価である。その他、日本の各地に、かれの教団はいくつかの道場を持っている。 世間の多くの人びとは、かれが多額の私有財産を持っていると想像している ようだ。しかし、かれも、かれの家族も、全くといっていいほど個人の財産を 持っていない。かれの妻が、歯科医師として開業していた当時に彼女が購入し 木造の貧弱な建物が一棟だけである。評価はおそらく五、六千万円に達する かどうか。 株ブームのこの頃であるが、 株式投資は一切していない。
税務署も世間と同じような想像をしていたようだ。もっとも、そういう趣旨 の投書がいくつかあったらしい。調査にあたったお役人たちは、かなり長い間、
かれとかれの家族がほとんど無資産であることを信じなかった。どこかに隠し 預金があるものと確信していたようである。 しかし、厳重きわまる調査の結果、 それに類したものはどこにもない、と判ったとき、かれらは非常に驚いたよう であった。
かれもかれの妻も、金や物を財産だとは思っていないのである。かれらに限 りなく信頼と期待をよせてくれる信徒たちこそ、かけがえのない財産だと思っ ている。そして、かれは、求聞持聡明法と成仏法の修行により、持って生まれ 能力の何倍もの力を授けられた。
その上、日夜、ブッダ・シャカの知恵と慈悲の光明を浴びて生きる歓びに満ちた生活この上にさらになんの財産が必要であろうか。
この二〇年間、かれは毎年二冊のペースで著書を発行し、この本が四〇冊目
である。そのほとんどがベストセラーに入っている。殊に一九八二年に発行し 「守護霊を持て」シリーズは二〇〇万部を超える大ベストセラーになってい る。昨年末に出版した小説『一九九九年・地球壊滅」は、発売当日に五万部を売り尽くして話題になった。
かれは言う。
教団におけるさまざまな仕事のほかに、この著作活動で、かれは毎日、三時 間以上の睡眠をとることができない。 しかし、かれは現在この上なく健康であ る。かれは、ここ三〇年間、毎月数回、各地で行われる教団の例祭に一回も休 んだことがない。一九八五年六月、日本の宗教教団で初めて、中国の北京市、 およびハルビン市において、世界平和を祈る法要を営み、バチカンでローマ法 世界平和を語り合い、サン・クレメンテ教会において世界の宗教史上はじ めてのカソリック・仏教の合同法要を挙行し、FAOに寄進を寄せ、アフリカ のチャドに井戸、トラックを贈る活動を行った。
国内に於ても、東京都内に社会福祉法人特別老人養護施設を建設し、 京都市 に総合病院を持つ。
現在、かれの弟子数千人は、日本各地において、多くの悩む人、病める人の 教済活動をしている。
信者三〇数万人というのは、日本ではさして大きい教団とはいえない。 しか
し、かれの教団の信徒は非常にレベルが高く、殊に若ものたちが多く、活発な 活動で知られている。
以上が、一七歳で結核で倒れ、病弱のため高等教育を受けることが出来 ず、これという学歴を持たない、しかも二〇歳代で前科を持つという汚辱にま みれ、病弱と仕事の失敗のため、三度自殺をはかった一人の若ものが、運命を 変えようと決心してその後たどった人生である。この歩みは、人生に迷い、悩 み、苦しみ、躓いて、いままさに望みを失おうとしている若ものたちに、プレ ゼントするだけの価値があるのではなかろうか?
「何歳からでも運命は変えられるのだ。五〇歳、六〇歳、七〇歳からでもそれ
は可能だ。性格を変え、脳細胞を改造飛躍させ、自分の望むままの人生をつく
り出す。 思うままに自分を変え、他人を動かし、集団や環境を、自分の理念の通りに創造して行く、そういう力をあたえるシステムがここにある」
もうおわかりであろう。お恥ずかしいが、かれとは、ほかならぬわたくし自
身である。自分の体験を語ることがベストであり、かつ、それが、義務であろ うと思うので、敢えて率直に語らせていただいた。