- ビバシュヤナーは、Samatha Vipaśyanā(瞑想法)の一部であり、インドではこの用語が使われていた。
- 「瞑想」という言葉は、明治になって新たに作られたもので、それ以前の古い密教の書物には見られない。
- 古い密教の書物において、「奢摩他毘舎那」が瞑想を指しており、これが瞑想の本質を表現した言葉として感心されている。
- 「毘鉢舎那」と「サマタ」は瞑想の技法であり、心を一点に集中させ、境界を超えて想念をめぐらすことを指す。
- 阿含経典において、シャマタとビパシュヤナーについて説明され、これらは瞑想法の基本であり、深遠できわめがたいものとされている。
Samatha Vipašyanāの瞑想法
「瞑想」という言葉は、どこから出たのであろうか?
日本語の「瞑想」を、辞典から引いてみると、
「目を閉じて静かに考えること。 現前の境界を忘れて想像をめぐらすこと」
『広辞苑』岩波書店)
「目を閉じて心を静め、無心になって想念を集中させること(明治期につくられ
「目を閉じてじっと考えること。 沈思黙考・ 黙想」
Meditation 「黙想 (熟考すること。 特に宗教的な黙想。 瞑想」
(『大辞林』 三省堂)
(『日本語大辞典』講談社)
コンサイス英和辞典』 三省堂)
わたくしたち、瞑想を本格的に修行しているものからみると、いずれも、もの足 りない感じがする。
さきにわたくしは、“瞑想はインドにおいて非常に古くからおこなわれていた" と書いたが、では、インドでは、瞑想をなんとよんでいたのだろうか?
い。
を開いて、
インドでは、Samatha Vipaśyanā とよんでいたのである。
瞑想という語は、『大辞林』にあるように、明治になってつくられた言葉であっ て、それ以前の古い密教の書物をみると、瞑想という語は、いっさい見あたらな
わたくしは、密教を、最初、 独学で勉強をはじめたのであるが、古い密教の書物
「奢摩他毘舎那 こそ、密教の肝要なり」
という文字にぶつかって、目をパチクリさせたものである。
いろいろ調べて、これが瞑想のことだと知った。そして、瞑想という漠然とした ものではなく、瞑想そのものの本質をズバリ表現した言葉であることに感心した。 この言葉は、瞑想の本質とその技法を、ズバリそのまま表現しているのである。 他とは、心を一点一境に集中して、いささかも散乱させないこと。
毘鉢舎那は、現前の境界をはなれて、さまざまな想念をめぐらすこと。
ともに、瞑想の技法である。 瞑想は、じつに深遠にしてきわめがたいものである 技法としては、この二つに帰する。
阿含経典のなかに、シャマタとビパシュヤナーについてつぎのように説かれてい るところがある。
瞑想法の入門書として最適なので、本書も、ここから解説をはじめることにす
脳と心の革命 42
https://youtu.be/UJcYVQWWKk0?si=0qW4EmEfefPXyGF4https://youtu.be/HLzbsOmnQ8E?si=wpJZQijO07bJPSoA