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2023年7月27日 占い  九星  無料 今日の運命

2023-07-27 07:11:10 | 運命学

 

 

2023727

 

五黄土星の日

 小さな自我は破れやすい。絶望的な思いの人の来訪を受けたりする。名利を離れ天を相手にの心境を養え。

 

 

破壊の週  危の日
何かとトラブルに縁のある日。
勘違いや誤算、ちょっとした気の緩みから、人とぶつかることも多く、空回りしてしまいます。
他人への十分な気遣いを忘れずに。
ビジネス面ではこの日の決断は大きな賭けとなりそうです。
十分に検討を重ねたうえで判断してください。
 
 

阿弥陀如来 命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

 

 

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。

 

阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

ご利益

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。

 

特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。

 

 運命の輪
正位置・・・幸運。成功。無限のひろがり。宿命。占星学。天文学。運命的な出来事。運命的な結びつき。一目ぼれ。新しい恋のめばえ。環境の変化による問題の解決。
逆位置・・・つかの間のチャンス。幸運の後にやってくる突然の不幸。失恋。事業の失敗。経験不足からくる失敗。逆戻し。挫折。悪い転換。事件の終わり。
ウェイト解説
正位置・・・運命。幸運。成功。向上。至福。
逆位置・・・増大。豊富。過分。
 
 
 
 
07月27日 (木曜)
月齢
9.15
Moon
潮汐
小潮
月名(旧暦日)
宵月
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供養会(くようえ) 成身会に描かれる諸尊が互いに供養し合う光景を描いている。

2023-07-26 18:29:12 | 運命学

 

 

 

 

供養会(くようえ)
成身会に描かれる諸尊が互いに供養し合う光景を描いている。

供養会(羯磨曼荼羅)
成身会の37尊の相互供養の活動を表わした集会図。
●成身会の37尊を、各自の三昧耶形を蓮華の上に乗せて両手で奉じ持つ供養の姿として表現した集会。
●五仏以外は女尊の姿(侍女が着ける羯磨衣=長袖)で描く。
●四神は蓮華に、外郭内の四神・四摂の間に賢劫十六尊。

 

供養会=ヴィシュダーチャクラの開発訓練

甲状腺、副甲状腺、唾液腺の属する重要なチャクラである。

C 超能力の完成

前に述べたように、自動車のアクセルにたとえられるはたらきをし、このチャクラが開発され と、体内の毒素がことごとく浄化されいつまでも若さを失うことなく、生き生きとした活動力 を保ち、多くの人びとのためにはたらいて社会大衆から愛されるようになる。

金剛界曼荼羅では、秘密供養の観法が説かれている。この法によって無尽無限の供養奉仕の力 と富を獲得し、社会大衆のために奉仕供養するゆえに修行者もまた、社会大衆より敬愛せられ、 和合のを得るとされる。すなわち、修行者のほっするままにいかなる人でも和合し、財物 またのごとく召され、集まってくるようになるのである。 人を集め、物を集めて大事業を 成就する力を身につけるチャクラである。

 

 

 

 

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不動明王

2023-07-26 15:45:01 | 運命学

 

 

 

 

不動明王(ふどうみょうおう、: अचलनाथacalanātha[2])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。

 

 

不動明王

破壊と再生を司り、悪を滅する

 

不動明王(ふどうみょうおう)とは?

語源は「動かない守護者」を意味し、インド神話のシヴァ神の別名です。シヴァは暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす半面、雨によって植物を育てます。その破壊と恵みの相反する面は不動明王にも受け継がれているのです。不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守ります。

 

大日如来の化身として、どんな悪人でも仏道に導くという心の決意をあらわした姿だとされています。特に日本で信仰が広がり、お不動様の名前で親しまれています。そして、五大明王の中心的存在です。五大明王とは、不動明王を中心に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の5体のことを指し、不動を中心に東西南北に配されます。不動明王の脇侍として八大童子のうちの矜迦羅(こんがら)・制多迦(せいたか)の2童子が配されることも多いです。ちなみに不動明王の持っている龍が巻きついている炎の剣が単独で祀られている場合があります。不動明王の化身とされ、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)などと呼ばれています。

ご利益

除災招福、戦勝、悪魔退散、修行者守護、厄除災難、国家安泰、現世利益のご利益があるとされる。また、酉年生まれ守り本尊です。酉年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

不動明王(ふどうみょうおう)の像容

背の低い、ちょっと太めの童子型の造形が多く、怒りの表情をしています。目は天地眼(てんちげん)といって右目を天に向けて左目を地に向けていますよ。口は牙上下出といって右の牙を上に出して左の牙を下に出しています。炎の光背を背にし、手には剣と羂索(けんじゃく)を持っています。剣は大日如来の智慧の鋭さを表現しています。羂索とは煩悩を縛り悪の心を改心させる捕縛用の縄のことです。

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不動明王

2023-07-26 15:45:01 | 運命学

 

 

 

 

不動明王(ふどうみょうおう、: अचलनाथacalanātha[2])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。

 

 

不動明王

破壊と再生を司り、悪を滅する

 

不動明王(ふどうみょうおう)とは?

語源は「動かない守護者」を意味し、インド神話のシヴァ神の別名です。シヴァは暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす半面、雨によって植物を育てます。その破壊と恵みの相反する面は不動明王にも受け継がれているのです。不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守ります。

 

大日如来の化身として、どんな悪人でも仏道に導くという心の決意をあらわした姿だとされています。特に日本で信仰が広がり、お不動様の名前で親しまれています。そして、五大明王の中心的存在です。五大明王とは、不動明王を中心に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の5体のことを指し、不動を中心に東西南北に配されます。不動明王の脇侍として八大童子のうちの矜迦羅(こんがら)・制多迦(せいたか)の2童子が配されることも多いです。ちなみに不動明王の持っている龍が巻きついている炎の剣が単独で祀られている場合があります。不動明王の化身とされ、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)などと呼ばれています。

ご利益

除災招福、戦勝、悪魔退散、修行者守護、厄除災難、国家安泰、現世利益のご利益があるとされる。また、酉年生まれ守り本尊です。酉年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

不動明王(ふどうみょうおう)の像容

背の低い、ちょっと太めの童子型の造形が多く、怒りの表情をしています。目は天地眼(てんちげん)といって右目を天に向けて左目を地に向けていますよ。口は牙上下出といって右の牙を上に出して左の牙を下に出しています。炎の光背を背にし、手には剣と羂索(けんじゃく)を持っています。剣は大日如来の智慧の鋭さを表現しています。羂索とは煩悩を縛り悪の心を改心させる捕縛用の縄のことです。

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メシアの法 2 システムとしての求聞持法 Messiah's Law 2 Inquisition Law as a System

2023-07-26 15:41:56 | 運命学

 

私は、海馬それ自体の奥ふかくに、ごく古い記憶(深層記憶がたくわえられているものと信ず る。 それは、動物実験で、人間におこなわれた側頭葉表面の刺激(ペンフィールド博士の実験)と おなじ効果が得られることから、 それは、間違いないものと思われるのである。

すなわち、電極針を動物の頭のなかに入れて、海馬を刺激したとき、注意を集中する注意 集中反応 なにかを探索する探求反応が顕著にあらわれる。

これは何物かの記憶がよび起こされ、 "幻覚が起こったのだともいわれる」(脳のはたらき・島 敏樹宮松術著)のである。それはちょうど、 ペンフィールド博士の実験で側頭葉の表面に電 針をあてられた被験者が、なん年ものまえの出来事をそのまま想起してびっくりしている状態 そのものである。 そこで、この実験を動物ではなく、 なんらかの方法で生きている人間の海馬の 中心を刺激すれば、彼の前世、前々世の記憶がよみがえるのではないか?(教は特殊な方法で それをやるのである)

第一信号系と第二信号系

さてそこで、話は前にもどるのであるが、記憶のもとになる 「情報」に、二種類あることをさ きに述べた。

すなわち、意識された情報と、意識されない情報である。 これから、意識されない情報を第一情報"意識された情報を第二情報" とよぶことにする。 第一情報も第二情報も、ともに記憶 の で、この二つが記憶になるわけである。

ただし、第一情報と第二情報とでは、その記憶の場所がちがうのである。

第一情報は古い皮質の海馬の表面あたりに記憶される。これはどうしてかというと、海馬には 大脳辺縁系の中心で、本能行動、情動行動を支配する。 本龍行動というのはほとんど意識されな 行動である自律的なはたらきの領分であって、痛みや痒みなどの感覚にたいして、パッと無 意識のうちになされる動作のたぐいである。だから、情報も、無意識の情報はここに集まって、 それに対する反応も無意識のうちに対応されるように準備されるのだと考えればよい。

これに対して、第二情報は新しい皮質の側頭葉にたくわえられる。

脳の「解釈上の錯覚」について実験をくりかえしたウィリアム博士の実験により、側頭葉の全 領域が、ものの解釈をする部分であることがわかった。 この領域を刺激することにより現実のも の事の解釈のまちがいが生じ、この領域以外ではそういうことが見られぬことがあきらかになっ た。脳は、その一連の情報をまとめながら、過去の経験の記憶をひき出して適切な照合を行な 現在の経験を解釈して、状況に応じた適切な行動をおこさねばならない。この、記憶をひき 出し、現実を解釈する機能に側頭葉がもっとも重要な役わりをはたすわけで、ペンフィールド博 「解釈する質」とよんでいる。

一種の解釈であるのだ。 そこで第二情報は解釈する皮質である頭にされ、そこでに、多くくりかえされた記憶は旧古皮質の奥の海馬のほうに移っていってそこにたくわえられる ようである。ペンフィールド博士の実験でも、電気刺激をあたえた側頭葉表面の皮質を削除して も、そういう記憶はなくならなかったという報告があるから、上部(表面)の新皮質のほうに入 った記憶も次第に辺縁系のほうにしまいこまれてゆくのであろう。 それは、たとえば、タイプラ イターの練習などでもよくわかる。タイプの練習に際して、「上手になろうと思ったら、 キーボ ートは見ないほうがよい」といわれる。 最初、それにしたがって、「Aの字は? あれは下から 二段目の、一番左の端だったな。 小指で打つこと」などとアタマで考えながら打とうとす る。アタマというのは「新しい皮質」であるから意志的である。そして運動の皮質がはたらいて 小指を動かす。目は印字をよみ、その形を見て「たしかにAの字だ」 と判断する。 こういうこと

ん回もくりかえして練習していると、そのうちに、いちいちこんなことを考えなくても打 てるようになる。このことは、つまり、「新しい皮質」にたん回もん回もくり返して入れ たことは、だんだん「古い皮質」に入りこんでゆく。 そして 「本能的」にできるようになる、と いうことだ。自動車の運転などもそのよい例のひとつである。

この第一情報、第二情報を、脳の重要なはたらきである「条件反射」の理論に基づき、脳の第 一信号系、第二信号系として発表したのが、ロシアの有名な生理学者I・P・パブロフである。 つまり、第一信号系とは、第一情報のことで、意識されない情報を主にした、感覚器官からの そのままの情報である。だから、これは動物でも人間でもおなじである。

それがそのままのかたちで記憶されてゆく感覚そのままの旅の情報で、

れるものもあるが、多くは意識されないまま送りこまれる。 それに対する反応もまた無意識のま 反射的に送り出されることが多い。まぶしいという感覚にただちにクシャミが反応するという などその典型的なものである。 そしてそのとき、まぶしくてクシャミをしたという経験(情報) は、そのまま記憶になる。

これに対し、第二信号系は、人間にしかない。なぜかというと、この信号系はコトバによって 成り立つものだからである。 第二信号系は、感覚器官からの情報をいったん意識を通してコトバ でひとつのかたちにまとめた情報である。ナマの情報ではない。そういうかたちにして記憶領域 におくりこんだり、論理的判断、思考をする機能である。

人間の知的進歩は、コトバの発見によるこの第二信号系の発達によるもので、 これあるがため に、人間は、外部のあらゆる雑然たる情報を、自分の内部で、論理的、系列的、抽象的におきか えたり、積み重ねたり、他にそれをつたえたりすることができるようになったわけである。

しかし、もちろん、こういったからといって、この二つのものは、おのおのべつべつに動いて いるのではなく、この両者がそれぞれ独立しているというのは、相対的な意味においてであっ で、第二信号系はコトバ、第一信号系は感覚として、両者は結局第二信号系にみちびかれる完全 にひとつのものとして一緒に活動しているのである。そこで今までのところを総括すると、こう

いうことになる。

刺激(経験)―知覚情報 1意識されない情報第一信号系旧古皮質の大脳辺縁系 意識された情報第二信号系新皮質の側頭葉

海馬(記憶)

密教は第三の信号系を持つ

さて、今までは、もっぱら、「大」の面を考えてきたわけであるが、今度は入ったものをも とにしておこなわれる「出る」のほうを考えてみなければならない。

われわれがひとつの出来事に直面して、 それに対し、判断したり、計画を立てたり、行動をお こしたりするのがアウトプットであるが、それはどのようにしておこなわれるか?

今までにうけ入れてあるすべての情報、できるだけして、それをもとに、判 断 決定 行動の材料にするわけである。だから、このいちばん重要なことは、その材料が豊 富であることである。判断はそれが貧弱なほどあやまりをおかしやすいし、豊富なほど正しい判 断をする率が高い。ちょうど、むずかしい局面に直面した棋士が、過去に記憶(経験したすべ

定石や変化を思い浮かべて、それをもとに、もっとも有利で正確な手を打とうとするのと同 じことで、そういう場合、力の弱い者ほど経験(記憶)が少ないということである。この場合、 経験というのは、長年たくさん数を打っているというだけのことではなく、どれだけ定石やそ の変化が頭に入っていて、必要に応じてそれがきれるかということである。

いせつなことは、できるだけくのをき

信号系の記憶を可能なかぎりひき出す、 つまり思い出すという作業である。 ところがこの作 の難点は、第一信号系の再生である。 第二信号系のコトバによる記憶は比較的 (比較的であ 容易であるが、第一信号系の記憶は非常にひき出しにくい。というのは、第二信号系の記憶 は、一応、コトバによって整理されたり統合されたりしているから、それに対するテーマが決定 すれば、それに関連して系統的に、論理的に出してくる可能性がつよい。 中山正和教授によれ ば、それは「線の記憶」 カンの構造・中山正和)であって、連絡しているからである。 これに対 し、第一信号系の記憶は点の記憶で、脈絡なしに断続的に入ってきたものであるから、つながり がない。 しかし、情報源としては第一信号系の方が圧倒的に多いし、また、昼だけではなく、質 的にも非常に役に立つ場合が少なくないのである。

ことに、なにか新しい事物を創造するという場合にそのことがいえる。 創造には飛躍が必要で あるが、飛躍とは論理や論理的思考の積み重ねだけでは得られないもので、論理や説明をはなれ たところから生ずることが多い。ただし、論理をはなれたといっても全くはなれてしまうのでは なく、ひとつの主要目的はたえず追いつづけながら、一方でそれに関連するなにかのすべてを模 してゆくということであり、それがどこかで交接触した刹那、ひらめきが飛んで、それがつ まり、ひとつの創造か、創造の種子が芽生えたということなのだ。これは、記憶再生の場におき かえていうと、第二信号系が絶えず第一信号系の記憶をまさぐりつつ、からみ合いつつ創造を目ざして進んでゆくすがただということである。

よく、直感とかインスピレーションとかいうけれども、それはよくしらべてみると、第一信号 系の情報記憶とむすびついて生じたことが多いのである。 第一信号系は、脈絡がなく、意識され ていないから気がつかないだけのことなのだ。もっとも、このことは、あえて創造に関すること だけにかぎらず、すべての発想に際してあてはめられることといわねばならない。

ところで、この発想の作業は、考えてみると、すべての記憶を思い出そうという意志が、第二 信号系とむすんで、第一信号系の記憶、ならびに全脳にわたる記憶の領域を、その表面から深部 にいたるまで掘りおこそうというのである。それは新皮質である側頭葉の表面から次第に内部 におよんで間脳、帯状回の中間皮質から、 旧古皮質の中心、海馬にいたるまでの全領域にわたっ ての作業ではないか。まことに気の遠くなるようなこの作業が、 それではいったい通常どのよう にしてなされているのかというと、それはまったくその人の脳の自動的な機能にまかせておくよ りほかないのである。

ということは、それがうまくゆくかどうかの決定は、そのときそのときの運次第か、または、 そういう作業が先天的にすぐれているか、おとっているかという、つまり「素質」の問題になっ てしまい、最後はその人間の頭がよいか悪いかというところに帰着してしまうということではな いか。おそらくは最終的には運と素質だということになるのだろうが、しかし、まるでツルギの わたりのようなこ とができて、第一を自由自在にコントロール

第二信号系がコトバを使って第一信号系を自由に構築するごとく、ある力をつかって、一 号系、第二信号系の記憶を、海のふかい奥から発掘してきて、自由に構築することができた としたら、その力に属するあたらしい系は、いったいなんと呼ばれるべきであろうか? それは まさしく「第三の信号系」と呼ばれるべきものではなかろうか?

だが、ひとは、そんなことは不可能だというであろう。

が、宗教はそれをやるのである。それをやる”ある力を持っているのである。すなわち、密 教は「第三の信号系」を持つ。

頭のよいことが、 ぜったいに「素質」だけによるもので、ほかになんのなすべき方法がな いというのであったら、求聞持法の出る幕はない。しかし密教は求聞持法を持つ。頭のよいのは 「質」だけではなく、この技法によって訓練すれば、それは得られるということである。

その技法の原理を知るためには、もうひとつの記憶のメカニズムを知ることが必要である。 そ れを説こう。

 

I believe that very old memories (deep memories) are stored deep within the hippocampus itself. Since the same effect as the experiment) can be obtained, it seems to be unmistakable.

In other words, when the hippocampus is stimulated by inserting an electrode needle into the animal's head, attention focusing attention Concentration response Exploratory response to search for something appears prominently.

This is a memory of something, and it is said that "a hallucination occurred" (Brain Function, Toshiki Shima, Miyamatsujutsu). It is just like Dr. Penfield's experiment in which a subject who had an electronic needle applied to the surface of his temporal lobe was in a startled state recalling the events of many years ago. Therefore, if this experiment were to stimulate the center of the hippocampus of a living human being, rather than an animal, wouldn't it be possible to revive the memories of his previous life and the life before before? i will do that)

First signal system and second signal system

Now, going back to the previous topic, he mentioned that there are two types of "information" that form the basis of memory.

That is, conscious information and unconscious information. From now on, the unconscious information will be called the first information, and the conscious information will be called the second information. Both the first information and the second information are memories, so these two become memories.

However, the first information and the second information are stored in different places.

Primary information is stored around the surface of the hippocampus in the old cortex. This is because the hippocampus is the center of the limbic system and controls instinctive and emotional behavior. The main dragon action is the area of autonomous action, which is almost unconscious action, and it is the kind of action that is performed unconsciously in response to sensations such as pain and itching. Therefore, it can be considered that information and unconscious information are gathered here, and the reaction to it is prepared so that it can be handled unconsciously.

In contrast, secondary information is stored in the temporal lobe of the new cortex.

Dr. William's repeated experiments on the "interpretive illusion" of the brain have shown that all regions of the temporal lobe are responsible for interpretation. He found that by stimulating this realm, he would misinterpret his interpretation of reality, and that he could not see it outside of this realm. While assembling this series of information, the brain must draw out memories of past experiences, perform appropriate collation, interpret present experiences, and act appropriately according to the situation. The temporal lobe plays the most important role in this function of extracting memories and interpreting reality.

It is a kind of interpretation. There the secondary information is brought to the interpretive cortex, the head, where the much-repeated memory seems to be transferred to the hippocampus deep in the paleocortex and stored there. In Dr. Penfield's experiment, there is a report that he did not lose such memories even after removing the cortex on the surface of the temporal lobe that was given electrical stimulation, so he entered the upper (surface) neocortex. This memory will gradually be stored away in the limbic system. This can be seen, for example, in Typla's iter practice. When practicing typing, it is said, ``If you want to improve, you shouldn't look at the keyboard.'' At first, according to that, he tries to hit it while thinking, "What is the letter A? It's on the leftmost side of the second row from the bottom. Hit it with your pinky finger." The head is volitional because it is the "new cortex". And the motor cortex works to move the little finger. The eye reads the print, looks at the shape, and judges that it is indeed the letter A. Such a thing

If you practice over and over again, you will soon be able to hit the ball without thinking about it. This means that he enters the "new cortex" time and time again and gradually enters the "old cortex". And then, he says, it becomes "instinctual." Driving a car is one of the good examples.

It was the famous Russian physiologist I who published the first and second information as the first and second signal systems of the brain based on the theory of "conditioned reflexes", which is an important function of the brain. ・It is P. Pavlov. In other words, the first signal system is the first information, which is his unaltered information from his sensory organs, mainly unconscious information. So this is the same for both animals and humans.

It is the information of the trip as it is the sensation that is remembered as it is,

Some are sent unconsciously, but many are sent unconsciously. The reaction to it is also often unconsciously sent out reflexively. He is a typical example of this, as he immediately responds to sneezing when he feels bright light. And at that time, the experience (information) of sneezing because of the bright light becomes a memory.

In contrast, the second signal system is unique to humans. The reason is that this signal system consists of words. The second signal system is the information that once put together the information from the sensory organs into one form in words through consciousness. It's not raw information. In this way, it is a function to put things into the memory area, to make logical judgments, and to think.

The intellectual progress of human beings is due to the development of this second signal system through the discovery of Kotoba. It has become possible to abstractly replace, stack, and convey it to others.

However, of course, this does not mean that these two things are moving independently of each other. The signal system is the word, the first signal system is the sensation, and the two are ultimately guided by the second signal system and act together as a complete one. So to summarize what has happened so far:

I will say.

Stimulus (experience) - Perceptual information 1 Unconscious information First signal system Limbic system of paleocortex Conscious information Second signal system Neocortex Temporal lobe

hippocampus (memory)

Esoteric Buddhism has a third signal system

So far, I have been thinking only about the "big" aspect, but now I have to think about the "outgoing" side, in which he disregards what has entered.

When we are confronted with an event, we make decisions, make plans, and take action in response to it, which is output. How is that done?

Based on all the information that has been received so far, as much as possible, it is used as material for judgment, decision, and action. So the most important thing is that the material is abundant. The poorer the judgment, the easier it is to make mistakes, and the richer the judgment, the higher the rate of correct judgment. Just like a shogi player who faced a difficult situation,

It is the same as trying to make the most advantageous and accurate move based on the formulas and changes that come to mind. Experience, in this case, is not just a matter of years of hitting a lot of numbers, but how well you know the formulas and their variations, and how you can cut them when necessary.

Obscene things should be avoided as much as possible.

This is the task of drawing out as much memory as possible of the signal system, that is, recalling it. However, the difficulty of this work is the reproduction of the first signal system. It is relatively easy to memorize the words of the second signal system, but it is very difficult to recall the memories of the first signal system. Because it is organized and integrated, once the theme is decided, there is a strong possibility that it will come out systematically and logically in relation to it. "Kang's structure, Masakazu Nakayama), and we are in contact. On the other hand, the memory of the first signal system is the memory of points, and since it comes in intermittently without any context, there is no connection. However, the first signal system is by far the most common source of information, and in many cases it is very useful not only during the daytime but also qualitatively.

This is especially true when it comes to creating something new. Creativity requires a leap, and he has it, but a leap cannot be obtained only by the accumulation of logic and logical thinking, and often arises from somewhere beyond logic and explanation. However, even if I say that I have left the logic, I do not have to leave it completely. At the moment of contact, an epiphany flew, and that is to say, a creation, or a seed of creation, sprouted. In other words, this means that the second signal system constantly gropes the memory of the first signal system, intertwining with each other and moving forward toward creation.

We often talk about intuition or inspiration, but if you look closely, it is often caused by the information memory of the first signal system. The first signal system has no context, and it's just that he doesn't notice it because he's not conscious. However, it must be said that this is not limited to matters related to creation, but is applied to all ideas.

By the way, if you think about it, the work of this idea is that the will to recall all memories is connected with the second signal system, and the memory of the first signal system and the memory area that extends over the whole brain from the surface. It is about digging to the depths. Isn't this the work that extends from the surface of the temporal lobe, which is the neocortex, to the interior, from the middle cortex of the diencephalon and cingulate gyrus to the center of the paleocortex and the hippocampus? As to how this truly mind-boggling task is usually done, it is left entirely to the automatic functioning of the person's brain.

In other words, the decision as to whether or not it will be successful depends on luck at the time, or whether the task is innately good or bad, in other words, it is a matter of "disposition." In the end, it all boils down to whether the person is smart or bad. In the end, it probably comes down to luck and talent, but he's like Tsurugi's, and he's able to control the first one at will.

Just as the second signal system freely constructs the first signal system using words, it uses a certain power to excavate the memories of the first and second signal systems from the deep depths of the sea and freely construct them. If so, what should the new system belonging to that force be called? Shouldn't it just be called the "third signal system"?

But one would say it is impossible.

But religion does it. It has a certain power to do it. In other words, esoteric Buddhism has a "third signal system."

If being smart is always due to "talent" alone and there is no other way to do it, there is no way to ask questions. However, esoteric Buddhism has the Gumonjiho. It's not just "quality" that's smart, it's what you get when you train with this technique.

In order to know the principle of the technique, it is necessary to know another mechanism of memory. Let me tell you that.

 

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メシアの法 1 システムとしての求聞持法 Messiah's Law 1 Inquisition Law as a System

2023-07-26 15:36:22 | 運命学

システムとしての求聞持法

「変身の原理」で、私は、カナダの著名な神経外科学の大家、W・ペンフィールドの発見 密教の持つすぐれた知能開発法寺聴法」のメカニズムの一端を解説した。 私はそのとき、「ひとたび修身するや、目はカメラになり、耳はテープレコーダーに変化し て、ひとたび目にし、ひとたび耳にしたことは永久に忘れなくなる技術である」と説明した。 たしかにその通りであるが、そのためにこの法を、一種の記憶力増強法、いわゆる記憶術の一 のようにうけとったひともあるようである。ページ数の関係その他の事情から十分に説明でき ず、それも無理のないことであったが、この技法が単なる記憶術のようなものであるのなら、た いした価値のないつまらないものといわればならない。なぜならば、ただ単に記憶がよくものお ぼえがよいというだけでは、ひとはよい仕事をすることができない。 ただたんにもの知りだけで はすぐれた業績をのこすことはできない。問題は、多量に持っている知識(情報)を、いかに活 用してあたらしいものを生み出すかというところにある。

い子とのよい子のちがい

ギャラップは、そるべき技術である。 知能とはなにか。 ごく大ざっぱに分けるならば、二つの

であろう。記憶と創造である。 特聡明法は、この二つのはたらきをするメカニズムに、あた らしいメカニズムをつけくわえて、あたらしい力と効果を発揮する。

この技法が、ジョージ・ギャラップや、オルダス・ハックスリーのいうように教育にとり入れ られたならば、人類のうける利益は想像することもできないほどのものである。 ギャラップのい うように、ヒトは、まさに、未来に向かって数百年の飛躍をすることができるであろう。 そういうと、そんなすばらしい技術がどうして今まで世のなかにあらわれなかったのかと、あな たは疑問に思うかも知れない。

これほどの技術が、なぜ密教寺院の片すみに埋没してしまったのか、いくつかの理由があげら れるだろうが、その最大の理由はこうである。

すぐれた古い方法がまったく見落とされてきたということは奇妙なことだ。 それに、あと になって全く忘れ去られてしまっている非常に重要な技術を発達させた個人、あるいは文化がよ くあるのだ。しかし、それらはやはり大きな価値を持ちつづけているのだ』(

といっているが、この大きな価値を持ちつづけているすぐれた方法が忘れられてしまったわけ は、それにつづくギャラップのおなじ文章のなかに見出すことができる。

システムとしての間あって、思い出される記憶と、思い出せない記憶の二つがあることを、私は、「変身の原理」 で説明した。脳の記憶のメカニズムはたいへん複雑で、それはまだ脳生理学でも十分に解明され ていないのだが、一応、その仕組みを見てみよう。

経験というのはひとつの刺激である。その刺激が記憶になるまでには、だいたいつぎのような 段階を経る刺激を感じるのは、俗にいう「五感」である。 五感とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚をい うが、こまかくかぞえればまだ多くの「感覚」があり、おなかが空いたとか、なんとなくけだ るく気分がよくない、とか、そういう身体の内部におこっていることを知ることもできる。つま り、われわれの身体の内部、外部におきていることがわれわれ自身にひとつの影響をおよぼす。 これが、「刺激」である。

こういう刺激があると、身体にある「感覚器」または「受容器」というものがこれに反応し電気的パルスを送り出す。 たとえば、 赤い花があれば、そこから反射された光が目のレンズ を通して受容器としての視神経を刺激し、視神経がパルスを送り出す。 これはパルスであって、 刺激の強さが大きければその数がふえるだけで、電圧が大きくなるわけではない。おなじよう に、皮膚になにかが触れれば、皮膚にある受容器が圧力を感じ、その圧力に応ずる数のパルスを 神経に送りこむ 次頁の上図は、このような受容器のいくつかの例である。

さて、このようにして受容器にあたえられた

 

Q&A as a system

In "Principles of Metamorphosis," I described some of the mechanisms behind W. Penfield's discovery of the remarkable intellectual development of esoteric Buddhism. At that time, I explained, "Once you practice, your eyes become cameras, your ears become tape recorders, and once you see them, and once you hear them, you never forget them." This is certainly true, but for this reason, some people seem to have accepted this method as a kind of memory enhancement method, a so-called memory technique. Due to the number of pages and other factors, it was not possible to fully explain it, and it was understandable, but if this technique is just a memorization technique, it must be said that it is worthless and trivial. For one cannot do a good job simply by having a good memory and a good memory. Mere knowledge alone does not enable him to leave behind outstanding achievements. The problem lies in how to utilize the vast amount of knowledge (information) we possess to create something new.

The difference between a good child and a good child

Gallup is

Sanna

It is a technology that should be improved. What is intelligence? Roughly speaking, there are two

Will. memory and creation. In addition to the mechanisms that perform these two functions, the Tokusōmei method adds a mechanism that is unique to her, and exerts new powers and effects.

If this technique were introduced into education, as George Gallup and Aldous Huxley say, the benefits to mankind would be unimaginable. Like Gallup's man, humans could just leap hundreds of years into the future. With that said, you may wonder why such a wonderful technology has not appeared in the world until now.

There are several reasons why such a technology has been buried in a corner of Esoteric Buddhism temples, but the biggest reason is this.

It is strange that the good old method has been so overlooked. Moreover, there are many individuals, or cultures, who have developed very important skills that have since been completely forgotten. But they still have great value.”

However, the reason why this superior method of continuing great value has been forgotten can be found in the same Gallup passage that follows.

between as a system

I explained in ``The Principle of Metamorphosis'' that there are two types of memories: memories that can be recalled and memories that cannot be recalled. The mechanism of memory in the brain is extremely complex, and it has not yet been fully elucidated even in brain physiology, but let's take a look at its mechanism.

Experience is a stimulus. Before the stimulus becomes a memory, it goes through the following stages.

It is commonly known as the “five senses” to feel stimuli. The five senses are visual, auditory, gustatory, olfactory, and tactile, but there are still many more “senses” if you count them in detail, and you can also know what is happening inside your body, such as when you are hungry, or when you feel sluggish and unwell. In other words, what is happening inside and outside our bodies has an effect on us. This is the "stimulus".

When there is such a stimulus, the "sensory organs" or "receptors" in the body react to it.

Sends out electrical pulses. For example, if there is a red flower, the light reflected from it stimulates the optic nerve as a receptor through the lens of the eye, and the optic nerve sends out pulses. These are pulses, and the greater the intensity of the stimulus, the greater the number, not the greater the voltage. Similarly, when something touches the skin, the receptors in the skin feel pressure and send out a number of pulses to the nerve corresponding to that pressure.

Now, given to the receptor in this way

 

れる。脳はその働きによって、それがなんであるかを知ることになる。これを「知覚」したとい う。つまり、赤い花の場合には、視神経をつたわって脳の後頭葉にある視覚野に達したパルス は、そこではじめて「赤い花」ということを知覚するわけである。 「聞く」という場合は、ひと つの空気振動があって、それが、鼓膜ふきんの受容器からのパルスとなって脳に達し、側頭葉の つけ根のあたりの聴覚と名づけられる部分によって、「音」としての知覚を持つということに なるのである。現在までにわかっていることは、受容器からのパルスは、それ以後の神経伝達機 構においては受容器の種類にはぜんぜん関係がなく、純粋に、パルスだけの問題になってしま う。つまり、パルスがいくつ出ているか、または出ていないか、というだけによるので、もし も、なんらかの方法で、聴覚神経と視神経とを結びかえてしまうと、われわれは光を聞き、音を 見ることができるということになるわけである。 さて、 そこで、この「知覚」されたものが、わ れわれにとって、ひとつの「情報」ということになる。

刺激(経験)→知覚→情報

と、つまり、ここまですすんできたわけである。

こういうことになる。

ところが、ここでひとつたいへん重要なことがおきる。

それは、その知覚が「意識」されない場合もある、ということである。 受容器がパルスを送り 出してそれが届いて知覚されてもそれが必ずしも、かならず意識されるとはかぎらないという とである。「見れども見えず、聞けど いったがあん、しない。 つまり、知覚しても意識していないということである。

では、そういう意識されない信号は、情報にはならないのか?

刺激 経験ということばは、意識がともなう必要があるように思われる。つまり、意識されな 刺激は経験にならないのではないかということである。 どうであろうか。しかし考えてみると われわれは日常の行動において、 それがありふれた動作の場合、意識をはたらかせることは非常 にすくない。手なれた動作や作業の場合、ほとんど無意識でおこなっている。たとえば「道を歩 「く」というようなごくありふれた動作をする場合に、われわれはほとんど意識せずに歩くという 動作をおこなっている。いちいち足のウラの感覚器官からの情報を意識していたら、たまったも のではない。しかし、足がなにかにつまずくというような、異常な状態が起きると、間髪をいれ ず意識がはたらきだす。 ということは、それまでわれわれは異常なしという情報をうけとりつづ けていたのであるが、意識はそれに注意をはらわずにおり、異常が起きた瞬間、ただちにそちら へ意識を向け直したということであろう。

そこで考えられることは、われわれがうけとる情報は、常に一時にひとつということでなく、 いつも多数の情報が同時にかさなって入ってくるので、われわれの意識はそのなかでももっとも 大きな、ということはもっとも注意をひく情報に向けられているということであろう。 電子計算 機の父といわれる故ノイマン博士の計算によれば、人間が一秒間に受けとる情報の量は一四〇〇ビットぐらいだといわれる。一ピッドというのは、イエスかノーかという情報単位であるが、 これは、われわれが知っているもっとも大きな電子計算機の記憶一〇〇万ビッドの十四万倍と いう大量のものである。これだけ大量の情報をいちいち意識することはとうてい不可能であり、 そこでわれわれの意識は、そのなかから注意を要する情報にだけ意識を向けているというわけで ある。だから、意識されなくても情報はつねに入っており、意識されない情報もあるということ になる。

そこでいままでのところをとりまとめると、こういうことになる。

 

 

1意識されない情報

2刺激経験知覚情報 2意識された情報

さて、つぎに、これらの情報が「記憶」になるわけだが、われわれは、たとえ知覚したり、感 じたりすることができても、これが記憶に残らなかったら、 「情報」として活用することはでき ない。つまり、ほんとうの情報にはなり得ないということである。 そこで問題になるのは、意識 された情報は論外として、意識されない情報はどうなのか、それも記憶になるものかということ である。しかし、これも考えてみると、スキーや水泳のように、いちいち意識しない動作でも、 練習による繰り返しを肉体がおぼえていて、これの積み重なりが熟練になるわけだから、つまり は、意識されない情報も、記憶のなかにくりこまれるということになる。そこでもっとも簡単な いい方をすれば、見たり、聞いたり、さらにそのほかのあらゆるかわ

によって感知され、これらを

新しい事態が発生すると、われわれの感覚器官は、その事によってひきされた

送り、脳はこれらの信号を感知することによって情報を得る。 これは、いうなれば「外部情報」 というべきだろう。

つぎに、脳は、以前から持っていた記憶を「内部情報」としてひきだし、外部情報と照らしあ わせることによって、はじめてこの事態を判断することになる。だから、もし、われわれが 生まれてからこのかた、ずっと感覚器官のはたらきが不完全であったら、われわれの脳のなかに ある記憶は非常に貧弱なものとなり、したがってわれわれの判断は正確を欠くことになる。だか ら、感覚器官の錬磨洗練ということは非常に大切なことであり、このことはあとになって関連す ることが出てくるから、よく記憶しておいてほしい。

さて、そこで、今までのところを総括すると、こういうことになる。

刺激(経験) 知覚情報

意識されない情報」 意識された情報

記憶

前世の記憶

では、記憶は脳のどこにたくわえられるのであろうか?

それは、大脳の側頭葉と、海馬を中心とした領域でなされるようである。

そこで、

実際に、海馬や側頭葉がこわされると、いろいろな型の記憶障害がおこることが、動物や人間 についてたしかめられている。また、側頭葉の電気刺激で過去の体験を再現することに成功した ペンフィールド博士の実験(旧)や、ネズミの海馬をこわすと判別能力がわるくなるという 条件行動の実験も、側頭葉や海馬が記憶やそれにもとづく判断のはたらきに直接関係しているこ とを示している。ただし、それは、側頭葉と海馬だけが記憶の貯蔵所という意味ではなく、記憶 はある程度、脳全体に分布しており、側頭葉と海馬は、その中心としてはたらく機能を持ってい る場所であるというように考えられている。

側頭葉は記憶の機能に密接な関連をもつ。記憶に、海馬を中心とした辺縁系が重要であること は前にものべたが、それを含む側頭葉切除では、古くたくわえられた記憶は失われないが、新し い情報を記憶に組みこみ、早期にそれを固定し、必要に応じてそれを引き出して用いるはたらき <記銘と回想)に重要な障害をきたすことが、脳外科的手術の経験の増すとともに確かめられた。 前頭葉の破壊によって古い記憶障害されにくいところをみると、記憶は広く全脳にたくわえら れるものであって、側頭葉はその出し入れと照合(解釈)に主役を演ずるものらしい』(脳のはた らき・島崎敏樹 宮坂松術著) そしてそれは海馬もおなじようなはたらきをするものと考えられる。 『記憶は多分、視床の連合や、大脳皮質では第二次運動野、第二次知覚野および連合野でたく わえられる。 触覚性の行動の 身体の部分に対応した 、

また、側頭葉表面の刺激で、短期記憶がさまたげられることや、見れているものが自覚的 初めて見るごとく感じ(未体験)、または反対に、これまでに見たことのないものが、以前に 見たごとく感じる(既視体験など、側頭葉と記憶との密接な関係はよく知られているところで あるが、刺激によって長期記憶を再生するのも側頭葉であるが、それは多分、側頭葉深部の 海馬が刺激されて、記憶貯蔵所を興奮させ、記憶されたときと同様な型の興奮を生じ、記憶が再 生されるのである。海馬を中心とする大脳辺縁系のニューロンは、知覚系、 運動系、覚醒系、動 制御系その他の機能系を連合して記憶と結合する道であり、記憶をたくわえ、または再 生する有力な道である』(脳のはたらき・吉井直三郎著)

記憶の所在は、粗大な分類にしたがえば、大脳皮質と間脳との間の広汎な領域にある。 その領 城の神経連鎖にニューロンの活動の型が記憶として残されるのであろうが、これを細胞レベルで 考えると、運動系、知覚系、覚醒系、睡眠系、動因系、制御系のいずれにあっても、その主回路 他にあると考えられる多数の副回路のなかに反射化された学習回路が残されるのであろう。 そ 故、大脳にひろく記憶が保持されているといえるであろう』(脳のはたらき 吉井直三郎著) 以上の専門学者の説明を参照した上で、私の求聞持法の体験をあわせ判断すると、記憶の場 半球内側面で間をかこむ部分、つまり「帯状回」のあたりであると私は思う。

 

 

be The brain will know what it is by its function. He says he "perceived" this. In other words, in the case of a red flower, the pulse that travels through the optic nerve and reaches the visual cortex in the occipital lobe of the brain first perceives the ``red flower''. When we say ``hear,'' there is an air vibration that is pulsed from the receptors in the eardrum and reaches the brain, where it is ``sounded'' by the area at the base of the temporal lobe called hearing. It means that we have the perception as What we know so far is that the pulse from the receptor has nothing to do with the type of receptor in the subsequent neurotransmission mechanism, and becomes purely a matter of the pulse. In other words, it depends only on how many pulses are emitted or not. It means that it can be done. Now then, this “perceived” thing becomes one piece of “information” for us.

Stimulus (experience) → Perception → Information

In other words, we've made it this far.

This is what happens.

However, there is one very important thing here.

That is, the perception may not be "conscious". He said that even if a receptor sends out a pulse that reaches and is perceived, it is not necessarily conscious. "I see, but I do not see, I hear, he said, but he does not. In other words, he perceives, but he is not conscious.

Then, do such unconscious signals not become information?

The word stimulus experience seems to have to be accompanied by consciousness. In other words, unconscious stimuli cannot become experiences. What do you think? However, if you think about it, he said that in our daily actions, when it is a common action, it is very rare for us to exercise our consciousness. In the case of familiar movements and tasks, most of them are done unconsciously. For example, when we perform a very common action such as ``walking down the street'', we are doing the action of walking almost unconsciously. If he was conscious of the information from the sensory organs on the back of his feet, he would not be able to do it. However, when an abnormal condition occurs, such as tripping over something, consciousness kicks in immediately. In other words, until then, we had been receiving information that there was no abnormality, but our consciousness did not pay attention to it, and the moment an abnormality occurred, we immediately turned our attention back to that. deaf.

What can be thought of here is that the information we receive is not always one at a time, but rather a large amount of information comes in at the same time. It is likely that it is aimed at attracting information. According to the calculations of the late Dr. Neumann, who is known as the father of electronic computers, the amount of information that humans receive per second is said to be about 1,400 bits. A pid is a unit of yes or no information, which he says is 140,000 times the memory of the largest electronic computer we know of, 1,000,000 bids. . He argues that it is impossible to be conscious of such a large amount of information one by one, and that our consciousness is focused only on the information that requires our attention. Therefore, even if we are not conscious of it, we always have information, and there is also information that we are not conscious of.

Summarizing what has been said so far, we have the following.

1 Unconscious information
2 stimulus experience perceptual information 2 conscious information

Now, next, this information becomes ``memory''. Can not. In other words, it cannot be real information. The question then becomes whether the conscious information is out of the question, and what about the unconscious information, and whether it becomes a memory. However, if you think about it, you will find that even if you are not consciously doing something like skiing or swimming, your body will remember the repetitions of practice, and the accumulation of these will make you skilled. It's going to be stuck in your memory. So, in his simplest terms, seeing, hearing, and all sorts of other

are sensed by

When a new event occurred, our sense organs were triggered by it.

The brain obtains information by sensing these signals. This should be called "external information".

Next, the brain draws out the memory it has had for a long time as "internal information" and compares it with external information to make a judgment about the situation. If, therefore, our sense organs have been imperfect all our lives, our memories of her in our brains will be very poor, and our judgments will therefore be inaccurate. will be lacking. Therefore, the training and refinement of the sense organs is very important, and I would like you to remember this well, as it will be related later.

So, to summarize what has happened so far, this is what happens.

Stimulus (experience) Perceptual information
Unconscious information Conscious information
Memory
memory of previous life

Where in the brain are memories stored?

It seems to be done in the temporal lobe of the cerebrum and the area centered on the hippocampus.

Therefore,

In fact, it has been confirmed in animals and humans that damage to the hippocampus and temporal lobes can lead to various types of memory impairment. In addition, Dr. Penfield's experiment (old), in which he succeeded in reproducing past experiences by electrical stimulation of the temporal lobe, and an experiment on conditioned behavior, in which the hippocampus of rats was damaged, their discriminative ability deteriorated, were also conducted in the temporal lobe. and the hippocampus are directly related to memory and judgment based on it. However, this does not mean that the temporal lobe and the hippocampus are the only storage areas for memory. Memories are distributed to some extent throughout the brain, and the temporal lobe and the hippocampus are places that function as the center of memory. It is thought that there is

The temporal lobe is closely related to memory functions. I mentioned earlier that the limbic system centered on the hippocampus is important for memory. Temporal lobectomy, which includes the hippocampus, does not lose old memories, but it does not lose new information. It was confirmed with increasing experience of neurosurgical operations that the function of incorporating it, fixing it at an early stage, and pulling it out and using it when necessary causes important obstacles to the function (memorization and recollection). Looking at the fact that old memories are less likely to be damaged by destruction of the frontal lobe, it seems that memories are widely stored throughout the entire brain, and that the temporal lobe plays a major role in the retrieval and collation (interpretation) of memories. Taraki, Toshiki Shimazaki, Matsujutsu Miyasaka) And it is thought that Kaiba also works in the same way. "Memories are probably stored in associations in the thalamus and, in the cerebral cortex, in the secondary motor, secondary sensory and association areas. corresponding to body parts of tactile behavior,

In addition, stimulation of the surface of the temporal lobe may interfere with short-term memory, subjective feeling that what is being seen is as if it is the first time (unexperienced), or, conversely, that something that has never been seen before may be subjective. (Although the close relationship between the temporal lobe and memory, such as déjà vu experience, is well known, it is also the temporal lobe that reproduces long-term memory by stimuli. The hippocampus in the deep part of the temporal lobe is stimulated, excites the memory storage, produces the same type of excitement as when memorized, and recalls the memory. Neurons are pathways that link sensory, motor, arousal, dynamic control, and other functional systems with memory, and are powerful pathways for storing and reproducing memories. by Naosaburo Yoshii)

Memory is located in a broad area between the cerebral cortex and diencephalon according to coarse classification. The type of neuron activity is probably left as memory in the neural chain of that territory. Even if there is, it will leave the learning circuit reflected in the many possible sub-circuits of the main circuit. Therefore, it can be said that the brain retains a wide range of memories.” Then, I think that it is around the cingulate gyrus, which is the area surrounding the medial hemisphere of the memory field.

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2023年7月26日 占い  九星  無料 今日の運命

2023-07-26 08:37:55 | 運命学

 

2023726

 

 

六白金星の日

新しい企画を持った人との接触あり。気が高ぶり争いが起りやすい。負けるは勝ち。怒ったら損、自己を誇るなかれ。心豊かにほのぼのと。

 

 

破壊の週  安の日
冷静な判断と周囲への相談を心がけたい日。
破壊の週前半で先送りにしてきた事はこの日に片付けましょう。
判断が必要な場合は迷わず周囲に相談しましょう。
心身が若干不安定なので、リラックスできる時間を十分確保することが大切です
 
 
 

不動明王

破壊と再生を司り、悪を滅する

 

不動明王(ふどうみょうおう)とは?

語源は「動かない守護者」を意味し、インド神話のシヴァ神の別名です。シヴァは暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす半面、雨によって植物を育てます。その破壊と恵みの相反する面は不動明王にも受け継がれているのです。不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守ります。

 

大日如来の化身として、どんな悪人でも仏道に導くという心の決意をあらわした姿だとされています。特に日本で信仰が広がり、お不動様の名前で親しまれています。そして、五大明王の中心的存在です。五大明王とは、不動明王を中心に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の5体のことを指し、不動を中心に東西南北に配されます。不動明王の脇侍として八大童子のうちの矜迦羅(こんがら)・制多迦(せいたか)の2童子が配されることも多いです。ちなみに不動明王の持っている龍が巻きついている炎の剣が単独で祀られている場合があります。不動明王の化身とされ、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)などと呼ばれています。

ご利益

除災招福、戦勝、悪魔退散、修行者守護、厄除災難、国家安泰、現世利益のご利益があるとされる。また、酉年生まれ守り本尊です。酉年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

不動明王(ふどうみょうおう)の像容

背の低い、ちょっと太めの童子型の造形が多く、怒りの表情をしています。目は天地眼(てんちげん)といって右目を天に向けて左目を地に向けていますよ。口は牙上下出といって右の牙を上に出して左の牙を下に出しています。炎の光背を背にし、手には剣と羂索(けんじゃく)を持っています。剣は大日如来の智慧の鋭さを表現しています。羂索とは煩悩を縛り悪の心を改心させる捕縛用の縄のことです。

愚者
正位置・・・愚かな行為。浮浪者。定職や定まった住居も無い者。流れ者。大道芸人。香具師。やくざ者。未熟。間違った道を行く。旅。ノイローゼ。精神病。狂犬病。物質への執着。愛より物質。条件をとっての結婚。
逆位置・・・希望。終わりからの再生。精神的な目覚め。悟りをひらく。学問。知識を求めての旅。海外留学。海外旅行。よい旅。
ウェイト解説
正位置・・・愚行。偏執狂。極端。酩酊。アルコール中毒。熱狂。暴露。
逆位置・・・無知。不在。分配。不注意。無感覚。無効。虚栄。
 
 
 
07月26日 (水曜)
月齢
8.21
Moon
潮汐
小潮

月名(旧暦日)
九夜月

 

 

 

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愛染明王(あいぜんみょうおう、梵: rāgarāja

2023-07-25 08:20:44 | 運命学

 

愛染明王

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2023年7月25日 占い  九星  無料 今日の運命

2023-07-25 08:09:55 | 運命学

 

 

 

2023725

 

七赤金星の日

人より協力の依頼を受けたりする日。金運、喜び事あるも調子に乗って酒色に乱れぬよう心すべき日。小利に迷わず自他喜びを共にする心掛けも大切

 

 

破壊の週  衰の日
ネガティブになりやすく、健康面でも不安定な日。
病気や怪我に十分な注意が必要です。
この日は心身を整える日だと理解して、一人でリラックスして過ごす時間を確保することが災難回避のカギです。
 
 
 

大日如来

 

 

大日如来(だいにちにょらい)とは?

大日とは「大いなる日輪」という意味です。太陽を司る毘盧舎那如来がさらに進化した仏です。密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。

 

大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの異なる捉え方があります。金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。また、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。この2つが揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がるのです。

ご利益

現世安穏、所願成就。また、未・申年生まれ守り本尊です。

大日如来(だいにちにょらい)の像容

本来、如来は出家後の釈迦の姿をモデルとしているため装飾品は身に付けていませんが、大日如来だけは別格で豪華な装飾品や宝冠を付けています。また、螺髪(らほつ)ではなく、髪を結い上げています。

 

金剛界、胎蔵界の姿でそれぞれ印の形が違います。金剛界の大日如来は、左手の人差し指を立て、その人差し指を右手で包みこむ智拳印の印相をしています。一方、胎蔵界の大日如来は、腹の前で両手の全指を伸ばして組み合わせる定印で

 

 

戦車
正位置・・・征服。勝利。凱旋。自立。出世。野望をなしとげる。困難の克服。宗教、迷信に打ち勝つ。先頭をきった最初の勝利。自力で勝ち得た成功。乗っ取り。買占め。経済的野心の成功。立身出世。力で勝ち取った恋愛。戦争。戦火。兵隊。自動車、その他乗り物。運転者。
逆位置・・・計画の挫折。恋愛などの敗北。障害。利己主義。ルーズ。他人の権利を無視する。
ウェィト解説
正位置・・・まさかの時の救助、援軍。摂理。戦争。勝利。無礼。復讐。トラブル。
逆位置・・・暴力。争い。論争。訴訟。敗北。
 
 
 
07月25日 (火曜)
月齢
7.19
Moon
潮汐
小潮
月名(旧暦日)
宵月

 

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システムとしての求聞持法

2023-07-24 19:17:59 | 運命学

システムとしての求聞持法

「変身の原理」で、私は、カナダの著名な神経外科学の大家、W・ペンフィールドの発見 密教の持つすぐれた知能開発法寺聴法」のメカニズムの一端を解説した。 私はそのとき、「ひとたび修身するや、目はカメラになり、耳はテープレコーダーに変化し て、ひとたび目にし、ひとたび耳にしたことは永久に忘れなくなる技術である」と説明した。 たしかにその通りであるが、そのためにこの法を、一種の記憶力増強法、いわゆる記憶術の一 のようにうけとったひともあるようである。ページ数の関係その他の事情から十分に説明でき ず、それも無理のないことであったが、この技法が単なる記憶術のようなものであるのなら、た いした価値のないつまらないものといわればならない。なぜならば、ただ単に記憶がよくものお ぼえがよいというだけでは、ひとはよい仕事をすることができない。 ただたんにもの知りだけで はすぐれた業績をのこすことはできない。問題は、多量に持っている知識(情報)を、いかに活 用してあたらしいものを生み出すかというところにある。

い子とのよい子のちがい

ギャラップは、

たんな

そるべき技術である。 知能とはなにか。 ごく大ざっぱに分けるならば、二つの

であろう。記憶と創造である。 特聡明法は、この二つのはたらきをするメカニズムに、あた らしいメカニズムをつけくわえて、あたらしい力と効果を発揮する。

この技法が、ジョージ・ギャラップや、オルダス・ハックスリーのいうように教育にとり入れ られたならば、人類のうける利益は想像することもできないほどのものである。 ギャラップのい うように、ヒトは、まさに、未来に向かって数百年の飛躍をすることができるであろう。 そういうと、そんなすばらしい技術がどうして今まで世のなかにあらわれなかったのかと、あな たは疑問に思うかも知れない。

これほどの技術が、なぜ密教寺院の片すみに埋没してしまったのか、いくつかの理由があげら れるだろうが、その最大の理由はこうである。

すぐれた古い方法がまったく見落とされてきたということは奇妙なことだ。 それに、あと になって全く忘れ去られてしまっている非常に重要な技術を発達させた個人、あるいは文化がよ くあるのだ。しかし、それらはやはり大きな価値を持ちつづけているのだ』(

といっているが、この大きな価値を持ちつづけているすぐれた方法が忘れられてしまったわけ は、それにつづくギャラップのおなじ文章のなかに見出すことができる。

システムとしての間

あって、思い出される記憶と、思い出せない記憶の二つがあることを、私は、「変身の原理」 で説明した。脳の記憶のメカニズムはたいへん複雑で、それはまだ脳生理学でも十分に解明され ていないのだが、一応、その仕組みを見てみよう。

経験というのはひとつの刺激である。その刺激が記憶になるまでには、だいたいつぎのような 段階を経る

刺激を感じるのは、俗にいう「五感」である。 五感とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚をい うが、こまかくかぞえればまだ多くの「感覚」があり、おなかが空いたとか、なんとなくけだ るく気分がよくない、とか、そういう身体の内部におこっていることを知ることもできる。つま り、われわれの身体の内部、外部におきていることがわれわれ自身にひとつの影響をおよぼす。 これが、「刺激」である。

こういう刺激があると、身体にある「感覚器」または「受容器」というものがこれに反応し

電気的パルスを送り出す。 たとえば、 赤い花があれば、そこから反射された光が目のレンズ を通して受容器としての視神経を刺激し、視神経がパルスを送り出す。 これはパルスであって、 刺激の強さが大きければその数がふえるだけで、電圧が大きくなるわけではない。おなじよう に、皮膚になにかが触れれば、皮膚にある受容器が圧力を感じ、その圧力に応ずる数のパルスを 神経に送りこむ 次頁の上図は、このような受容器のいくつかの例である。

さて、このようにして受容器にあたえられた

 

 

 

Q&A as a system

In "Principles of Metamorphosis," I described some of the mechanisms behind W. Penfield's discovery of the remarkable intellectual development of esoteric Buddhism. At that time, I explained, "Once you practice, your eyes become cameras, your ears become tape recorders, and once you see them, and once you hear them, you never forget them." This is certainly true, but for this reason, some people seem to have accepted this method as a kind of memory enhancement method, a so-called memory technique. Due to the number of pages and other factors, it was not possible to fully explain it, and it was understandable, but if this technique is just a memorization technique, it must be said that it is worthless and trivial. For one cannot do a good job simply by having a good memory and a good memory. Mere knowledge alone does not enable him to leave behind outstanding achievements. The problem lies in how to utilize the vast amount of knowledge (information) we possess to create something new.

The difference between a good child and a good child

Gallup is

Sanna

It is a technology that should be improved. What is intelligence? Roughly speaking, there are two

Will. memory and creation. In addition to the mechanisms that perform these two functions, the Tokusōmei method adds a mechanism that is unique to her, and exerts new powers and effects.

If this technique were introduced into education, as George Gallup and Aldous Huxley say, the benefits to mankind would be unimaginable. Like Gallup's man, humans could just leap hundreds of years into the future. With that said, you may wonder why such a wonderful technology has not appeared in the world until now.

There are several reasons why such a technology has been buried in a corner of Esoteric Buddhism temples, but the biggest reason is this.

It is strange that the good old method has been so overlooked. Moreover, there are many individuals, or cultures, who have developed very important skills that have since been completely forgotten. But they still have great value.”

However, the reason why this superior method of continuing great value has been forgotten can be found in the same Gallup passage that follows.

between as a system

I explained in ``The Principle of Metamorphosis'' that there are two types of memories: memories that can be recalled and memories that cannot be recalled. The mechanism of memory in the brain is extremely complex, and it has not yet been fully elucidated even in brain physiology, but let's take a look at its mechanism.

Experience is a stimulus. Before the stimulus becomes a memory, it goes through the following stages.

It is commonly known as the “five senses” to feel stimuli. The five senses are visual, auditory, gustatory, olfactory, and tactile, but there are still many more “senses” if you count them in detail, and you can also know what is happening inside your body, such as when you are hungry, or when you feel sluggish and unwell. In other words, what is happening inside and outside our bodies has an effect on us. This is the "stimulus".

When there is such a stimulus, the "sensory organs" or "receptors" in the body react to it.

Sends out electrical pulses. For example, if there is a red flower, the light reflected from it stimulates the optic nerve as a receptor through the lens of the eye, and the optic nerve sends out pulses. These are pulses, and the greater the intensity of the stimulus, the greater the number, not the greater the voltage. Similarly, when something touches the skin, the receptors in the skin feel pressure and send out a number of pulses to the nerve corresponding to that pressure.

Now, given to the receptor in this way

 

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今日の運命

2023-07-24 07:18:57 | 運命学

八白土星の日

内輪もめが起こりやすい。格別慈悲心が大切の日。もうけ話は損失となりやすい。

 

 

 

 

 

大日如来だいにちにょらいサンスクリット語: Mahāvairocana[1])は、真言密教の教主であるであり、密教本尊

大日如来

すべての生き物の根本となる仏

大日如来(だいにちにょらい)とは?

大日とは「大いなる日輪」という意味です。太陽を司る毘盧舎那如来がさらに進化した仏です。密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。

 

大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの異なる捉え方があります。金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。また、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。この2つが揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がるのです。

ご利益

現世安穏、所願成就。また、未・申年生まれ守り本尊です。

大日如来(だいにちにょらい)の像容

本来、如来は出家後の釈迦の姿をモデルとしているため装飾品は身に付けていませんが、大日如来だけは別格で豪華な装飾品や宝冠を付けています。また、螺髪(らほつ)ではなく、髪を結い上げています。

 

金剛界、胎蔵界の姿でそれぞれ印の形が違います。金剛界の大日如来は、左手の人差し指を立て、その人差し指を右手で包みこむ智拳印の印相をしています。一方、胎蔵界の大日如来は、腹の前で両手の全指を伸ばして組み合わせる定印です。

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今日の運命

2023-07-23 05:03:53 | 運命学

九紫火星の日

金銭問題、女性にかかわる苦労あり。人に背反されることあり。派手な苦労をする日。

 

勢至菩薩

偉大な智慧の光を持つ菩薩

勢至菩薩

偉大な智慧の光を持つ菩薩

勢至菩薩(せいしぼさつ)とは?

正しくは大勢至菩薩といいます。智慧の光ですべてのものを照らし、人々を迷いや苦しみから救うとされています。大勢至菩薩と表記されることもあります。智慧とは物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味します。

 

阿弥陀如来の右脇侍として観音菩薩と共に三尊で表され、独尊で祀られることはほとんどありません。

 

浄土信仰の高まりとともに流行する来迎形式の阿弥陀三尊の場合、観音菩薩が死者の霊をのせる蓮台を持ち、勢至菩薩が合掌をする姿でつくられます。その姿勢は、立像・坐像のほかにひざまずいた姿の跪像もみられます。

ご利益

智慧明瞭、家内安全、除災招福のご利益があるとされています。午年の人々を守る守護本尊であり、午年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるともいわれています。

勢至菩薩(せいしぼさつ)の像容

手を合わせているか水が入っている水瓶(すいびょう)を持っている姿が一般的です。

有名寺院と像

・京都府:清水寺
・奈良県:法隆寺

勢至菩薩(せいしぼさつ)の真言

オン・サンザンサク・ソワカ

 

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普賢菩薩 あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

2023-07-22 08:42:02 | 運命学

 

 

普賢菩薩(ふげんぼさつ、 samantabhadra [サマンタバドラ]、: ཀུན་ཏུ་བཟང་པོ་ [kun tu bzang po])は、大乗仏教における崇拝の対象である菩薩の一尊。文殊菩薩とともに釈迦如来脇侍として祀られることが多い[1](参照:釈迦三尊)。法要では四七日の仏とされる。

 

 

普賢菩薩

あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

普賢菩薩(ふげんぼさつ)とは?

普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩です。

 

文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られる場合もあります。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされています。また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多く信仰を集めました。

 

ちなみに普賢菩薩から派生した仏に延命のご利益のある普賢延命菩薩があります。

ご利益

女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされています。また、辰・巳年の守り本尊です。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)の像容

白象に乗っている姿が一般的です。3つや4つの頭の象に乗っている場合は普賢延命菩薩像の可能性が高いです。

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2023年7月22日 占い  九星  無料 今日の運命

2023-07-22 08:33:47 | 運命学

 

 

2023722

 

 

一白水星の日

 この日には不遇、失意気味の来訪者が多いものです。自分自身も、憂い事で憂鬱になるものです。 部下や子供の問題も出る。この日は特に陰徳に心がけることが大切です。

 

 

凌犯期間  親の日
人間関係が悪化する日。
特に身近な人からあらぬ疑いをかけられたり、誤解や勘違いをされやすい日です。
意地になって反発しても逆効果なので、落ち着いて冷静に対応することを心がけてください。
 

 

普賢菩薩 あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

 

 

 

 

普賢菩薩

あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

普賢菩薩(ふげんぼさつ)とは?

普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩です。

 

文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られる場合もあります。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされています。また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多く信仰を集めました。

 

ちなみに普賢菩薩から派生した仏に延命のご利益のある普賢延命菩薩があります。

ご利益

女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされています。また、辰・巳年の守り本尊です。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)の像容

白象に乗っている姿が一般的です。3つや4つの頭の象に乗っている場合は普賢延命菩薩像の可能性が高いです。

悪魔
正位置・・・病気。意気消沈。不況。不服。不満足。力の誤用。有益な友人を失いやすい。友人の裏切り、策謀。既婚者への愛の成就。悪への屈服。黒魔術。呪法。科学。学究。
逆位置・・・心霊学。オカルトへの理解のはじまり。臆病。屈服からの解放。病気の回避。科学性の欠如や無視。迷信。
ウェイト解説
正位置・・・破壊。暴力。激烈。異常な努力。力。運命。前もって定められていて動かせないもの(必ずしも悪いものとは限らない)。
逆位置・・・悪い宿命。弱さ。狭量。盲目。
 
 
07月22日 (土曜)
月齢
4.21
Moon
潮汐
中潮
月名(旧暦日)
夕月
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准胝観音 1 Juntei Kannon 1

2023-07-21 19:02:09 | 運命学

 

 

 

 


https://youtu.be/NdVs_ZS_OfQ

仏像の作例
経典や儀軌には二臂、四臂、六臂、十八臂、五十四臂、八十四臂を説くが、日本では『七倶胝仏母所説准提陀羅尼経』(唐・不空 訳)が広まり、そこで詳述された像容・一面三目十八臂とするものが最も多い。『仏説持明蔵瑜伽大教尊那菩薩大明成就儀軌経』(宋・法賢 訳)には、四臂は赤色(蓮華部)、六臂は黄色(宝生部)、十八臂は白色(仏部)と述べられている。また、その手の本数が多いことから、その尊像は時に千手観音と混同される場合もあるが、正面の左右の二手が「説法印」 を結んでいるのが准胝観音で、「合掌」をしているのが千手観音である。なお、醍醐寺准胝観音坐像のように、蓮華座の下に難陀・跋難陀の眷属二大龍王がいる造例が多い。

 

 

禅と准胝観音

『無門関』第三則 【倶胝竪指】(ぐていじゅし)より
  • 倶胝和尚(ぐていおしょう)は禅における馬祖の法嗣の大梅禅法常三世の法孫にあたる。この人の正確な名前は伝わっていないが、准胝観音を一心に信仰し修行前も、修行をなし終えてからも准胝観音の真言を口ずさむのが常であったため、准胝観音の別名である「七倶胝仏母」から名前を取り、倶胝和尚と呼ばれた。この人が寺を構えてそこの住職をしていたところ、尼僧が旅姿のまま土足で上がり込んで来て問答を挑み、「あなたが悟りにかなった言葉を言えば笠を取りましょう」と迫ったが、倶胝和尚が何も答えられずにいると、尼僧は吐き捨てるようにして袖を払って出て行ってしまった。倶胝和尚は一山の住職がこれではと情けなくなり悔しさのあまり涙して寝たところ、「准胝法」の特徴の一つでもある夢告によって夢に神人が現れて、もうすぐこの寺に生きた菩薩が現れると告げられた。その十日後に天龍老師という人が現れて、その人にわけを話して教えを請うたところ、天龍老師はただ黙って指を一本立てられた。その指を見たとたんに、倶胝和尚は落雷に打たれたようになってしまい、瞬時に執着に固まっていた心の底が抜け、無上の覚りを得ることが出来た。
  • それ以来、倶胝和尚は生涯にわたって准胝観音の真言を唱えるかたわら、ただ指を立てるだけで弟子や信徒らを教化したとされている。この第三則の物語を編集者の無門慧開は、「覚りは指先のことではない、しかし、そこが分かれば皆が釈迦牟尼仏となることができる」と批評している。いわゆる中国では、説法印を正面で結んで指を立てる姿の准胝観音の仏像が好まれる理由の一つでもある。

また、明代には浙江省嘉善镸の出身である袁黄(1533-1606)という人物が、当時、占いの名人とされた孔先生に「三式」という運命学を学び、師の孔先生より科挙を受けることを勧められて合格すると共に、その番号までを言い当てられた。その後の占いも一字一句が孔先生の言う通りであり、すっかり宿命論者となっていた。自身の一生を占ってもらったところ相応の出世はするが前世の(カルマ)により壽命は53歳で、結婚はするが子供は無く、薄徳少福の身で失意のうちにその一生を終えると予言されていた。やがて、仏縁により禅密双修の禅僧の雲谷禅師に出会い自身の運命を語ったところ、『七佛倶胝佛母心准提陀羅尼法』の呪法を授かり、正しく戒律を守り善行を積むための『功過格』による指導を受けたことによって運命の呪縛を脱した。壽命が尽きるとされた53歳の時に袁了凡(えんりょうぼん)と改名し、更に出世して高官となって交易と漁民に被害をなす倭寇を平定し、豊臣秀吉による朝鮮出兵の軍を退けた。准胝観音への信仰により願わずして子供にも恵まれ、その寿命も准提観音の延命の功徳と、『功過格』の積善の効果により74歳まで長生きすることができた。

 

准胝観音

仏の母といわれ母性を象徴する安産・子授けの観音菩薩

准胝観音(じゅんていかんのん)とは?

准胝仏母(じゅんていぶつも)・七倶胝仏母(しちくていぶつも)ともいいます。もとはヒンドゥー教の女神であるドゥルガーで、シヴァ神の妃とされています。とても美しい姿ですが、神々の武器を持って魔族を倒した戦いの女神です。そのため本来は女尊であり、観音ではないという指摘もあります。しかし、ここでは観音として紹介しますね。

 

仏教に取り入れられてからは慈悲深い清浄をもたらす神とされ、七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)ともいわれています。これは遙か過去より多くの仏を誕生させた仏の母という意味です。そのため、真言宗系では人道を救済する六観音(聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音)に数えられますが、天台宗系では准胝仏母といわれ如来に分類されています。不空羂索観音と合わせて七観音と呼ばれることもあります。

ご利益

修道者守護、無病息災、延命のご利益があり、安産や子供が授かるなどの功徳があります。

 

空海の孫弟子にあたる理源大師(りげんだいし)聖宝は修験の僧として知られ、自ら霊木を刻んで祀ったのが准胝観音と如意輪観音でした。経典には、修験者が准胝陀羅尼を唱えれば身が清浄となり成仏できると説かれています。また聖宝は醍醐天皇の皇子誕生を准胝観音に祈願し、のちの朱雀、村上両天皇が誕生したといいます。そのため一般的には子授け、安産としての功徳が知られています。

准胝観音(じゅんていかんのん)の像容

手は18本で3つ目の姿であることが多いです。中央の手は説法印と施無畏印をとります。また持ち物は武器や数珠、蓮華などを持っています。

Buddha statue example
Sutras and ceremonies prescribe two, four, six, eighteen, fifty-four, and eighty-four arms. In "Bussetsu Jimyozo Yuga Daikyona Bodhisattva Daimyo Jutsu Gikyo" (translated by Song and Faxen), it is stated that the four arms are red (lotus part), the six arms are yellow (hosho part), and the eighteen arms are white (buddha part). Also, due to the large number of hands, the statue is sometimes confused with Senju Kannon, but the one with two hands on the left and right in front of it is the Juntei Kannon, and the one with the palms joined together is the Senju Kannon. In addition, like the seated statue of Juntei Kannon of Daigo-ji Temple, there are many examples where the two major dragon kings, Nando and Hakunda, are under the lotus seat.

 

 

 

Zen and Juntei Kannon
"Mumonkan" 3rd Law [Guteijushi]
Gutei Osho is the descendant of Daibai Zen Hojo III, the successor to Matsu in Zen. The exact name of this person is not known, but because he devoted himself to Juntei Kannon and always sang the mantra of Juntei Kannon before and after the training, he was called Kutetsu Osho, taking his name from the other name of Juntei Kannon, 'Shichikutsubutsumo'. When this person set up a temple and was the chief priest there, a nun came in wearing her travel clothes and challenged him to a question and answer, saying, "If you speak words that are enlightened, I will take off your hat." The chief priest of Ichizan was so pitiful that this was not the case, and when he fell asleep with tears of frustration, he was told that a divine person had appeared in his dream, and that a living Bodhisattva would soon appear in this temple. Ten days later, a man named Tenryu Roshi appeared, and when I explained the reason to him and asked him to teach me, Tenryu Roshi remained silent and raised his finger. As soon as he saw his finger, Kutshou felt as if he had been struck by lightning.
Since then, Kutshou is said to have chanted Juntei Kannon's mantra for the rest of his life while he edified his disciples and followers simply by raising his finger. Ekai Mumon, the editor, criticized this story of the third law, saying, ``Awakening is not about fingertips, but if you understand that, everyone can become Shakyamuni Buddha.'' This is one of the reasons why the so-called Juntei Kannon Buddha statue, which has a preaching seal tied in front and a finger pointing up, is so popular in China.

In the Ming dynasty, Yuan Huang (1533-1606), who was born in Jiashan County, Zhejiang Province, learned the study of destiny called "three formulas" from Mr. Kong, who was considered a master of fortune-telling at the time. After that, every word and phrase of the fortune-telling was exactly as Mr. Kong said, and he became a fatalist. When he had his life foretold, it was predicted that he would succeed in life, but due to the karma of his previous life, his life expectancy would be 53 years old, he would marry but have no children, and that he would end his life in disappointment as a poor man. Before long, he met Unkoku Zenji, a Zen monk who practiced Zenmitsu and practiced zenmitsu, and told him about his own fate. At the age of fifty-three, when his life was about to expire, he changed his name to Enryobon, and furthermore, he became a high-ranking official, suppressed the Japanese invasion that caused damage to trade and fishermen, and repelled the troops dispatched to Korea by Hideyoshi TOYOTOMI. Due to his faith in Juntei Kannon, he was blessed with a child without wishing for it, and his life expectancy was extended to 74 years old due to the merit of prolonging the life of Juntei Kannon and the effect of 'Kokakaku'.

 

Juntei Kannon

Known as the mother of Buddha, the Kannon Bodhisattva of easy delivery and child-giving symbolizes motherhood

What is Juntei Kannon?

It is also called Junteibutsumo or Shichikuteibutsumo. She is originally the Hindu goddess Durga, the consort of Lord Shiva. She has a very beautiful appearance, but she is a goddess of battle who has defeated demons with the weapons of the gods. Therefore, it is pointed out that she was originally a female deity and not Kannon. However, I will introduce it as Kannon here.

 

Since it was introduced into Buddhism, it has been regarded as a god of mercy and purity, and is also known as Shichiguteibutsubo. It means the mother of Buddha who gave birth to more Buddhas than in the distant past. Therefore, in the Shingon sect, it is counted as one of the six Kannons that save humanity (Sho Kannon, Senju Kannon, Eleven-Faced Kannon, Nyoirin Kannon, Bato Kannon, and Juntei Kannon), but in the Tendai sect, it is called Juntei Butsumo and is classified as a Nyorai. She is sometimes called the Seven Kannons together with Fukyu Kannon.

benefit

There are benefits such as protection for monks, good health, life extension, and merits such as easy delivery and children.

 

Rigen Daishi, a disciple of Kukai, was known as a monk of Shugen, and enshrined Juntei Kannon and Nyoirin Kannon by carving sacred trees himself. In the sutra, it is said that if a monk chants Juntei Dharani, his body will become pure and he will be able to attain Buddhahood. In addition, Shobo prayed to Juntei Kannon for the birth of Emperor Daigo's son, and it is said that later Emperor Suzaku and Murakami were born. Therefore, it is generally known for its merits as child-bearing and safe delivery.

Appearance of Juntei Kannon

She has 18 hands and is often in the third form. The central hand takes the sermon seal and the shimui seal. Her belongings include weapons, prayer beads, and lotus flowers.

 

 

信仰の系譜

りませんよ。結婚する時だって、あなたから、自分は作家になるんだ、貧乏生活は覚悟 していてほしいといわれて、それでいいと思って結婚しました。おれは必ず芥川賞をと る、それがあなたのログセでした。あなたが事業をやっている間じゅう、失敗した時はも とより、成功している時だって、ハラハラし通しでした。自分にないものを一生懸命やっ ているあなたが気の毒に思えたり、腹が立ったりでしたが、あなたの性格で、やるだけや らなければ気がすまないのだから、いつか気がつくだろうと思って見ていました。お父さ んとお母さん、それに子どもたちの面倒はわたくしがみますから、悪いことでない限り、 あなたの思う通りに何んでもおやりなさい。ただし、わたくしの収入は当てにしないでく ださいね」

そこで、わたくしは、もっていた本や背広などを売り、四万八千円余つくった。そうし 横浜の生麦の裏長屋を一軒借りた。 六畳と三畳とお勝手という間取りであった。いま はもうこの家は残っていないと思うが、もしまだ存在しているのなら、阿含宗の発祥の地 として保存しておきたい気持である。

この長屋は、表通りから入るのに、肩幅ぐらいの狭い路地を通らねばならないから、雨 が降っても傘がさせなかったほどである。

とにかく、そこでわたくしは、それまで趣味としてやってきた運命学、 それに改めて本 格的に取り組み、人びとのために役立てようと決意した。

因縁解脱の基本は何かといえば、人のためになる、人に喜んでもらう、世の中のために

なる、いうならば、自分が徳を積むということであると思った。 いまの自分に人のために 何ができるかと考えると、何もない。 しかし、ただ一つあるとすれば、運命学の知識があ る。これだけは絶対に人に負けないだけの自信があった。一つ、この力を発揮して、人び とに因縁の何たるかを教えてあげて、悪い因縁を切るための信仰へ道を開いてあげよう。 人に尽す道はこれしかないと思った。

その当時のわたくしの信仰というと、準胝観音をご本尊とする観音信仰であった。 なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺 を決意したことがあった。

道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負っ てしまった。債権者に連日責められる羽目となった。

そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に控えて いた、田の中の工場跡へバッグ一つ提げて出かけていった。

二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。

死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったよう

信仰の系譜

りませんよ。結婚する時だって、あなたから、自分は作家になるんだ、貧乏生活は覚悟 していてほしいといわれて、それでいいと思って結婚しました。おれは必ず芥川賞をと る、それがあなたのログセでした。あなたが事業をやっている間じゅう、失敗した時はも とより、成功している時だって、ハラハラし通しでした。自分にないものを一生懸命やっ ているあなたが気の毒に思えたり、腹が立ったりでしたが、あなたの性格で、やるだけや らなければ気がすまないのだから、いつか気がつくだろうと思って見ていました。お父さ んとお母さん、それに子どもたちの面倒はわたくしがみますから、悪いことでない限り、 あなたの思う通りに何んでもおやりなさい。ただし、わたくしの収入は当てにしないでく ださいね」

そこで、わたくしは、もっていた本や背広などを売り、四万八千円余つくった。そうし 横浜の生麦の裏長屋を一軒借りた。 六畳と三畳とお勝手という間取りであった。いま はもうこの家は残っていないと思うが、もしまだ存在しているのなら、阿含宗の発祥の地 として保存しておきたい気持である。

この長屋は、表通りから入るのに、肩幅ぐらいの狭い路地を通らねばならないから、雨 が降っても傘がさせなかったほどである。

とにかく、そこでわたくしは、それまで趣味としてやってきた運命学、 それに改めて本 格的に取り組み、人びとのために役立てようと決意した。

因縁解脱の基本は何かといえば、人のためになる、人に喜んでもらう、世の中のためになる、いうならば、自分が徳を積むということであると思った。 いまの自分に人のために 何ができるかと考えると、何もない。 しかし、ただ一つあるとすれば、運命学の知識があ る。これだけは絶対に人に負けないだけの自信があった。一つ、この力を発揮して、人び とに因縁の何たるかを教えてあげて、悪い因縁を切るための信仰へ道を開いてあげよう。 人に尽す道はこれしかないと思った。

その当時のわたくしの信仰というと、準胝観音をご本尊とする観音信仰であった。 なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺 を決意したことがあった。

道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負っ てしまった。債権者に連日責められる羽目となった。

そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に控えて いた、田の中の工場跡へバッグ一つ提げて出かけていった。

二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。

死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったよう

です』と諭され、少しのお金とともにお経をくれた。それで自分も死ぬのを止め、信仰を もって一生懸命に働いた結果、こうしていっぱしの商売人になった」

と、自分の過去を、中村さんに話して聞かせた。

それ以来、その人は、自分を救ってくれた人への恩返しのつもりで、その時手渡された ものと同じ経巻をたくさんつくって、多くの人に布施しているということであった。

この話を聞かされた中村さんは、大いに勇気づけられ、その経巻と、とりあえず飢えを しのげる程度のお金をいただいて、その人の家を去った。 その後、一生懸命に働いて、つ いには、日本一といわれる製紙原料問屋を築いたというのである。

そして、その中村さんもまた、助けてくれた人と同じ道を歩みたいと、一生に何十万巻 かの観音経を布施することを念願された。

ある時、中村さんは父に向かって、

「あなたは何百人もの人を使って陸軍の大きな機械相手の仕事をされているが、非常に危 険な仕事でしょうから、一つこれをお守り代わりにみなさんに差し上げてください」

ということで、この観音経を父に一千巻布施してくださったとのことである。先に述べ た通り、父は、自分の入れた臨時人夫を指揮して二十四時間作業の機械相手の仕事をして いたのである。

父は特に信仰というものはなかったが、尊敬している人格者の中村さんのお話であった から、素直にありがたくいただき、全員に配った。 それが少し余っていたと思われる。 不思議なことに、その一巻が偶然にころがっていたわけである。どう考えてもそんなとこ ろにあるわけはないのだが、事実あったのである。いまでも不思議に思っている。

このお経には考えてみると、一つの系譜というものがある。 この経巻の布施によって、 中村さん、中村さんを助けた人、そしてまたその人を救った人等々、みな自殺を思いとど まらせている。いままた、自殺寸前のわたくしがこれを手にした。 これは本当にただ事で はない。これは自分を救おうという何か大きな目に見えない意志が働いているのではない か、この意志に従うべきではないか、その時そう思った。

その刹那、パーッと考えが変わった。ちょうど太陽が昇る瞬間に、間に光が射すかのよ うに、あるいは夜が朝に変わるかのように、心が生き生きと晴れやかになっていった。 「死ぬのをやめよう」 「生きよう」と、わたくしは自分自身に誓った。そして、この観音経 によって、わたくしが本当に救われたならば、中村語郎さんと同様に、わたくしもこのお 布施しようと決心した。

ちょうどその時、山の向こうに朝日が昇ろうとしていた。わたくしは、その太陽に向か 合掌した。そして、声を出して誓ったのである。「どうか私に再起の力をあたえて下 さい。もしも、このお経の中に書いてある通り、私が救われたならば、私は生涯にこのお 経を百万巻布施いたします」と。

その後、三年間、わたくしは死にもの狂いで働き、当時の借金は全部返済してしまった のである。

そこで、このお経の功徳が大変なものであることがわかったので、どのようにして、そ れを多くの人びとに布施するかということを考えた。要するに、この時考えたことは、う んと儲けてお寺に寄付するとか、この観音経をもとにして何かのグループを結成し、自分 がスポンサーになって、有能な有徳の士に中心になってもらい、その功徳を広めようとい うことであった。

は夢にも思っていなかった。

慈恵会の設立

も立てていたが、まさか自分自身が宗教家になろうとは、その頃

いま、阿含宗の信徒に授けている勤行式は、その経巻をそのまま模したものである。

そうした諸々の経緯を経て、生に出てきたわけであるが、その前後から、完全に治っ ていたと思っていた身体がまた悪くなり、要注意の状態になったが、行で死ぬなら本望だ という気持もあって、どんどん荒行を実行した。

一方、運命学のほうは、アマチュアではあったが、相当勉強もし、多くの人たちの運命 を実際に見るという経験も積んだ。したがってすごく当たると、一部ではかなり評判にな っていたので、ちょっと宣伝でもすれば、 昔の友人や仕事の関係者などいくらでも集まっ てきたと思う。しかし、そういう生き方、やり方では、過去の因縁を切ることにはならな

いと考え、徹底して誰にも知らせなかった。 過去とまったく絶縁することが因縁を切る第 一歩であると思った。 過去の引っかかりで収入を得たり、飯を食っていたのでは過去の業 は消えぬと思ったのだ。

このような次第で、わたくしは、生まれ変わったつもりで、自分自身が救われた観音経 にもとづき、準胝観世音菩薩をご本尊として、観音慈恵会をはじめた次第である。

それまでにわたくしは、仏教の本格的な勉強をしたことがない。だから、自分自身でも 坊主になったつもりもなければ、宗教家になったつもりもなく、一介の求道者として歩み はじめたのである。この求道生活によって、一人でも多くの人が救われることが、わたく 自身の罪障消滅になり、因縁解脱につながるのだ、という固い信念があった。

わたくしは、自分の力で、人を救うなどという大それた気持をもったことは一度もない。 自分が救われ、中村語郎さんが救われ、そのまた前の人が救われたという、この救われる 一つの系譜というか、その救いの流れの中に、人を入れてあげることによって、人を救う ことができるのではないか、あるいはその救いの流れに入るきっかけをつくってあげるだ けでも、わたくしの役割を果たすことができるのではないか、それで、人が救われるとし たら、その功徳がわたくしにきて、因縁が一つ一つ切れていくであろう。そう思って、昭 和二十九年の秋口に観音慈恵会をはじめたわけである。

 

 

genealogy of faith

I don't. Even when I got married, you told me that I would become a writer, and that I should be prepared to live in poverty. I will definitely win the Akutagawa Prize, that was your Loguse. The whole time you were in business, he was on edge when you were successful as well as when you failed. I felt sorry and annoyed that you were doing your best to do what you didn't have, but I was watching you thinking that someday you'd notice, because you're the kind of person who can't help but do as much as you can. I'll take care of your father, her mother, and the children, so do whatever you want as long as it's not bad. But please don't count on my income."

So I sold the books and suits I had, and made over 48,000 yen. That's right, I rented a tenement house in the back of Namamugi in Yokohama. It was a layout of 6 tatami mats and 3 tatami mats. He believes that the house no longer exists, but if it still exists, he wishes to preserve it as the birthplace of the Agon sect.

To enter this tenement house from the main street, one had to pass through a narrow alley about the width of one's shoulders, so even when it rained, umbrellas were not allowed.

At any rate, I decided to start working on the study of fate, which had been a hobby until then, in earnest, and to make it useful for people.

What is the basis of liberation from karma?

In other words, I thought that I was accumulating virtue. When I think about what I can do for others now, there is nothing. But if there is one thing, it is the knowledge of destiny. I was confident that I would never lose to anyone. One, let's use this power to teach people what their ties are, and open the way to the faith that will cut off bad ties. I thought this was the only way to serve people.

At that time, my faith was the Kannon faith with Juntei Kannon as the principal image. The reason why I came to have this faith is that when I made a big mistake at work, I decided to commit suicide.

It wasn't that I was having fun or being lazy, but the troubles piled up and I was burdened with a huge debt. I was forced to be blamed by my creditors day after day.

So, for a few days, I wanted to think about my future, so I went out with a bag to the ruins of a factory in Tanaka, where his father had been during the war.

After thinking about it for a few days, he came to the point that he was tired of living and that he should rather die. In other words, it means that the god of death has arrived.

At this time, I think I understood for the first time what it means to have a Shinigami.

genealogy of faith

I don't. Even when I got married, you told me that I would become a writer, and that I should be prepared to live in poverty. I will definitely win the Akutagawa Prize, that was your Loguse. The whole time you were in business, he was on edge when you were successful as well as when you failed. I felt sorry and annoyed that you were doing your best to do what you didn't have, but I was watching you thinking that someday you'd notice, because you're the kind of person who can't help but do as much as you can. I'll take care of your father, her mother, and the children, so do whatever you want as long as it's not bad. But please don't count on my income."

So I sold the books and suits I had, and made over 48,000 yen. That's right, I rented a tenement house in the back of Namamugi in Yokohama. It was a layout of 6 tatami mats and 3 tatami mats. He believes that the house no longer exists, but if it still exists, he wishes to preserve it as the birthplace of the Agon sect.

To enter this tenement house from the main street, one had to pass through a narrow alley about the width of one's shoulders, so even when it rained, umbrellas were not allowed.

At any rate, I decided to start working on the study of fate, which had been a hobby until then, in earnest, and to make it useful for people.

What is the basis of liberation from karma?

In other words, I thought that I was accumulating virtue. When I think about what I can do for others now, there is nothing. But if there is one thing, it is the knowledge of destiny. I was confident that I would never lose to anyone. One, let's use this power to teach people what their ties are, and open the way to the faith that will cut off bad ties. I thought this was the only way to serve people.

At that time, my faith was the Kannon faith with Juntei Kannon as the principal image. The reason why I came to have this faith is that when I made a big mistake at work, I decided to commit suicide.

It wasn't that I was having fun or being lazy, but the troubles piled up and I was burdened with a huge debt. I was forced to be blamed by my creditors day after day.

So, for a few days, I wanted to think about my future, so I went out with a bag to the ruins of a factory in Tanaka, where his father had been during the war.

After thinking about it for a few days, he came to the point that he was tired of living and that he should rather die. In other words, it means that the god of death has arrived.

At this time, I think I understood for the first time what it means to have a Shinigami.

', and gave me a little money and a sutra. So he himself stopped dying, and as a result of his faith and his hard work, he became a good merchant."

He told Mr. Nakamura about his own past.

Since then, this man, intending to repay the person who saved him, had made many copies of the sutras that had been handed to him at that time, and distributed them to many people.

Upon hearing this story, Mr. Nakamura was greatly encouraged, and left the man's house after receiving the sutra scroll and enough money to endure his hunger for the time being. After that, he worked hard and eventually established Japan's No. 1 paper raw material wholesaler.

And Mr. Nakamura also wanted to walk the same path as the person who helped him, and he wished to disseminate hundreds of thousands of scrolls of the Kannon Sutra in his lifetime.

One day, Mr. Nakamura turned to his father and said,

"You're working with hundreds of people working on a large machine for the army, but it's a very dangerous job, so please give me one of these as a talisman."

Therefore, he donated 1,000 scrolls of this Kannon Sutra to his father. As he said earlier, his father directed the temporary laborers he had hired to work with machines around the clock.

My father didn't have a particular faith, but he was a person of character whom I respected, Mr. Nakamura. I think it was a little left over. Strangely enough, the first volume had fallen by chance. No matter how you look at it, there's no way he could have been there, but it was a fact. I still wonder.

If you think about this sutra, there is a lineage. The offering of this sutra dissuades Mr. Nakamura, the person who helped Mr. Nakamura, and the person who saved him, and so on, from committing suicide. Now again, I got this on the verge of suicide. This is just a matter of fact and he is not. At that time, he wondered if this was some kind of great, invisible will to save himself, or that he should obey this will.

At that moment, my thoughts suddenly changed. Just at the moment when the sun rose, his mind became lively and sunny, as if a ray of light were to shine between them, or as if the night had turned into morning. "Let's stop dying", "Let's live", I vowed to myself. And if I was really saved by this Kannon Sutra, I decided to make this donation, just like Mr. Nakamura Iro.

Just then, the sun was about to rise over the mountains. I put my hands together facing the sun. Then he swore aloud. "Please give me the strength to recover. If I am saved as it is written in this sutra, I will disseminate this sutra one million times in my lifetime."

After that, I worked frantically for three years and paid off all the debts I had at that time.

Then, knowing that the merits of this sutra were great, I thought about how to bestow it on many people. In short, what he had in mind at the time was to make some kind of profit and donate it to a temple, or to form a group based on this Kannon Sutra, to become a sponsor, have talented and virtuous people play a central role, and spread the merit of the group.

never dreamed of.

Establishment of Jikeikai

At that time, I never thought that I would become a religious person myself.

The gongyo ceremony that is now given to followers of the Agon sect is an exact copy of the sutra scroll.

After all these circumstances, he came out to life, but before and after that, his body, which he thought was completely healed, became ill again, and he was in a state of needing attention.

On the other hand, although I was an amateur in fate studies, I studied a lot and gained experience in actually seeing the fate of many people. Therefore, if he hit it very well, it was quite popular in some areas, so if he advertised it a little, I think he would gather as many as his old friends and people related to his work. However, with such a way of life and way of doing things, it is not possible to cut off the ties of the past.

I didn't tell anyone about it. I thought that cutting ties with the past was the first step. He thought that he would not be able to erase his past karma by earning income or making a living from his past entanglements.

Therefore, as if I had been reborn, I started the Kannon Jikeikai, based on the Kannon Sutra, which saved me, and with Juntei Avalokiteshvara Bodhisattva as the principal image of worship.

Until then, I had never studied Buddhism seriously. Therefore, he himself did not intend to become a monk, nor did he intend to become a religious person. I had a firm belief that if as many people as possible could be saved through this life of enlightenment, it would lead to the elimination of my own sins and liberation from karma.

I have never once had such a great feeling that I could save people with my own power. I was saved, Mr. Nakamura was saved, and the person before me was saved.Isn't it possible to save people by putting them in the flow of salvation?Isn't it possible to save people? With that in mind, I started Kannon Jikeikai in the early fall of 1944.

 

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