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"未知の冒険: 深層瞑想で過去の自分を発見しよう!""An unknown adventure: Discover your past self through deep meditation!"

2023-12-11 17:39:26 | タブレットPC

 
 
深層意識を使った瞑想法では、来世の設計図を描き、霊魂の転生を視野に入れる。ヘッケルの発生法則によれば、胎児は進化の歴史を形態でたどり、十億年の記憶を持つ。輪廻転生瞑想法は生命の全記憶を深層意識で活用し、死の実態に迫る修行であり、究極の悟りをもたらす可能性がある。
  1. 深層意識を用いた瞑想法では、望む来世の状況を観想し、人生の設計図を作り、霊魂が宿る深層意識の領域に焦点を当てる。
  2. 人間の意識は表面・潜在・深層の三層に分かれ、深層意識には霊魂が宿り、死後に霊魂は肉体を離れて転生すると考えられる。
  3. 霊魂は魂塊であり、院はその核を指し、すべての過去世の記憶が詰まった存在である。
  4. ヘッケルの生物発生法則によれば、胎児は形態を通じて過去の進化をたどり、胎児の発達は生物の進化を反映している。
  5. 胎児は過去の記憶を持ち、ヘッケルの説に基づき、形態に応じて過去の歴史をその意識でたどると考えられる。
  6. 輪廻転生瞑想法では、深層意識を通じて生命の進化と転生の記憶を利用し、望む人生を観想していく。
  7. この瞑想法は死の実態に迫り、自分の死ぬ瞬間の情景が浮かぶこともあり、生と死の理解を通じて究極の悟りをもたらす可能性がある
[一、深層意識をつかう瞑想法]
わたくしが教える瞑想次第に則って、自分が望む来世の境遇・状況を明確に
強く観想していく。
どのような家庭に、どのような人間として、どのような能力・素質を持って
生まれていくかという人生の設計図を創り、それをありありと念じるのである。
人間の意識は表面意識・潜在意識・深層意識の三層に大きく分けることがで
きる。この深層意識の領域に霊魂の宿る揚がある。換言すれば、脳のある部分
に霊魂がおさまっているのである。そして人が臨終を迎えると、霊魂は肉体を
離れて霊的世界へ行き、やがて転生する。
霊魂は魂塊ともいう。魂とは霊魂全体を、院はその核をさす。鶏卵にたとえ
るならば、卵全体が魂になり、黄身が塊にあたる。この院の中に、その人のあ
らゆる記憶が詰まっている。それは現在の人生における経験だけではなく、前
世、前々世、三世前、四世前、五世前……というような、これまでのすべての
過去世における記憶が残されているのである。
いや、人間としての記憶だけではなく、さらには生命の進化の記憶も保存さ
れている。
人は前世の記憶を持つ ヘッケルの生物発生法則
一八六六年、ドイツの自然学者であり、生物学者であったヘッケル(Emst
Heinrich HaeckeDが、こういう理論を発表した。
「生物の個体発生はその系統発生をくり返す」
という有名な生物発生法則である。
これは、生物の個体発生は、系統発生のあとをたどるというものである。
この法則によると、人間は、人間の発生当時から現在の自分にいたるまでの
形態を、母胎において、つぎつぎとくり返していくのである。つまり、それま
での自分の歴史をたどるわけである。
まず、この世界における生命の発生は、原始海洋における一匹の微小なア
メーバの誕生からはじまる。そのアメーバは、たぶん、オパーリンのいうよう
に、コアセルベーションによって形成されたのであろうが、それがしだいに進
化していって、原生動物から、魚、イモリ、カメ、ウサギ、サル、というよう
に変化してきたわけである。
現代における人間の発生も、そのもっとも最初は、アメーバとまったく変わ
らぬ形態をした一匹の精虫である。母胎内の胎液(羊水)は、原始海洋の成分と
同様であり、そこで一匹の精虫は、原始の海で成長をはじめたアメーバのよう
にたくましく成長をはじめる。
三、四週間たつと、それは、明らかに魚のかたちに進化している。つまり、魚
の時代に入ったのだ。その尾は魚のような平たい尾を持っており、のどにはエ
ラの穴のような四対のさけ目が生じ、血管もまた魚のとおりに配置されてい
る。心臓も、現在のわれわれが持っているような、左右両室に分かれた上等の
ものではなく、魚とおなじような単ポンプ式のものである。
二ヵ月だつと、エラも、心臓も、尾も、すっかりなくなって、哺乳類のもの
に変わってくる。いよいよ哺乳類の時代に進化してきたわけである。この時期
には、ヒトも、牛も、犬も、豚も、区別がつかないほどよく似ている。
六ヵ月たって、サルとおなじになってきて、足など、サルのようにものをつ
かみやすい構造になっている。が、これも間もなく変化して、ヒトの足のかた
ちになってくる。
そして七ヵ月のなかばごろから、ビトはヒト独白の形態を示してきて、ヒト
に最も近いサルともはっきりちがったかたちをあらわしてくる。原始人ではあ
ろうけれども、はっきりヒトの段階に入ったわけである。
このように、人間は、十ヵ月の胎児時代に、人間発生以来の歴史、それはお
よそ十億年くらいであろうと推定されるのであるが、その長い歴史をくり返す
わけである。
以上、ヘッケルは、このことを、生物学的・解剖学的に立証した。
つまり、人間の胎児は、母胎内において、過去の進化のあとを、そのままの
形態の上でたどるということである。そうして、ヘッケルは、生物学者という
立場からであろうが、それ以上には進まなかった。すなわち、胎児は形態の上
で歴史をくり返すというだけで、胎児の意識の面にはまったく2  れなかったの
だ。
胎児は十億年の記憶を持つ
けれども、胎児は母胎内において、まったく石ころのようになんの意識も持
たないで過ごすなどということは考えられないことではないか。
わたくしは、ヘッケルのこの説の上に立って、胎児は、その形態だけ過去の
歴史をくり返すのではなく、その形態に応じて、過去の歴史をその意識の上で
ちくり返すものと考えるのである。
胎児は、当然、胎児としての意識を持つであろう。意識を持っているなら
ば、そのときの形態に応じた意識を持つのが当然である。すなわち、魚とおな
じ形態をしているとき、胎児は魚の時代であったときの意識を持ち、サルとお
なじ形態を示しているとき、胎児は、サルの時代であったときの意識をたどっ
ているわけである。
ところで、記憶とはなにかというと、過去の経験意識の蓄積である。
そのように意識が逆行して発生展開のあとをたどっていくということは、要
するに、経験意識をくり返しているということにほかならず、それは結局、過
イモリ  亀
一ヵ月目
二ヵ月目
三ヵ月目
去の記憶をたどっているという
ことであり、過去を経験してい
るということではないか。
つまり、胎児は、アメーバの
時代からヒトにいたるまでの進
化のあとを、十ヵ月の間に全部
経験しているわけである。
母胎内における生命のこの経
験は、その生命が、太古の昔か
ら現在まで生きつづけていると
いうこととまったくひとしいの
ではないか。
なぜならば、母胎内において
過去の経験を意識するというこ
とは、それが、母胎内においてでも、あるいは母胎外においてでも、経験意識
の上においては変わりないのであって、その胎児は、経験意識の上において
十億年生きてきた記憶を持つのである。
そして、十億年生きてきた記憶を持つということは、十億年生きてきたこと
とおなじではないか。
その進化の過程におけるすべての記憶が、霊魂の中に詰まっている。要する
に、アメーバの時代をはじめ魚、ワニ、ウマ、サルの時代の記憶までもが塊に
刻み込まれているのである。
人間の脳の中にそれらの記憶が残っているからこそ、人類は現在のような文
明文化を築くことができたのである。人間の進化と転生の記憶こそが文明文化
の原動力になっている、とわたくしは確信している。輪廻転生瞑想法では、そ
の生命の全記憶が記録されている深層意識をつかう。深層意識において、
「自分は、このような境遇の、こういう能力を待った人間として生まれ変わ亘
と強く念じて瞑想するのである。深層意識をもちいる瞑想であるから、過去
世の記憶がよみがえることもあるかもしれない。
この瞑想修行はじつに衝撃的な内容である。死の実態に迫る瞑想であるか
ら、自分が死ぬときの情景が頭に浮かぶこともありうる。生と死は表裏一体で
あるから、死の実態を理解してこそ、生まれることの実態もわかる。したがっ
て、輪廻転生瞑想法は人間に究極の悟りをもたらす瞑想だといえるかもしれな
い。
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因縁の不思議:仏教の教えで人生を解き明かそう」The mystery of fate: Let's unravel life with Buddhist teachings."

2023-12-11 17:35:38 | タブレットPC
すべてのものは因縁所生
 
仏教では、縁によって生じ、滅する「因縁所生」が基本。アートマンは実在せず、「無我」が強調され、輪廻転生においてもアートマンが移ることはない。バラモン教やヒンドゥー教と異なり、運命を変えることが可能とされ、仏教の縁起の法が解脱の道とされる。お釈迦さまの教えは当時の人々にプレッシャーから解放をもたらし、須陀酒の概念が成仏への不退転の法を示す。
 
  1. 仏教では、すべては因縁によって生じ、因縁によって滅すると考えられ、アートマン(永遠の自己)は存在しないとされる。
  2. 仏教の基本的な立場は、縁起の法により、人は運命を変えることができ、輪廻転生ではなく成仏が目指される。
  3. バラモン教やヒンドゥー教では輪廻転生を説くが、解脱方法が不明確であり、古代インドの人々は来世を案じて苦しんだ。
  4. お釈迦さまは縁起の法を説き、アートマンの実在を否定し、輪廻からの解脱法を示した。これが当時の人々に衝撃を与えた。
  5. 身見、疑惑、戒取は仏道修行者が断ち切らなければならない煩悩であり、これらを断ち切った者が須陀酒と呼ばれる。
  6. 須陀酒は成仏に向かう聖者であり、七度の天上界と人間界の往来を経て最終的に成仏する。
  7. 文中には縁起の法や仏教の教義に対する理解や解釈が詳細に述べられている。
 
 
 
 
 
しかし仏教では、すべては縁起であり、因縁所生のものであるから、永遠不滅の実在などなく、 あらゆる存在が業により生じ、 業によって滅していくと考えるわけです。仏教も輪廻転生を根本 教義の一つとしておりますが、アートマンが輪廻転生するとは考えません。アートマンは実在し ない。これを中国では「無我(旧訳では非我)」と訳しました。アートマンを「我」と漢訳し、そ 「我」がないということで「無我」としたわけです。 すべてが因縁により生じ、因縁によって 滅するのであるから、人は運命を変えることができるのです。それが仏教の基本的な立場であり、 バラモン教やヒンドゥー教と違う点です。
もしもアートマンが実在し、それが輪廻転生するのであるならば、人は運命を変えることも、 輪廻から解脱することもできません。 なぜならばアートマンは常住不滅・常恒不変なのですから、 消滅させることも変化させることも不可能だからです。アートマンなどは実在せず、すべてのも のが因縁によって生じ、また滅していくからこそ、人は生死輪廻から解脱することができるわ けです。お釈迦さまはそのように縁起の真理を説かれました。
さらにバラモン教やヒンドゥー教では輪廻転生を説くものの、そこからの脱出方法は、あまり 明確には示しておりませんでした。そのために古代インドの人々は、非常に苦しんだのです。輪 廻の中で生き続け、そこから脱出することがままならないわけですから、彼らは来世を案じて苦 しみました。
「来世はよい境界に生まれたい」
あるいは、
と考えました。
いかないまでも、悪に堕ちたり動物や虫に生まれて悲惨な一生を送りたくなバラモン教やヒンドゥー教も葉報思想を持っておりますから、現世で悪業を積んだならば、 来 世は悲惨なものに生まれて苦しむぞと説きます。 犬に生まれてくるかもしれないし、豚に生まれ ソーセージにされてしまうかもしれない。 またはゴキブリに生まれて、叩き殺されるかもしれ ません。 来世はなにに生まれるか分からないのですから、一分一秒たりとも気が抜けないのです。 これは古代インドの人たちにとって、すさまじいプレッシャーになりました。現代のヒンドゥー 教徒も同じです。 彼らは常に来世を考えて行動しています。 現在よりも来世のことを考えて、 戦々恐々としているのです。そして、来世で苦しみの生を享けないように、神々を拝み、供物を 捧げています。 古代インドでも現代のインドでも同じです。 これでは生きた心地がしないだろう、 とわたくしは思います。
ところがお釈迦さまが、 アートマン思想が蔓延している古代インドに出現されて、「すべては因縁所生であって、アートマンなどという常住不滅・常恒不変の実在などはない」と縁起の法を説かれ、さらには輪廻から完全に解脱する方法・成仏法を説かれたものですから、 当時の人々は、みな、びっくりしたわけです。
けれども、お釈迦さまのおっしゃることをよく聞いてみると、なるほどと納得できます。 お釈 一旦九
迦さまの教法によって、当時のインドの人々の心からプレッシャーがなくなりました。 これが、 お釈迦さまの教法がもたらした、第一の救いでした。日本人の、それも現代人のわたくしたちに はなかなか理解できませんが、彼らには最高の福音だったのです。
すべてが縁によって起こる。 縁によって生じ、緑によって滅するのであって、 常住不滅・常恒 不変のものはなにもない。これは、すばらしい真理です。 昔、日本のある名僧が、縁起の法を歌 に詠まれました。
引き寄せて結べば朱の庵かな解くれば元の野原なりけり」
じつに分かりやすい名歌ですね。野原に小屋のような庵が一軒あります。それはいろいろな木 材や茅・柴を縛ったり組んだりして造られているけれども、それらをばらばらにしてしまった ら、もとのなにもない野原に戻ってしまう。板きれ、 茅、 柴が転がっているだけの、ただの野原 です。それらの材料を集めて、家の形にしたならば庵になるけれども、ばらばらにしてしまった ら、もう庵ではありません。材料が緑によって集まり、仮合して庵になっているだけですから、 それは常恒不変ではありません。 存在はしているけれども、実在ではありません。 これを仏教で は「空」と呼びます。
人もの庵も同じです。わたくしも緑によって桐山靖雄という人間になっているだけで、桐山 靖雄としての縁がなくなったならば、違う存在になってしまいます。まさに空です。 縁起という ことは、すべてのものが条件によって変化し続けることでもありますから、古い訳では縁起の法を変易の法としております。 変易とは変化するという意味です。
お釈迦さまは、「一切は空であって一切告空)、アートマンはない(諸法無我」と説かれました。緑によって生じ、緑によって滅するのだから、 常住不滅・常恒不変の自我が実在すると考え るのは間違いなのです。
ところがそれでも、アートマンが実在すると信じている人がたくさんおります。 縁起の法が分 からない、あるいは理解しようとしないという煩悩が身見なのです。 前述のようにアートマンは 「我」と漢訳されますので、身見は別名を我見といいます。
身見のもう一つの意味は、常住不滅・常恒不変の実在がないということが理解できないために 生じる自己中心的な考え方です。 凡夫は永遠不滅の自我があると考えるために、自分に執着し、 「自分のもの」に執着します。 これを仏教では我執といいます。この世に「自分のもの」などあ りはしません。 今、自分が所有していたとしても、それは自分のところに来る緑がたまたま存在 したから、仮に自分のところにあるだけで、永遠に自分の手もとにあるわけではありません。 緑 がなくなればだれかの手に渡ったり、壊れてなくなったりします。 しかし、縁起の道理が分から ないから、
「自分のものなのに!」
と執着するのです。これも身見です。
仏道修行者は、永遠不滅の自我が実在しているという妄執と、なんでも自分中心に考える我執 を断ち切らなければならないのです。
この場合の疑惑とは、ただ物事を疑って信じないということではありません。 仏さまの正しい
教えを疑い惑って、なかなか信じないという意味での疑惑です。お釈迦さまの正法に疑いを持つ 煩悩、これが疑惑です。
戒取とは、お釈迦さまの正しい教え以外の宗教、あるいは倫理・道徳・哲学などを信じて、お 釈迦さまの真実の教法を信じようとしない煩悩です。
-三結断じた第一の聖者
以上の身見・疑惑・戒取の三つを完全に切った人が須陀酒です。 須陀酒は別名を預流といいま す。流れに預かる (入る) と書くわけですが、どのような流れに入るのでしょうか?これは聖者の流れに入るという意味です。須陀酒になった人は聖者で、須陀酒になっていない 人は凡夫です。それで須陀酒を聖俗の分かれ目とします。 須陀酒になると二度と聖者の流れから 堕ちることはなく、必ず成仏に向かいますので、これを「不退転の法を成する」というのです。 もちろん同じ須陀洹でも、須陀洹になってからの修行の具合によって、成仏までの時間は異な ります。一生懸命に修行をするならば早く成仏しますし、怠けていたならば時間がかかります。 けれどもいずれにしても、必ず最後には成仏します。
「阿含経」には、須陀は人間界と天上界を七度往来して成仏する、と記されております。 須陀 がこの世を去ると、天上界に生じて天になります。 仏教の天とは、「運を天に任せる」の「天」 のようなとらえどころのないものではなく、サンスクリット語の「デーヴァ」を訳したもので、 神の境界のことです。 仏界と人間界との間に、天上界という神々の世界があるわけです。天は仏 のように完全な解説は得ていません。 しかし、人間よりは解脱に近づいている存在です。
一般に、天は一神通を持つとされます。 ○○天という名前でお祀りされているのはみな天上界 の神々で、成仏はしていないものの一つの神通を身に備えておられます。たとえば大黒天、弁才 天韋駄天などがそうです。韋駄天は韋駄天走りという言葉があるように、駿足の神さまです。 あっという間に二、三百キロメートルくらい走ってしまいます。ですからマラソン選手などは、 韋駄天を信仰するとよいかもしれません。弁才天というのは芸能の神です。 芸能面に関する、す ばらしい神通力を持っておられます。
須陀は寿命が尽きると天になり、 一神通を使って人を救います。そのように、天上界におい でも修行するのです。 天での寿命が尽きると、須陀道は人間界に戻ってきて、ここでも世のため になるようなことをします。それで人間界での寿命が尽きたならば、再び天界に行くわけです。 合計で七回往来するとされています。
須となって天上界へ行った人がこの世に帰ってきた場合 天上界では天として一神通を 持っていたわけですから普通の人が持たないような、すばらしい力を必ず発揮します。ひょ とすると大天才といわれる人物は、天から戻ってきた人なのかもしれません。 モーツァルト (一七五六一七九一)などは、三歳のころから神童といわれ、五歳で作曲を手がけたそうです。
 
 
All things are born of fate
 
However, in Buddhism, everything is dependent on origin and is born through fate, so there is no such thing as an eternal and immortal existence, and all existence is born through karma and is destroyed through karma. Buddhism also considers reincarnation as one of its fundamental tenets, but it does not believe that the Atman reincarnates. Atman is real and he is not. In China, this was translated as "non-self" (in the old translation, non-self). Atman was translated into Chinese as ``I,'' and since there is no ``I,'' it was translated into ``non-self.'' Because everything comes into being and ends by fate, people can change their destiny. This is the basic position of Buddhism, and it is different from Brahmanism and Hinduism.
If Atman exists and reincarnates, then one cannot change one's destiny or escape from reincarnation. This is because the Atman is eternal, eternal, and unchanging, and cannot be annihilated or changed. There is no such thing as the Atman, and all things arise and perish due to fate, and it is precisely because he is the one who can liberate himself from the cycle of birth and death. The Buddha preached the truth of dependent origin in this way.
Furthermore, although Brahmanism and Hinduism preach reincarnation, they do not clearly indicate how to escape from it. The people of ancient India suffered greatly because of this. Since they continued to live in the cycle of reincarnation and were unable to escape from it, they suffered in fear of their next life.
“I want to be born with good boundaries in my next life.”
or,
I thought.
Brahmanism and Hinduism also have the idea of ``haha'', which does not want to fall into evil or be born as an animal or insect and lead a miserable life. I preach that if you are born into misery, you will suffer. You may be born a dog, or you may be born a pig and become his sausage. Or he might be born a cockroach and be beaten to death. I don't know what I will be born into in the next life, so I can't relax even for a minute. This put tremendous pressure on the people of ancient India. The same is true of modern Hindus. They always act with the afterlife in mind. They are thinking more about the next life than the present, and are fearful. In order to avoid suffering in the next life, they worship the gods and make offerings. It is the same in ancient India and modern India. I don't think this will make me feel alive.
However, the Buddha appeared in ancient India, where the idea of Atman was widespread, and preached the law of dependent origin, saying, ``Everything is due to fate, and there is no such thing as Atman, which is an ever-living, immortal, eternal, unchanging entity.'' Furthermore, the people of the time were astonished because he taught the method of attaining Buddhahood, a method for completely liberating oneself from reincarnation.
However, if you listen carefully to what Buddha says, you will understand. Interpretation once nine
Lord Buddha's teachings removed pressure from the minds of the people of India at that time. This was the first salvation brought about by Buddha's teachings. Although it is difficult for Japanese people, especially us modern people, to understand him, he was the best gospel for them.
Everything happens because of connections. It arises through connection and perishes through greenness, and there is nothing that is everlasting, eternal, or unchanging. This is a wonderful truth. A long time ago, a famous Japanese monk wrote a poem about the law of auspicious origin.
If you pull it together and tie it, it will be a vermilion hermitage, or if you untie it, it will be the original field.''
It's a great song that's really easy to understand. There is a hermitage that looks like a hut in the field. It is made of various types of wood, thatch, and brushwood tied together and tied together, but if you tear it apart, it will return to its original, empty field. It's just a field with pieces of planks, thatch, and bushes lying around. If you gather those materials and make them into a house, it becomes a hermitage, but if you break it up into pieces, it is no longer a hermitage. It is not a permanent hermitage because the materials are gathered together by the greenery and temporarily combined to form a hermitage. It exists, but it is not real. In Buddhism, this is called ``emptiness.''
The same goes for Hitomono-an. I am also Yasuo Kiriyama because of Midori, but if I were to no longer have that connection as Yasuo Kiriyama, I would become a different person. It's just empty. Dependent origin also means that everything continues to change depending on conditions, so in older translations, the law of dependent origin is the law of change. Change means to change.
The Buddha taught that ``All is empty and all is empty, and there is no Atman (all dharma is selfless.'') Since green is what arises and green is what annihilates, the ever-living, immortal, ever-changing ego is real. It is a mistake to think that.
However, there are still many people who believe that the Atman is real. The earthly desires of not knowing or not trying to understand the Law of Dependent Origination are what we see. As mentioned above, Atman is translated into Chinese as ``I,'' so ``Mimi'' is also called ``Gami.''
Another meaning of ``miken'' is the self-centered way of thinking that arises because one cannot understand that there is no eternal, eternal, and unchanging reality. Ordinary people think that they have an eternal and immortal ego, so they become attached to themselves and to what is ``their own.'' In Buddhism, this is called self-control. There is no such thing as ``mine'' in this world. Even if you own it now, it is only because the greenery that came to you happened to exist, so it is not in your hands forever. If the greenery runs out, it will end up in someone else's hands or break down and disappear. However, since he doesn't understand the principle of dependent origin,
“Even though it’s mine!”
I am obsessed with it. This is also my personal observation.
Practitioners of Buddhism must break free from the delusion that an eternal and immortal self exists and from the self-centeredness of thinking about everything.
Doubt in this case does not just mean doubting something and not believing it. Buddha's righteousness
Doubt in the sense of doubting the teachings and having a hard time believing them. The earthly desires that doubt the Buddha's righteous teachings are doubts.
Precepts are the earthly desires of people who believe in religions, ethics, morals, philosophy, etc. other than the correct teachings of the Buddha, and refuse to believe in the true teachings of the Buddha.
-The first saint who severed the three ties
A Sudarake is a person who has completely cut off all three of the above-mentioned personal observations, suspicions, and precepts. Another name for Sudakake is Yukinryu. It is written as ``to follow the flow'' (to enter), but what kind of flow do we enter into?This means to enter into the flow of the saints. Those who have become Sudakake are saints, and those who have not become Sudakake are ordinary people. Therefore, Suda sake is considered to be the dividing line between the sacred and the secular. Once you become Suda Sake, you will never fall from the stream of saints again and will definitely head towards Buddhahood, which is called ``fulfilling the unfailing Dharma.'' Of course, even within the same Suda-sun, the time it takes to reach Buddhahood differs depending on the level of training one has undergone since becoming Suda-sun. If you practice hard, you will attain Buddhahood quickly, but if you are lazy, it will take time. But either way, you will definitely attain Buddhahood in the end.
In the Agon Sutra, it is written that Sudha travels between the human world and the heavenly world seven times and attains Buddhahood. When Sudha leaves this world, he arises in the heavenly world and becomes heaven. In Buddhism, heaven is not something as elusive as the word ``heaven'' in ``leaving one's luck to heaven,'' but is a translation of the Sanskrit word ``deva,'' which refers to the boundaries of God. Between the Buddhist world and the human world, there is a world of gods called the heavenly world. Heaven has not received a complete explanation like Buddha. However, they are closer to liberation than humans.
Generally speaking, heaven is said to have one divine connection. The gods enshrined under the name ○○ten are all gods of the heavenly world, and although they have not attained Buddhahood, they possess a divine power within themselves. For example, Daikokuten, Benzai Tenvaidaten, etc. Idaten is the god of swift feet, as the word Idaten runs. He can run about two or three hundred kilometers in no time. Therefore, it may be a good idea for marathon runners to worship Idaten. Benzaiten is the god of entertainment. He has amazing supernatural powers when it comes to entertainment.
When Sudha reaches the end of his life, he becomes heaven and uses his power to save people. In the same way, he practices in the heavenly realm. When his life in heaven is over, Sudhado returns to the human world, and here too he does what he does for the world. When his life in the human world comes to an end, he goes back to heaven. It is said that there will be seven trips in total.
If a person who went to the heavenly world as a man comes back to this world, he will definitely exhibit wonderful powers that ordinary people do not have, since he had the power of one god in the heavenly world. Perhaps the person who is said to be a great genius is someone who has returned from heaven. Mozart (17561791) was said to be a child prodigy from the age of three, and began composing music at the age of five.
 
 
 
 
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2023年12月11日 九星  無料 今日の運命

2023-12-11 17:27:19 | タブレットPC



三碧木星の日
望み事を持った人が来訪する。思い掛けない事が起こる。善因善果。神、親、社会、衆生、物のご恩をかみしめ精神本位で行動すべき日 今まで9日間の行動の善悪によって思いがけない吉凶が生じます。
破壊の週  壊の日様々な災難に見舞われる日。
物事は上手くいかず、気分も落ち込み、喪失感や不安感に襲われます。
現状を変えようと躍起になっても空回りするだけです。
この日は全て受け身に徹して、周りに流されるくらいの気持ちで過ごしましょう。
 
 
 
文殊菩薩(もんじゅぼさつ、梵: mañjuśrī〈マンジュシュリー〉、梵: mañjughoṣa[1]〈マンジュゴーシャ〉、蔵: 'jam dpal〈ジャンペル〉)は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。一般に智慧を司る仏とされる[2]。その他、非人救済などの慈善事業を司るほか、日本の真言律宗では慈母供養の象徴としての一面も重視された。
 
 
 
文殊菩薩
智慧を司る学問の神様として有名な菩薩
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)とは?
正式名称は文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)といいます。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として学業向上や合格祈願に有名な菩薩です。モデルとなった人物が存在し、古代インドにあるコーサラ国の首都・舎衛国(しゃえこく)のバラモン階級の者だったといわれています。仏教の経典を書物にまとめる作業などに関わったといわれていますよ。ただし、本来は学問などの知恵を司るのは虚空蔵菩薩であり、文殊菩薩は物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「智慧」を司っています。
 
釈迦如来の左脇侍として普賢菩薩と共に三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られることもあります。
ご利益
智慧明瞭、学業成就のご利益があるとされています。また、卯年の守り本尊です。卯年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の像容
左手に剣と右手に経巻を持ち、獅子の上に置かれた蓮華台の上に座るのが一般的です。梵篋、金剛杵を立てた蓮台などを持つこともあります。
 
 
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2023年12月11日 九星  無料 今日の運命

2023-12-11 06:43:21 | タブレットPC

三碧木星の日

望み事を持った人が来訪する。思い掛けない事が起こる。善因善果。神、親、社会、衆生、物のご恩をかみしめ精神本位で行動すべき日 今まで9日間の行動の善悪によって思いがけない吉凶が生じます。

智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の像容

左手に剣と右手に経巻を持ち、獅子の上に置かれた蓮華台の上に座るのが一般的です。梵篋、金剛杵を立てた蓮台などを持つこともあります。

 

 

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2023年12月10日 九星  無料 今日の運命

2023-12-10 09:27:20 | タブレットPC

 

 

四緑木星の日

縁談、商談の来訪者あり。言動をつつしみ話を進めると良い。いつも良い日、皆良い人。こんな心境を養いたい。

 

 

 

 

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

 

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准胱観音真言で心の安らぎを:仏教への魅力に迫る"

2023-12-09 07:49:25 | タブレットPC

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深層心理の謎:子供たちと仏教の不思議なつながり」

2023-12-09 07:36:28 | タブレットPC

  • リボット・ソンデイの「特殊な祖先の欲求」は、フロイトの理論において、霊障による抑圧と関連していると考えられる。
  • 子供の心の深奥には、抑圧、葛藤、精神外傷が生じ、それが成人になっても影響を与え続ける。
  • ヒューストン・リード氏の人生は、抑圧と葛藤の谷間を彷徨っていたが、守護仏によって救われた。
  • しかし、多くの人々が同じような抑圧と葛藤に苦しんでおり、その影響は日々増している。
  • 精神的な負担を背負う人々は、平穏な人生を送りにくい。特に才能や素質がある人ほど、葛藤が激しく、性格が破綻しやすい。
  • 霊障や精神的な問題から逃れるために、アルコールや薬物への依存が見られる。それにより、犯罪行為や暴力も増加している。
  • 家族も巻き込まれ、一家心中を考える家庭も少なくない。
  • 現代社会では、子供や若者の中で急速に悩みや葛藤が増えており、これは大きな社会問題となっている。
  • 家庭の崩壊は社会の崩壊に繋がりかねず、これに対処するための対策が急務である。
  • 横変死や刑獄の因縁が増加しており、これが子供や若者の中で問題となっている。
  • エイズも同様に、霊的な要因によるものとされ、社会の表面に再び現れる可能性が指摘されている。
 
 
 
 
このフロイトの理論のなかのさまざまな影響と暗示のなかに、リボット・ソン デイのいう「特殊な祖先の欲求」 つまり、霊障のホトケによる抑圧があるとわたくし は考えるのである。その結果、子供のこころの深奥に、抑圧や葛藤、そして精神外傷 が生ずる。あるいは、抑圧や葛藤や精神外傷を避けて、こころの深奥(無意識の中) に逃げこんでしまう場合もある。しかし、これらのものは、そこにいつまでもじっと おとなしくひそんでいるということはない。 表面に出る機会をつねにうかがっている のである。 子供自体はもちろんのこと、おとなになってからも、かれはそれらのこと なにも思い出せないし、気づきもしない。 しかし、かれが気づかなくても、それら はかれの行動にたえず影響をおよぼし、かれを動かしているのである。
つまり、ヒューストン・リードの人生は、子供のころから、つねに、この抑圧と 藤の谷間をさまよいつづけていたといってもよいであろう。
かれの六十年の人生は、夢遊病者のそれとそうちがいのないものであって、ほんと うの人生はいまはじまったのだとわたくしがいったのは、このためなのである。
ヒューストン氏は幸いにしてそこから脱出することができた。守護仏によって救い 出されたのである。
しかし、こういう抑圧と葛藤の暗い谷間を、苦しみながらさまよいつづけている不 幸な人びとが、じつに多くいるのである。あなたの周囲にも、かならず何人かいるは ずである。いや、あなた自身がそうであるかも知れない。そういう不幸なひとたちは どうしたらいいのか?
おそるべき運命の反覆"
こういうひとたちの苦しみは、そうでないひとたちにはまったく不可解なものであ るといってよい。とうてい理解できないであろう。
その内面世界はつねに暗鬱であり、絶望感に覆われている。得意の知れない焦燥感 にかられてつねにいらいらしている。 これという理由もなしに、突然、すさまじい怨 の情やの念にかりたてられたり、一転して悲しみのどん底にたたき落とされたりする。そうかと思うとまた一転して、手のつけられないような様の状態になったり する。 それでいてかれらは決して精神病者ではないのである。
その特徴はすべてに衝動的である。考慮するということが、ないのではない。 しか しすぐに衝動がそれをうち消す。
そういう抑圧と葛藤からのがれるために、アルコールに走ることが多い。最近は、 シンナーや麻薬が多いようである。また、暴力行為、犯罪行為に奔るものもすくなく ない。
そこまでいかないにしても、大なり小なりこういう精神負担を背負っている人間 が、平穏無事な人生をあゆむことができないのは当然であろう。
そのなかには、卓抜した才能や、すぐれた素質を持ったひともすくなからずいる。 そういうひとほど、つきあげてくる衝動や抑圧とたたかうために、葛藤がひどく、自 暴自棄になって、性格破綻者のようになってしまいやすい。しかし、どうしてそうな るのか。自分自身も周囲のものも、まったくわからないのである。 精神科の医師の診 断をうけても、精神病ではないという診断がくだされる。精神病的ではあっても、精神病者ではないから、治療の方法がないのである。せいぜい精神安定剤をあたえるく らいであるが、そういうもので安定は得られない。いよいよ病気になっていくくらい がオチである。
本人はもとよりだが、その巻きぞえになる家族たちの苦しみも、想像以上のものが ある。一家心中を考えた家族たちもかぞえきれないくらいである。
卓抜した意志の力や、人なみすぐれた才能により、なんとか、ある程度、抑圧や葛 制御できるひとも、ごく稀れにはあるが、そういうひとたちにしても、不幸、 不 運悲惨な人生をまぬがれることはむずかしい。
精神的なものはなんとか抑制できたとしても、ソンディ理論のいう“運命の反覆" からのがれることができないからである。 霊障のホトケがたどった悲惨な運命を、無 意識のうちにたどってしまうからである。
その無気味なおそろしさを、ソンデイ自身が語っているではないか。悲惨な異母兄 の運命を、かれ自身、知らぬうちにたどりはじめていたのである。天才的なかれの知 能が、その運命の反覆を断ち切った。これは、とうてい常人のできることではない。
 
おそらくは、異母兄の霊障が、あまり強くなかったのではないかと思われる。 つよい 怨念の霊障であったら、いかなソンディ博士にしても、そうかんたんに消滅させるこ とはできなかったであろう。
この異母兄の霊障は、怨恨のそれではなく、 悔恨からきたものだったと思われる。 つよい怨恨の霊障は、守護仏と、それによる成仏法でないかぎり、 ぜったいといって いいほど、消滅できないものなのである。
なお、ちなみに、ヒューストン・リード氏の霊障は、三代ほど前の縁者で、横変死 し、生前、強度のアル中だったと思われるホトケであった。氏は、もう少しというと ころで、このホトケ"運命の反覆からのがれたのである。 幸いのことであった が、しかし、こういう不幸からのがれられないひとびとが、どれだけ多くいるであろ うか。それはもう、無数といっていいほどである。しかも、それは、日に日にふえつ つあるように思われるのである。
おそろしいのは、とくに、子供や若ものたちのあいだに急速にふえつつあることで ある。これはもう、大きな社会問題であるというべきではないか。
家庭の崩壊は社会の崩壊
このままでは、かくじつにこの社会は崩壊するだろう。
霊障という特殊な抑圧と葛藤を、深層意識の奥ふかく持つ子供と若ものが急激にふ え、そういう子供と若ものをかかえて、崩壊に瀕している家庭が急速にふえつつある のである。あいつぐ家庭の崩壊は、そのまま、社会の崩壊につながるのである。 わたくしたちは、至急、この対策を講じなければならない。
七、八年前から、わたくしは、子供たちのあいだ (大人もふくめて)に「横変死の 因縁」「刑獄の因縁」が急激に増加しつつあることを、講演に、著書に、訴え、かつ、 注意をうながしてきた。
また、五年前、エイズという聞きなれない病気が発表されたとき、わたくしは、霊 をして、この病気は「横変死の因縁」からくるもので、 霊障をともなう病気であ り、いまは表面おさまるが、二、三年後にふたたび社会の表面に出てきたときには、
 
Among the various influences and allusions in Freud's theory, I believe that there is what Libot Sondei called the ``special ancestral need,'' that is, the repression caused by the psychic disorder. The result is repression, conflict, and trauma in the depths of the child's psyche. Or they may escape into the depths of the mind (into the unconscious), avoiding repression, conflict, and trauma. But these things do not linger there forever in her meekness. She is always on the lookout for an opportunity to come to the surface. Even as an adult, let alone as a child, he cannot remember or notice any of these things. But even if he is unaware of it, they continue to influence and motivate his actions.
In other words, it can be said that Houston Reid's life has been constantly wandering in this valley of oppression and wisteria ever since he was a child.
His sixty years of life were not much different from those of a sleepwalker, and this is why I said that his life really began now.
Mr. Houston was fortunate enough to escape from there. He was rescued by the Guardian Buddha.
But there are so many unhappy people who continue to suffer and wander through the dark valleys of oppression and conflict. There must be some people around you. Or maybe you yourself are. What should he do with those unfortunate people?
A terrible reversal of fate"
The suffering of such people is utterly incomprehensible to those who are not. You will never understand.
His inner world is always gloomy and covered with despair. I'm always irritated by a feeling of impatience that I don't know what I'm good at. For no particular reason, I was suddenly spurred on by a terrifying feeling of resentment, or suddenly plunged into the depths of sorrow. When I think about it, it turns around again and becomes a situation where I can't handle it. And yet they are by no means psychopaths.
Its characteristics are all impulsive. It is not that there is nothing to consider. Only he does and the urge quickly overpowers it.
In order to escape from such oppression and conflict, I often turn to alcohol. Recently, it seems that there are many thinners and drugs. In addition, there are many cases of violent and criminal acts.
Even if it doesn't go that far, it's only natural that people who carry such mental burdens, to a greater or lesser degree, can't lead a peaceful life.
Among them, there are not a few people with outstanding talent and excellent qualities. Such people are more likely to become conflicted, desperate, and character-destroyed as they struggle with the urges and repressions that arise. But why is he like that? They are completely unaware of themselves and their surroundings. Even if you are diagnosed by a psychiatrist, you will be diagnosed as not having a mental illness. Even if they are psychotic, they are not psychopaths, so there is no cure. The best he can do is to give him tranquilizers, but they do not give him stability. The point is that you will eventually fall ill.
Not to mention the person himself, but the suffering of the family members who are involved in it is more than you can imagine. There are too many families who have considered family suicides.
There are very few people who can manage to some degree of repression and conflict through their outstanding willpower and extraordinary talent, but even such people can avoid misfortune and misfortune in their lives. It is difficult.
This is because, even if we manage to suppress the mental, we cannot escape from the "reversal of fate" that Sondy theory calls. This is because you will unconsciously follow the tragic fate of the psychic hotoke.
Isn't Sondei himself talking about that eerie horror? Unknowingly, he had begun to trace the fate of his tragic half-brother. His genius intellect cut off that reversal of fate. This is not something that ordinary people can do.
 
It is thought that perhaps his half-brother's mental disorder was not very strong. If it had been a strong grudge, even Dr. Sondy would not have been able to extinguish him so easily.
It is believed that this half-brother's mental disorder was not due to resentment, but to remorse. The spiritual hindrance of strong resentment cannot be extinguished unless there is a guardian Buddha and a method of attaining Buddhahood through it.
By the way, Mr. Houston Reed's psychiatric disorder was a relative about three generations ago, who died of a sudden accident and was believed to have been a severe alcoholic during his lifetime. He almost escaped from this reversal of fate. Well, there are already an infinite number of them, and they seem to be increasing day by day.
What is frightening is his rapid rise, especially among children and young people. Shouldn't this be a big social problem?
The collapse of the family is the collapse of society
If things go on like this, society will eventually collapse.
There is a rapid increase in the number of children and young people who are deeply conscious of the special oppression and conflict of spiritual disorder, and the number of families on the verge of collapse is rapidly increasing with such children and young people. . The collapse of one family after another leads directly to the collapse of society. We must urgently take this measure.
For the past seven or eight years, I have been making a point in my lectures and writings about the rapid increase in the number of children (including adults) who are suffering from ``deaths of sideways change'' and ``facieties of imprisonment''. , and has drawn attention.
Also, five years ago, when an unfamiliar disease called AIDS was announced, I thought to myself, "This disease is caused by the fate of sudden death." will subside on the surface, but when it reappears on the surface of society two or three years later,
 
 
 
 
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2023年12月9日 九星  無料 今日の運命

2023-12-09 07:27:30 | タブレットPC






2023年12月9日
 
五黄土星の日
小さな自我は破れやすい。絶望的な思いの人の来訪を受けたりする。名利を離れ天を相手にの心境を養え。
破壊の週  危の日
何かとトラブルに縁のある日。
勘違いや誤算、ちょっとした気の緩みから、人とぶつかることも多く、空回りしてしまいます。
他人への十分な気遣いを忘れずに。
ビジネス面ではこの日の決断は大きな賭けとなりそうです。
十分に検討を重ねたうえで判断してください。



虚空蔵菩薩 無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩
 
 
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?
  • 虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。
 
真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。
ご利益
成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。
 
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の像容
1つの顔に2本の腕を持つ、菩薩形の像です。右手に剣、左手に如意宝珠を持っているのが一般的です。五仏宝冠を戴いた坐像として表現されます。
 
 
 
太陽
正位置・・・幸運。成功。物質的にも幸福な姿。到達。獲得。幸福な結婚。恋愛の成熟。情熱。出産。期待した妊娠。繁栄。有名人。人気。出世。再会。仲直り。生命力。古い観念にとらわれない人物。自然児。大自然。南国への旅。新婚旅行。
逆位置・・・結婚生活のトラブル。婚約破棄。仕事上や家庭内の損失。中絶。流産。難産。孤独。独裁。わがままからくる人間関係の失敗。
ウェイト解説
正位置・・・物質的な幸福。幸運な結婚。満足。
逆位置・・・正位置と同じだが、意味が弱くなる。




12月09日 (土曜)月齢
25.54潮汐
長潮
月名(旧暦日)
有明月




 
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苦しいことも乗り越えて、幸せへの道!仏教の素晴らしい教え"

2023-12-08 18:48:24 | タブレットPC



  • 人間として生まれたなら、長い間にわたり苦しみ、三悪道に堕ちる可能性がある。
  • この苦しみを避け、悟りを得るためには積極的に修行し、四聖諦の悟りを学ぶべきだと仏陀は説く。
  • 仏陀の説法を聞いた弟子たちは喜び、修行に励む。
  • この経はお釈迦さまが波羅捺国の鹿野苑で説いたもので、波羅国は古代のカーシー国の首都であるバーラーナシー(ワーラーナシー)のこと。
 
If you are born as a human, you will suffer for a long time and may fall into the three evil paths.
In order to avoid this suffering and attain enlightenment, the Buddha preaches that one should actively practice ascetic practices and learn the enlightenment of the Four Noble Truths.
When the disciples heard the Buddha's sermon, they were happy and devoted themselves to their training.
This sutra was preached by the Buddha at the Deer Garden in the country of Harada, which refers to Varanasi, the capital of the ancient Kāshi state.
-三百槍の苦
 
仏道修行を進めていく上での心がまえが説かれた、『雑阿含経・百槍経』(以下『百槍経』) 講義いたします。
髪の短くれ聞きぬ。一時、仏、波羅国の仙人住処
如是我聞。一時仏住波羅橑国仙人住
鹿野苑の中に住まりたまえり。雨の時世尊、諸比丘に
ねんじゅびやくさい
ときせん もろもろびく
処鹿野苑中。爾時世尊告諸比丘。 譬 如士夫年寿百歳。有人語言。士夫若 欲聞法。 当日日三時受苦。晨朝時受 百槍苦。日中哺時。 亦復如是。 於一 日中。受三百槍苦。如是日日。至於 百歳。 然後聞法。 得無聞等。 汝寧能 不。 時彼士夫。為聞法故。悉堪能受。 所以者何。 人生於世。 長夜受苦。 有 時地獄。有時畜生。有時餓鬼。 於三
悪道 空受衆苦。 亦不聞法。 是故我 今為無間等故。不以終身受三百槍為 大苦也是故比丘。於四聖諦。 未得 無間等者。当勤方便起増上欲。 学無 間等。仏説此経已。諸比丘聞仏所説。 歡喜奉行
 
畜生、有る時は餓鬼、三悪道に於て、空しく苦を受
けた法をも聞かざるなり。是故にれ今無間等の しゅうしん 為の故に、終身三百槍を受くるを以て大苦とは為さざ るなり」。是の故に比丘、四聖師に於て、未だ無間等を得ずんば、当に勤め方使して増上欲を起し、無間等を 学すべし」と。仏此の経を説きりたまいに、諸の比 仏の所説を聞きて喜奉行しぬ。このように私は聞きました。 ある時、仏さまがバーラーナシー国の仙人住処鹿野苑にご滞在さ れていた時のことです。 ある日世尊が弟子たちに告げられました。
「たとえば、百歳の紳士がいるとしましょう。 その紳士に、ある人がこういいました。「もしも あなたが仏法を聞きたいならば、毎日三回、大きな苦しみを受けるべきです。その苦しみとは、 朝に百回槍で突かれ、同様に昼も晩も百回ずつ槍で突かれるというもので、そのように一日に合 計三百回も槍で突かれる苦しみを受けて、百歳になった時点で仏法を聴聞して最高の悟りを得る ことができるとしたならば、あなたはその苦を受けることができますか?」と。
するとその紳士は、『仏法を聞くためには、その苦しみを受けることができます。 なぜならば、
 
 
解説
人間として生を受けたならば、果てしもなく長い間にわたって苦を受け、ある時は地獄界に、あ る時は畜生界に、ある時は餓鬼界にと三悪道に堕ちて多くの苦しみを受け、さらに仏法を聴聞 することもできないからです。このことから私は、悟りを得るためには、百年の間、毎日、槍で 三百回突かれることなど、大きな苦しみとは思えません』
そのようなわけであるから比丘たちよ、四聖論においてまだ悟りを得ていない者は、あらゆる 方法を駆使して修行に励み、悟りを得ようという向上の欲を起こし、四聖諦の悟りを学びなさ 「い」
仏さまがこの経を説き終わると、仏さまの教えを聞いた弟子たちは心から喜び、修行に励みま した。
このお経は、お釈迦さまが波羅捺国の仙人の住処である鹿野苑にご滞在の時の説法を記したも のです。波羅国とは、当時、中インド・ガンジス河中流にあった、カーシー国の首都バーラー ナシーを漢字に音写したもので、現在のワーラーナシー(ベナレス) 市にあたります。
そのバーラーナシーの郊外に鹿野苑(ワーラーナシー市のサールナート付近)があります。 ここ は鹿が放し飼いにされているので、鹿野苑といわれました。日本でいえば奈良のようなところで
すが、鹿野苑は町外れにあり、いろいろな宗教の聖者や求道者の修行場であり、居住地でありま した。
そのような聖者や修行者を、パーリ語ではイシ、サンスクリット語ではリシといいます。 イシ ないしリシを漢訳経典では仙人と訳しました。 仙人という訳ははたして適切なのかと疑問に思 いますが、昔の中国の概念でいえば、たしかに仙人でしょう。 ほかに表現のしようがなかったの だろうと思います。 要するに、いろいろな宗教の聖者やその弟子たちが、 鹿野苑の中に住み、修 行に励んでいたわけですが、そういう人たちを仙人と訳したわけです。
仙人たちが住んでいた鹿野苑ですから、 仙人住処鹿野苑というわけです。 パーリ語ではイシパ タナミガダーヤといいます。パタナとは住んでいるところという意味です。鹿野苑はパーリ語 でミガダーヤですから、イシバタナ・ミガダーヤを漢訳して仙人住処鹿野苑というわけです。こ ここはお釈迦さまが成道後、五人の比丘に初めて説法をされた初転法輪の地で、仏教四大聖地の一 つに数えられます。
お釈迦さまは鹿野苑でもろもろの弟子たちに、
と説かれました。
「譬えば士夫の年寿百歳なるが如し。人有り語って言わく、『士夫若し法を聞かんとせば、 当日日三時に苦を受くべし。 朝の時に百槍の苦を受け、日中埔時にも、亦復た是の如く、一 1日の中に於て、三百槍の苦を受け、是の如く日日して、百歳に至り、然して後法を聞きなば、無 間等を得ん、汝寧ろ能うや不や』と」
お釈迦さまはたとえ話として、こういうことをお話しになられたのです。
「たとえば百歳の紳士がいるとしましょう」
お経に士夫とありますが、これはしかるべき身分の男性のことですから、現代語に訳せば紳士 です。
「その紳士に、ある人がこういいました。
経中の紳士は、
と答えました。
「もしもあなたが、因縁解脱が説かれた正しい仏法を聞きたいならば、毎日三回、大きな苦しみ を受けなければ教わることはできないけれども、あなたはそれでも仏法を聞きたいか、といわれ たらどうしますか? その苦しみとは、朝に百回槍で突かれ、同様に昼も晩も百回ずつ突かれる というもので、そのように一日に合計三百回も槍で突かれる苦しみを受けて、百歳になった時点 で初めて仏法を聴聞し、最高の悟りを得ることができるとしたならば、あなたはその苦を受けま すか?」
三百回も槍で突かれるなどということは、実際には不可能です。一度槍で突かれただけで死ん でしまいます。したがってこれは、それほどの苦しみと考えていただけばよいでしょう。
「因縁解脱をするためには、百年の間、毎日毎日、朝、昼、晩の三度にわたって、槍で百回ずつ 突かれるほどの苦しみに遭わなければならない。そういう苦しみに遭わなければ、因縁解脱の法 を教わることができないとしても、あなたは因縁解脱の道を志しますか?」
そう問われた時、みなさんはどう答えますか?かつに
「法を聞かんが為の故に、 悉く受くるに堪能せり」
これを現代語に訳せば、
となります。
「成仏の法を聞くためには、それらの苦しみに遭わなければならないというのならば、私は喜ん その苦しみを受けるでありましょう」
これは、大変な言葉です。 みなさんならば、どうしますか?
「因縁解脱行を一生懸命にやれば、必ず成仏することができる。 その代わり、この行を教わるた めには、朝、昼、晩ごとに各百回、一日に合計三百回も槍で突かれなければならない。それを百 年間続けて、初めてその修行に入れるのだよ」
そういわれたならば、みなさんはどうしますか?
「仏舎利宝珠尊解脱宝生行ができるならば、私は喜んで毎日槍で突かれましょう」
といいますか? それとも、
「そんなのまっぴらごめんだ。冗談じゃないよ。 槍で突かれるのが一回だとしても、私はごめん こうむります」
と答えるでしょうか?
おそらくはほとんどの人が後者でしょう。
しかしこの紳士は、
仏法を学びます」
「私は百年間、毎日三百回ずつ槍で突かれるような苦しみに遭っても、喜んでその苦しみを受け
と答えているわけです。それはなぜでしょうか?
輪廻転生しても存続する苦
その紳士は、
といっております。
現代語に訳すと、
となります。
「まれ・・・・・・」
「所以は何ん、人の世に生れなば、長夜に苦を受くるに、有る時は地獄、有る時は畜生、有る時 は餓鬼、 三悪道に於て、 空しく衆の苦を受けた法をも聞かざるなり。是の故に我れ今無間等 の為の故に、終身三百槍を受くるを以て大苦とは為さざるなり」
だい
「なぜならば、人間として生を受けたならば、いろいろな苦しみを受けるからです。しかも、そ の苦しみはこの一生だけではなく、永く続いていくものです。ある時は地獄界に堕ち、ある時は 畜生界に堕ち、ある時は餓鬼界に堕ちて、さまざまな苦しみに遭うでしょう。 それらの三悪道に 堕ちたならば、多くの苦しみを受けるだけでなく、仏法を聴聞することもできません。それに比 べれば、悟りを得るために、百年の間、毎日、槍で三百回突かれることなど、私には大きな苦し みとは思えないのです」
人間には来世がなく現世だけで終わるのならば、百年間で突かれるという苦しみを まで、成仏法を習う必要はないでしょう。けれども輪廻転生して、永く地獄、畜生、餓鬼の苦 しみを受けることに比べれば、百年間の苦しみなどなんでもない。永く輪廻転生して苦しむこと を考えれば、ずっと楽です。まさにこの紳士のいうとおりです。
以前に講義した『母乳経』にも、同じようなことが説かれていました(本書二一八二九頁参 照)。お釈迦さまは「母乳経」で、
「おまえたちが輪廻転生を繰り返す間に飲んだ母乳は、恒河と四大海の水量よりも多いのです。 なぜならば、おまえたちは輪廻転生中にある時はゾウとして生まれ、その時飲んだ母乳は極めて 多量です。 また、時にはラクダ・ウマ・ウシ・ロバや種々の禽獣として生まれ、その時飲んだ母 乳の量も極めて多量です。
また、おまえたちは輪廻転生の間に、時には墓場に棄てられて膿や血が多量に流出し、またあ る時には地獄・畜生・餓鬼の三悪に堕ち、髄血が流出することも同様に多量です。 弟子たちよ、 おまえたちは始まりのない昔から生死を繰り返していますが、苦の根本原因を知りません」 と修行者たちに説いておられました。まさに『百槍経』と同じ内容です。
『母乳経』の講義ではお話ししませんでしたが、世間一般の人が『母乳経』などのお経を読んで 疑問に思うのは、
「ある時はゾウとして生まれ・・・・・・また、時にはラクダ・ウマ・ウシ・ロバや種々の禽獣として生
という部分だと思います。 世間一般の人どころか、お坊さんまでもが
 
-Three Hundred Spears of Pain
Let's move forward
We will be giving a lecture on the ``Za Agon Sutra/Hyakuyari Sutra'' (hereinafter referred to as ``Hyakuyari Sutra''), which explains what to do before proceeding with Buddhist training.
I don't like short hair. Temporary residence of the immortals of Buddha and Harakuni
Please listen to me. Temporary residence of Buddha and immortal of Harakokuni
Tamaeri lived inside the deer garden. During the rain, the Blessed One, to all the bhikkhus
Nenjubiyakusai
Tokisen Moromorobikku
Shokanoen Junior High School. Venerable bhikkhus from now on. Parable Joshifu is 100 years old. Manned language. Shifuwaka Desire Law. On that day, at three o'clock, he suffered. During the Chen Dynasty, he suffered a hundred hardships. During daytime feeding. Please restore it. All day long. He is a 300-year-old man. Day by day. A hundred years old. After that, he became a listener. He is worthless. You Ning Neng Fu. Toki Kanashio. Because of the law. Thoroughly enjoyed. What is the reason? In life. Long night suffering. Hell at times. Time bastard. Hungry ghost. Ozo
Evil path, empty suffering. It is unheard of law. Therefore, I am now, I am, and I am. The great suffering is the late Bhikkhu. The Four Holy Truths. Unearned and unearned. Desire for increased convenience at work. Gakumu et al. This is the Buddhist teaching. Various bhikkhus and Buddhist temples theory. Pleasure magistrate
 
Damn, sometimes you are a hungry demon, suffering in vain in the three evil ways.
I have no choice but to listen to the rules. For this reason, I will not suffer great hardship by receiving 300 spears for the rest of my life, for the sake of his obedience.'' For this reason, Bhikkhus, among the four sages, if you have not yet attained Mugen, etc., you should work diligently, arouse the desire to increase, and study Mugen, etc.' Even though the Buddha has not finished preaching this sutra, he listens to the teachings of various Buddhists and does not perform joyful practices. This is how I heard it. One day, the Buddha was staying at Dekanoen, the abode of the immortals in the country of Varanasi. One day the Blessed One spoke to his disciples.
``For example, let's say there is a gentleman who is 100 years old. Someone said to him, ``If you want to hear Buddhism, you should undergo great suffering three times every day. He was pierced with a spear 100 times in the morning, and 100 times in the afternoon and at night, and suffered the pain of being pierced with a spear a total of 300 times a day until he was 100 years old. If you are able to attain the highest enlightenment by listening to Buddhism when you reach the age of 10, can you endure that suffering?
Then the gentleman said, ``In order to hear Buddhism, you can undergo that suffering. because,
 
 
 
Explanation
If you are born as a human, you will suffer for an endlessly long time, and at one time you will fall into the three evil paths of hell, hell, beasts, and hungry ghosts, and you will suffer a lot. This is because they are unable to listen to Buddhism and listen to Buddhism. For this reason, I do not think that being pierced with a spear three hundred times every day for a hundred years is a great hardship in order to attain enlightenment.''
Therefore, bhikkhus, those who have not yet attained enlightenment in the Four Noble Truths should use every method available to practice, develop the desire to improve, and study the Four Noble Truths. Nasa "i"
When the Buddha had finished preaching this sutra, the disciples who had heard the Buddha's teachings were truly happy and devoted themselves to their training.
This sutra is also a sermon written by the Buddha while he was staying at Shikanoen, the abode of immortals in Haraka Province. Harakuni is a kanji transcription of Balanasi, the capital of the Kāshi state, which was located in the middle reaches of the Ganges River in central India at the time, and corresponds to the present-day city of Varanasi (Benares).
On the outskirts of Varanasi is Shikanoen (near Sarnath in Varanasi city). Because there were deer roaming free here, it was called Deer Garden. In Japan, places like Nara
However, Shikanoen was located on the outskirts of town and was a training ground and residence for saints and aspirants of various religions.
Such saints and ascetics are called Ishi in Pali and Rishi in Sanskrit. Ishi or Rishi was translated as sage in the Chinese translation of the scriptures. I'm not sure if the term 'immortal' is appropriate, but in terms of the ancient Chinese concept, it would certainly be 'immortal.' I don't think he had any other way to express it. In short, saints of various religions and their disciples lived and practiced in Shikanoen, and these people were translated as hermits.
This is Shikanoen, where the immortals lived, so it is called Shikanoen, the place where the immortals lived. In Pali, it is called Isipa Tanamigadaya. Patana means a place to live. The Pali word for ``Shikanoen'' is Migadaya, so Ishibatana Migadaya is translated into Chinese as ``Shikanoen, the abode of the sage.'' This place is the place where the Buddha made his first sermon to the five bhikkhus after attaining enlightenment, and is counted as one of the four sacred sites of Buddhism.
Buddha said to his disciples at Dekaen Garden,
It was explained to me.
``For example, a Shifu's life is 100 years old.Some people say, ``If a Shifu listens to the Dharma, he must suffer suffering at three o'clock on the same day. Then, during the Sino-Pacific period, just like He who was restored, he suffered three hundred spears in one day, and just as He lived day by day, he reached the age of 100 years old, and after that he passed the Dharma. If you listen, you will have no time, and you will not be able to do anything.'
The Buddha told this as a parable.
"Let's say there's a gentleman who's a hundred years old."
The sutra says ``shifu,'' and this refers to a man of appropriate status, so if translated into modern language, he would be a gentleman.
``Someone said this to the gentleman.
The gentleman who is in the process of
I answered.
``If you want to hear the correct Buddhist teachings that teach you how to liberate yourself from fate, what would you do if someone told you that you would have to undergo great suffering three times a day in order to be able to learn it?Do you still want to hear the teachings? ?The suffering was that of being pierced with a spear a hundred times in the morning, and likewise a hundred times in the afternoon and at night; If you were to hear Buddhism for the first time at the age of 100 and be able to attain the highest level of enlightenment, would you suffer?
It is practically impossible to be speared three hundred times. Just one hit with a spear will kill you. Therefore, you can think of this as a great pain.
``In order to be liberated from one's fate, one must suffer so much that one is stabbed with a spear three times a day, morning, noon, and evening, for a hundred years. Even if you cannot learn the law of liberation, would you still aspire to the path of liberation from your relationships?”
How do you answer when asked that question?Katsuni
``Since it is for the sake of listening to the law, I thoroughly enjoy receiving it.''
Translating this into modern language,
It becomes.
``If in order to hear the Dharma of Buddhahood he must undergo such sufferings, then I will gladly let him undergo those sufferings.''
This is a difficult word. What would you all do?
``If you do the practice of liberation from one's fate with all your might, you will definitely attain Buddhahood.Instead, in order to learn this practice, you must repeat the practice 100 times in the morning, noon, and evening, for a total of 300 times a day. You have to be poked with it. You have to do that for a hundred years, and then you can enter into that training for the first time."
If that's the case, what would you do?
``If I can liberate the Buddha's relics and release the treasure from life, I will gladly be pierced with a spear every day.''
Do you mean? Or,
"I'm completely sorry for that. It's not a joke. Even if it's just one spear, I'm sorry he's going to do this."
Would you answer that?
Most people probably choose the latter.
But this gentleman
He studies Buddhism.”
``Even if I were to suffer the pain of being pierced with a spear three hundred times every day for a hundred years, I would willingly suffer it.
That's the answer. Why?
The suffering that persists even in reincarnation
That gentleman is
That's what I'm saying.
Translated into modern language,
It becomes.
"Rare..."
``What is the reason?If you are born in the world of humans, you will suffer during the long night, sometimes in hell, sometimes as an animal, sometimes as a hungry ghost, and in the three evil ways, you will suffer in vain for the people.'' I have no choice but to listen to this.For this reason, I am now doing it for the sake of Mugen, so I will not suffer great hardship by receiving 300 spears for the rest of my life.''
big
``This is because once you are born as a human being, you will undergo various kinds of suffering.Moreover, that suffering will not only last this lifetime, but will continue for a long time. You will fall into the world of beasts, and at some point you will fall into the world of hungry ghosts, where you will suffer all kinds of suffering. If you fall into these three evil paths, you will not only suffer a lot, but you will also not be able to hear the Buddha Dharma. In comparison, being pierced with a spear 300 times every day for 100 years in order to gain enlightenment does not seem like much suffering to me.
If a person has no afterlife and ends up living in this life, there would be no need for him to go through the pain of suffering for a hundred years to learn the method of attaining Buddhahood. However, a hundred years of suffering is nothing compared to being reincarnated and enduring the suffering of hell, beasts, and hungry ghosts. It's much easier if you think about suffering through reincarnation for a long time. This gentleman is exactly right.
A similar thing was explained in the ``Breast Sutra'' that I gave a lecture on earlier (see page 21,829 of this book). Buddha is a ``breastfeeding sutra,''
“The amount of mother's milk you drank during your reincarnations is greater than the amount of water in the Everlasting River and the Four Great Oceans. Because when you were in your reincarnations, you were born as elephants, and the amount of mother's milk you drank at that time was The amount of milk is extremely large. Also, sometimes babies are born as camels, horses, cows, donkeys, and various other animals, and the amount of mother's milk they drink at that time is also extremely large.
Also, during reincarnation, you are sometimes dumped in graveyards and a large amount of pus and blood flow out, and at other times you fall into the three evils of hell, beasts, and hungry ghosts, and your marrow blood flows out as well. It's a large amount. "My disciples, you have been living and dying repeatedly since time immemorial, but you do not know the root cause of suffering," he said to his ascetics. This is exactly the same content as the ``Hyakuyari Sutra''.
I didn't talk about it in the lecture on the ``Breast Sutra,'' but what the general public has questions about when they read sutras such as the ``Breast Sutra.''
``Sometimes we are born as elephants...other times we are born as camels, horses, cows, donkeys, and various other birds and animals.''
I think that's the part. Not only ordinary people, but even monks
 
 
 
 
 
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-三百槍の苦 The pain of three hundred spears

2023-12-08 14:50:57 | タブレットPC





-三百槍の苦
ひゃくふうきよう
仏道修行を進めていく上での心がまえが説かれた、『雑阿含経・百槍経』(以下『百槍経』) 講義いたします。
髪の短くれ聞きぬ。一時、仏、波羅国の仙人住処
如是我聞。一時仏住波羅橑国仙人住
鹿野苑の中に住まりたまえり。雨の時世尊、諸比丘に
ねんじゅびやくさい
ときせん もろもろびく
処鹿野苑中。爾時世尊告諸比丘。 譬 如士夫年寿百歳。有人語言。士夫若 欲聞法。 当日日三時受苦。晨朝時受 百槍苦。日中哺時。 亦復如是。 於一 日中。受三百槍苦。如是日日。至於 百歳。 然後聞法。 得無聞等。 汝寧能 不。 時彼士夫。為聞法故。悉堪能受。 所以者何。 人生於世。 長夜受苦。 有 時地獄。有時畜生。有時餓鬼。 於三
悪道 空受衆苦。 亦不聞法。 是故我 今為無間等故。不以終身受三百槍為 大苦也是故比丘。於四聖諦。 未得 無間等者。当勤方便起増上欲。 学無 間等。仏説此経已。諸比丘聞仏所説。 歡喜奉行
 
畜生、有る時は餓鬼、三悪道に於て、空しく苦を受
けた法をも聞かざるなり。是故にれ今無間等の しゅうしん 為の故に、終身三百槍を受くるを以て大苦とは為さざ るなり」。是の故に比丘、四聖師に於て、未だ無間等を得ずんば、当に勤め方使して増上欲を起し、無間等を 学すべし」と。仏此の経を説きりたまいに、諸の比 仏の所説を聞きて喜奉行しぬ。このように私は聞きました。 ある時、仏さまがバーラーナシー国の仙人住処鹿野苑にご滞在さ れていた時のことです。 ある日世尊が弟子たちに告げられました。
「たとえば、百歳の紳士がいるとしましょう。 その紳士に、ある人がこういいました。「もしも あなたが仏法を聞きたいならば、毎日三回、大きな苦しみを受けるべきです。その苦しみとは、 朝に百回槍で突かれ、同様に昼も晩も百回ずつ槍で突かれるというもので、そのように一日に合 計三百回も槍で突かれる苦しみを受けて、百歳になった時点で仏法を聴聞して最高の悟りを得る ことができるとしたならば、あなたはその苦を受けることができますか?」と。
するとその紳士は、『仏法を聞くためには、その苦しみを受けることができます。 なぜならば、
 
 
解説
人間として生を受けたならば、果てしもなく長い間にわたって苦を受け、ある時は地獄界に、あ る時は畜生界に、ある時は餓鬼界にと三悪道に堕ちて多くの苦しみを受け、さらに仏法を聴聞 することもできないからです。このことから私は、悟りを得るためには、百年の間、毎日、槍で 三百回突かれることなど、大きな苦しみとは思えません』
そのようなわけであるから比丘たちよ、四聖論においてまだ悟りを得ていない者は、あらゆる 方法を駆使して修行に励み、悟りを得ようという向上の欲を起こし、四聖諦の悟りを学びなさ 「い」
仏さまがこの経を説き終わると、仏さまの教えを聞いた弟子たちは心から喜び、修行に励みま した。
このお経は、お釈迦さまが波羅捺国の仙人の住処である鹿野苑にご滞在の時の説法を記したも のです。波羅国とは、当時、中インド・ガンジス河中流にあった、カーシー国の首都バーラー ナシーを漢字に音写したもので、現在のワーラーナシー(ベナレス) 市にあたります。
そのバーラーナシーの郊外に鹿野苑(ワーラーナシー市のサールナート付近)があります。 ここ は鹿が放し飼いにされているので、鹿野苑といわれました。日本でいえば奈良のようなところで
すが、鹿野苑は町外れにあり、いろいろな宗教の聖者や求道者の修行場であり、居住地でありま した。
そのような聖者や修行者を、パーリ語ではイシ、サンスクリット語ではリシといいます。 イシ ないしリシを漢訳経典では仙人と訳しました。 仙人という訳ははたして適切なのかと疑問に思 いますが、昔の中国の概念でいえば、たしかに仙人でしょう。 ほかに表現のしようがなかったの だろうと思います。 要するに、いろいろな宗教の聖者やその弟子たちが、 鹿野苑の中に住み、修 行に励んでいたわけですが、そういう人たちを仙人と訳したわけです。
仙人たちが住んでいた鹿野苑ですから、 仙人住処鹿野苑というわけです。 パーリ語ではイシパ タナミガダーヤといいます。パタナとは住んでいるところという意味です。鹿野苑はパーリ語 でミガダーヤですから、イシバタナ・ミガダーヤを漢訳して仙人住処鹿野苑というわけです。こ ここはお釈迦さまが成道後、五人の比丘に初めて説法をされた初転法輪の地で、仏教四大聖地の一 つに数えられます。
お釈迦さまは鹿野苑でもろもろの弟子たちに、
と説かれました。
「譬えば士夫の年寿百歳なるが如し。人有り語って言わく、『士夫若し法を聞かんとせば、 当日日三時に苦を受くべし。 朝の時に百槍の苦を受け、日中埔時にも、亦復た是の如く、一 1日の中に於て、三百槍の苦を受け、是の如く日日して、百歳に至り、然して後法を聞きなば、無 間等を得ん、汝寧ろ能うや不や』と」
お釈迦さまはたとえ話として、こういうことをお話しになられたのです。
「たとえば百歳の紳士がいるとしましょう」
お経に士夫とありますが、これはしかるべき身分の男性のことですから、現代語に訳せば紳士 です。
「その紳士に、ある人がこういいました。
経中の紳士は、
と答えました。
「もしもあなたが、因縁解脱が説かれた正しい仏法を聞きたいならば、毎日三回、大きな苦しみ を受けなければ教わることはできないけれども、あなたはそれでも仏法を聞きたいか、といわれ たらどうしますか? その苦しみとは、朝に百回槍で突かれ、同様に昼も晩も百回ずつ突かれる というもので、そのように一日に合計三百回も槍で突かれる苦しみを受けて、百歳になった時点 で初めて仏法を聴聞し、最高の悟りを得ることができるとしたならば、あなたはその苦を受けま すか?」
三百回も槍で突かれるなどということは、実際には不可能です。一度槍で突かれただけで死ん でしまいます。したがってこれは、それほどの苦しみと考えていただけばよいでしょう。
「因縁解脱をするためには、百年の間、毎日毎日、朝、昼、晩の三度にわたって、槍で百回ずつ 突かれるほどの苦しみに遭わなければならない。そういう苦しみに遭わなければ、因縁解脱の法 を教わることができないとしても、あなたは因縁解脱の道を志しますか?」
そう問われた時、みなさんはどう答えますか?かつに
「法を聞かんが為の故に、 悉く受くるに堪能せり」
これを現代語に訳せば、
となります。
「成仏の法を聞くためには、それらの苦しみに遭わなければならないというのならば、私は喜ん その苦しみを受けるでありましょう」
これは、大変な言葉です。 みなさんならば、どうしますか?
「因縁解脱行を一生懸命にやれば、必ず成仏することができる。 その代わり、この行を教わるた めには、朝、昼、晩ごとに各百回、一日に合計三百回も槍で突かれなければならない。それを百 年間続けて、初めてその修行に入れるのだよ」
そういわれたならば、みなさんはどうしますか?
「仏舎利宝珠尊解脱宝生行ができるならば、私は喜んで毎日槍で突かれましょう」
といいますか? それとも、
「そんなのまっぴらごめんだ。冗談じゃないよ。 槍で突かれるのが一回だとしても、私はごめん こうむります」
と答えるでしょうか?
おそらくはほとんどの人が後者でしょう。
しかしこの紳士は、
仏法を学びます」
「私は百年間、毎日三百回ずつ槍で突かれるような苦しみに遭っても、喜んでその苦しみを受け
と答えているわけです。それはなぜでしょうか?
輪廻転生しても存続する苦
その紳士は、
といっております。
現代語に訳すと、
となります。
「まれ・・・・・・」
「所以は何ん、人の世に生れなば、長夜に苦を受くるに、有る時は地獄、有る時は畜生、有る時 は餓鬼、 三悪道に於て、 空しく衆の苦を受けた法をも聞かざるなり。是の故に我れ今無間等 の為の故に、終身三百槍を受くるを以て大苦とは為さざるなり」
だい
「なぜならば、人間として生を受けたならば、いろいろな苦しみを受けるからです。しかも、そ の苦しみはこの一生だけではなく、永く続いていくものです。ある時は地獄界に堕ち、ある時は 畜生界に堕ち、ある時は餓鬼界に堕ちて、さまざまな苦しみに遭うでしょう。 それらの三悪道に 堕ちたならば、多くの苦しみを受けるだけでなく、仏法を聴聞することもできません。それに比 べれば、悟りを得るために、百年の間、毎日、槍で三百回突かれることなど、私には大きな苦し みとは思えないのです」
人間には来世がなく現世だけで終わるのならば、百年間で突かれるという苦しみを まで、成仏法を習う必要はないでしょう。けれども輪廻転生して、永く地獄、畜生、餓鬼の苦 しみを受けることに比べれば、百年間の苦しみなどなんでもない。永く輪廻転生して苦しむこと を考えれば、ずっと楽です。まさにこの紳士のいうとおりです。
以前に講義した『母乳経』にも、同じようなことが説かれていました(本書二一八二九頁参 照)。お釈迦さまは「母乳経」で、
「おまえたちが輪廻転生を繰り返す間に飲んだ母乳は、恒河と四大海の水量よりも多いのです。 なぜならば、おまえたちは輪廻転生中にある時はゾウとして生まれ、その時飲んだ母乳は極めて 多量です。 また、時にはラクダ・ウマ・ウシ・ロバや種々の禽獣として生まれ、その時飲んだ母 乳の量も極めて多量です。
また、おまえたちは輪廻転生の間に、時には墓場に棄てられて膿や血が多量に流出し、またあ る時には地獄・畜生・餓鬼の三悪に堕ち、髄血が流出することも同様に多量です。 弟子たちよ、 おまえたちは始まりのない昔から生死を繰り返していますが、苦の根本原因を知りません」 と修行者たちに説いておられました。まさに『百槍経』と同じ内容です。
『母乳経』の講義ではお話ししませんでしたが、世間一般の人が『母乳経』などのお経を読んで 疑問に思うのは、
「ある時はゾウとして生まれ・・・・・・また、時にはラクダ・ウマ・ウシ・ロバや種々の禽獣として生
という部分だと思います。 世間一般の人どころか、お坊さんまでもが
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「七科三十七道品」または「三十七菩提分法」は、ニルヴァーナの智慧を獲得するための修行法

2023-12-08 11:20:17 | タブレットPC



  1. ニルヴァーナの智慧を獲得する修行法は「七科三十七道品」または「三十七菩提分法」と呼ばれる。
  2. これは七つのシステムと三十七のカリキュラムから成り立っており、「神聖なる智慧を獲得するための七種のシステムと、三十七種類のカリキュラム」とも表現される。
  3. 阿含の経典には、ブッダによって説かれたニルヴァーナの智慧を獲得するための修行法が含まれている。
  4. これらの修行法は「七科三十七道品」または「三十七菩提分法」として知られ、アビダルマ論師によって名付けられた。
  5. パーリ文「中阿含」第百三の kinti sutta によれば、四念住法から八正道法まで、ブッダが明示的に説いた智慧の獲得の修行法が示されている。
  6. 四念住法は身念住、受念住、心念住、法念住の四つの内観・瞑想法から成る。
  7. 四正断法は断断、律儀断、随護断、修断の四つの修行からなる。
  8. 四神足法は欲神足、勤神足、心神足、観神足の四つの修行で、神通力を得るためのもの。
  9. 五根法は信根、精進根、念根、定根、慧根の五つで、仏法僧の三宝への信と能力を高める修行。
  10. 五力法は信力、精進力、念力、定力、慧力(または智力)の五つで、高度な力を得るための修行。
  11. 七覚支法は択法覚支、精進覚支、喜覚支、軽安覚支、捨覚支、定覚支、念覚支の七つで、ニルヴァーナへの道を示す。
  12. 八正道法は正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つで、理想の境地に達するための道。
 
ニルヴァーナの智慧を獲得する修行法
「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法(ぼだいぶんぽう)」

神聖なる智慧を獲得するための七種類のシステムと、三十七種類のカリキュラム
ブッダの説かれた阿含の経典群の中には、ニルヴァーナを表現したと思われる経典、仏典を見出すことができるのです。
それどころか、ニルヴァーナの智慧を獲得する修行法までも、発見できるのです。
その修行法とは、「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」と名づけられた修行法です。これは、七科目・三十七種類にわたる教科目であり、桐山管長は、これを「神聖なる智慧を獲得するための七種のシステムと、三十七種類のカリキュラム」と呼んでいます。世の人々は、大乗仏教だけしか知らないために、仏教にこういう経典のあることをほとんど知りません。
パーリ文「中阿含」第百三の kinti sutta につぎのように述べられています。
ここに比丘らよ、われによりて法は悟られ、汝らに説かれたり。すなわち四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道これなり。それゆえにすべての比丘らは相和し相欣び、争うことなくして、これを学ばざるべからず。
ブッダによってさとられた智慧の獲得の修行法、実践法が、ここに明らかにのべられています。
阿含経に説かれたこの七科目の修行法は、アビダルマ論師によって「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」と名づけられました。さとりにいたる三十七の修行法という意味です。
四念住法(しねんじゅうほう)
旧訳では四念処(しねんじょ)といいます。四念処観ともいいます。さとりを得るための四種の内観・瞑想法です。身念住(しんねんじゅう)・受念住(じゅねんじゅう)・心念住(しんねんじゅう)・法念住(ほうねんじゅう)の四つです。
四正断法(ししょうだんほう)
旧訳では四正勤といいます。断断(だんだん)・律儀断(りつぎだん)・随護断(ずいごだん)・修断(しゅだん)の4つの修行。
四神足法(しじんそくほう)
四如意足とも訳す。
四つの自在力を得るための根拠となるもの。超自然的な神通力を得るための4種『欲神足(よくじんそく)・勤神足(ごんじんそく)・心神足(しんじんそく)・観神足(かんじんそく)』の修行法。
五根法(ごこんほう)
信根(しんこん)・精進根(しょうじんこん)・念根(ねんこん)・定根(じょうこん)・慧根(えこん)の五つ。根とは自由にはたらく能力をいう。仏法僧の三宝にたいする信と、精進・念・禅定(瞑想)・智慧が、ニルヴァーナに向かって高い能力を発揮する修行。
五力法(ごりきほう)
信力(しんりき)・精進力(しょうじんりき)・念力(ねんりき)・定力(じょうりき)・慧力(えりき)(または智力)。ニルヴァーナに至る高度な力を得る修行。
七覚支法(しちかくしほう)
択法覚支(ちゃくほうかくし)・精進覚支(しょうじんかくし)・喜覚支(きかくし)・軽安覚支(きょうあんかくし)・捨覚支(しゃかくし)・定覚支(じょうかくし)・念覚支(ねんかくし)の七つをいう。ニルヴァーナへみちびく七つの修行。
八正道法(はっしょうどうほう)(八聖道とも書く)
理想の境地に達するための八つの道『正見(しょうけん)・正思惟(しょうしゆい)・正語(しょうご)・正業(しょうごう)・正命(しょうみょう)・正精進(しょうじん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)』
以上が、「七科三十七道品」です。
四念住法・五根法、これは、瞑想です。
四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想です。
四神足法は、特殊な tapas( 練行)です。神足とは、神通力(超人的能力)のことで、この四神足法は、超自然的な神通力を得るための四種の修行法です。
 
 
 
 
ニルヴァーナの智慧を獲得する修行法
「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法(ぼだいぶんぽう)」

神聖なる智慧を獲得するための七種類のシステムと、三十七種類のカリキュラム
ブッダの説かれた阿含の経典群の中には、ニルヴァーナを表現したと思われる経典、仏典を見出すことができるのです。
それどころか、ニルヴァーナの智慧を獲得する修行法までも、発見できるのです。
その修行法とは、「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」と名づけられた修行法です。これは、七科目・三十七種類にわたる教科目であり、桐山管長は、これを「神聖なる智慧を獲得するための七種のシステムと、三十七種類のカリキュラム」と呼んでいます。世の人々は、大乗仏教だけしか知らないために、仏教にこういう経典のあることをほとんど知りません。
パーリ文「中阿含」第百三の kinti sutta につぎのように述べられています。
ここに比丘らよ、われによりて法は悟られ、汝らに説かれたり。すなわち四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道これなり。それゆえにすべての比丘らは相和し相欣び、争うことなくして、これを学ばざるべからず。
ブッダによってさとられた智慧の獲得の修行法、実践法が、ここに明らかにのべられています。
阿含経に説かれたこの七科目の修行法は、アビダルマ論師によって「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」と名づけられました。さとりにいたる三十七の修行法という意味です。
四念住法(しねんじゅうほう)
旧訳では四念処(しねんじょ)といいます。四念処観ともいいます。さとりを得るための四種の内観・瞑想法です。身念住(しんねんじゅう)・受念住(じゅねんじゅう)・心念住(しんねんじゅう)・法念住(ほうねんじゅう)の四つです。
四正断法(ししょうだんほう)
旧訳では四正勤といいます。断断(だんだん)・律儀断(りつぎだん)・随護断(ずいごだん)・修断(しゅだん)の4つの修行。
四神足法(しじんそくほう)
四如意足とも訳す。
四つの自在力を得るための根拠となるもの。超自然的な神通力を得るための4種『欲神足(よくじんそく)・勤神足(ごんじんそく)・心神足(しんじんそく)・観神足(かんじんそく)』の修行法。
五根法(ごこんほう)
信根(しんこん)・精進根(しょうじんこん)・念根(ねんこん)・定根(じょうこん)・慧根(えこん)の五つ。根とは自由にはたらく能力をいう。仏法僧の三宝にたいする信と、精進・念・禅定(瞑想)・智慧が、ニルヴァーナに向かって高い能力を発揮する修行。
五力法(ごりきほう)
信力(しんりき)・精進力(しょうじんりき)・念力(ねんりき)・定力(じょうりき)・慧力(えりき)(または智力)。ニルヴァーナに至る高度な力を得る修行。
七覚支法(しちかくしほう)
択法覚支(ちゃくほうかくし)・精進覚支(しょうじんかくし)・喜覚支(きかくし)・軽安覚支(きょうあんかくし)・捨覚支(しゃかくし)・定覚支(じょうかくし)・念覚支(ねんかくし)の七つをいう。ニルヴァーナへみちびく七つの修行。
八正道法(はっしょうどうほう)(八聖道とも書く)
理想の境地に達するための八つの道『正見(しょうけん)・正思惟(しょうしゆい)・正語(しょうご)・正業(しょうごう)・正命(しょうみょう)・正精進(しょうじん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)』
以上が、「七科三十七道品」です。
四念住法・五根法、これは、瞑想です。
四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想です。
四神足法は、特殊な tapas( 練行)です。神足とは、神通力(超人的能力)のことで、この四神足法は、超自然的な神通力を得るための四種の修行法です。
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2023年12月8日 九星  無料 今日の運命

2023-12-08 07:41:38 | タブレットPC



2023年12月8日
六白金星の日
新しい企画を持った人との接触あり。気が高ぶり争いが起りやすい。負けるは勝ち。怒ったら損、自己を誇るなかれ。心豊かにほのぼのと。
破壊の週  安の日
冷静な判断と周囲への相談を心がけたい日。
破壊の週前半で先送りにしてきた事はこの日に片付けましょう。
判断が必要な場合は迷わず周囲に相談しましょう。
心身が若干不安定なので、リラックスできる時間を十分確保することが大切です,


 
千手観音 千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩
 
 
 
千手観音(せんじゅかんのん)とは?
別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。
 
観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
ご利益
災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。子年の守り本尊でもあり、子年生まれの人の開運、厄除け、祈願成就を助けるとされます。
千手観音(せんじゅかんのん)の像容
十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが二十五の世界を救うことを示します。手には宝剣、髑髏杖、水瓶など実に様ざまな持物(じもつ)を持ち、多種多様な徳を表しています。
 
 恋人
正位置・・・恋愛。女性側からの誘惑で成功した恋愛。無邪気な十代や若者の恋愛関係。セックス。嫉妬。美しさ。情熱。好きで打ち込む趣味。重要な事件の発生による選択の時期。
逆位置・・・よろめき。誘惑。遊びだけの関係。気まぐれ。結婚生活の危機。痴話げんか。道徳心の欠如による危険。ジェラシー。希望に関して重要な道が選べない。
ウェイト解説
正位置・・・魅力。愛。美。克服される試練。
逆位置・・・失敗。愚かな計画。別の意味では、不満のある結婚とあらゆる意味での不一致をあらわす。




12月08日 (金曜)月齢
24.55潮汐
小潮
月名(旧暦日)
二十六夜月





 
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内なる調和を解き放つ: 仏陀になる世界への旅」\Unlocking Inner Harmony: A Journey into the World of Becoming Buddha" \

2023-12-07 18:49:32 | タブレットPC
  • 成仏法を求めて仏教経典の研究を開始
  • 仏教において成仏法の不在を日本のキリスト教に例えて述べる
  • 成仏法の重要性を強調し、仏教徒はそれを学ぶことで救われると説く
  • かれが独学で成仏法を探求し、阿含経の中に発見した経緯
  • 中国仏教の誤謬により、阿含経が低く評価され、日本の仏教で見過ごされたこと
  • かれが阿含宗を立て、その決断による困難と障害
  • 教団の成長と活動、大規模な寺院の建設、通信衛星の保有など
  • かれと妻の無私の生活と、信者たちへの信頼と期待
  • 著書の多さやベストセラーになった作品の一例
  • かれの広範な宗教活動、国内外での法要や社会貢献
  • かれの経歴や変遷を通じて伝えたいメッセージ:「何歳からでも運命は変えられる」
 
 
宿命転換成る
 
つぎにかれが自覚したのは、知能の目ざましい飛躍であった。
が、日本の仏教に「成仏法」のないのを不思議に思い、成仏法を求めて、
あらゆる仏教経典の研究に入ったということは、さきに述べた。
仏教に成仏法がないということは、たとえば、キリスト教にキリストがいな いのと同じことなのである。
なぜかというと、神は人類を救うために、神のひとり子であるキリストをこ の世につかわされた。キリストによって人類は救われる、ということである。 仏教では、シャカその人が人類を救うのではなく、シャカの教えた成仏法によ って人類が救われるのである。 成仏法を学ぶことによって人類は救われるのだ。 だから仏教徒はシャカを偉大なる教師として崇敬するのである。その成仏法が なかったら、仏教の価値はほとんどない。残るのは倫理・道徳の教えだけであ る。倫理と道徳だけでは、人類は救われず、社会も成り立たない。 宗教がぜっ たいに必要である。 そして、仏教を宗教として成立させるのは、成仏法がある からだ。その成仏法が、日本の仏教にはないのである。これほど不思議なこと はない。 日本に仏教が伝来して、およそ一五〇〇年、その間、かぞえきれない 程の天才があらわれているのに、どうしてこの成仏法が行方不明のままなの か?じつに不思議きわまるはなしである。
しかし、ほんとうに仏教を求めようと思ったら、不思議がってばかりはいら れない。 成仏法をさがさねばならぬ。
かれは、仏教の聖職者たちだれ一人としてこれをおかしいと考える者がいな いのも不思議だと思った。一体、どういうことなのだろうか。
かれはしばしば、こういうことを考える自分のほうが異常なのだろうかと 疑った。なんとも思わない伝統仏教の僧侶たちのほうが正常なのだろうかと、 一晩中、 まんじりともせず考えたこともしばしばあった。
しかし、シャカの教えた一番大切なことをそっちのけにしておいて、ただ、 シャカを仏様として礼拝するだけで人が救われるとは、どう考えてもあり得な いことだ。かれは、頭をふって疑惑を払いのけ、成仏法の追求に血まなこにな
しかしそれはまことに困難きわまるものであった。
第一に、かれには仏教の師が一人もいないのであった。「日本の仏教には成
仏法がない。これは仏教とはいえぬ。 ぜひとも成仏法をさがし出さねばなら
ぬ」などといっているかれに教える仏教学者も僧侶もいない。異端者だからで ある。だからかれはすべて独学である。難解な専門用語につきあたり、一行の 文章を解くのに数ヶ月もかかることがしばしばあった。それを解くために、何 十冊もの論書や経典を読まねばならぬのである。 また、そういう書物だけでは解けないものがある。インスピレーションでしか解けないものがあるのである。
 
々としてはかどらなかった。たのむちゅうあてどなく一切経の藪の中を手さぐった。
歩きまわっている状態であった。何度も絶望しかけたが、かれは屈しなか
求聞持聡明法がそのかれを救った。 求聞持法体得ののち、かれの前に立ちは だかる壁は無くなった。難解の経典も、しばらくじっと見つめていると、自然 にその意味が流れこむように理解されてくるのであった。
かれは、阿含経という経典の中に、ついに成仏法を発見したのである。それは「七科三十七道品」という名称で阿含経の中に潜んでいた。それを発見する
と同時に、かれは、なぜ日本の仏教が成仏法を持っていなかったかが理解され た。
日本の仏教は大乗仏教であるが、この日本の大乗仏教は古代中国の仏教を そのまま移入したものである。ところが、当時の中国仏教は、すべての経典が 全部、シャカ自身の説いたものであると考える誤りをおかしていた。そして、 その考えの上に立って、あらゆる経典を分類整理し、ランクづけをしたのであ る。その結果、阿含経を最低レベルの経典とし、「小乗経典」と呼び、大乗経 最上のものとした。以来、阿含経は、学ぶに足らぬ経典とされ、だれもか えりみなくなってしまった。ところが、実際は、この阿含経だけがシャカの説 経典だったのである。なんという皮肉であろうか。 中国仏教が最低とした 阿含経だけがシャカの説いた真実の仏教経典であって、最上とした大乗経典は すべてシャカと関わりのない作者不詳の偽作経典だったのである。
近代になって、サンスクリット語、パーリ語の研究が進み、この誤謬が発見
シャカの教えた成仏法が、シャカの説いた阿含経のみに記され、 シャカ以外 の人間が書いた偽経の中に書かれていないのは、当然すぎるほど当然であろう。 日本の仏教は、以上のことが明らかになった現在でも、これについては一切、 かぶりである。
かれは、自分の発見したものを、あまねく日本の仏教徒に知らせることが 自分のなすべき義務であり、責任であり、使命であると考えた。それをとると らないはかれらの自由である。 しかし、この真実だけはかれらに告げておかね ばならぬ。それが仏教の聖職者として世に立つ自分の責務である。 そうかれは 考えたのである。
何度か躊躇したのち、かれは阿含宗という一宗を立てることを決心した。 大 きな困難が予想された。 それは、日本中の仏教を敵にまわすことだからである。 しかし、一旦、決意すると、かれは一歩もひかぬ強い性格になっていた。かれ その決心を断行した。予想された障害が、つぎつぎとあらわれた。
伝統仏教の人たちは、かれとの論戦は、一切、避けた。かれの主張の正しい
ことを、かれらは充分、知っていたからである。 一部の人たちは、マスコミを 煽動して、かれをつぶすことを計画した。
かれの若い頃の前科酒税法違反の暴露戦術に出たのである。これは 今でも、年一、二回、年中行事のようにおこなわれる。仏教宗教のことなど 全く知識のない若い記者などが、かれの敵がわの言い分を鵜呑みにして、かれ 邪教の親玉のごとく考え、正義の使者を気取って書き立ててくるのである。 殊に、かれの教団の大きな行事のある直前には、必ず、そういう記事が出る。 しかし、かれはまことにご苦労な事だと笑って、歯牙にもかけない。
今から三五年前、かれは、ただ一人の弟子をつれて、ほとんど無一文で教団 を始めた。
いま、かれの教団は全国に信徒三十数万人。毎年二月十一日に、京都の 総本山建立地でおこなわれる「火の祭典、阿含宗大柴燈護摩供」には、全国か
五〇万人を越える参拝者が集まる。 本年は、五六万人に達した。この総本山 京都市の中心にあり、広さ約十二万坪 (およそ一〇〇エーカー)に達する。
この山上に、かれは総本山寺院を建立中であるが、これは昭和年代に入って 日本最大の寺院建築である。かれの教団は、現時点に於て、日本で唯一つ、通 信衛星を持つ教団であり、この寺院にはその放送設備が完備されている。この 寺院の建築費は、およそ二五〇億円、ざっと二億ドルである。 土地の評価額も、 大体、おなじ程度と銀行が査定している。
東京の関東別院は、土地、建物、およそ、五〇〇億円、およそ四億ドルの評 価である。その他、日本の各地に、かれの教団はいくつかの道場を持っている。 世間の多くの人びとは、かれが多額の私有財産を持っていると想像している ようだ。しかし、かれも、かれの家族も、全くといっていいほど個人の財産を 持っていない。かれの妻が、歯科医師として開業していた当時に彼女が購入し 木造の貧弱な建物が一棟だけである。評価はおそらく五、六千万円に達する かどうか。 株ブームのこの頃であるが、 株式投資は一切していない。
税務署も世間と同じような想像をしていたようだ。もっとも、そういう趣旨 の投書がいくつかあったらしい。調査にあたったお役人たちは、かなり長い間、
かれとかれの家族がほとんど無資産であることを信じなかった。どこかに隠し 預金があるものと確信していたようである。 しかし、厳重きわまる調査の結果、 それに類したものはどこにもない、と判ったとき、かれらは非常に驚いたよう であった。
かれもかれの妻も、金や物を財産だとは思っていないのである。かれらに限 りなく信頼と期待をよせてくれる信徒たちこそ、かけがえのない財産だと思っ ている。そして、かれは、求聞持聡明法と成仏法の修行により、持って生まれ 能力の何倍もの力を授けられた。
その上、日夜、ブッダ・シャカの知恵と慈悲の光明を浴びて生きる歓びに満ちた生活この上にさらになんの財産が必要であろうか。
この二〇年間、かれは毎年二冊のペースで著書を発行し、この本が四〇冊目
である。そのほとんどがベストセラーに入っている。殊に一九八二年に発行し 「守護霊を持て」シリーズは二〇〇万部を超える大ベストセラーになってい る。昨年末に出版した小説『一九九九年・地球壊滅」は、発売当日に五万部を売り尽くして話題になった。
かれは言う。
教団におけるさまざまな仕事のほかに、この著作活動で、かれは毎日、三時 間以上の睡眠をとることができない。 しかし、かれは現在この上なく健康であ る。かれは、ここ三〇年間、毎月数回、各地で行われる教団の例祭に一回も休 んだことがない。一九八五年六月、日本の宗教教団で初めて、中国の北京市、 およびハルビン市において、世界平和を祈る法要を営み、バチカンでローマ法 世界平和を語り合い、サン・クレメンテ教会において世界の宗教史上はじ めてのカソリック・仏教の合同法要を挙行し、FAOに寄進を寄せ、アフリカ のチャドに井戸、トラックを贈る活動を行った。
国内に於ても、東京都内に社会福祉法人特別老人養護施設を建設し、 京都市 に総合病院を持つ。
現在、かれの弟子数千人は、日本各地において、多くの悩む人、病める人の 教済活動をしている。
信者三〇数万人というのは、日本ではさして大きい教団とはいえない。 しか
し、かれの教団の信徒は非常にレベルが高く、殊に若ものたちが多く、活発な 活動で知られている。
以上が、一七歳で結核で倒れ、病弱のため高等教育を受けることが出来 ず、これという学歴を持たない、しかも二〇歳代で前科を持つという汚辱にま みれ、病弱と仕事の失敗のため、三度自殺をはかった一人の若ものが、運命を 変えようと決心してその後たどった人生である。この歩みは、人生に迷い、悩 み、苦しみ、躓いて、いままさに望みを失おうとしている若ものたちに、プレ ゼントするだけの価値があるのではなかろうか?
「何歳からでも運命は変えられるのだ。五〇歳、六〇歳、七〇歳からでもそれ
は可能だ。性格を変え、脳細胞を改造飛躍させ、自分の望むままの人生をつく
り出す。 思うままに自分を変え、他人を動かし、集団や環境を、自分の理念の通りに創造して行く、そういう力をあたえるシステムがここにある」
もうおわかりであろう。お恥ずかしいが、かれとは、ほかならぬわたくし自
身である。自分の体験を語ることがベストであり、かつ、それが、義務であろ うと思うので、敢えて率直に語らせていただいた。
 
 
 
 
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四神足の秘密:釈尊の驚異的な修行体験" The Secret of the Four Gods' Feet: Shakyamuni's Astounding Training Experience"

2023-12-07 07:57:22 | タブレットPC
四神足の修練により、豊かになり清浄で超人的な天眼を得た。
過去の生涯を思い起こし、一つから百千までの生涯や宇宙の成立・破壊期を観察した。
生存者の業に基づき、悪行を続ける者は地獄に、善行を行う者は天の世界に生まれ変わることを見た。
四神足の修練により、煩悩の汚れが消え、汚れのない心の解脱と知慧の解脱を証知し、最終的にはニルヴァーナに到達した。
修行者には準・ニルヴァーナまで到達させる自信があり、それは努力と熱意に依存する。
 
四神足の修練によってニルヴァーナへ
さらに、輪廻転生瞑想法の原典である釈尊の成仏法、その真髄たる四神足法 修練していくとどうなるのか?
釈尊の体験を見てみよう。
パーリ文 「スッタニパータ」を、中村元先生の訳によって載せてみる。
このように四神足を修練し、豊かならしめたならば、多様なる神変を身 に受ける。 一身にして多身となり、多身にして一身となり、あるいは現わ れ、あるいは隠れ、牆壁や山岳をよぎって、礙げなく、行くこと空中にお けるがごとく、地中に出没すること水中におけるがごとく、水中を行きて られざること地上におけるがごとく、虚空においても結跏趺坐してそぞ 歩きすることは飛鳥のごとく、このように大神通・大威徳あるこの日月 を手でとらえて揉んでしまい、梵天の世界にいたるまでも身をもって支配 する。
このように四神足を修練し豊かならしめたならば、清浄にして超人的な 天の耳の本性をもって、遠近にある天的なまた人間的な声をともに聞く。 このように四神足を修練し豊かならしめたならば、他の生存者、他の
人々の心をば心によって了解して知る。 貪りある心を貪りある心であると 知り、貪りを離れた心を貪りを離れた心であると知り、また怒りある心を 怒りある心であると知り、怒りを離れた心を怒りを離れた心であると知 迷妄ある心を迷妄ある心であると知り、迷妄を離れた心を迷妄を離れ 心であると知り、収縮した心を収縮した心であると知り、散乱した心を 散乱した心であると知り、偉大な心を偉大な心であると知り、偉大ならざ 心を偉大ならざる心であると知り、ある心を上ある心であると知り、 無上の心を無上の心であると知り、定にあらざる心を定にあらざる心であ ると知り、定のうちにある心を定のうちにある心であると知り、解説して いない心を解説していない心であると知り、解脱している心を解説してい 心であると知る。
 
このように四神足が修練され豊かにされたときに、種々なる過去の生涯 を想いおこした、すなわち一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯 四 つの生涯、五つの生涯、十の生涯、 二十の生涯、三十の生涯、四十の生.五十の生涯、百の生涯、千の生涯 百千の生涯を、またいくたの宇宙 成立期、いくたの宇宙破壊期、いくたの宇宙成立破壊期を。 「われはそこに おいて、これこれの名であり、これこれの姓 (gotta) であり、 これこれの カースト (vanna) であり、これこれの食をとり、これこれの苦楽を感受 これこれの死にかたをした。そこで死んでから、かしこに生まれた」 と。このようにかたちや名称とともに種々なる過去の生涯を想いおこした のである。
このように四神足が修練され豊かにされたときに、清浄で超人的な天眼 をもって、もろもろの生存者が死にまた生まれるのを見た。すなわち卑賤 なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なも そしてもろもろの生存者がそれぞれの業にしたがっているのを明らか 知った
「じつにこれらの生存者は身に悪行をなし、ことばに悪行をなし、 こころ に悪行をなし、もろもろの聖者をそしり、邪った見解をいだき、邪った見解にもとづく行為をなす。かれらは身体が破壊して死んだあとで、悪しき ところ、堕ちたところ、地獄に生まれた。また他のこれらの生存者は、身 善行をなし、ことばに善行をなし、こころに善行をなし、もろもろの聖 者をそしらず、正しい見解をいだき、正しい見解にもとづく行為をなす。 かれらは身体が破壊して死んだあと、善いところ、天の世界に生まれた」
このように清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死にまた 生まれるのを見た。すなわち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと 醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれ の葉にしたがっているのを〔明らかに知った。
そうして最後につぎのように結んでいる。
このように四神足が修練され豊かにされたときに、もろもろの煩悩の汚れがほろぼされることによって、汚れなき心の解脱・知慧の解脱をこの世 において、みずから証知し、現証し、具現して住する。
けっきょく、四神足の修行によって、釈尊は解脱を得たというのである。つ まり、四神足の修練によって、ニルヴァーナに到達したというのだ。
ニルヴァーナにまで到達するのは、至難の業である。わたくしといえども、 そこまで修行者を導く自信はない。しかし、準・ニルヴァーナにまで到達させ
る自信はあるのだ。すべては、修行者の努力と熱意しだいだが―。
 
Through the training of the Four Gods' Legs, he became wealthy and gained a pure and superhuman Celestial Eye.
He recalled his past lives and observed the life spans from one to a hundred thousand and the formation and destruction of the universe.
Based on the karma of the survivors, I saw that those who continue to do evil deeds will be reborn in hell, and those who do good deeds will be reborn in the heavenly world.
Through the practice of the Four Gods' Feet, the stains of worldly desires disappeared, and he witnessed the liberation of an immaculate mind and wisdom, and finally achieved Nirvana.
The practitioner has the confidence to reach quasi-nirvana, which depends on effort and enthusiasm.
Achieve Nirvana through the training of the Four Divine Feet
Furthermore, what happens when you practice Shakyamuni Buddha's Buddhism method, which is the original source of the reincarnation meditation method, and its essence, the Four God Foot Methods?
Let's look at Buddha's experience.
I will post the Pali text ``Suttanipatha'' as translated by Hajime Nakamura.
If you cultivate the four divine feet in this way and become rich, you will receive a variety of divine transformations. To be one body and many bodies, to be many bodies and one body, to appear or to hide, to cross walls and mountains, and to go without hesitation; To appear in the earth, as in the air; To appear in the ground, as in the air. Just as it is impossible to walk in the water as if on earth, in the void it is possible to sit on one's knees and walk like a flying bird.In this way, grasping this sun and moon of great divine wisdom and great virtue in one's hands. He massages them and even dominates them even in the world of Brahma.
Once you have cultivated and enriched your four divine feet in this way, you will listen to both heavenly and human voices both near and far, with the pure and superhuman nature of your heavenly ears. Once you have cultivated the four divine feet in this way and become rich, you will be able to help other survivors and others.
Understand and know people's hearts. Know that a greedy heart is a greedy heart, know that a greedy heart is a greedy heart, know that an angry heart is an angry heart, know that a greedy heart is a greedy heart, know that a greedy heart is a greedy heart, know that an angry heart is an angry heart, and know that a greedy heart is a greedy heart, a greedy heart that is free from greed, and an angry heart that is angry, Knowing that a delusional mind is a delusional mind, knowing that a delusional mind is a delusional mind, knowing that a shrunken heart is a shrunken mind, knowing that a shrunken heart is a shrunken mind, and a scattered heart. Knowing that a great heart is a great heart, knowing that a heart is not great, knowing that a certain heart is a superior mind, Know that the mind that is not fixed is the mind that is not fixed, know that the mind that is in the fixed is the mind that is in the fixed, and explain the mind that is not explained. We know that it is the mind that is not liberated, and we understand that it is the mind that is liberated.
When the four divine feet were cultivated and enriched in this way, various past lives were recalled, namely, one lifetime, two lifetimes, three lifetimes, four lifetimes, five lifetimes, ten lifetimes, and two. Ten lives, thirty lives, forty lives, fifty lives, a hundred lives, a thousand lives, a thousand lifetimes, a period of the creation of the universe, a period of destruction of the universe, a period of the destruction of the universe. A period of destruction during the creation of the universe. ``We set him there, with such and such a name, with such and such a surname (gotta), with such and such a caste (vanna), who ate such and such food, experienced such and such pleasures, and suffered such and such death. He died there and was born somewhere else." In this way, he recalled various past lives with shapes and names.
When the Four Divine Feet were cultivated and enriched in this way, with the pure and superhuman Celestial Eye, I saw the various survivors die and be reborn. The lowly and the noble, the beautiful and the ugly, the happy and the unhappy.
“Indeed, these survivors do evil in their bodies, evil in their words, evil in their hearts, slander the saints, hold evil opinions, and act on evil opinions. After their bodies were destroyed and they died, they were born into an evil place, a fallen place, and hell.The rest of these survivors did good deeds, did good deeds in their words, did good deeds in their hearts, and did all sorts of things. They do not disparage the saints of God, but they hold right opinions and act in accordance with right opinions. After their bodies were destroyed and they died, they were born into a good place, the heavenly world."
With such a pure and superhuman heavenly eye, I saw various survivors die and be reborn. That is, the lowly and the noble, the beautiful and the ugly, the happy and the unhappy, and the various survivors following their own leaves.
Finally, it concludes as follows.
When the four divine feet are cultivated and enriched in this way, the stains of various earthly desires are destroyed, and one can personally testify, demonstrate, and embody the liberation of the pure heart and the liberation of wisdom in this world. I live there.
After all, it is said that Shakyamuni attained liberation through the training of the Four Gods. It is said that he was able to reach Nirvana by practicing the four divine feet.
Reaching Nirvana is an extremely difficult task. Even I don't have the confidence to lead the practitioners to that extent. However, reaching quasi-nirvana
I have confidence that I will. Everything depends on the effort and enthusiasm of the practitioner.
 
 
 
 
 
 
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2023年12月7日 九星  無料 今日の運命

2023-12-07 07:31:43 | タブレットPC


2023年12月7日
七赤金星の日
人より協力の依頼を受けたりする日。金運、喜び事あるも調子に乗って酒色に乱れぬよう心すべき日。小利に迷わず自他喜びを共にする心掛けも大切。
破壊の週  衰の日
ネガティブになりやすく、健康面でも不安定な日。
病気や怪我に十分な注意が必要です。
この日は心身を整える日だと理解して、一人でリラックスして過ごす時間を確保することが災難回避のカギです.



阿弥陀如来 命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く
 
 
阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?
無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。
 
阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。
ご利益
極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。
阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容
釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。
 
特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。
 
 
太陽
正位置・・・幸運。成功。物質的にも幸福な姿。到達。獲得。幸福な結婚。恋愛の成熟。情熱。出産。期待した妊娠。繁栄。有名人。人気。出世。再会。仲直り。生命力。古い観念にとらわれない人物。自然児。大自然。南国への旅。新婚旅行。
逆位置・・・結婚生活のトラブル。婚約破棄。仕事上や家庭内の損失。中絶。流産。難産。孤独。独裁。わがままからくる人間関係の失敗。
ウェイト解説
正位置・・・物質的な幸福。幸運な結婚。満足。
逆位置・・・正位置と同じだが、意味が弱くなる。




12月07日 (木曜)月齢
23.54潮汐
小潮
月名(旧暦日)
有明月




 
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