中川昭一元代議士の急死は驚いた。死因ははっきりしていないが、日本にとって惜しい政治家であったことは間違いない。
たまたま今年3月ごろ、友人から、この本を読んだ?と、「どうした、日本」-中川昭一と宋文洲の不愉快な対話(ダイヤモンド社 2008年4月発行)を紹介された。宋氏はIT企業であるソフトブレーン㈱の創業者として知られる。
中見出しは、「僕は今、“死”について意識しはじめています」。
この中で、これからの日本、世界、とくに日中関係などについて幅広く語り合っているが、「死」について触れている部分がある。
中川 そう、僕がさっき言いたかったのは、イギリスはシーザーの時代から混沌の歴史を何度も経験してきたけれど、日本では「目標なき混沌」に直面するのはこれが初めてなんだということです。
宋 そうですね。だから、今こそ坂本龍馬みたいな政治家が必要なのかもしれません。味わったことのないものを人はなかなか食べませんから。
中川 そうなると、やはり、政治は命懸けです。
宋 そうでしょうね。日本の明治維新にしても、黒船にしてもやったことのないことをしたからこそ、世の中がガラッと変わったわけですから。
中川 でも、この実現のためになん人、死んでいるかが問題です。僕は今、“死”について意識しはじめているんですよ。
宋 今の政治家は政治家としての死である落選でさえ嫌がるというのに?
中川 死を意識するというのは、まあ、落選も含めてなんですが…。僕は、自分が54歳になって、父はあと3年で死んだのか、と思うことがあるんです。父(中川一郎元衆議院議員 1925~1983年)の死というものをすごく意識します。また、病気や亡くなる知人も多くなっていますから。
宋 なるほど、そういう意識の仕方があるんですね。
中川 ええ、あります。最近、特にそうです。日本が良くなるなら、坂本龍馬や中岡慎太郎じゃないけれど、僕は殺されてもいいと思うんです。ただし、死に方は考えないとね。最近、親しい友人と、どんな死に方がいいかなんてことをよく話しています。病死を含めてですけれど。~
あの、「もうろう会見」は、いただけなかったが、自民党きっての政策通であり、大胆な発言をする政治家を失ったのは、これからの日本にとっては誠に惜しいことだ。ご冥福をお祈りしたい。