人吉からは「いさぶろう・しんぺい」号に乗車。
吉松駅までの35kmを走る観光列車。
この電車の、名前は、この区間の建設時(明治の初め)の逓信大臣・山県伊三郎、
鉄道院総裁・後藤新平の名前にちなんで付けた。
標高500m以上の難所で、当時の技術の粋を集めて敷設された。
人吉→吉松間を「いさぶろう号」、吉松→人吉間を「しんぺい号」と呼ぶ。
人吉駅で積み込んだ昼食の「鮎ずし」は、酢も効いていて、
なかなか美味かった!
スイッチバックやルーフ線が続く「矢岳越え」(霧島連山を望む)は、
日本三大車窓の一つ。
他の二つは、北海道根室本線の狩勝峠(十勝平野が広がる)、
長野県篠ノ井線の姥捨駅(善光寺平を見下す)
この日は、霧島連山見えず。
以前は、はっきり見えて素晴らしい眺めだった。
矢岳駅。標高536.9mにあり、D51 170が展示されている。
吉松から、やはり観光列車「はやとの風」に乗り換え。
鹿児島中央駅まで。
霧島市の大隅横川駅。やはり、肥薩線開業当時からの駅舎。
窓の向こうに見えるのは、龍馬とお龍の人形。
二人は、ここから霧島温泉へ新婚旅行に行ったといわれる。