北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

神戸市の小学1年女児殺害事件の裁判に思う

2016-03-20 15:12:35 | Weblog

2014年、神戸市で起きた小学1年女児殺害事件の裁判員裁判で、神戸地裁は、被告(49)に求刑通り死刑を言い渡した。これは、ごく当然の判決だ。裁判員裁判では、被害者1人の場合、死刑判決が4人目で、このうち3件のうち2件は控訴審で無期懲役、1件は被告が控訴をとり下げて死刑となった。

今回の事件で、被告は、路上で「絵のモデルになってほしい」と、わいせつ目的で自宅に誘拐し、ロープで首を絞め、包丁で首を刺して殺害。遺体は切断して近くの雑木林に捨てた。マスコミ報道を見ると、裁判長は次のような理由を述べている。

〇「6歳の女児に騒がれずに、身体を見たり触ったりするために殺害した。事故保身にとどまらず、性的欲望を満たすという動機は身勝手で、殺害行為は残虐性が高く殺意は強固だ」

〇「犯行は残忍で、同期も例をみないほど身勝手極まりなく、生命軽視の姿勢が甚だしい。被害者が1人でも死刑を回避する事情はない」

〇「計画性はなかったが、偶発的とは言えない。首を絞めた跡に包丁で刺すなど執拗で、凄惨」

〇「女児は6歳と言う幼さで突然生涯を閉ざされ、将来を奪われており、遺族の絶望、憤りは察するにあまりある」

〇「母や祖母は女児を慈しんで育てていたにもかかわらず、殺害を知らされて失意の底に落とされた上、無残に変わり果てた女児の姿を目の当たりにした」

〇一方、弁護側は「話し相手がほしかった」といい、わいせつ目的誘拐罪を否認して死刑にしないよう求めていて、即日控訴した。

この判決理由を聞いて、改めて日本の裁判には、おかしいところが、まだまだあると改めて思った。

裁判員裁判が導入される前までの30年間で、死刑求刑の殺人事件で、死刑確定は被害者1人の場合、100件中3割の32件、被害者2人の場合164件の6割96件が死刑確定だった。(読売新聞3/19)

被害者の数については、最高裁が昨年2月、過去の量刑判断との公平性を踏まえるべきと、控訴審で無期懲役となった2件に関し、控訴審判決を支持した。ここで言う過去の量刑判断とは、あの「永山基準」と言われるものだ。

永山事件は、当時19歳だった永山則夫が、1968(昭和43)年10月11日、東京でホテルのカードマンを射殺、10月14日、京都で 民間の警備員を射殺、10月26日、函館でタクシー運転手を射殺、11月5日、名古屋でタクシー運転手を射殺という連続射殺事件だ。

この事件の第一次上告審判決(1983年)での最高裁が示した死刑適用基準は次のようなものだ。

(1)犯罪の性質 (2)動機、計画性など (3)犯行態様、執拗さ・残虐性など(4)結果の重大さ、特に殺害被害者数 (5)遺族の被害感情 (6)社会的影響 (7)犯人の年齢、犯行時に未成年など (8)前科、(9)犯行後の情状の9項目を挙げ、これらを考慮し、刑事責任が極めて重大で、犯罪予防などの観点からやむを得ない場合には、死刑の選択も許されるとした。

<今回の判決文でおかしいと思った>

計画性はなかったが、偶発的とは言えない」とは、どういう意味なのか、全く理解出来ない。被害者に何の落ち度もないのに、犯人が計画的ではなかったと言えば、それを受け入れるのか。殺害という事実が全てであり、計画性の有無など量刑には関係ないのだ。

残虐性について、殺害方法によって量刑が変わるのか。他人の命を一方的に奪うこと自体が残虐なことなのだ。

殺害被害者数ついても、被害者遺族の立場に立てば、殺害したのは1人だから、死刑を回避するというのは、おかしいことだ。

遺族の被害感情については、これは改めて言うまでもないことだが、被害感情の強弱が量刑に影響を及ぼすとでも言うのだろうか。殺人事件は、被害者の人生・未来を奪うだけではなく、家族の夢や未来をも打ち砕くものだ。

犯人の年齢、未成年という基準も、多発する最近の残虐極まりない事件を見れば、見直すべきだ。「人の命と未来を奪った者は、自らの命と未来も捨てた」ということだ。

犯行の情状に関して、「犯人には未来があるから、情状酌量の余地がある」というのは、ますます凶悪化する少年犯罪を見ていると、そんな悠長なことを言っている場合ではない。それでは、殺された人間はたまったものではない。ましてや、犯罪抑止力にもなりはしない。

裁判員裁判が始まって7年。少しずつ裁判の在り様が変わってきたとはいえ、まだまだ改革されるべき点が多い。被害者側に立った、ごく当たり前と思える裁判が行われるよう切に望みたい。