現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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さかふ  忤

2015-12-28 | 日本語百科
聖徳太子の憲法とする。日本書記に記載されたものを伝来する。和 であるのか、わ または、やわらぎ と、読む。音読みの日本語で、この表記は、倭国、和国、大和であったのだから、和をもって貴し、である。たっといこと、それが和で表されるものごとが、あるのである。その続きにある、忤について、文字遣いと読みが難しい、と、一般には受け止めれれるようか。それは、つづく、人は 皆、党、たむら有り、また、さとれる者は少なし、という、その文脈を記憶する冒頭の言葉だからである。それを解釈しないで覚えるとわからない。日本国語大辞典には、>相手に背を向ける。そむく。さからう。 *大日経義釈延久承保点〔1074〕一三「所行の事に著せるを以て、反りて背忤(サカフ)の心を生す」  と見える。 . . . 本文を読む

文章論 8 文節

2015-12-28 | 日本語文章論
日本語文章論は文章の単位に文法分析を行う。その単位にある文は文節により構成される。文における文節は、文章における最小の単位となる。それは、文節が語であるととらえることを、伝統文法は議論してきたことを受け継ぐ。しかし一方で、伝統文法は自立語と付属語という類別で、語に等しく単位を認めてきたのであるが、それは日本語文法の語の認定に議論を難しくした。その文節を構成する語は、ひとつの語であって、いわば、自立詞と付属辞によって構成されるものである。語そのものを詞とすることが、議論の整理になる。文節は自立詞と付属辞をもって詞となりうる。その詞を語の単位で見ることは、語の意味内容による。 . . . 本文を読む

文章論 7 複文

2015-12-27 | 日本語文章論
日本語文章に主語がある、日本語文法に主語がある、それは単位体に共有するものであって、小単位体の主語が大単位体の主語であることがあり、また小単位体に充てて大単位体に主語がある、ということである。文に主語があればそれがそのまま文章の主語となりうる。ただし文章は文が2文以上集まってできる単位体であるから、文章の主語をその文単位ごとに認めれば、文章の単位に文による主語が複数認められる。また文章に主語があれば、それがいくつかの文に関係構成する主語となることがある。いまその主語を文章の主語を主題主語とし、文の主語を主格主語とすることができるし、文に主題主語が現れ、文章の主題主語となることがあるし、また、文に主格主語があってそれがまた文章の主語となる。 . . . 本文を読む

源氏の物語 26 物語のいきさつ

2015-12-26 | 源氏のものがたり
書き継ぐのは理想の女性をモチーフにしての物語である。それは恋の物語の、現代風の言葉でいえば、男目線であるのか、女目線であるのか。女房達のひそひそ話はそれを語らなかった。それは理想の男性の誕生をまことしやかにあれやこれやと言ってきたにすぎない。はたして、その話の深層にあるのは、物語は舞台を転じて、品定めをした、あの語りを伝える。物語の評者たちは、後世の評釈に見えるところ、それは物語の伏線と伝えてきた語り口調であるととらえた。伏線は、辞書義にあるように、>小説や戯曲などで、のちの展開に備えてそれに関連した事柄を前のほうでほのめかしておくこと。  というが、すでに源氏物語の作者はその用意をした。推理小説などでも伏線を張るというようだが、近代小説の技法が源氏物語の時代にあったということではないが、ともすればその見方が成り立つように、源氏の物語展開には語りのいきさつがある。 . . . 本文を読む

文章論 6 文章要素

2015-12-26 | 日本語文章論
文章の要素には主語と述語を必須成分とする。文に主語があらわされていなくても、その主語を文章によって、読み手、聞き手は知り得ることになる。その意味内容では文に主語があらわされないということがあれば、それは表現者が主語となり得る話し言葉である。しかし述語の文にはその関係構成をする語があるので、そこに文の要素として主語が想定でき、それを文章から得ていることがわかる。文章の要素には文法の文の要素をあげることができるが、行われている文法議論には、補語述語による文構造の捉え方があって、その補語の概念が拡大しすぎていて日本語文法を説明することがない。文の基本概念が主語をもたない、それは主格補語となるようで、その語を主語とするのか、補語とする説明では、文の概念が明確でなくなっているようである。 . . . 本文を読む

源氏の物語 25 原本文

2015-12-25 | 源氏のものがたり
源氏物語の本文は文学の成立とその伝播に写字、写本のことがあり、作者が書いたものとそれを写したものとしての関係がある。作者自筆のものが伝えられた、それが現存いしていたわけではないのは古典文学に起こリ得ることである。しかも作品の成立と書写過程のことが時間の隔たりをもって原本の特徴を失ってしまったものはその作品のよりどころとなる本文を仮設する作業が困難である。源氏物語大成本文、別本集成、対校源氏新釈など、河内本そのものに陽明文庫本、御物本とその本の成立に系統を求める作業は膨大である。源氏物語を完本とするのは何をもってするか、巻名をもって54冊を数えることも定かではなかった。 . . . 本文を読む

文章論 5 主語

2015-12-25 | 日本語文章論
文章の文法の単位として、その要素には文の成分を見ることになる。文法の捉え方は単位に繰り返し現れる。語の関係と語の構成が文の要素として関係し構成する。文の関係と文の構成が文章の要素として現れる。文の成分が文章の要素になるのは、文をとらえて文章を分析するからである。文章には主語がある。この要素を文においては必須とするものではない。文に主語がある、その主語は文の成立に必須となる要素であるが、文成立に主語がその文単位に現れるかどうかは、日本語の場合、主語が文に必須でなかったとして、文に必須でなくとも文章に必須の成分となることがある。 . . . 本文を読む

ウイキペディアの言語と記事数

2015-12-25 | ほんとうのところは
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