動詞の活用という。活用変化のことである。変化しないものがあるとすると、それは、例えば名詞がある。名詞は変化すると言われると、日本語では変化する現象はないと言えるが、屈折変化といえば、日本語のほかの言語で、名詞が変化する。これは明らかに、活用とだけ捉えるのではなくて、曲用変化するという捉え方である。ただ、日本語でも音韻同化をする名詞の語に変化を唱える国語学者がいたりしたが、雨と傘とで、あめかさ あまがさ、と変化を言うもので、音韻変化としての現象では名詞にも音変化がある。それで、活用変化、屈折変化また曲用変化、音韻変化、あるいは意味変化など、その現象をそれによって捉えることが必要である。また、変化に対して変遷ということがあって、変遷には、変化が起こってまた変化が起こるというように、変遷する現象を、ただ、変化というので、変遷は一回変化しているという捉え方たと、2回変化したという捉え方があるようである。動詞活用の変遷となると、むりやりにも変遷の現象を言わなければならないことになるが、多くは、現代語と古典語の対照である。 . . . 本文を読む
日本語文法に形態論の考え方をいれると、国語文法が仮名の分析であるところを、本来は仮名文字の音節でなくとも国語分析は音韻論で可能とする、それを、音所表記を用いて、日本語文法はアルファベットで分析する。形態論は音韻の単位である音素を用いる。そのことは形態が意味の最小形式である分析のことを意味するが、言語をとらえて、音声によるものをどのように見るか、発音記号にするか、その言語における音韻符号によるか、日本語では国語による仮名の音節単位を分析の方法としてきた。すると、文法には語を単位とすることがあるので、音韻と音節、音素と語となると、国語の捉え方には仮名文字と自立語付属語の分析が学校文法で進められて、そこにある詞辞による伝統的な見方が、より分かりよくなるという文法理解の現象があった。文法は理論である、それを言語現象から帰納したものと、その法則を演繹するとらえかたと、そのいずれをも文法分析の手法とする。そこにはその理論の立場を持つことが望まれる。よって立つべき理論においてわたしたちの言葉を説明し理解する。形態レベルは統語レベルと絡み合って区別するものではないが、文法分析に立場の統一が必要である。 . . . 本文を読む
日本語文法で辞を言うのは、助辞として文また文章で機能語となる接辞である。そのうち、日本語助辞のwaとgaとの用法の違いを見る。それは国語の助詞で係助詞と格助詞に分類されて違いが鮮明であった。係助詞は現代語文法で副助詞に分類されて、係り受けの機能であるよりも、意味を添える説明解釈が主となった。助辞waには助辞gaと異なるレベルで機能することがあるので、文章、文における複文にその表れが顕著になる。助辞gaを主格の機能で見ると、文の主語を表す文のレベルでみることになる。その機能は主として述語に動詞を持つ文で、その用法をまずとらえておかなければならないが、なかでも、存在を表明する日本語の主語に現れる格、gaの特徴を知っておくことが重要である。生物又無生物の意味内容として、文型、名詞ga aru/iru という構文は、単純明快にものの存在を言い出す表現法である。
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日本語の語序、語順である。語順がないという考え方があり、それは膠着語の現象に文法機能が表されることによるが、しかし現実に、第1等の格を持つかどうかは、それがあると捉えておくのがよい。その語について、明示される格があるかないかが、いま述べた文法機能を表す接辞によっていると、国語で助詞として分析された語に、これまた、語か辞かと、助詞という名称によって、構文から帰納した格関係を捉えている。すると、第2等の格、第3等の格と、述べることがらに、内容を添えていく。述語動詞をおくと、そこにかかかって、ガ格があらわれるか、ヲ格がかかわるか、という順序が出てくる。また二格のかかわりがある動詞述語になれば、その順序は、ガ格ヲ格二格の順序、ガ格ニ格ヲ格の順序、二格ガ格ヲ格の順序となって動詞にかかる。並べると、名詞ガ格がまず現れて、それに名詞ヲ格と名詞ニ格が対応して関係を持ちながら動詞にかかる。そして名詞ヲ格が動詞と緊密に表れている。
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午睡をとるといいのか、どうか。
緑のgoo コラム ランチの選び方で午後を制す。食後の眠気やだるさ解消法 木瓜日記は健康記録となりつつあるが、それはそれで、またバイオリズムを知ることとなるし、体内時計の動きをチェックすることになる。それは時計といいながら、週計、年計、10年の時を刻む。脳の働きは常人、凡人にどう意識されるか、健康であると、その影響によることがあるので、病んだ身体の脳にはそれだけの負担がある。その現われになるか、いま、左手の腱鞘炎のような痛みといってみて、腱鞘炎の激しい痛さを知らない、その痛さは物をつかめないだけでなく、硬直が始まりそうな、不安である。10日前に、するりと持つ手が抜ける感じで伸びてしまって、左手を伸ばした状態のもののつかみようがうまくいかない。どうなるか様子を見てきたが、これには、脳から痛みを感じたままに筋肉が動かなくなる。にぎにぎをして繰り返して疲労度を見るが、改善しないから、自然治癒には程遠い。極端に重いものをもって右手が抜けかかけた様なことがあって、そう感じたほどに、するりとなって、しばらく元のような筋肉の働きにならないままに . . . 本文を読む
北朝鮮 “帰国事業” 60年後の証言 NHKが5月に放送したものをBS放送で放映していたのを見た。>今から60年前に始まった北朝鮮への「帰国事業」。脱北した在日コリアンや日本人妻が苦難の体験を語り始めた。新たな証言と世界各国の極秘資料で帰国事業の真相に迫る。
いま、日韓で「帰国事業」の真相に迫る聞き取り調査が始まっている。これまで「つらい状況にあった」と一様に語られてきた北朝鮮での生活だが、時の政策や国際情勢によってう余曲折を経てきたことがわかってきた。日朝はもとより、冷戦下の米ソ、韓国など、東アジアの激動に帰国者は翻弄され続けてきたのだ。番組では決死の思いで北朝鮮を脱出した在日コリアンと日本人妻を取材。知られざる苦難の60年を新たな証言で描く。
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父の日に思う。母の日には、思ったか、想いをもって過ごしたが、いつも、はて命日はいつだったかと、いまだに書くことがない。それでは父の日の命日はいつだったか、1月2日の早暁であった、1995年が大震災で平成17年と繰って、くしくもその難を逃れた父は翌18年に亡くなった。それから22年がたつ。明治生まれであった。敗戦の年、12月に引き揚げ家族となった。持てる荷物と両手に子たちを引き連れて上海から母の日には、思ったか、想いをもって過ごしたが、いつも、はて命日はいつだったかと、いまだに書くことがない。それでは父の日の命日はいつだったか、1月2日の早暁であった、1995年が大震災で平成17年と繰って、くしくもその難を逃れた父は翌18年に亡くなった。それから22年がたつ。明治生まれであった。敗戦の年、12月に引き揚げ家族となった。持てる荷物と両手に子たちを引き連れて上海から博多へ、そして宮崎の社宅に伯父によって誘われ落ち着いた。その地で翌年、わたしは生を享けて、すぐにも兵庫へと転じた。 . . . 本文を読む
2019年2月公表、2018年の家計調査41,872円であるにかかわらず、また、2017年の高齢者無職世帯月26万円使うことができる収入と蓄えがある、という報告書であった。それを差額である5.5万円を赤字と表現した報告書にはマスメディア受けする論法があるだけでなく、金融商法の見せかけを錬金術ように示す、というような、この報告書を書いた人たちは何を勘違いしていたのかと思わざるを得ない。 . . . 本文を読む
grammatical category 代表的な文法範疇に、性、数、人称、格、時制(テンス)、相(アスペクト)、法(ムード)など。文法用語として日本語文法に当てはめ得るのは、品詞である。語形変化をどう見るか、姓、数、格について名詞のは分類がないのは屈折変化をしないからであるし、意味機能の演繹によって行われるテンス、アスペクト、ムードである。時を表すのに、動詞の活用に語尾をルとタの対立をもってするのは、例えば、現在と未来は区別するにしても、また、過去と完了には、同様に時間を示す副詞の用法によって捉えるところがある。アスペクト、ムードの語形式には限定的な用法で議論がある。 . . . 本文を読む