W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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命を愛する風土 「新聞がみすゞ特集伝えてる」

2007年10月20日 | 歴史
 トンボの目は「みすゞの心に触れる旅」を6回に亘って採り上げたが、10月13日(木)の朝日新聞「be」愛の旅人で2ページ組で掲載された。WAKIたちはみすゞの舞台となる山口県仙崎に出かけて10日も経っていなかったので記事は写真も含めて誠に新鮮で文脈もさすが新聞記者がと思わせる見事なものであった。皆さんにもぜひ読んでいただきたいけれども映った文字が小さいのでとても無理、せめて雰囲気だけでもと紹介した。最近の新聞記事を見ても想像も出来ない事件が多発し、世の中がすさんでいるだけに。「命を愛する風土」に育った金子みずゞが再評価されるわけも頷ける。
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終戦記念日に思う 「語り部も少なくなって先憂う」

2007年08月15日 | 歴史
 きょうはあの忌まわしい戦争が終って62年に当たる終戦記念日、WAKIはまだ10歳、小学校(正式には国民学校)4年生、でも当時のことは鮮明に覚えている。戦況が厳しくなるに従って食べるものや着るものに事欠くようになり、家族で空襲から逃れるために疎開し、B29の大阪大空襲で住んでいた家は焼かれ、そして、艦載機による機銃掃射も体験、堺市の大空襲の惨状も目の当たりにした。従って戦争の怖さと悲惨さは身をもって体感したことでどんな理由があるにせよ戦争だけは容認することはできない。
WAKIの家のすぐ近くには大きな「忠魂碑」が今もある。でも、今年はお盆の前日と言うのに花も捧げていない。陸軍大将揮毫の碑が今日まで残されていたのも不思議だが。その碑のお守りをする人もいなくなったのか。先のWAKIの先祖の墓参りでは先祖の墓より立派だったのが中国で戦死したWAKIの伯父の墓、(WAKIの親父は8人きょうだいの長男で伯父は8番目の末っ子)上等兵でありながら勲八等功七級つまり金鵄勲章を貰っている。(今もこの勲章は燦然と輝いている)でもこの伯父が戦場で銃に撃たれて戦死したのが僅か22歳であったと墓碑に刻まれている。戦後62年間日本が平和が保てたことに感謝し。これを維持する努力を真剣に考えていこうと思う。

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博物館見学 「狭山池治水の歴史留めてる」

2007年08月03日 | 歴史
 PLの花火を待つあいだAさんの案内で大阪府立狭山池博物館を見学した。狭山池は1400年の歴史をもつ日本最古のダム式のため池で平成の改修を機にその遺構が土木遺産として保存展示されている。狭山池はいつの時代も国家的プロジェクトで改修が行われ、奈良時代には行基が、鎌倉時代には重源が登場します。そして江戸時代へと、これらの遺構が館内には実物大のレプリカで展示されています。このため池が如何に多くの人々を潤してきたかが一目でわかります。現に今も治水や潅漑にその役割は図り知れないものがあります。WAKIは戦時中疎開していた頃、この池の下流3kmぐらいのところでよく遊んで水泳も覚えたし、 魚釣りなどした思い出のところでもあります。
正面の池の堤に沿って建つのが安藤忠雄設計の博物館(入館無料)です。

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東大寺二月堂 「古都奈良にいまもひきつぐお水取り」

2007年03月03日 | 歴史
 きのうWAKIたちは奈良二月堂のお水取りに行ってきた。例年と違い寒くもなく過ごし良い日であったが、大勢の観光客も見えていた、お水取りは今年で1,256回を数える東大寺に伝わる伝統行事である。この日は笠置の山に丁度満月がでて10本の松明が順次大きな炎を上げながら階段を駆け上がり本堂の回廊を火の粉を撒きながら、見物の人の歓声にこたえて勇壮なものであった。この行事は12日深夜まで続く。二月堂のお水取りが終ると桜の咲く春がやってくる。

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キングス オブ ホビー 「帆船は根気がないと作れない」2/3

2007年01月29日 | 歴史
Nさんの帆船模型、これは実に根気のいる仕事だ、趣味の世界ではアマチュア無線と同じようにキングス・オブ・ホビーといわれる王様の趣味だ。長期航海の水夫たちが持ち込んだ材料でこつこつと作ったのが最初とされる。また研究熱心のNさんは帆船が寄航するたびにその艤装を写しにカメラを持って出掛けられる。WAKIはかつて帆船で10日間の訓練航海をしたが扱った一番太いロープは直径が3センチもあって帆の上げ下げでささくれ立って手の皮が擦り剥けた。
この”エンデバー号”はキャプテン・クックの第一回世界周航の時に用いられた帆船といわれホイットビーで建造された築40年の石炭運搬船を改修したもので,砂浜での補修に都合のよい平底で,大きな貯蔵スペースを持ち,長期航海に適している。
マスト数:3本マスト横帆 ・フォア・マストの前に2枚のヘッドスルーと、メイン・マスト後ろのミズン・マスト下部にスパンカー縦帆を持ち、排水量:378トン 全長:29,77m ・全幅:9.8m 深さ:5,88m ・1762年進水と記録されている。(つづく)
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Nさんありがとう 「帆船は大人の夢をかきたてる」

2007年01月27日 | 歴史
 WAKIとアカトンボがまだまだ若い頃に仕事で随分お世話になったNさんの趣味は、帆船模型の制作、1983年大阪港で行われた帆船パレード(OSAKA WORLD SAIL)の会場で偶然お会いしたことでNさんが熱烈な帆船のフアンであることを知った。最近また2年掛かりで完成されたと伺ったので写真をおねだりしたら3艘の写真を送っていただいた、きょうはそのうちの建造が一番古い一艘「LA COURONNE」ラ・クローヌを紹介しよう。設計、建造、艤装、乗組員全てフランス人の手による最初の軍艦。オランダの造船技術の流れを汲む。「王冠」を意味する名をも持ち、史上最も美しい帆船と呼ばれる。1638年進水、984トン。キール長40メートル。幅15メートル。乗組員660人。二層の甲板に砲72門装備。判別のポイントは出窓状の構造物。ご覧のようにNさんの作品は見事に再現している。

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噂にたがわず凄い作品 「信貴山の縁起絵巻は素晴らしい」

2007年01月06日 | 歴史
 NHKBS放送「信貴山の縁起絵巻の大宇宙」を見てどうしてもこの信貴山縁起絵巻を見たくて3日は奈良県側から家族で信貴山に登った。朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、信貴山真言宗総本山の寺院である。本尊は毘沙門天(多聞天とも称する)。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られている。大和七福神のひとつにも数えられる。やはり正月とあって多くの参拝客でにぎわっていた。信貴山縁起絵巻は平安時代につくられた絵巻で、信貴山朝護孫子寺に伝わる国宝の絵巻で三つの説話から成っている。原本は奈良国立博物館に収められているが複本がここの霊宝館で展示されている。日本のアニメーションの原点とも言われる、時空を越えた素晴らしい作品であった。帰りは「てぬき庵」でお茶をいただき、信貴生駒スカイラインを通って帰った。

信貴山縁起に就いて(霊宝館説明文より)
当山が所蔵する国宝『信貴山縁起絵巻』は平安後期に描かれた日本絵画史を代表する傑作の一つです。10世紀初め信貴山に寵もり、奇跡を行った修行僧命蓮(みょうれん)の物語を三巻に描いたもので、第一巻『飛倉の巻』は命蓮の法力で、空を飛ぶ鉢が長者の米倉を信貴山上に運んだが、米俵だけは長者の庭に戻したという話。第二巻『延喜加持の巻』は醍醐天皇の病を剣の護法という毘沙門天の使者を遣わして平癒させたという内容。第三巻『尼公の巻』は年老いた命蓮の姉が弟を尋ねて奈良に至り、東大寺大仏の夢告により信貴山に登り弟に会い、余生を共にしたという話。生彩な筆の運び、色彩表現、卓抜な構図などは、鮮やかです。なお筆者は不明です。                                信貴山 朝護孫子寺

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文字の国 「中国は墨絵の世界いまもなお」

2006年12月06日 | 歴史
 HideさんもWAKIもいま一緒に習字を習っている、このデジタルの時代になんでアナログやねんと言われかねないが、その習字の手本は昔中国から伝来の文字だ、今先生から習っているのは書の歴史上最高傑作と評されている行書の「蘭亭叙」(らんていのじょ)王義之の作だ、全文324字真筆は現存しないとされている、したがってすべてそのとおり書き写す、それを臨書という。ここに書の真髄がある。一方、習字に必要なものは筆・墨・硯・紙だがこれを文房四宝(文房至宝)という。Hideさんの今回の目的は写真からみて大体頷けた。(責任編集WAKIのトンボ)

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京都御所の建礼門「重厚な屋根の仕組みに見とれてる」

2006年11月15日 | 歴史
 このあいだ京都御所の見学に行ってしげしげと眺めたのがこの建礼門、見るからに重厚な堂々とした立派な門だ、この門は御所の正門で素木、切妻造、桧皮葺(ひわだぶき)、柱間1間の四脚門というそうだ。開門されるのは天皇や国賓の来場など、特別な行事の時のみである。左右の築地塀(ついじべい)には5本の筋(水平の線)が入っているが、これも塀として最高の格式を示すものだという。そして御所の中には桧皮葺実物模型があった、桧皮とは樹齢 80年以上の立木檜より採取する皮のことを云い一番内側の紅い色をした皮(あま肌)を残して採取した皮を原皮と云い、この原皮から一番外側の粗皮(あらかわ)を取り除き10数種の役物が作られこの作業を皮揃えと云うそうで屋根葺きの各部を構成します。瓦屋根に比べ格段に重量が低減できますが火災に弱いのが難点です。 (10月15日に紹介した朝鮮様式の百済門と比べていただくと、おもしろい。)
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御所の一般公開 「秋晴れの御所は昔の佇まい」

2006年11月04日 | 歴史
 京都御所の一般公開が始まったのでWAKIたちははじめて行ってきた。何しろ以前はそれぞれ申込みのはがきを出して限られた人しか見学できなかったが今は期間中は誰でも見学ができる。京都御所は南北1.4km東西0.7km約11万平方kmもある。大正、昭和天皇の即位が行われた紫宸殿を中心に配置された平安時代の寝殿造りから室町時代の書院作りへと建物の変遷が見られ、それに池を中心にした回遊式庭園、蹴鞠の庭など、どれもこれも素晴らしく。要所には衣装をまとった等身大の人形が配置され、万葉の時代を演出して豪華絢爛としか言いようがなかった。手入れされた庭園、煌びやかな建具、襖絵などどれもこれも贅をつくした日本の伝統美を堪能した。
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