W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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百済門が完成 「百済門漢字伝えた王仁(ワニ)眠る」

2006年10月15日 | 歴史
 ここは枚方市藤阪にある王仁(ワニ)博士(ふみのよみびと)を祀る大阪府の史跡「伝王仁墓」この史跡の墓の正面にご覧のように立派な百済門が完成した。韓国から宮大工が現地から運んだ資材を使ってこのほど完成、昨日その竣工式があった、写真はその式典の前、準備の最中、前にもトンボの目で報告したとおり、王仁博士は渡来人で応神天皇の招きで百済から日本に論語と千字文(漢字)をもたらした人として知られている、この門の前に掲げられた幕が千字文である。ところでこの百済門は日韓両国有志の寄付で作られたが、木組みといい瓦の様式、施された文様すべてが韓国の伝統様式で見れば見るほど素晴らしい。なお、この庭には7月~9月韓国の国花である「無窮花(むくげ)」10種200本が咲き乱れる名所でもある。
WAKIはいま書道で千字文を習っている、千字文は2回臨書をしたが、書の基本が詰まっている、いま、3回目に取り掛かっている。

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八幡の流れ橋 「一休さんこの橋ほんと渡れるの」

2006年09月24日 | 歴史
 このバックの橋は八幡市にある木津川に架かる流れ橋、時代劇に良く出てくる橋だ、大水が出ると橋はばらばらになるが鎖で繋がれていて大水が収まるとまた組みたてて元通りになる。ご覧のとおり欄干が無いのでみんな橋の真ん中を渡っている。そしてこのすぐ近くに酬恩庵(通称一休寺)がある。ここは一休禅師が後半の生涯を送り88歳で亡くなりここに葬られている。重要文化財の建物、庭園がすばらしい、そして境内に架かる橋には「このはしわたるな」と立て札があるが、WAKIたちはちゃんと真ん中をわたってきた。一休さんのイメージは「とんちの一休さん」しかなかったが寺を再興し師恩に報いる意味で酬恩庵と名付けた。
「八幡はいま梨の採り入れの最盛期、今年の梨はでっかくて甘い、梨園では梨狩もできるがWAKIは好物だが一つで十分だ。もうあちこちでヒガンバナが咲いていた。
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ここは淀川枚方宿 「くらわんか茶碗が今も川底に」

2006年09月06日 | 歴史
 ここは歴史街道「枚方宿」にある骨董屋のウインドー、古びた茶碗が飾ってある。その昔江戸時代、京と大阪を結ぶ淀川の水運は一度に28人の乗客を乗せる30石船が往来していた、その30石舟に漕ぎ寄せて酒やあん餅にごんぼ汁を売りつけたのが「くらわんか舟」だ、少々荒っぽい売り口上は、役人から特別の利権を得ていたからで、これがかえって評判を呼んだらしい、そして代金は食べ終わった茶碗や皿の数で決まったので客はこっそりと川に捨ててごまかしたとされる。それがいまも川底に残っていて出てくるらしい。今で言えば廻り寿司のはしりだ、そして、すぐ近くの歴史資料館「鍵屋」には、この「くらわんか舟」の実物大模型が展示されている。そして安藤(歌川)広重は「淀川」の版画を残した。

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近江路の旅 「北近江大河ドラマで盛りあがる」

2006年09月05日 | 歴史
 好天が続く琵琶湖周辺の沿線ではもう稲穂が黄金色に実り稲刈りも始まっていた、WAKIたちは青春18切符の一枚の残りともう一人分はJR長浜ぐるりんパスを使って行ってきた。NHKの大河ドラマ「功名が辻」も佳境に入って面白くなってきた、長浜の町は山内一豊と千代一色で観光客を受け入れていた。所用で湖西の方にも立ち寄ったので長浜はお城の見物だけに終ったが戦国武将たちのゆかりの史跡と数々の史実はじっくりとまた来て体験してみたいと思う。
ひとつ驚いたことは当時近江にはお城がなんと1300以上もあったそうです。
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強行軍の旅  「大鳥居世界に誇る日本の美」

2006年08月29日 | 歴史
 きのうWAKIたちは朝4時に起き、5時半に家を出てJRの駅から旅に出た。旅といっても日帰りの強行軍、目的は二つ、ひとつは世界遺産、日本三景の一つ「安芸の宮島」にゆく。そしてもうひとつは広島で「広島焼き」を食べようという算段だ、それもすべて普通車自由席での旅だ。切符はこのまえ姫路城行きの残りの「青春18切符」だ、いまは便利なもので「JRおでかけネット」で調べると即座に第3経路まで時刻、所要時間、距離、料金の詳細が出てくる。今回の往復の距離は758,4km 料金は1人12,670円がこの切符を使うと僅か2,300円だ。さすがにそれとおぼしき学生さん、グループ、ご夫婦連れが結構乗っている。ただし、忍耐の要る旅行には違いない。ただ、手ぶらで乗るとたいへんなことになる。余りにも乗り継ぎがうまくできていて弁当もビールも買えないのである。駅弁はたまたま6分の停車時間で買えたがこれが格別おいしかった。家に着いたのは10時を回っていた。(明日も続く・・・)

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平和を祈念する日 「だからこそ不戦の誓いいまここに」

2006年08月15日 | 歴史
 きょうはあのいまわしい戦争が終って61年目、WAKIにとって忘れる事の出来ない日だ、WAKIは物心がついてかろうじて記憶のある小学校(当時の国民学校)4年生だった。家族で疎開していたが、戦況が激しくなって日本がアメリカの制空権に入ると連日空襲が行われてWAKIたちはものの2kmぐらいのところにある学校へいくのも危ないということから通えなくなってしまって近くの大きなお屋敷の門の下で勉強をした。やがて、大阪の町もB29の空襲にやられて住んでいた家も焼失した、いまの堺市の大空襲は防空壕に入りながら目の前で見た。そして、直後の焼け跡を歩いて親戚の家を探しにいった。それは地獄絵そのものだった。だから、WAKIは理屈抜きで戦争は嫌いだ、2度とこんな目には逢いたくない、毎日世界のニュースを見るたびにWAKIは心が痛む。だから数少なくなってゆく体験者は、ただしく伝えてゆく義務があると思う。
ここは昨日の枚方市駅前ロータリー・暑い陽射しのなかに親子の像が立っている、枚方市には2万3千人の小学生がいる。枚方市は1982年(昭和57年)に「非核平和都市宣言」を行っている。
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世界文化遺産 「夏空に威風堂々姫路城」

2006年08月12日 | 歴史
 姫路城を見るのはWAKIたちは初めて暑いのを承知でJR学研都市線星田駅から青春18きっぷを買って出かけた。快速・新快速と乗り継いですこぶる便利がいい、期待にたがわずすばらしい城であった。姫路駅を一歩出ると目の前に見える。天守閣まで登ったが城はどこから見ても絵になるすばらしいデザインでバランスがとれていて驚いた。またこれだけの木造建築を作った日本人の技術は本当に素晴らしい、世界文化遺産の名にふさわしい城郭建築だ。
それにしても暑い一日であった、世界遺産だけあって外国人観光客が大勢見えていた。

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歴史街道 「街道に昔ながらの佇まい」

2006年08月10日 | 歴史
 ここは枚方歴史街道にある江戸時代からの商屋塩熊商店、看板の文字は薄れて殆んど見えないが金物と書いてある。そして建材・鍋釜とも書いてある。本店は少し離れたところにあってちゃんとしたビルで今も営業している。今は藍染などの民芸品を販売している。東海道と言えば江戸から京都までの53次が一般的だが江戸幕府が1615年「大阪夏の陣」後上方と四国支配のため大坂まで東海道を延長し、京街道の伏見、淀、枚方、守口の4宿を加え「57次」となり56番目の宿場町として「枚方宿」が誕生した。参勤交代の紀州の殿様の常宿として総勢3000人が泊まった。いまは町おこしで昔ながらの街道筋が歴史資料館「鍵や」を中心に次第に復元されつつある。
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功名が辻 「大河ドラマタイトル見ては引き込まれ」

2006年07月30日 | 歴史
 NHKの大河ドラマ「功名が辻」もう武田鉄矢も戦死してしまってがっかりだがさすが司馬遼太郎の原作、なかなか見ごたえがある。WAKIが虜になっているのはこのドラマの導入部のタイトルだ、たぶんコンピュータグラフイックでの制作と思われるがそれはそれは美しい工芸品といってよいぐらい美しすぎてつい見とれてしまう。金糸銀糸の綾錦といったデザインで素晴らしい、そうしてドラマに見とれていると決まって電話が掛かってくる。
今年はひらかたパークの大河ドラマをテーマにした菊人形も無いのが少し淋しい。

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北緯35度線 「東洋の文化の町は連なって」

2006年07月13日 | 歴史
 ここは京都のど真んなか、四条河原町の交差点阪急百貨店角、ご覧のようにモニュメントが恰好よく収まっている。見ればここが北緯35度線にあたるそうだ、そしてこの線上には東京・名古屋・京都・大阪・と、さらに外国では中国の徐州・開封・洛陽・西安と連なっているそうだ。
北緯35度線といっても今はGPSで極めて正確に位置情報を得ることが出来るがこうして同じ線上に生活をしている人々の暮らしは文化はどうだろうと考えると興味はつきない。でも、この頃のTVは鮮明に断片的ではあるが、これらを映しだしてくれる。WAKIは好んでこういったTV放送をよく見る。
この交通量の多い交差点、車道に出てギターを弾く変わったおじさんがいた。危ないよ!!
 
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