W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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終戦記念日に思う 「語り部も少なくなって先憂う」

2007年08月15日 | 歴史
 きょうはあの忌まわしい戦争が終って62年に当たる終戦記念日、WAKIはまだ10歳、小学校(正式には国民学校)4年生、でも当時のことは鮮明に覚えている。戦況が厳しくなるに従って食べるものや着るものに事欠くようになり、家族で空襲から逃れるために疎開し、B29の大阪大空襲で住んでいた家は焼かれ、そして、艦載機による機銃掃射も体験、堺市の大空襲の惨状も目の当たりにした。従って戦争の怖さと悲惨さは身をもって体感したことでどんな理由があるにせよ戦争だけは容認することはできない。
WAKIの家のすぐ近くには大きな「忠魂碑」が今もある。でも、今年はお盆の前日と言うのに花も捧げていない。陸軍大将揮毫の碑が今日まで残されていたのも不思議だが。その碑のお守りをする人もいなくなったのか。先のWAKIの先祖の墓参りでは先祖の墓より立派だったのが中国で戦死したWAKIの伯父の墓、(WAKIの親父は8人きょうだいの長男で伯父は8番目の末っ子)上等兵でありながら勲八等功七級つまり金鵄勲章を貰っている。(今もこの勲章は燦然と輝いている)でもこの伯父が戦場で銃に撃たれて戦死したのが僅か22歳であったと墓碑に刻まれている。戦後62年間日本が平和が保てたことに感謝し。これを維持する努力を真剣に考えていこうと思う。

コメント (2)
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