あれから一年あっというまに巡ってきました。自分には何もできなかったけれど日本中いや世界中の人々が憂い援助の手を差し伸べてきましたが復興は遅々として進んでいません、それは地震と津波によって被害を受けたうえに原子力発電所が依然として危機的状況を脱していないからです。Wakiは当初からテレビや新聞、インターネットで伝えられる報道で心を痛めていましたが、その見聞きする内容を五七五に託して書きとどめてきました。それは3月13日から5月8日まで当初の目標である100句をはるかに超えて138句にもなりました。駄作ばかりですが振り返って見ますとその時の情景がまざまざと目に浮かびます。Youtubeからとり溜めた数々の震災映像とともに心に刻んでいます。
Kenさん。
覚えていてくれたか、たしかに暑い日だった。見たがりにいつも良く付き合ってくれてありがとう。
日本の国道を象が隊列をなして行進するなんて、今では考えられないことです。
映ってるみんなも若い。
でも子供心には、暑い日に沢山歩いて大変だったっていうかすかな思い出が残っています。
その震災以来、絆という言葉をよく耳にします。その割りに瓦礫撤去を引き受ける自治体のなんと少ないことでしょう。その言葉が一人歩きしているのでしょう。これではその言葉が泣くように思います。
さて、大震災の惨状を心に刻んだ138句。驚くべき数です。これを読むたびに思い出すでしょうね。