コップ一杯欲しさに今日も 嬶の機嫌をとる辛さ
永年、日の丸弁当を持参して生活の糧を得る為に、せっせと飛び回った働き蜂も、今日では、“走り終わって後振り向けば 既に終盤ロスタイム” に入る。
長いようで束の間の持ち時間を使い切り、過ぎし日は、夢幻の如なり。
つらつら振り返えるに、”嘘と誠をたくみに混ぜて 小細工しながら生きた日々” であった。
されば自己採点でも、”帯に短したすきに長し 生きた証は二流品” となるのだろう。
そして退役後は、ただただ山ノ神の機嫌を損なわないよう日々お静かに、”募る想いもお猪口に注ぎ プラス思考に変えている” 昨今である。
然し、時として 酒は酒屋で呑んできた 歌は道々唄とてきた〜の日は、山ノ神の雷が落ちる。
ちょいと一杯のつもりで呑んで 何時の間にやらはしご酒〜となるからである。
酒は呑んでも のまれちゃならぬ これが男と云うものさ〜 と、知りつつも・・・。
今朝も、夕べのはしご酒を深く反省し、既得権であるコップ一杯の晩酌確保の為に、家事の手伝い、スーパの買出しなど、自ら買って出て山ノ神の信頼回復に努めている仕儀なり。
長月もあと少し、“たんと想いを残したまんま 捨ててさっぱり神無月” と、したいものである。