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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑧

2016-10-09 09:59:23 | 昭和史
 昭和19年   

(^^♪かわいい魚雷と いっしょに積んだ  
       青いバナナも 黄色くうれた
        男所帯は 気ままなものよ 
    ひげも生えます ひげも生えます 不精ひげ~
  
           (轟 沈)

【世 相】

街中は「進め一億火の玉だ」の標語があちこちに目に付く。
隣保班では 竹槍訓練が始まり、学校では 学童集団疎開が開始された年である。

で、竹槍のことであるが、「竹槍では間に合わぬ」と書いた毎日新聞の記者が東条首相の逆鱗にふれ 懲罰招集に発展している。誰が見ても“竹槍では敵機は落とせず”、当たり前のことを言った者が罰せられたご時勢である。

一方巷では、一人一杯20銭の雑炊食堂が大人気となる。但し店によっては汁ばかりなので、丼に箸を立てて倒れなければ合格と定めている。また、酒は配給制となり一所帯月2合(2級酒1升8円)とのこと。

そのうち中学生以上の学徒全員動員が発せられ、14~25歳の女性を女子艇身隊として軍需工場などに動員することになる。そして11月24日には、70~110余機のB29による東京初空襲が行われている。 

ここにきて いよいよ「神風特別攻撃隊」の出番となるのである。
       
       ♪燃料片道 テンツルシャン  涙で積んで  
      行くは琉球 死出のたび  エーエ 死出のたび~ 
  
             (特攻隊節)
【時 局】

この年1月、大本営はビルマにいた第15軍に「国境越えしてインドのインパールを占領せよ」との指示を出している。目的は、インドから蒋介石救助のルートを断つものである。

しかし、結果は食糧・弾薬とも不足のなかの強行行軍であり、7月に至り73,000人の死傷者をだす「自滅戦」で終っている。

開戦当初の中国大陸からは、
   
    ♪春まだ浅き戦線の 古城に香る梅の花  
    せめて一輪母上に 便りに秘めて 送ろじゃないか~


と、軍事郵便が届いたのに この年の6月に入り、白梅の代わりにグラマンが本土初空襲を行うに至る。

一方海上では、マリアナ沖海戦に敗北してからサイパンが陥落し、陸海あわせて31,000余のほとんどが玉砕している。なかでも哀れなのは 一般市民25,000名のうち4,000名があのマッピ山から身を投げて死んだことである。

こうなっては東条内閣も遂に総辞職に追い込まれ、東条の独裁体制は崩れたのである。しかし、後任の小磯・米内連立内閣もなんら方針も持たず、 戦争完遂を叫ぶばかりでこの期の対応になっていない。

その後の戦況ではグァム島の玉砕、そしてレイテ沖海戦での敗北と 各地の日本軍は次第に戦力を失っていったのである。  (数字は資料によりバラツキ有り)

【出来事】

  1月 大都市に疎開命令(東京・名古屋で空襲に備え建物強制取り壊し決定)
  2月 決戦非常措置要綱決定
  5月 国民総決起運動中央総会開催
  6月 マリアナ沖海戦・B29中国基地から北九州を攻撃(日本本土初空襲)
  7月 サイパン島の日本軍玉砕  ・東条内閣総辞職→小磯・米内内閣成立
  8月 グァム島の日本軍玉砕 ・学徒勤労令・女子艇身隊勤労令公布
     竹槍訓練始まる  ・学童集団疎開開始
 10月 レイテ沖海戦 ・満18歳以上を兵籍に編入 
 11月 米爆撃機B29、111機による東京初空襲

【歌・映画】

  <歌> 
 「月夜船」 ♪おおい そこゆく のぼり船  今夜は月夜だ・・(波平暁男・唄)
 「轟 沈」 ♪かわいい魚雷と いっしょに積んだ 青いバナナ・(楠木繁夫・唄)
 「ああ紅の血は燃ゆる」♪花もつぼみの若桜 五尺の生命ひっ・・(酒井・安西・唄)
 「突撃ラッパ鳴り渡る」♪勝って逢おうと 誓って往った 友の・(楠木・三原・唄)
 「いさおを胸に」♪いろはのいの字は 命のいの字  誰も忘れ・(楠木・松原・唄)
 「特幹の歌」♪翼輝く 日の丸に  燃える闘魂 目にも見よ・・(藤原義江・唄)

 <映画> 「三尺左吾平」「加藤隼戦闘隊」「小太刀を使う女」

などなど・・・。独断と偏見で綴る昭和19年である。 (つづく)