昭和22年-2
前回の「政治・経済」に続き、今回は巷の様子などを見てみる。
巷では、カストリ雑誌が氾濫し、パンパンガール、ストリップなるものが出現している。
六大都市のネオン街には街娼が4万人にも達したそうな。
(^^♪星の流れに身を占って 何処をねぐらの 今日の宿
・
・
こんな女に 誰がした~ である。
一方家庭では、電力不足の為にロウソク・ランプが大人気の年となる。
【社会・文化】
1月 東京・新宿帝都座で初の額縁ヌードショー開演 ※(別記‐1)
2月 八高線(埼玉県)で列車転覆脱線・・死者184名・負傷者495人
3月 教育基本法・学校教育法公布(六・三制を規定・国民学校→小学校)
全国的に主食遅配(ヤミ取締り強化)
5月 天皇、日本人記者と初会見
6月 石坂洋次郎の「青い山脈」、朝日に連載はじまる(青少年に希望を与える)
7月 「鐘の鳴る丘」のラジオ放送はじまる
8月 古橋広之進,400メートル自由形で世界新記録(フジヤマの飛魚出現)
9月 キャスリン台風来襲(関東地方大水害・死者2247名)
10月 山口良忠判事、配給食糧を厳守し栄養失調で死亡、※(別記‐2)
11月 多摩川畔で集団見合大会・、以降各地で流行 ※(別記‐3)
第一回共同募金(赤い羽根運動)はじまる
12月 100万円宝くじが売り出される(10人の百万長者が誕生)
※別記-1 「ヌードショーの登場」
この年の秋に、新宿でヌードショーがはじめて登場して大評判になっている。
趣向は、舞台の真中に大きな額縁を立て、泰西名画に見立てたモデルが乳房と上半身をあらわすだけのことだったそうな。
もし動いたら風俗取締りに抵触するので、わずか5~6秒だけだったそうである。
その後、一枚ずつ脱いでゆくストリップショーへと移ったのである。
※別記-2 「判事・ヤミを否定して栄養失調死」
この出来事は、食糧難に苦しんだ当時を如実に物語っている。
“安い給料では食えぬ”と、判事・検事がぞくぞく弁護士に転職するなか、山口良忠判事だけは「いまこそ、判検事は法の威信に徹しねばならぬ」と、一切のヤミを拒否して配給生活を守り続け、極度の栄養失調で亡くなっている。
彼は「食糧統制法は悪法だ」と・・。しかし、「法律である以上国民はこれに絶対服従せねばならない」との想いからだったのである。
この信念は責任感が強いと評するよりも、判事という職務を考えて、死を覚悟していたとの見方が高い。
主食の配給が遅配し、物価が倍々式に上がった年である。
※別記-3 「集団見合大会」
大勢の兵隊さんが復員して、昭和21~22年にかけて結婚ブームが起こっている。
一方内地でも、結婚適齢期の女性達のなかには、売れ残る者も多かったようである。
そこで ある雑誌社が「花婿・花嫁の見合い大会」なるもの主催したところ、300名にも及ぶ適例者が集まり、胸に名札をぶら下げた男女がわれ先にと、花婿・花嫁さがしを展開したのである。
やがてマスコミの話題となり、各地で集団見合いの催しが流行している。今はやりの”合コン”のはしりである。
独断と偏見で綴る「昭和22-2」である。 つづく
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前回の「政治・経済」に続き、今回は巷の様子などを見てみる。
巷では、カストリ雑誌が氾濫し、パンパンガール、ストリップなるものが出現している。
六大都市のネオン街には街娼が4万人にも達したそうな。
(^^♪星の流れに身を占って 何処をねぐらの 今日の宿
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こんな女に 誰がした~ である。
一方家庭では、電力不足の為にロウソク・ランプが大人気の年となる。
【社会・文化】
1月 東京・新宿帝都座で初の額縁ヌードショー開演 ※(別記‐1)
2月 八高線(埼玉県)で列車転覆脱線・・死者184名・負傷者495人
3月 教育基本法・学校教育法公布(六・三制を規定・国民学校→小学校)
全国的に主食遅配(ヤミ取締り強化)
5月 天皇、日本人記者と初会見
6月 石坂洋次郎の「青い山脈」、朝日に連載はじまる(青少年に希望を与える)
7月 「鐘の鳴る丘」のラジオ放送はじまる
8月 古橋広之進,400メートル自由形で世界新記録(フジヤマの飛魚出現)
9月 キャスリン台風来襲(関東地方大水害・死者2247名)
10月 山口良忠判事、配給食糧を厳守し栄養失調で死亡、※(別記‐2)
11月 多摩川畔で集団見合大会・、以降各地で流行 ※(別記‐3)
第一回共同募金(赤い羽根運動)はじまる
12月 100万円宝くじが売り出される(10人の百万長者が誕生)
※別記-1 「ヌードショーの登場」
この年の秋に、新宿でヌードショーがはじめて登場して大評判になっている。
趣向は、舞台の真中に大きな額縁を立て、泰西名画に見立てたモデルが乳房と上半身をあらわすだけのことだったそうな。
もし動いたら風俗取締りに抵触するので、わずか5~6秒だけだったそうである。
その後、一枚ずつ脱いでゆくストリップショーへと移ったのである。
※別記-2 「判事・ヤミを否定して栄養失調死」
この出来事は、食糧難に苦しんだ当時を如実に物語っている。
“安い給料では食えぬ”と、判事・検事がぞくぞく弁護士に転職するなか、山口良忠判事だけは「いまこそ、判検事は法の威信に徹しねばならぬ」と、一切のヤミを拒否して配給生活を守り続け、極度の栄養失調で亡くなっている。
彼は「食糧統制法は悪法だ」と・・。しかし、「法律である以上国民はこれに絶対服従せねばならない」との想いからだったのである。
この信念は責任感が強いと評するよりも、判事という職務を考えて、死を覚悟していたとの見方が高い。
主食の配給が遅配し、物価が倍々式に上がった年である。
※別記-3 「集団見合大会」
大勢の兵隊さんが復員して、昭和21~22年にかけて結婚ブームが起こっている。
一方内地でも、結婚適齢期の女性達のなかには、売れ残る者も多かったようである。
そこで ある雑誌社が「花婿・花嫁の見合い大会」なるもの主催したところ、300名にも及ぶ適例者が集まり、胸に名札をぶら下げた男女がわれ先にと、花婿・花嫁さがしを展開したのである。
やがてマスコミの話題となり、各地で集団見合いの催しが流行している。今はやりの”合コン”のはしりである。
独断と偏見で綴る「昭和22-2」である。 つづく

