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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑨

2016-10-13 10:42:35 | 昭和史
昭和20年-1

この年は 暮し向きでも戦前戦後の境をなす一年となった。

ガソリンの代用品「松根油」のため 松の根っこ堀に精を出していた日々も、8月15日正午の天皇陛下の「終戦詔書」の放送が仕切り線となったのである。

玉音放送を聞き入る大人達の虚脱感はいかばかりであっただろうか?・・・

当時の小生は、♬皆で体操うれしいな~国民学校一年生~であり、
幼な心にも、大人たちから貰い涙をしたことを覚えている。
これでコウリャンの団子でなく、白いお米のおにぎりが食えると・・・

【戦 局】

太平洋戦争の敗色はいよいよ濃くなり、3月10日には、B29が東京を大空襲して12万余の死傷者を出し、更に12日には名古屋、14日には大阪、17日には神戸、その後米軍は各地方都市の無差別攻撃を仕掛けることになる。

6月に入り最後の砦とした沖縄守備軍が玉砕し、広島・長崎がピカドンに見舞われ、果ては満州国境を越えてきたソ連軍の参戦でもう後退り叶わぬ日本は遂に連合国のポツダム宣言を受託無条件降伏している。


【そして終戦】

8月30日には 連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木に到着 9月には、ミズーリ号上で降伏文章に調印を行うこととなる。

この日より日本の行く末は 大本営に代わりGHQに委ねられることとなった年である。

【戦 後】

新宿の焼け跡にヨシズ張りのマーケットができ、これが各地の闇市のハシリなる。

ハシリついでに 立川基地では発疹チフスを媒介する“シラミ”退治に空からDDTが散布され,以後全国の学校や街頭で強制的に散布されることとなる。

復興の第一歩は,第1回宝くじの発売、そして天上の焼け落ちた国技館での大相撲本場所の再開、更にプロ野球の再開(東西対抗試合)などである。

また東京では、「輪タク(幌かけ三輪自転車)」が登場し、大阪には「ぬくもり屋(焚き火にちょっとあたると50銭)」なるものが出現している。

また上野駅では、日々餓死者が出る一方、外地からは復員がはじまるのである。

【流行語】  

  「一億玉砕」「ピカドン」「進駐軍」「四等国」「パンパン」「肉体の防波堤」
  「戦犯」「浮浪児」「タケノコ生活」など

【出来事】

  1月  米軍・ルソン島に上陸
  2月  ヤルタ協定成立・ソ連対日参戦を決定
  3月  硫黄島の日本軍全滅
  4月  小磯内閣総辞職・鈴木貫太郎内閣成立 ・陸海軍特別攻撃隊・連日沖縄に出撃
      戦艦大和・徳之島沖で沈没(戦死者2500人とも2700人とも)
  5月  米軍・沖縄本島に上陸
  6月  沖縄の日本軍守備隊玉砕(戦死者=日本軍9万人・一般国民10万人) 
  7月  ポツダム宣言発表(鈴木首相、ポツダム宣言黙殺を表明)
  8月  広島・長崎に原子爆弾投下 ・ソ連が日本に宣戦布告
      ポツダム宣言受託・無条件降伏   玉音放送
      鈴木内閣総辞職   東久邇稔彦内閣成立
  9月  ミズーリ号上で降伏調印  第一次戦犯容疑者逮捕
 10月  GHQ設置
 11月  財閥解体指令出る
  12月  新選挙法成立(婦人参政権) 農地改革指令出る  労働組合法公布

【歌・映画】

 <歌>  「お山の杉の子」
  ♬むかし むかしの その昔 椎の木林のすぐそばに
       小さな小山が あったとさ あったとさ

              ・
         (安西・加賀美・寿永・唄) 
 
 <映画>  「勝利の日まで」「伊豆の娘たち」「そよかぜ」

などなど・・・。  

     独断と偏見で綴る昭和20年-1である。  (つづく)

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