私の郷里紀州に由良というところがあります。そこにはかつて関南第一禅林と称された興国寺という寺があります。現在は妙心寺派のお寺ですが、以前は臨済宗法燈派の大本山であり、虚無僧で知られる普化宗の本山でもありました。そのご開山が法燈国師(心地覚心禅師)という方です。無門関を著したことで有名な無門慧開について修業しその法を嗣いだのであります。信州松本市の近郊神林村出身の方で、無門関とともに味噌と醤油を日本に初めてもたらした人でもあります。法燈国師は宋の径山寺(きんざんじ)で修業したので、それにちなんで「金山寺味噌」と言うのがこの地方の名物になっております。そんなわけで、この興国寺こそが日本における味噌と醤油の発祥の地であります。
本日はその心地覚心禅師と一遍上人にまつわるエピソードを紹介します。一遍上人は歴史に詳しい方ならご存知と思います。踊念仏で有名な時宗の開祖であります。
その一遍がある時、心地覚心に参禅したのであります。そこで禅師に見解(けんげ)を問われた一遍は次の歌を提示しました。
となふれば 仏もわれも なかりけり 南無阿弥陀仏の 声ばかりして
それを受けた禅師は、「まだ徹底が足りない」と、突き返しました。
それではと、今度は次の歌を提示しました。
となふれば 仏もわれも なかりけり 南無阿弥陀仏 なむあみだ仏
今度は、禅師は善しとして、印可を授けたのだそうです。印可というのは免許皆伝の証みたいなものです。
私はこの話は後世の作り話であると考えています。理由はあまりにも単純で分かりやすいからであります。最初の歌の「声ばかりして」という文言は、その声を聞いている自分がいる、ということで「念仏と自分が分離している」らしいのです。
素人にもわかるような方便として、このような解説がされているのだとは思いますが。それを言うならば、「となふれば 仏もわれも なかりけり」という部分も結構問題にしなければならないはずです。唱える自分がいるし、「ない」と言っている「仏もわれ」も実は意識はしています。
素人が聞いて納得できるということは、素人でも考えれば二番目の歌は作りえるということです。その様に考えて作った歌を師家に提示したからと言って師家が認めてくれるはずもありません。重要なことは実際に当該の境涯に到達しているかどうかであります。到達していると師家が判断すれば最初の歌でもよしとされるはずです。
いずれにしろ、和歌という表面的な言葉一つでその境涯を推し量るというようなことを師家はしないのであります。密室で行われる参禅は両者の全人格のぶつかり合いであって、師家は弟子の一挙手一投足、一言一句、あらゆる徴候から弟子の境涯を探るのであって、歌一つで印可がもらえるなどということはあり得ないのです。
それに、上にあげられた二首の歌はいずれも三昧の境地をうたったものです。臨済禅においては、三昧の境地への到達はほんの入り口であります。必須ではあっても十分ではありません。印可をもらうにはそれから何年何十年の修行が必要です。「声ばかりして」を「なむあみだ仏」に変えただけで印可をもらったというのがいかにも安直であります。私はあり得ない話だと思います。
金山寺味噌、うまそうですね。