Sydney Yajima


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結婚

2011-12-15 17:01:40 | Weblog
結婚は、むつかしい。
それは、誰に限らず 違う環境で育ってきた人間同志が なんとか折り合いをつけて 何十年も一緒に暮らすことを目的に行うという途方も無く長いプロセスを含んだ 妥協の許さない戦争か、もしくは、美しい花畑の咲き誇る平和の始まりでもある。
もちろん、平和であることに越したことは無いが、それほど 簡単にはいかない。
なにしろ、始まりが、愛とか恋などという 曖昧模糊としたものからであり、それが、不確かな上に さらに生活力というのっぴきならない事実が、向こう何十年間もずっと目の前に突きつけられているのである。

結婚はしかし、子供が産まれたなら、簡単になる。
なにしろ 違う二人の間に出てきた共通の 新生児という個人への愛情が、子育てという目的で一致して、成長していくからだ。

だから、結婚はすばらしい。

国際結婚は、しかし、さらに大きな試練がある。
これは、中々 成功率が低い。
箸の上げ下げから違う二人に、長い共同生活。
これは、毎日微量ではあるが、ストレスが発生することを意味する。

もちろん、年代にもよる。

たとえば、戦争花嫁という言葉がある。
これは、第二次世界大戦後、あるいは朝鮮動乱後に、アメリカやオーストラリアの将校と結ばれた日本女性のことだ。
彼女たちの人生はまさに、ドラマだ。
この少ないページでは到底書きつくせそうもない。

しかし、一言で言えば、戦争花嫁たちの、人生は、結婚で不倫だとかなんだかで、離婚するとか、性格の不一致で離婚するなどという生ぬるいものではなかった。
彼女たちの多くは 今では老齢になり、しかし多くの子供たちは立派に成人し、そして 孫までいる。
幸せな老後を送っている人が多い。
彼女たちは とても頑張った。
なんとか、オーストラリアではその白人社会に溶け込もうとして、努力したのである。

今の世代の国際結婚は、もちろん、違う。
物質的にも豊かに育った日本人が外国人と結婚するのである。
たとえば、オーストラリアに転居してきた日本女性は、とても物足りなく感じるかもしれない。
あるいは、日本的なものを、外国の人に求めていき、がっかりするかもしれない。
日本的な情緒や、日本男子や日本女子のありかたというものを、オーストラリア人に求めるのは、とても難しいことだし、それでは彼らもハッピーになれないだろう。
だから、すべてそのまま受け入れるというのは、あるべき姿かもしれないが、しかし、そう簡単なことでもないだろう。

では、国内で日本人同士結婚すれば うまくいくのか?
といえば、やはり3割の離婚率が、なにかを物語っている。

なんにせよ、結婚は難しい。
私?
いまのところ、うまくいっている。まだ 16年目だけれど。