Sydney Yajima


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アジアの国々は仲良くしなければならない理由

2017-03-02 16:59:52 | 政治

国によって、民族によって、あるいは宗教によって、それぞれ考え方も生活習慣も異なる。

これは、当たり前のことで、多くの人が、「いまさら言う事でもないことだ」と思うかもしれない。

だが、本当にこの異なりについて、どこまで深く考察してきただろうか。ということには、多少 疑問符が付くことも、また、真実の一面ではないだろうか?

例えば、犬を食べる文化をもつ国がある。

それを、クジラを食べる文化をもつ国が馬鹿にする。

そのどちらをも、牛を食べる文化をもつ国が、イケナイことだという。

 

こういうことは、実にくだらないことだったのだと、一笑に付す未来の人々がいるであろうことは、期待をこめて、そうでなってほしいものだと思う。

だが、今の段階ではこういうくだらないことが、戦争の引き金にさえなりかねない時代なのである。

 

私たちは、アニマルだ。動物だ。人間は特別ではなく、何かを捕食し、生きているのである。

いくら、ピンクに彩ったアイスクリームを食べてかわいく写真を撮ってインスタグラムに乗っけているティーンの女の子が可愛くみえたとしても、そのアイスクリームは、狭いところで人工的に足が体重を支え切れなくなるまで、閉じ込められて搾乳されつづけた牛から搾り取ったミルクで作られたものだ。

私たちは、そういうものの苦痛をすべて理解して生きているわけではない。

ただ、自分の満足を、お金で買うことに慣れているに過ぎない。

 

国同士の関係においても、見た通りに評価しているマスコミは実に少ない。

アメリカの言う事がむちゃくちゃだと思っても、マスコミは、ちゃんとは、書かない。中国やロシアに対しても、そうだ。

書かないのではない。書けないのだ。

マスコミは、広告で成り立っている。

広告主は様々な物品販売やサービス提供で成り立っていて、お客さんは、その向こう側にいる。

つまり、マスコミが書けない理由はそういう利害関係があるからで、それは実に複雑に入り込んでいて、しかも抜き差しならない悪女と旦那の関係のようなものだ。

どうしようもない。

多くの人々は、そういう操作に慣れてしまっており、そして一番居心地の良さそうなところで、生活を始める。

日本人にとって、居心地の良いところは、どうやら、東南アジアの島国のひとつであるよりも、アメリカのもっとも西側に位置する太平洋の島国である場所であるようだ。

米軍が日本に駐留し、アメリカのコピー番組や歌や踊り、それにスポーツなどが朝から何度も繰り返し流されている。

お餅つきが不衛生であるとか、そういう視点はかつての日本人には少なくとも思いもつかないことであった。

まして、それを禁じるなど、一体 おまえたちは、どうしてしまったのか? と私などは、嘆息とともに、頭を振る。

衛生というものは、ある程度のばい菌を体内に飼っておくということでもあるのだよ。

ばい菌が無くなってしまえば、病気にならないと思っているなら、それは大間違いだ。人類は、ずっとばい菌とともに生活してきたんだ。

ケミカルがばい菌を殺すから、ケミカルのほうが良いというのは、大きな間違いだ。

 

そういうことを言うと、必ず、「科学的に実証してね」という輩が現れるのも今の日本だ。

知識と現実の違いは、こういう人たちには通じない。

 

知識が正しいのであれば、なぜ、核戦争が起きるのだろう?

原爆は世界中にあるし、それはいつでも暴発しかねない時代になっている。

非核三原則を大事に守る日本は、稀有な存在だ。だが、他の国々が、原爆を持っているのに、自分たちは両手を後ろで縛って、それで、どうして守るというのだろう?

もちろん、これには多くの議論が必要だ。

私だって世界中から核爆弾だけではなく、ありとあらゆる武器が無くなってしまえばいいと思っている人間のひとりだ。

だが、頭で思っていることと、現実とのギャップは、あまりにも隔たりが大きく、その隔たりを埋める作業をし続けなければ、私たちは前にすすめない。

 

憲法9条も非核三原則も無くしてしまい、戦争のできる国になったとしても、戦争をするとは限らない。

戦争をするとしたら、日本は、どこの国とするのか?

という設定から入れば、それはおのずとアジアの国々。とりわけ 中国との危機があげられる。

ならば、どうやって、戦争をしなくて済むようにするのか?という知恵を出す時でもあるだろう。

彼らに私たちのように考えろとか、私たちの価値観を共有せよというのは、無理がある。

彼らが私たちにそのように言ったとしても、あなたが中国共産党を信奉することは無いであろうことと同じように、だ。

だからといって、アメリカと一緒になって中国をいじめよう。というのも、私はどうかと思う。

もっと、複合的に入り混じった中で、それぞれの国が自分の国の利益を守るのは当然としながらも、どうやって、共通のゴールを見つけることができるかということを、考えなければならない。

そのためには、日本は軍備も必要になるだろう。

世界最強でなくとも、せめて、一矢報いることのできる最低限の軍備は持たなければ話にならない。今の憲法と非核三原則を、きちんと精査しなければならない。だがしかし、同時に、戦争をしないための哲学というものも、持たなければならないはずだ。

もし、中国が日本と同じく”戦争をしない”というゴールを共有するならば、それぞれが、自分たちで一生懸命、頑張れば良いということなのである。

お互いの利益の齟齬を、どうやって解決するかという方法は、一つだけではないはずだからだ。

だが、ひとつだけ言えることがある。

今までの米国のようなやり方は、人々から憎まれ 恨まれるだけだ。かつての、日本軍も似たようなものだった。二度と、日本は同じ轍を踏んではならない。20世紀の世界を散々苦しめた数々の戦争は、様々な地域に、爆弾を落とし、無辜の人々を殺し などしただけではなかったのか?それで、何か一つでもいい。解決した問題があっただろうか?という、疑問だ。

 


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