現在、中国の抱える深刻な問題は、広がりすぎてしまい、先々まで伝達のできなくなってきてしまったシステムである。
これだけでは、漠然として意味が分からないだろう。
もう少し砕いて書いてみる。
現在中国のGDPは7.4%成長と発表されている。
これをそのまま、鵜呑みにしたとしても、四半世紀の中でもっとも低い数字だ。
したがって、中国当局も、この数字を発表した時点で、中国の経済は どうやらソフトランディングは難しくなっているということに気がついたらしいということは、分かる。保八と言い、8%のGDPを維持すると言っていた中国当局が、そのプライドと約束と決まりごとをずたずたにして認めた数字だ。
だが、どれだけ気がついていたとしても、中国は各部署が、共産党一党独裁という頭から足先までの距離が長く、枝葉に至っては、気が遠くなるほど伝達や意思疎通が遅れてしまい、そのために、管理が難しくなるのである。
さて、最初にお約束したとおり、くだいて書いてみることにする。
たとえば、鉄鋼
鉄鋼で、さまざまな材料を作ったとしても、JIT(Just In Timeの略)のきちんとした管理や、ロジスティックが出来ていないと、在庫がだぶついてしまう。
で、どうなるのか?
つまり、鉄は錆びる
場所も取る。
しかも、余った鉄の塊を誰もほしいとは思わないという代物だ。
あなたに、一億円分の鉄の塊を差し上げると言われても、困るでしょう?
一億円分のダイアモンドなら、喜んで受け取るはずなのに
つまり、物には値段があるが、それは、消費者が喜ぶものであり、消費され続けている間だけは値がつくけれど、その構図が崩れると、一気に値崩れするという反面がある。
さらに、
中国の企業のうち半数以上が国営企業である。
国営企業というのは、実に始末が悪い。
つまり、利益を上げるために努力をしないのである。
日本の場合は、国鉄がそうだった。
赤字を垂れ流しながらも、走らせ続けた。
しかし、日本の場合は、とりあえずも、かろうじてそれらを分割し、国有から私有へと以降させることに成功した。
それは、電力会社や、電話会社などにも同じことを行ったし、そのことで、日本経済は活性化した。
ちなみにこれらは1980年代か、もしくはそれ以前の話だ。
今から30年以上前の話なのである。
警察や消防署、軍隊などはどうしても国営でなければならないかもしれないが、企業の多くは、国営で行うと必ず破綻する。
それは利益を求めない大集団だから、いわば 当然の帰結だ。
砕いて言おう。
仮に、トヨタが国営だったとする。
そして緑の車を作ろうと決める。
労働者は何も考えず 緑色の車を作り続ける。
しかし、消費者は白い車がほしいと思っていたとする。
そのとき、ワーゲンが、とても魅力的な白い車を作って日本に低価格で持ってきたならどうなるだろうか?
ワーゲンは飛ぶように売れ、緑のトヨタは会社の駐車場にあふれて朽ち果てるに違いない。
緑の車を誰も必要とはしていないからである。
中国の企業は国が直接経営する場合を 国有企業といい地方が経営する場合を郷鎮企業というが、どちらも私の国営というカテゴリーにおいては同じ扱いになる。なぜなら、彼らは市場の競争を意識していないという点で、まったく変わりがないからである。
市場の競争とは、多くの物事を含む。
たとえば、ここに、服を作る会社がある。
服を作るコストを削減するためには、何をするか?
安く生地を仕入れてくる?
もちろんそうだ。ほかには?
安い人件費?
当然、中国はそのことに対しては、魅力があった(今はさほどでもないが、それでも、人件費は安い)
ほかには?
この辺で思いつかないだろうが、メンテナンス コストが大きいのである。
洋服を作るためのミシン。
こまめに手入れしているかどうかで、仕上がりも違ってくるし、機械の持ちも違ってくる。
しかし、国営企業の雇われ人は、会社の機械に対してどれほどの愛情を持つだろうか?
機械を愛して、油をそそいでやるだろうか?
たった、これだけの小さなことなのである。
その小さなことが、大きな損失につながるのだ。
まともな日本の企業人なら、この重要さを心の中の奥底までしみとおるように、理解していることだ。
だが、中国の公的な企業のトップは、共産党の幹部たちである。
彼らは賄賂を好み、腐敗と勢力争いに明け暮れているだけの人間である。
ミシンの機械のどこに、どんな油をささなければならないか? など、見たことも聞いたこともないし、興味もない。
そんな人間が企業のトップに立って作る製品に、どんなものがあるだろうか?
私は中国が台頭してきたときからずっと 懐疑的だった。
日本の中小企業の社長さんたちが、安い賃金の中国勢に苦しめられているのを、不当な為替操作の中で、苦しい資金繰りのなかで、ずっと苦しみながら、戦っている姿を、とても尊いものだと思っていた。
古い機械を磨きながら、使っているその日本の職人さんがもう一度復活する日が来るのだろうか?と思った。
だが、よく考えてみてほしい。
私たちが普段使うものの、大切な部分は、必ず 少し高くても良いものを買うのではないだろうか?
そして それが格段に良いものであれば、何も100円ショップには行く必要はないのである。
耳かきを例にとってみよう。
あなたは、自分の耳を掃除するとき、なんとなく 痛いようなとがった中国製の耳かきが100円で売っている横に、きちんと面取りしてある日本製の耳かきが300円で売っていれば、どちらを買うだろうか?
自分の肌の敏感なところに使用するのである。
きっと高くても良いものが欲しいはずだ。
その価格差は3倍である。
100円と300円の違いなどで?と馬鹿にするなかれ、3倍は3倍なのだ。
100万円と300万円の違いなら、どうだ?
1000万円と3000万円の違いなら、どうだろう?
小さなものであろうと大きなものでろうと、そういう%は変わらないのだ。
ここを理解しないと、経済は理解できない。
というのは、300円のものを買う人間が、日本には3000万人は居るということを理解しなければ 全体像が見えないだろうからだ。
つまり、ほんのささいなことが重要だと考える日本と、大雑把な中国とでは、土台 競争力が違うといっているのである。
ほんの少しの期間ならば、価格競争と大資本による株価操作で、景気を良くみせたり、競争力を強くみせることはできる。
だが、長期ではそういうことは 成り立たない。
必ず 耳かきの良し悪しを、消費者は判断し、買い替えのときは、きっと注意して次は失敗のないように 慎重に買うであろうからだ。
中国の資源部は今も、資源を求めて フィリピンで、ベトナムで、あるいは尖閣で、遠くアフリカにまで行って獲得をしようと躍起になっている。
もう中国に資源の獲得は不必要になっているにもかかわらず、だ。
中国の市場は枯渇し、不動産バブルは、国がなんとか破綻させないようにしているが、いずれ、ほころびが出てくる。
もうひとつ重要なことがある。
人間の経済活動において、一番おそろしいことは、なんだか 知っているか?
それは、「なんとなく」なのである。
都会でラーメン屋をみてほしい
味に明確な違いがあるというほどのわけでもなく、一方は行列が出来 他方は閑古鳥が鳴いているという光景を、見たことはないだろうか?
その理由は、「なんとなく」の違いなのだというと、あきれられるかもしれない。
では、あなたの胸に問いかけてみてほしい。
もし、あなたが、今の場所に住むことを決めたり、結婚であったり、志望校であったり、あるいは就職先であったり の重大な人生の決断のなかで、一体どのくらい、本当に、きちんと考えて決めただろうか?
不動産価格の統計を取って家を買ったか?
相手の年収と将来性を数値にしただろうか?
志望校の卒業生の就職先とその後の年収について、どのくらい調査してから、あるいは他の大学との比較をしただろうか?
就職先はどうだったろう?
あなたにとって、本当に、適職だから今の会社に就職したと胸を張って言える人が一体、何人いるだろうか?
ほとんどの場合、なんとなく で決めたはずである。
驚くことに、人生の重要な物事でさえ、あなたは なんとなく で決めてきたのだ。
まして、耳かきを買うという程度のものなら、「なんとなく」で決めるに違いない。
そして、それが中国製なら敬遠しはじめている消費者たちが、いま「なんとなく」増えているのだ。
これだけでは、漠然として意味が分からないだろう。
もう少し砕いて書いてみる。
現在中国のGDPは7.4%成長と発表されている。
これをそのまま、鵜呑みにしたとしても、四半世紀の中でもっとも低い数字だ。
したがって、中国当局も、この数字を発表した時点で、中国の経済は どうやらソフトランディングは難しくなっているということに気がついたらしいということは、分かる。保八と言い、8%のGDPを維持すると言っていた中国当局が、そのプライドと約束と決まりごとをずたずたにして認めた数字だ。
だが、どれだけ気がついていたとしても、中国は各部署が、共産党一党独裁という頭から足先までの距離が長く、枝葉に至っては、気が遠くなるほど伝達や意思疎通が遅れてしまい、そのために、管理が難しくなるのである。
さて、最初にお約束したとおり、くだいて書いてみることにする。
たとえば、鉄鋼
鉄鋼で、さまざまな材料を作ったとしても、JIT(Just In Timeの略)のきちんとした管理や、ロジスティックが出来ていないと、在庫がだぶついてしまう。
で、どうなるのか?
つまり、鉄は錆びる
場所も取る。
しかも、余った鉄の塊を誰もほしいとは思わないという代物だ。
あなたに、一億円分の鉄の塊を差し上げると言われても、困るでしょう?
一億円分のダイアモンドなら、喜んで受け取るはずなのに
つまり、物には値段があるが、それは、消費者が喜ぶものであり、消費され続けている間だけは値がつくけれど、その構図が崩れると、一気に値崩れするという反面がある。
さらに、
中国の企業のうち半数以上が国営企業である。
国営企業というのは、実に始末が悪い。
つまり、利益を上げるために努力をしないのである。
日本の場合は、国鉄がそうだった。
赤字を垂れ流しながらも、走らせ続けた。
しかし、日本の場合は、とりあえずも、かろうじてそれらを分割し、国有から私有へと以降させることに成功した。
それは、電力会社や、電話会社などにも同じことを行ったし、そのことで、日本経済は活性化した。
ちなみにこれらは1980年代か、もしくはそれ以前の話だ。
今から30年以上前の話なのである。
警察や消防署、軍隊などはどうしても国営でなければならないかもしれないが、企業の多くは、国営で行うと必ず破綻する。
それは利益を求めない大集団だから、いわば 当然の帰結だ。
砕いて言おう。
仮に、トヨタが国営だったとする。
そして緑の車を作ろうと決める。
労働者は何も考えず 緑色の車を作り続ける。
しかし、消費者は白い車がほしいと思っていたとする。
そのとき、ワーゲンが、とても魅力的な白い車を作って日本に低価格で持ってきたならどうなるだろうか?
ワーゲンは飛ぶように売れ、緑のトヨタは会社の駐車場にあふれて朽ち果てるに違いない。
緑の車を誰も必要とはしていないからである。
中国の企業は国が直接経営する場合を 国有企業といい地方が経営する場合を郷鎮企業というが、どちらも私の国営というカテゴリーにおいては同じ扱いになる。なぜなら、彼らは市場の競争を意識していないという点で、まったく変わりがないからである。
市場の競争とは、多くの物事を含む。
たとえば、ここに、服を作る会社がある。
服を作るコストを削減するためには、何をするか?
安く生地を仕入れてくる?
もちろんそうだ。ほかには?
安い人件費?
当然、中国はそのことに対しては、魅力があった(今はさほどでもないが、それでも、人件費は安い)
ほかには?
この辺で思いつかないだろうが、メンテナンス コストが大きいのである。
洋服を作るためのミシン。
こまめに手入れしているかどうかで、仕上がりも違ってくるし、機械の持ちも違ってくる。
しかし、国営企業の雇われ人は、会社の機械に対してどれほどの愛情を持つだろうか?
機械を愛して、油をそそいでやるだろうか?
たった、これだけの小さなことなのである。
その小さなことが、大きな損失につながるのだ。
まともな日本の企業人なら、この重要さを心の中の奥底までしみとおるように、理解していることだ。
だが、中国の公的な企業のトップは、共産党の幹部たちである。
彼らは賄賂を好み、腐敗と勢力争いに明け暮れているだけの人間である。
ミシンの機械のどこに、どんな油をささなければならないか? など、見たことも聞いたこともないし、興味もない。
そんな人間が企業のトップに立って作る製品に、どんなものがあるだろうか?
私は中国が台頭してきたときからずっと 懐疑的だった。
日本の中小企業の社長さんたちが、安い賃金の中国勢に苦しめられているのを、不当な為替操作の中で、苦しい資金繰りのなかで、ずっと苦しみながら、戦っている姿を、とても尊いものだと思っていた。
古い機械を磨きながら、使っているその日本の職人さんがもう一度復活する日が来るのだろうか?と思った。
だが、よく考えてみてほしい。
私たちが普段使うものの、大切な部分は、必ず 少し高くても良いものを買うのではないだろうか?
そして それが格段に良いものであれば、何も100円ショップには行く必要はないのである。
耳かきを例にとってみよう。
あなたは、自分の耳を掃除するとき、なんとなく 痛いようなとがった中国製の耳かきが100円で売っている横に、きちんと面取りしてある日本製の耳かきが300円で売っていれば、どちらを買うだろうか?
自分の肌の敏感なところに使用するのである。
きっと高くても良いものが欲しいはずだ。
その価格差は3倍である。
100円と300円の違いなどで?と馬鹿にするなかれ、3倍は3倍なのだ。
100万円と300万円の違いなら、どうだ?
1000万円と3000万円の違いなら、どうだろう?
小さなものであろうと大きなものでろうと、そういう%は変わらないのだ。
ここを理解しないと、経済は理解できない。
というのは、300円のものを買う人間が、日本には3000万人は居るということを理解しなければ 全体像が見えないだろうからだ。
つまり、ほんのささいなことが重要だと考える日本と、大雑把な中国とでは、土台 競争力が違うといっているのである。
ほんの少しの期間ならば、価格競争と大資本による株価操作で、景気を良くみせたり、競争力を強くみせることはできる。
だが、長期ではそういうことは 成り立たない。
必ず 耳かきの良し悪しを、消費者は判断し、買い替えのときは、きっと注意して次は失敗のないように 慎重に買うであろうからだ。
中国の資源部は今も、資源を求めて フィリピンで、ベトナムで、あるいは尖閣で、遠くアフリカにまで行って獲得をしようと躍起になっている。
もう中国に資源の獲得は不必要になっているにもかかわらず、だ。
中国の市場は枯渇し、不動産バブルは、国がなんとか破綻させないようにしているが、いずれ、ほころびが出てくる。
もうひとつ重要なことがある。
人間の経済活動において、一番おそろしいことは、なんだか 知っているか?
それは、「なんとなく」なのである。
都会でラーメン屋をみてほしい
味に明確な違いがあるというほどのわけでもなく、一方は行列が出来 他方は閑古鳥が鳴いているという光景を、見たことはないだろうか?
その理由は、「なんとなく」の違いなのだというと、あきれられるかもしれない。
では、あなたの胸に問いかけてみてほしい。
もし、あなたが、今の場所に住むことを決めたり、結婚であったり、志望校であったり、あるいは就職先であったり の重大な人生の決断のなかで、一体どのくらい、本当に、きちんと考えて決めただろうか?
不動産価格の統計を取って家を買ったか?
相手の年収と将来性を数値にしただろうか?
志望校の卒業生の就職先とその後の年収について、どのくらい調査してから、あるいは他の大学との比較をしただろうか?
就職先はどうだったろう?
あなたにとって、本当に、適職だから今の会社に就職したと胸を張って言える人が一体、何人いるだろうか?
ほとんどの場合、なんとなく で決めたはずである。
驚くことに、人生の重要な物事でさえ、あなたは なんとなく で決めてきたのだ。
まして、耳かきを買うという程度のものなら、「なんとなく」で決めるに違いない。
そして、それが中国製なら敬遠しはじめている消費者たちが、いま「なんとなく」増えているのだ。