今朝、布団の中で夢うつつの中で考えていた事。
普段は忘れてるのに、今朝の考え事は覚えていました。
日々の生活や仕事に
はっきりと目標を持ち、理想の自分を思い描く
積極的な思いで生きる。
今まではそう考えて、実行してきた。結果も出てきたようす。
しかし、今朝の夢はちょっと違う。
目標は持ってもいいし、持たなくてもいい。
理想の自分をイメージし確信するのも良いし、しなくてもいい。
なんとも、よくわからないが、わかるような気もする。
する事は単純。
今日、目の前の起こる事に専心(洗心)することだけ。
目の前の患者さんに専心 (洗心)することだけ。
家族とのコミュニケーションに専心(洗心)することだけ。
どうやら
「洗心」
がキーワードらしい。
目の前の事を味わい尽くす。
喜怒哀楽など、あらゆる感情。
特に「怒、哀」の感情はとっても美味しい。
嫉妬、心配、欺瞞も美味。
特に男性の特性のひとつ、競争心はこれまた珍味。
それと、人を「裁く気持ち」も旨い。
すべて大事な感情。
上手に味わうと、次の料理がドンドン出てくる。
その、料理をさらに上手に味わうと、また、次の料理がドンドン出てくる。
キリが無いけど、気が付けば
自分の有るべき状態に自然と流れる。
目標がなくても、自然に流れる。
そうだそうだ、
無理に引き寄せたら、
身体壊したな。去年。
必要な時に、必要なだけ
有るべき時に、有るべきところへ
目標を持たず、生きる事は消極的な生き方のようでもあるけど
そうでもないようす。
目の前に起こる事を、味わうと、自然と流れる。
問題は「味わい方」らしい。
受身的に積極的に味わうと、いいみたい。
妨げるのは、
自己主張、ねじ伏せよう、留まらせよう、教え込もう
という感覚。
でも、自己主張、ねじ伏せよう、留まらせよう、教え込もう
という感覚も味わう事に繋がるみたい。
なんとまァ、よくわからないこと書いてるなァ。
確かこんな事を、
夢かウツツか
聞いたような、考えたような・・・。
積極的に生きることは、受身で生きるともいえるようだし
受身で生きているようだけど、中身は積極的ということもあるそうです。
折角だから、試しに、
受身で積極的に生きてみようかな。
なんか、目標もいらなくなりそうだな。
目標は言い換えれば、
現在に対する不満や渇望の現れということらしいし・・・。
潜在的に足りない事を自覚しているんだろうな。
すでに、満たされているらしいのに。
生まれながらすでに充足しているようです。
自然の流れ
上善は水の如し
留まらず流れ続ける、意図せず流れる。
昔の人は偉いね。
ちゃんとメッセージ残してくれているんだもん。
でも、目標を立てるのもヨシ。らしい。
どっちでもいいのか。
ひふみゆらゆら