はんなり、万華鏡

京都を中心とした旅行記や文化についてあれこれ。

仙台七夕

2011-08-12 21:28:32 | 故郷

久しぶりに実家に帰省しました。
震災以来、初めての帰省です。
今回は仕事の都合などで夜行バスで仙台まで行きました。
新宿-仙台が5,000円。
普段はJRのバスに乗ることが多いのですが、JRのバスでネット予約をすると男女の席の配置が配慮されていない場合が多いのですが、今回利用したバスは3列シートで周りは女性の乗客が多く配置されていたのでありがたかったです。

父、祖父母、伯父のお墓参りに行きました。
父方の実家は宮城県の七ヶ浜町というところで、津波で大被害を受けた地域です。
Google マップ で父方の実家のある地域の写真を見たら、殆どの家が無くなっていて更地のようになっていました。
実際に現地に行って見ると、その一帯の家は殆ど無く、家の土台だけが残っている状態で、父方の実家とその隣の家、そこから山側の高い所にある家、お寺などは残っていました。
父方実家の海側の隣の家、お向かいの家はありませんでした。
海に沿った道を通って帰りましたが、他の地域も鉄骨だけ残った家、ほぼ全壊した家、海が近くないのに津波で打ち上げられた船があり、子供の頃に遊びに行った砂浜にはコンテナが埋まり、松林はなぎ倒されていたり、道路が陥没して通行止めになっていたり。
実家は被害はないですが、近所の道路は未だに信号が直らず、警官が交通整理している状況でした。

  

 

  

  

帰省した日は、ちょうど仙台七夕を開催している時期でした。
今年は復興支援として、仙台市と姉妹都市である徳島市の阿波おどり、京都からは祇園祭の長刀鉾の囃子方、綾傘鉾が参加されると聞き、10年ぶりに七夕を観に行ってきました。
阿波踊りは仙台七夕の初日のみで見物は出来なかったのですが、長刀鉾のお囃子は日程が合ったので仙台で祇園囃子を聴くことが出来ました。
祇園祭には今まで何度か行ったことがあるのですが、今年は行けなかったので仙台で聞けて嬉しかったです。
祇園祭は、平安時代に東北地方で起こった、大津波を伴った貞観地震がきっかけで始まったそうです。
その頃は地震だけではなく疫病の流行や富士山の噴火などの国難がてんこ盛りな時代だったそうです。
今年は未曽有の大震災、京都から出ることがない、長刀鉾の宝剣、綾傘鉾が仙台に持ってこられたというのは本当に大変なことだったのですね。
疫病や天変地異を鎮める為に始まった祇園祭の、鉾の宝物に宿るパワーを東北へと、ということでお持ちくださったそうです。
猛暑だしゲリラ雷雨はあったし大変そうでしたが、仙台七夕を盛り上げてくださって本当にありがとうございました。
長刀鉾の手拭いをいただきました。

  

  


京都からは、祇園甲部の芸舞妓さんも来られました。
京舞の披露と記念撮影がありました。
当日は非常に蒸し暑いお天気だったので、皆さん随分と辛そうでした。
三人の芸舞妓さんのうち、お一人は以前何度か会ったことのある人でした。
長刀鉾のお囃子や綾傘鉾を飾っている会場で、大文字の送り火で東日本大震災で亡くなった人々の慰霊の為に護摩木を焚くとのこと、護摩木の受付を京都五山送り火連合会がされていた。
芸舞妓さん達が護摩木の受付を手伝われていたので、私もご挨拶がてらに護摩木預けてきました。
その時に芸妓さんと少しお話をしまして、京舞の披露をするビルを教えていただきました。
私がまだ地元に住んでいた時は無かったビルだし、仙台の街も随分と変わったので、地図を見ても良く分からなかったのですが、隣にGucciがあるとの事で、Gucciを目印に無事たどり着けました。
大文字の送り火に使う薪については、陸前高田の松林の木を使う、使わないという騒動がありましたが、仙台で受付けていたのは、京都の北山杉で護摩木として正式に使用されている物で、「東日本大震災 犠牲者慰霊 復興祈願」と書かれた物でした。
私が納めてきた護摩木は、どこのお山で焚かれるのでしょうねぇ。
陸前高田の松の木の騒動は、段取りがもっときちんとされていたら、岩手や京都のそれぞれの現地の人々が傷つかなかったと思います。
残念で悲しいですね・・・・

舞妓さんのお着物、良く見たら七夕の柄でした。
花簪は花火かな?
祇園甲部のとある置屋さんの舞妓さんで、7月に七夕の花簪を挿している方がいましたが、あれは特注なので誰でも持っている物ではないのですよねぇ。
舞は、夏に多く舞われる団扇を使った「夏は蛍」と定番の「祇園小唄」です。
芸舞妓さんが舞う時に持っている団扇は、基本的に本人の名前が入った団扇です。
下の画像の芸妓さんが持っている団扇がそうです。

   

  

七夕現物の後、なぜか急に伊達政宗公の騎馬像が見たくなり、タクシーに乗って仙台城址へ行きました。
タクシーで料金がいくら位だと確認して、このくらいならバスは時間が掛かるしタクシーにしちゃえ!とタクシーにしたのですが、震災で仙台城址まで行く道の一部が崩れて通行止めになった為に迂回したので、予想以上に料金がかかってしまいました・・・・
逆光で写真を撮ってもシルエットです。
伊達政宗公は隻眼ですが、この像は確か両目で作られていたと思うのですが、お顔がさっぱりわからない・・・
仙台城址ではおもてなし集団「伊達武将隊」のイベントがあったようで、浴衣姿の歴女の皆さんが沢山いて、そのノリについていけず、ちょっと引いてしまいました。
仙台城址にある宮城縣護國神社は伊達家と無関係なのですが、なぜかゲームの伊達政宗らしきキャラクターの絵馬が奉納されていたりしました(^^;)

  

画像はすべて携帯から撮影いたしました。