東北地方太平洋沖地震、被災地の皆様に心よりお見舞い申し上げます
TVで被害の惨さを見ては心が痛みます
こんな時には、自分はいったい何ができるのか?どうするべきなのか?
世界中でこう考えているいる人がたくさんいるのでしょう
まず私にできることは、節水、節電、そして常の生活を静かに送ることでしょうか・・・・・
今月末から、貧乏旅行第二弾としてJR線での長旅をする予定でした
東北地方へ
行きたいところがたくさんあった、列車からの海の景色も楽しみにしていたけれど
この地方に暮らしている方々の生活を見たいという思いもありました
行かれません。延期です
何年かかっても、必ず復興されて、元気な街をいつか見られる、そう思っています
先ほど、gooのニュースを見ていましたら ↓ 日本人のモラルについて、こんな記事が載っていました
なぜ日本人は、こんな時でも整列してモノが買えるのか?/中村 修治
以下、一部抜粋して書きます
>「自然の所与は、課せられた圧倒的な問いであり、米の収穫は、それへの回答である。問われては答え、問われては答える。問いは、毎年異なる。いや、あらゆる時に異なってくると言えるだろう。水、土、光、空気の流れは、刻々に変化している。生育する稲は、それらの変化に刻々と応じる。それらの性質を分離させては、新しく束ね、また拡散させる。それらの性質の限りない差異に入り込み、選り分け、結びつけ、流れの中に驚異的な統合の線を創り出す。そうして、米ができる。農村の父達が、ほんとうに信じているものは、都会人が教える効率でも、利潤でもない。この働きだけである」
漁業や農業は、自然からの「問い」の連続である。その変化に刻々と答え、問いの向こうに未来を信じ続けてきたのが、私達・日本人なのである。だから、何度も、天変地異に遭いながらも、その村で、農業や漁業を営んできた。利潤をあげる計算に口先で賛成しながら、決して従わない。そうして、何度も津波が押し寄せる街に暮らし続けてきたのだ。
そういう日本人は、どんなに苦しい時でも、みんなが整列してものを買う。なぜなら、これも大きな自然からの「問い」であると無意識に思っているからである。この「問い」の先に、きっと未来があることを知っている。それが身体に染みついているから、みんなが整列して、身を携えるのだ。<
実家に1枚だけ残った田んぼ、高齢の父だけではできないため
機械作業(田植えや稲刈り)のほとんどを人にお願いして作っている
それでも父(87歳)が運転できる、小型のトラクターで、田んぼを起こしたり
畔草を刈ったり、育苗をハウスでしたり・・・・
できることは父がしている
肥料代、手間賃を払うと、育ったお米を全部売ってもマイナスになる
そのくらいならば、他の田んぼと同様、畑にして農協さんに貸せたほうが、安くてもマイナスにはならないのに
「なんで田んぼにして置くの?」と以前父に聞いた
「畑に一旦してしまうと、元に戻そうと思っても簡単には戻せないのだ」
「何かあった時には、うちとお前のところの分くらいの米は作りたいから・・・・・」と
その時は、・・・・そんなこと考えているんだと不思議に感じたのですが
その何かって・・・・・・突然に来るのだと思い知らされました
今まで、”大きな何か”に出会ったことがない私
父たち戦争を体験している世代は、考え方の根本が違うのだと思った
今頃ですが、やはり、今年の目標は昨年に引き続き
「丁寧に暮らす」 にしようと思った
もったいないの心を忘れずに、同じことの繰り返しができる毎日を大切に暮らして行こう
私が悩んでいたことなど、小さい小さい
こんなことが起こると、自分の根本に戻って考えるから、今まで見えていなかった本当に大事ものが見えてくる
こちらでは雪が降っています
寒くなってきました
暖かい部屋の中でこうして普段と同じ生活ができていることが申し訳なく思います
東北で、着の身着のまま、ストーブもない生活・・・・・・
一刻も早くライフラインが戻って、せめて、暖かい環境で暖かい食事ができるようになることを願っています