ワッフルな気分

朝の光につつまれて、
甘い香りのワッフルに苺をそえていただきます。

漫画など考察

2011-06-01 20:34:53 | ワッフル旦那のあれこれ

図書館でも手塚おさむの漫画は借りて読める。
「三つ目がとおる」等は、今読んでも結構面白い。
借りた本の中には漫画を解説してくれる本もあって、なるほどと思わされたところもある。
以下は、その本の中に書いてあった事の中でなるほどそうかもしれないと思えた事と、自分なりの感想です。

小説が漫画より優れている所は、主人公や登場人物を私の頭の中で自由に作りだせる事だろう。
もちろん、日焼けして健康的な表情などの主人公のヒントは文章中にあっても作りだせるその範囲はかなり広い。
ただ、私の頭の中にそのイメージが出来上がるまでには時間がかかるという、問題もある。
だから小説は登場人物の顔が出来上がる前に、飽きてしまう事もある。
その点、漫画は始めから顔があるのでとっつきやすいが、登場人物の顔が嫌いな場合は致命的になります。(私の場合は20世紀少年がこれに該当)
現代の漫画の特徴の一つは長編になりやすいことだろう。
過去にも大作はあったがそれは例外的なことだったと思う。
一つは技巧とコマワリの差がある。
たとえばバスケットボールは動きの速いスポーツで漫画には適さないと言われていたというが、スラムダンクでは、それをあえて数秒の動きに何ページも使う事で、こんなすごい動きをこんな短い時間でやっているんだという面白さが生まれる。
過去の漫画代表「ブラックジャック」などでは手術は数コマで終わるが、現代の漫画(例えば医龍など)では手術のシーンだけで数ページどころか数週間の連載にまでなる事もある。
現代ならブラックジャックの一つの話は数か月にもなる内容だ、それを手塚治虫は毎週かいていたのだから、ある意味はすごい!
もちろん現代は人気が出た漫画は、ファンも出版社も終わりにしたくないからあえて、登場人物を足していきいくらでも話を伸ばす。

小説は中々そうは出来ないという。多少の表現や新しい人物をたしていっても際限なく話を伸ばすことが難しい。
ことばで書かれたものであるがゆえのそれは宿命みたいなもの、小説は書き始めたとたん、終わりに向かって進んでいく訳で、何か事件や現象があるならそれを解決する方向にのみ進む、解決しないと読んでいる者のフラストレーションが大きくなって読まなくなってしまう。
でも漫画はそれほどでもなく足していくほどのばしやすい、でも同じ傾向が続くなら読者も続かない
途中からドラゴンボールはそのパターンが繰り返され飽きてしまう。
おそらく名探偵コナンやワンピースは終わりなき漫画になるかもしれない。
ゴルゴ13やこち亀ならそれでも納得しても良い形はあるのだが、コナンなどは体が子供になった理由と犯人を示してもらわないとスッキリしない。

ハガレンは割と寄り道の少ない作品で、結構面白いと感じながら最後まで読めせてもらった。
ワンピースはそれなりに面白みもあったが、15巻くらいで止まっている。
理由は寄り道の話が多すぎてストーリー自体に魅力を感じないからだと思う。
昨晩は娘の『BLEACH』(ブリーチ)に挑戦したが(する事も無いが)3巻目でリタイヤ。
漫画なども世代という壁もあり、ある程度から先は楽しむことが出来ないとかんじてしまった。
capeta,デスノート、沈黙の艦隊、仁、天使なんかじゃない。などは楽しんでいる。
漫画や小説も面白いけど、自分の人生が自分にはちょうどいい。