は~ふたいむ

仕事帰りにカフェに寄り道して、一緒にコーヒーなど飲みながら、
他愛のない話をして過ごしたい。そんな時間。

灰色の葉書 ①

2006年11月27日 | weblog
11月に入って、連日のように灰色の葉書が届くようになりました。
「喪中につき・・・」という葉書ですが、今年は特に多いような気がします。

私自身も、今年は4度の葬儀に参列しました。
こんなに喪服を着た年はありませんでした・・・。


3月は伴侶の祖母が、7月には私の祖母が亡くなりました。
2人の祖母は長く入院しており、回復の見込みがない状態だったので、それなりに覚悟はできていましたが、病床での死に無念さを感じずにはいられませんでした。
ただ、悲しみ大きかったけれど、順番どおりにお浄土に召された訳で、残された者としてはそれだけがせめてもの救いでした。

これで私も伴侶も祖父母を全員亡くしたことになり、もう「敬老の日」はありません。
かと言って、そんなに爺ちゃん婆ちゃん孝行をしていたか?と言うと、それほどでもないのですが。
それでも敬老の日には電話をしたりお菓子を贈るなど、小さな孝行はしてきたつもりでした。

私などは、幼い頃から母に半強制的に祖母孝行させられてきました(汗)
社会人になると、ボーナス時期には母が先に1万円を包んで祖母に「奈々ちゃんからお小遣い」と言って渡してしまうし、敬老の日には「奈々ちゃんから贈り物」と言ってお菓子を買って渡していました。
勝手にそうやっておいて「何もしないアンタは冷たい」なんて言われちゃうのですから、たまったもんじゃない。
それで敬老の日や祖母の誕生日には必ず何かをするようになった訳ですが、イヤイヤではないにしても偽善的な祖母孝行ではありました。

でも、それが後に、大きな孝行になったようです。

お見舞いに行くと、祖母は昔のことを思い出しては「ありがとう、ありがとう」と繰り返すようになりました。
入院が長引くにつれて、心境の変化があったようです。
入院してしばらくは、治療を拒否して看護婦さんに悪態をついたり、帰ると言って母を困らせたりしていましたが、そのうち何をしても「良かった」「ありがとう」と言うようになりました。

感謝することで、自分に起きていることの不安を和らげているようでした。
感謝することで、自分の人生に納得しようとしているようにも見えました。

その安らいだ顔で言った「ありがとう」が、祖母と交わした最期の言葉になりました。
祖母が私にそう言えることができたのは、これまでにしてきた小さな孝行があったからだと思います。
そしてそのことが、悲しみの中で、私の救いになりました。

まだおじいちゃんやおばあちゃんがお元気の方は、ささやかでもいいのでお祝いや、体をいたわる言葉を贈ってあげてくださいね。
敬老の日に限らず、新年の挨拶でもいいし、普段の何気ない会話の中でもいい。

最期に「ありがとう」と言える思い出を、できるだけたくさん作ってほしいと思います。



ところで、この灰色の葉書(喪中葉書)について、私は祖父母の場合には出さなくて良いと聞いていました。
実際のところはどうなんでしょう?

  喪中欠礼の基準は特にありません。
  一般的には自分を中心として一親等(父母、配偶者、子)と
  同居している二親等(祖父母、兄弟、孫)に一年以内の不幸があった場合に、
  年賀の交換を辞退するために出す挨拶状です。
  ご不幸のあった方が二親等でたとえ同居していなくても悲しみが深く、
  とても新年を祝う気持ちになれない場合には
  喪中欠礼を出して差しつかえありません。

という説明がありました。
これだけ見ると、私の祖母の場合は同居していない二親等なので、年賀状は全く問題ナシということになりますが・・・。
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