もう私も、お祝い事よりも悲しみ事の方が多くなる年齢になったようです。
灰色の葉書が増えたと感じたのも、そういうことなのでしょう。
私の身の回りで立て続けに起きた悲しみ事も、そういうことなのでしょうか・・・。
5月に父が亡くなりました。
自殺でした。
両親は私の就職を機に離婚し、父は1人で借家暮らしをしていました。
自殺する2週間ほど前に会った時は、その借家を追い出されることになり困っている、とこぼしていましたが、死ぬほど思いつめているようには見えませんでした。
父をよく知る友人の話では、その借家を巡って家主の親族とトラブルになり、父も最後の方は精神的にかなり参っていたようです。
連絡を受けたのは、遺体が発見されて2日後のことでした。
警察が遺体の引取りを頼んだものの、母は離婚しているから関わりを拒否し、父の兄弟は子供(私と姉)に任せると言い、姉も遠方に住んでいてすぐに動けないからと私に連絡してきた、という訳です。
結局、一番近くに住んでいる私が、その後の一切を取り仕切ることになりました。
翌日、仕事を休んで警察に行き、遺体を引き取る手続きをしました。
死体検案書、死亡届の提出、火葬許可証の受領、火葬場の予約、遺体の搬出の手配・・・朝からあちこちで書類を書き、印鑑を押しました。
たとえ両親が離婚して私が父の戸籍から抜けていても、私は父の「子」であることに変わりはないのですね・・・。
色々な手続きの中で、それを思い知らされました。
生前、父は友人に「子供には迷惑をかけたくない」と言っていたそうですが、どういうことよ?お父さん(汗)
遺体を引き取る手続きはしたものの、連れて帰る場所は何処にもありません。
既に死後3日経っているため、その日のうちに荼毘に付すことになりました。
遺体安置所で父と対面してから約2時間後には、骨と灰になった父を骨壷に入れて母の家に連れて戻りました。
あっけないものです・・・。
両親が離婚してから約15年の間、私は父に3度しか会っていません。
だからなのか、父がもうこの世にはいないと思っても、今ひとつ実感が湧きません。
家を出る時、もう二度と会うことはないだろうと思っていたので、こんな形で自分が父の最期に関わるなんて思ってもいませんでした。
私の周辺には、同じように両親が離婚している友達がけっこういます。
だいたい子供は母親に着いて行き、父親が1人で暮らしているパターンが多いようです。
たぶん私のように、親が離婚しているから自分とは関係がない、と思っている人が多いのですが、血の縁からは逃れられないのです。
例えば負の資産があったとすれば、ある日突然知らない借金を被るということもあります。
それから逃れるために、私たち親族は全員で相続放棄をしました。
どんな事情で両親が離婚したのか分からないけど、今、生きているのなら。
どんな暮らしをしているかだけでも、知っておいた方がいいです。
少なくとも、知らないうちに亡くなっていた、なんてことのないように。
そして許す気持ちがあるなら、自分で命を絶つような選択をしなくてもいいように、もう一度人生に関わってあげてほしいと思います。
父の最期を引受けることができて良かったと、私は思っています。
それは、これまで父に何ひとつしてこなかった自分への言い訳かも知れませんが・・・。
さて、今年の年賀状はどうしよう・・・。
実は先月あたりから、そんなことを考えていました。
離婚した親の死に際して、私は喪中葉書を出さなくてはいけないのか?
ネットで色々と調べてみましたが、納得のいく答えは見つかりませんでした。
ただ、こんな一文を見つけました。
年賀状についていえば、
「宗教的に重要な日々だから年頭の挨拶を出すことができなくても仕方ない」と、
周りから大目に見ていただける期間であるわけです。
ですから、「喪中葉書を出す元気があるのなら、年賀状を出しても構わない」
とも言えるでしょう。
私は元気。
だから喪中葉書ではなく、年賀状を出すつもりです。
それは私にとって、普段会うことのない友達に「まだあなたの人生に関わっていますよ」と伝えるための、大切な季節行事なのですから。
年が明けたら遠慮なく、新年のメッセージをよろしくお願いしますネ。
灰色の葉書が増えたと感じたのも、そういうことなのでしょう。
私の身の回りで立て続けに起きた悲しみ事も、そういうことなのでしょうか・・・。
5月に父が亡くなりました。
自殺でした。
両親は私の就職を機に離婚し、父は1人で借家暮らしをしていました。
自殺する2週間ほど前に会った時は、その借家を追い出されることになり困っている、とこぼしていましたが、死ぬほど思いつめているようには見えませんでした。
父をよく知る友人の話では、その借家を巡って家主の親族とトラブルになり、父も最後の方は精神的にかなり参っていたようです。
連絡を受けたのは、遺体が発見されて2日後のことでした。
警察が遺体の引取りを頼んだものの、母は離婚しているから関わりを拒否し、父の兄弟は子供(私と姉)に任せると言い、姉も遠方に住んでいてすぐに動けないからと私に連絡してきた、という訳です。
結局、一番近くに住んでいる私が、その後の一切を取り仕切ることになりました。
翌日、仕事を休んで警察に行き、遺体を引き取る手続きをしました。
死体検案書、死亡届の提出、火葬許可証の受領、火葬場の予約、遺体の搬出の手配・・・朝からあちこちで書類を書き、印鑑を押しました。
たとえ両親が離婚して私が父の戸籍から抜けていても、私は父の「子」であることに変わりはないのですね・・・。
色々な手続きの中で、それを思い知らされました。
生前、父は友人に「子供には迷惑をかけたくない」と言っていたそうですが、どういうことよ?お父さん(汗)
遺体を引き取る手続きはしたものの、連れて帰る場所は何処にもありません。
既に死後3日経っているため、その日のうちに荼毘に付すことになりました。
遺体安置所で父と対面してから約2時間後には、骨と灰になった父を骨壷に入れて母の家に連れて戻りました。
あっけないものです・・・。
両親が離婚してから約15年の間、私は父に3度しか会っていません。
だからなのか、父がもうこの世にはいないと思っても、今ひとつ実感が湧きません。
家を出る時、もう二度と会うことはないだろうと思っていたので、こんな形で自分が父の最期に関わるなんて思ってもいませんでした。
私の周辺には、同じように両親が離婚している友達がけっこういます。
だいたい子供は母親に着いて行き、父親が1人で暮らしているパターンが多いようです。
たぶん私のように、親が離婚しているから自分とは関係がない、と思っている人が多いのですが、血の縁からは逃れられないのです。
例えば負の資産があったとすれば、ある日突然知らない借金を被るということもあります。
それから逃れるために、私たち親族は全員で相続放棄をしました。
どんな事情で両親が離婚したのか分からないけど、今、生きているのなら。
どんな暮らしをしているかだけでも、知っておいた方がいいです。
少なくとも、知らないうちに亡くなっていた、なんてことのないように。
そして許す気持ちがあるなら、自分で命を絶つような選択をしなくてもいいように、もう一度人生に関わってあげてほしいと思います。
父の最期を引受けることができて良かったと、私は思っています。
それは、これまで父に何ひとつしてこなかった自分への言い訳かも知れませんが・・・。
さて、今年の年賀状はどうしよう・・・。
実は先月あたりから、そんなことを考えていました。
離婚した親の死に際して、私は喪中葉書を出さなくてはいけないのか?
ネットで色々と調べてみましたが、納得のいく答えは見つかりませんでした。
ただ、こんな一文を見つけました。
年賀状についていえば、
「宗教的に重要な日々だから年頭の挨拶を出すことができなくても仕方ない」と、
周りから大目に見ていただける期間であるわけです。
ですから、「喪中葉書を出す元気があるのなら、年賀状を出しても構わない」
とも言えるでしょう。
私は元気。
だから喪中葉書ではなく、年賀状を出すつもりです。
それは私にとって、普段会うことのない友達に「まだあなたの人生に関わっていますよ」と伝えるための、大切な季節行事なのですから。
年が明けたら遠慮なく、新年のメッセージをよろしくお願いしますネ。
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