ドマカフェを出て確かに細~い、民家の点在する道をしばらく走ると、最後の民家を過ぎ、そこから先は曲がりくねって登る山道となった。車一台がやっとで、離合もできない道をくねくねとしばらく登ったが、昼間でもうっそうと暗い山道に、だんだんと心細くなり・・・
『店の人は”すぐ”と言ったし、これは道を間違えたに違いない』と離合ポイントで切り返しUターンして最後の民家まで戻り、そこでうちの奥さんがその家の人に聞きに行くと
「その道をまっすぐ行ったらすぐって」と言ったと・・・
もう17時近かったのであきらめて帰ろううか、とも思ったけれど、そうそう来る場所でもないし、この機会を逃すと一生来れないかもしれないし、と思い直し引き返してきた道をもう一度引き返して進んだ。
山道はうす暗く、くねくね延々と続く。
そのうち舗装もされてない”けもの道”のような感じで、イノシシやクマでも出てきそうになってきた。
『あの民家の人が、まっすぐ行けと言ったのは、民家の前に二股の道があったから、もう一方の方ではなかったのか?』
という思いが出てきて・・・
「やっぱりこの路と違う!引き返そう」
とやっとのことで車をUターンさせ走っていると対向車がやってきた。
地元の人のトラックらしいので窓を開けて聞いてみた。
「うやまの大杉はどこにあるんですか?」
「おおすぎさん?そりゃ、バックよ。もうちょっと行ったら見えるけえ、ついて来んさい。教えてあげるけえ」
またまた車を苦労して方向転換し、トラックのおじさんに追いつくと、たしかに引き返したポイントからあとちょっとのところで道は開け、民家の集落と本宮神社の鎮守の森が見えた。
鳥居から階段になった参道を登ると・・・
左手にその樹は姿を見せたのだった。
樹齢800年。
平安時代に神社を創建した際に植えられたという。
根回り周囲13メートル。
かつては樹高40メートルを超えていたが、落雷によって折れ、現在は30メートル。
地元の人はこの杉の巨木を親しみをこめて「おおすぎさん」と呼ぶらしい・・・
とにかく、この威容をとくとご覧あれ。
この木の幹、木の皮に手を触れると、ドクッ、ドクッっと波打つような大きなエネルギーが私の体に伝わってきたのでした。
<オマケの画像>
私の撮影風景を奥さんがデジカメで撮ったものです。
この樹の顕すものをできるだけ、全て受け取ろうと、夢中でシャッターを切っていました。
しかし・・・
あらためて思うに、
カフェの人といい、民家の人といい、
地元の人の”すぐ”とはいかがなものかと、、、
”知っている”人にとっては”すぐ”かもしれないけど、
うまれて初めてその山の中の、いつ行き止まりになるかわからないような走行困難な道を走る者にとっては、何度も心が折れそうになり、引き返したくなる道でした。
実際に何度も途中であきらめ、引き返しながらも、それでも結局「おおすぎさん」に会えたのは、いったいどうしてなのか・・・
この樹に呼ばれた・・・または、はじめから逢うことが決められていたということなのかもしれません。
「おおすぎさん」に会った後、もと来た道を引き返すと、たしかに”すぐ”カフェのところまできました。
距離や時間というものは心理や精神状態によって伸びたり縮んだり、どうにでもなるもんだと思いました。まさに”幻想”ですね。
9月26日は一日で、山の上に登り、宇宙に飛び出し、古代の地底にもぐり、地球の時間と人間の時間の両方を感じさせられました。また温泉や食べ物で肉体の癒しや満足も味わい、そして何度もあきらめかけながらも、なにものかに引き寄せられる肉体を超えた不思議な体験をさせられる日でした。
これで、三瓶の旅日記はおしまい、おしまい。。