(原文)
およそ人の楽しむべき事三あり。一には身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむにあり。二には身に病なくして、快く楽むにあり。三には命ながくして、久しくたのしむにあり。富貴にしても此三の楽なければ、まことの楽なし。故に富貴は此三楽の内にあらず。もし心に善を楽まず、又養生の道をしらずして、身に病多く、其はては短命なる人は、此三楽を得ず。人となりて此三楽を得る計なくんばあるべからず。此三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。
(解説)
益軒は、「人の楽しむべき事」を三つあげました。また、孟子は、「君子の楽しむべき事」を三つあげています。一つずつ比較していきましょう。
一楽
(益軒) 身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむ
(孟子) 父母倶に存し、兄弟故無し
二楽
(益軒) 身に病なくして、快く楽む
(孟子) 仰いで天に愧じず、俯して人に怍じざる
三楽
(益軒) 命ながくして、久しくたのしむ
(孟子) 天下の英才を得て之れを教育する
一方は自分自身の事に終始していますが、もう一方は家族の事や天下の人材の事に言及しています。だいぶ趣きがことなりますが、それもそのはず、益軒は人の楽しみを、孟子は君子の楽しみを述べたのであり、君子であれば必ず人であると言えますが、全ての人は必ずしも君子ではありません。君子としての楽しみも、まず人としての楽しみが無ければ多くを得ることができないのです。
また二人とも、三楽に入らないものとして、益軒は、「富貴」、孟子は、「天下に王たること」をあげています。財産も、身分も、権力も、それらは「まことの楽しみ」に数えられることはないのです。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
およそ人の楽しむべき事三あり。一には身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむにあり。二には身に病なくして、快く楽むにあり。三には命ながくして、久しくたのしむにあり。富貴にしても此三の楽なければ、まことの楽なし。故に富貴は此三楽の内にあらず。もし心に善を楽まず、又養生の道をしらずして、身に病多く、其はては短命なる人は、此三楽を得ず。人となりて此三楽を得る計なくんばあるべからず。此三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。
(解説)
益軒は、「人の楽しむべき事」を三つあげました。また、孟子は、「君子の楽しむべき事」を三つあげています。一つずつ比較していきましょう。
一楽
(益軒) 身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむ
(孟子) 父母倶に存し、兄弟故無し
二楽
(益軒) 身に病なくして、快く楽む
(孟子) 仰いで天に愧じず、俯して人に怍じざる
三楽
(益軒) 命ながくして、久しくたのしむ
(孟子) 天下の英才を得て之れを教育する
一方は自分自身の事に終始していますが、もう一方は家族の事や天下の人材の事に言及しています。だいぶ趣きがことなりますが、それもそのはず、益軒は人の楽しみを、孟子は君子の楽しみを述べたのであり、君子であれば必ず人であると言えますが、全ての人は必ずしも君子ではありません。君子としての楽しみも、まず人としての楽しみが無ければ多くを得ることができないのです。
また二人とも、三楽に入らないものとして、益軒は、「富貴」、孟子は、「天下に王たること」をあげています。財産も、身分も、権力も、それらは「まことの楽しみ」に数えられることはないのです。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
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