現在の日本の鍼灸教育の基礎は柳谷素霊(1907-1959年)により築かれました。柳谷素霊は鍼灸医学の歴史を素直に見つめようと努力し、また医学が信仰になることに危機感を抱き、鍼灸の科学化について常に真剣に考えていました。残念ながら志なかばにして他界しましたが多くの人がその影響を受けました。
柳谷素霊は晩年にヨーロッパへ行きました。そこでパブロ・ピカソ(1881-1973年)を治療したことが新聞で報道されて知られていますが、幻肢痛の患者も治療したことが伝えられています。存在しない(その患者さん以外には存在しないように見える)腕が痛むという病態に直面した時に思い出したのが『黄帝内経素問』の繆刺論篇であったようです。
繆刺論篇の内容とは簡単に言うと「邪」と呼ばれる何がしかの病原体もしくは病的な状態が身体の右にある時は左を鍼で治療し、左にある時は右を治療するというものです。それ故、柳谷素霊は患者の残っているほうの腕に鍼をすることで幻肢痛を止めたようです。
幻肢痛は以前から知られていたようです。例えばデカルトやニュートンも幻肢の存在を認識していたようです。四肢を切除した人の70%以上が幻肢を経験すると言われていますが、治療しない場合は数ヶ月から数年で消失するようです。また幻肢痛は四肢の切断時に痛みがあった場合に発症するようなので麻酔技術が未発達な時代にはさらに多かったでしょうね。
そもそも痛みというものを突き詰めていくと難しいものです。何しろ他人の真の痛みは分からないのですから。他人の痛みを想像や共感することはできても、本当にそれが相手の痛みと同一であるかは分かりません。PET(陽電子放射断層撮影法)やfMRI(機能的磁気共鳴画像)を使用して脳を調べても、その結果は痛みと同時に存在していた条件にすぎません。
また「痛い」という言葉の定義の問題もあります。ある幼児は「ママ」と「パパ」と「イタイ」という単語だけ使って(何も痛みを感じることがないような時に)会話をしていました。「イタイ」には身体的な苦痛以外の意味が成長の段階で加味されているようです。
『黄帝内経霊枢』の論勇ではどう書かれているかというと、痛みというものは皮膚の厚薄や肌肉の堅脆、張り具合によるもので勇敢だとか臆病だとかの心理的なものから来るのではないとあります。古代中国医学はこういうところが唯物論的ですね。
幻肢痛について続けて考えていく前に、次回は「観念論と実在論」についてまとめておこうかと思います。
(ムガク)
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