はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

伝統医学・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師・・

No.59 観念論と実在論(その1)

2008-11-08 15:25:51 | 幻肢痛など

生命の科学的な研究や医学的な治療法の模索には、行き当たりばったりの経験だけでは不足です。多くの場合はどのように考えるかという思想が重要になってきます。それは医学的な実験方法を論ずるときも、臨床で治療に従事する時も、学会で議論しあう時にも関係してきます。科学の最先端での議論の対立も、意外と思想の根本的な部分の相違が原因である場合が多いようです。


そこでここでは観念論と実在論について簡単にまとめておこうかと思います。


まず観念論ですが、これはアイディアリズム(idealism)とも呼ばれています。それはプラトン(BC427-347年頃)がイデア(idea)という普遍的な概念が人の認識主観の外に実在すると考えたことが由来です。観念論は一つの単純なものではなくいくつか種類があるようです。それはイデア論、主観観念論、先験的観念論、絶対観念論などに大別されるようです。


イデア論とはプラトンの哲学ですが、それは物質的な現実の世界と、イデアと呼ばれる観念の世界を分けたものです。どちらの世界も存在するものですが、物質はイデアの普遍的な設計図により存在すると考えました。それ故、プラトンは形而上的なイデアの方が重要と考え、感覚や経験を軽視しました。


主観観念論とは個人の主観の優位を主張するものです。バークリ(1685-1753年)が代表的ですね。色彩や音や寒熱以外にも、物の形状、大きさ、運動や数といった性質のものも人の心の内に存在するものと考えました。ただしそれは自分が死ぬといわゆる客観的な世界も消滅すると考えるものとは異なります。物質の延長や運動は感覚することなしに想うことはできないという経験から生まれた思想なのですから。(これにはデカルトやロックなどの思想が対立します)


先験的観念論とは優位をしめる主観が単なる個人的なものでははく、あらゆる経験の基礎となるような普遍的主観である場合に成立します。この思想と実在論を混ぜ合わせるとカント(1724-1804年)の理性や判断力の批判哲学が生まれます。


絶対観念論とはカントの思想から実在論を取り除き、主観に絶対的な優位を与えた思想です。ヘーゲル(1770-1831年)やショーペンハウエル(1788-1860年)が代表的ですね。宇宙のあらゆる現象の根源となる普遍的な意志により、物質も生命も存在すると考えました。


このように観念論といっても少しく意味が異なります。しかし非常に大雑把に言えば、主観を重要視する思想が観念論であると言っても良いかもしれません。長くなってしまいましたので、続きの実在論については次回にしたいと思います。


(ムガク)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿