幻肢はデカルト(1596-1650年)が『省察』で取り上げて以来注目されてきました。その後ベルクソン(1859-1941年)が幻肢について言及すると、メルロ・ポンティ(1908-1961年)により幻肢についての詳細な解明が試みられ、現在ではV・S・ラマチャンドラン(1951年‐)などにより科学的に研究されています。
ところで「風雅の誠をせめよ」とは松尾芭蕉(1644-1694年)の言葉です。寺田寅彦(1878-1935年)はそれに対して、それは「私を去った止水明鏡の心をもって物の実相本情に観入し、松のことは松に、竹のことは竹に聞いて、いわゆる格物致知の認識の大道から自然に誠意正心の門に入ることをすすめたもの」であると説明しました。(エッセーNo.56「俳句と日本鍼灸」より)
この文中で使用された「実相本情」というものは、もしかしたら本居宣長(1730-1801年)の言うところの「性質情状(アルカタチ)」と同じものかもしれません。
「この陰陽の理といふことは、いと昔より、世ノ人の心の底に深く染着たることにて、誰も誰も、天地の自然の理にして、あらゆる物も事も、此の理をはなるることなしとぞ思ふめる、そはなほ漢籍説(カラブミゴト)に惑へる心なり、漢籍心を清く洗い去て、よく思へば、天地はただ天地、男女(メオ)はただ男女、水火(ヒミズ)はただ水火にて、おのおのその性質情状はあれども、そはみな神の御所為(ミシワザ)にして、然るゆゑのことわりは、いともいとも奇霊(クスシ)く微妙(タエ)なる物にしあれば、さらに人のよく測知(ハカリシル)べききはにあらず…」(本居宣長『古事記伝』より)
そしてこの「性質情状」というものはベルクソンの言うところの「イマージュ(image)」と同じかもしれません。
観念論にとらわれると見えなくなるものごとがあります。実在論や弁証法的唯物論にとらわれるとまた見えなくなるものごとがあります。同じように陰陽五行論にとらわれると見えなくなるものごとがありますし、また理気二元論や気一元論にとらわれても見えなくなるものごとがあるかもしれません。
ベルクソンは観念と実在の統一をどのように行ったのでしょうか。それは『物質と記憶』に記されていますが非常に難解です(宮本武蔵の『五輪の書』の空の巻では簡単に記されていますが実践することは簡単ではありません)。それはひとまず置いておいて、次回はまた幻肢の考察に戻ろうかと思います。
(ムガク)
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