(原文)
人の耳目口体の見る事、きく事、飲食ふ事、好色をこのむ事、各其このめる慾あり。これを嗜慾と云。嗜慾とは、このめる慾なり。慾はむさぼる也。飲食色慾などをこらえずして、むさぼりてほしゐままにすれば、節に過て、身をそこなひ礼儀にそむく。万の悪は、皆慾を恣にするよりおこる。耳目口体の慾を忍んでほしゐまゝにせざるは、慾にかつの道なり。もろもろの善は、皆、慾をこらえて、ほしゐまゝにせざるよりおこる。故に忍ぶと、恣にするとは、善と悪とのおこる本なり。養生の人は、ここにおゐて、専ら心を用ひて、恣なる事をおさえて慾をこらゆるを要とすべし。恣の一字をさりて、忍の一字を守るべし。
風寒暑湿は外邪なり。是にあたりて病となり、死ぬるは天命也。聖賢といへど免れがたし。されども、内気実してよくつつしみ防がば、外邪のおかす事も亦まれなるべし。飲食色慾によりて病生ずるは、全くわが身より出る過也。是天命にあらず、わが身のとがなり。万の事、天より出るは、ちからに及ばず。わが身に出る事は、ちからを用てなしやすし。風寒暑湿の外邪をふせがざるは怠なり。飲食好色の内慾を忍ばざるは過なり。怠と過とは、皆慎しまざるよりおこる。
(解説)
孟子は、「心を養うは寡欲より善きは莫し」と言いました。心気を養い、養生するには欲望を少なくすることです。それはどんな欲望なのでしょうか。「口の味に於ける、目の色に於ける、耳の声に於ける、鼻の臭いに於ける、四肢の安佚に於ける性なり」、と孟子は言います。また、荘子は、「嗜欲深き者は、其の天機浅し」と言いました。天機とは、天・大自然の理、働き、また狭い意味では、天から人に与えられた、精神や機能のことです。欲深さによる弊害は昔からよく知られており、貝原益軒は養生にからめて、それについて警告したのです。欲望に対しては「忍」、我慢する、堪える、耐え忍ぶ、慎むことが重要であり、欲望に心身をまかせては危険です。
干ばつ、大雨、大雪、台風、洪水、地震や津波、風・寒・暑・湿など天候や自然の災害に対しては、人は無力であり、思い通りにすることが出来ません。しかし、「わが身に出る事は、ちからを用てなしやすし」であり、出来るのにやらないことを「怠」と言います。出来ることと、やらないこと、これらは昔からよくはき違えられてきました。『孟子』梁恵王章句上に、こんな話があります。
斉王が、孟子に、「為さざると、能わざるとは、何がちがうのか」と尋ねました。すると、 孟子が答えました。
「大山を脇に挟んで、北海を跨いで越えること、これが本当の能わざることです。年長者に対して礼儀正しい振舞をすること、これは為さざることであり、能わざることではありません」
心がけ・意志の力で実行することが可能であれば、それは能わざることではないのです。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
人の耳目口体の見る事、きく事、飲食ふ事、好色をこのむ事、各其このめる慾あり。これを嗜慾と云。嗜慾とは、このめる慾なり。慾はむさぼる也。飲食色慾などをこらえずして、むさぼりてほしゐままにすれば、節に過て、身をそこなひ礼儀にそむく。万の悪は、皆慾を恣にするよりおこる。耳目口体の慾を忍んでほしゐまゝにせざるは、慾にかつの道なり。もろもろの善は、皆、慾をこらえて、ほしゐまゝにせざるよりおこる。故に忍ぶと、恣にするとは、善と悪とのおこる本なり。養生の人は、ここにおゐて、専ら心を用ひて、恣なる事をおさえて慾をこらゆるを要とすべし。恣の一字をさりて、忍の一字を守るべし。
風寒暑湿は外邪なり。是にあたりて病となり、死ぬるは天命也。聖賢といへど免れがたし。されども、内気実してよくつつしみ防がば、外邪のおかす事も亦まれなるべし。飲食色慾によりて病生ずるは、全くわが身より出る過也。是天命にあらず、わが身のとがなり。万の事、天より出るは、ちからに及ばず。わが身に出る事は、ちからを用てなしやすし。風寒暑湿の外邪をふせがざるは怠なり。飲食好色の内慾を忍ばざるは過なり。怠と過とは、皆慎しまざるよりおこる。
(解説)
孟子は、「心を養うは寡欲より善きは莫し」と言いました。心気を養い、養生するには欲望を少なくすることです。それはどんな欲望なのでしょうか。「口の味に於ける、目の色に於ける、耳の声に於ける、鼻の臭いに於ける、四肢の安佚に於ける性なり」、と孟子は言います。また、荘子は、「嗜欲深き者は、其の天機浅し」と言いました。天機とは、天・大自然の理、働き、また狭い意味では、天から人に与えられた、精神や機能のことです。欲深さによる弊害は昔からよく知られており、貝原益軒は養生にからめて、それについて警告したのです。欲望に対しては「忍」、我慢する、堪える、耐え忍ぶ、慎むことが重要であり、欲望に心身をまかせては危険です。
干ばつ、大雨、大雪、台風、洪水、地震や津波、風・寒・暑・湿など天候や自然の災害に対しては、人は無力であり、思い通りにすることが出来ません。しかし、「わが身に出る事は、ちからを用てなしやすし」であり、出来るのにやらないことを「怠」と言います。出来ることと、やらないこと、これらは昔からよくはき違えられてきました。『孟子』梁恵王章句上に、こんな話があります。
斉王が、孟子に、「為さざると、能わざるとは、何がちがうのか」と尋ねました。すると、 孟子が答えました。
「大山を脇に挟んで、北海を跨いで越えること、これが本当の能わざることです。年長者に対して礼儀正しい振舞をすること、これは為さざることであり、能わざることではありません」
心がけ・意志の力で実行することが可能であれば、それは能わざることではないのです。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
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