(原文)
およそ人の身は、よはくもろくして、あだなる事、風前の燈火のきえやすきが如し。あやうきかな。つねにつつしみて身をたもつべし。いはんや、内外より身をせむる敵多きをや。先、飲食の欲、好色の欲、睡臥の欲、或怒、悲、憂を以、身をせむ。是等は皆我身の内よりおこりて、身をせむる欲なれば、内敵なり。中につゐて飲食好色は、内欲より外敵を引入る。尤おそるべし。風寒暑湿は、身の外より入て我を攻る物なれば外敵なり。人の身は金石に非ず。やぶれやすし。況、内外に大敵をうくる事、かくの如にして、内の慎、外の防なくしては、多くの敵にかちがたし。至りてあやうきかな。此故に人々長命をたもちがたし。用心きびしくして、つねに内外の敵をふせぐ計策なくむばあるべからず。敵にかたざれば、必、せめ亡されて身を失ふ。内外の敵にかちて、身をたもつも、其術をしりて能ふせぐによれり。生れ付たる気つよけれど、術をしらざれば身を守りがたし。たとへば武将の勇あれども、知なくして兵の道をしらざれば、敵にかちがたきがごとし。内敵にかつには、心つよくして、忍の字を用ゆべし。忍はこらゆる也。飲食好色などの欲は、心つよくこらえて、ほしいままにすべからず。心よはくしては内欲にかちがたし。内欲にかつ事は、猛将の敵をとりひしぐが如くすべし。是内敵にかつ兵法なり。外敵にかつには、畏の字を用て早くふせぐべし。たとへば城中にこもり、四面に敵をうけて、ゆだんなく敵をふせぎ、城をかたく保が如くなるべし。風寒暑湿にあはば、おそれて早くふせぎしりぞくべし。忍の字を禁じて、外邪をこらえて久しくあたるべからず。古語に、風を防ぐ事、箭を防ぐが如くす、といへり。四気の風寒、尤おそるべし。久しく風寒にあたるべからず。凡、是外敵をふせぐ兵法なり。内敵にかつには、けなげにして、つよくかつべし。外敵をふせぐは、おそれて早くしりぞくべし。けなげなるはあしし。
(解説)
何か思ふ何とか歎く世の中はただ朝顔の花の上の露
これは『新古今集』にある、人の命のはかなさを詠んだ歌です。人の命はあだなるものであり、昔から、かげろう、水の泡、朝顔の露、蝋燭の火など、さまざまなものに喩えられてきました。鴨長明は『方丈記』でこう述べています。
「朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。・・・その主とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし」
この仏教的無常観、それは日本人が古より深く共感するところであり、益軒は、ここで仏教の経典『倶舎論』にある、「寿命は猶お風前の燈燭の如し」を引用し、『養生訓』を読む人の心に訴えました。そして病気を戦に、養生法を兵法に喩え、今まで述べてきた養生の大切さを説くのです。
戦は、ただ勇敢であるとか、力があるだけでは勝てません。『孫子』に、「善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ」とあるように、勝敗にはその道理を修得し、勝つための兵法を保持することが必要です。養生もまたしかり。とりわけ、内敵(内慾)には忍、外敵(外邪)には畏に気をつけなければなりません。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
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