このエッセーを記しはじめて早一年。一巡して60段のいわゆる還暦です。やっと「鍼灸はなぜ効果があるのか」という主題に入りそうな気配がしてきました。幻肢痛のことについては一年前からまとめようと何となく思っていましたが、予定通りにはいかないものですね。
さて続きの実在論についてですが、これも観念論と同じくいろいろと種類があるようです。
まず主観の外に実在する物質が規定されているか否かで分類できます。前者は実在する物質は無規定なもので、主観が規定し表象が生じるというというものです。後者は素朴実在論とも呼ばれますが、実在する物質は無規定なものではなく、表象の原型として既に一定の性質(色や音や形など)を持つと考えられるものです。
また普遍的概念が実在するか否かでも分類できます。それが主観の外に実在する場合はプラトンのイデア論になります。それ故イデア論は観念論でもあり、観念の実在論でもあります(実念論とも呼ばれていますが、理気二元論に似ていますね)。またヘーゲルに代表される思想では観念を絶対化しました。この絶対化を行うと観念論も実在論も区別がなくなります。それは陰陽の対立と制約、相互依存の関係と同じものです。
普遍的概念が実在しないとする思想では唯名論があります。唯名論では実在するものは物質のみであり、いろいろな物質に共通な普遍的概念は単に共通なる名称または記号にすぎないと主張しています。
また実在する物質が自己の中に運動の原理を持ち、弁証法的に動いてあらゆる現象を生み出し、意識表象をもうみだすという形の実在論があり、それは弁証法的唯物論と呼ばれています。現代の自然科学(現代医学や脳科学も含めて)はこの思想に基づいています。唯物弁証法は物質的実在から意識をうみだすとする一元論的形而上学です(気一元論によく似ています)。これは上記の思想たちと同じレベルのいわゆる信念のようなものでしたが、自然科学的な物質の研究、技術の発達に大きな成果をあげました。
いろいろ考え方はありますが、簡単に言うとものごとが認識主観の外に実在すると主張する立場を実在論というようです。ちなみにそれぞれの思想につけられた名前は概念の恣意的な切り取り方を示しているだけなので、あまりこだわらなくても良いかもしれません。
観念論と実在論、いわゆる主観の世界と客観の世界が長い年月をかけて分けられてきました。これが科学や哲学の世界である種の成果をあげることを可能としました。しかしこの思想のどちらか一つだけを唯一絶対のものと捉えると不都合が生じます。たとえば唯物論的弁証法の信仰だけしか持ち合わせていないと心の問題の解決が難しくなります。それと同時に病気の治癒にも影響がでてきます。それについては追々まとめてみたいと思っています。
その後、分断されたれた観念と実在の二つを再び統一しようという思想が誕生しました。ありのままのものごとを見つめようとする態度をとった人がでてきましたが、その代表者がアンリ・ベルクソン(1859-1941年)です。
(ムガク)
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